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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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旅立ち

『共に、来るか?』

 いつもなら、それが意味することを、まず考えた。考えて、迷って、それから決めただろう。

『行きます』

 考えるより先に、言葉が出てきたのは、初めてだった。




 オリファは、深く溜め息をついた。ヤナとニキは、驚いたように口元を手で覆った。

 彼女達が私を非難するのは、仕方のないことだ。ここまで皆を引っ張ってきて、途中で放り出すようなものなのだから。甘んじて、受けなければならない。

 それでも、許して欲しい。身勝手なのは、分かっているけれど。


 けれど、その次に来たのは非難の言葉ではなかった。

 あっけにとられたように口を開けていたアンヘラが、勢いよく抱きついてきた。次いで、ナイアラが、そっと。


「えっと・・・?」

「ようやく、自分のことを考える気になったね。」

 オリファが呟く。

「この期に及んで四の五の言うようなら、一服盛って、隊長のとこに放り込もうかと思ってたんだ。」

「えっと・・・?」

 何か、物騒なことを言っているように聞こえるのは、気のせいだろうか。それよりも、それは、許すということなのだろうか。

「いい、の?」

「それがあんたの本当の望みなら、もちろんいいさ。」

「そりゃあ、寂しいけれど。」

「でも、ここで残る選択をしたら、もう会えなくなるかもしれないんでしょ。レイナは、それでいいの?」


 それは嫌だ、と率直な思いが浮かぶ。

 あの人だけなら、本当にどこかに消え去ってしまって、誰もあの人を見つけられなくなる。一緒に行けば、もしかしたら、いざという時に橋渡しができるかもしれない。魔物討伐部隊(ファリエン)との縁が切れていない私なら、どこかから連絡を取ることは可能だから。


『素直になりな。』


 そうだ。それは全て、後付けの理由だ。本当は。


―――ただ、あの人と生きたい。


「ようやく、素直になったね。」


 心の中で、最後の氷片が溶けていく。

 私はずっと、凍らせていたのだろうか。何かを恐れて、何かに怯えて。

 皆、ずっと見守ってくれていたのに。


「ありがとう。」


 その後、私は初めて、吟遊詩人のことを皆に話した。オリファ以外は、ヘザーのことを知っている。同じ誘いが、今後もあり得るのだということに、誰もが硬い表情をしていた。

「それなら、やっぱり総長はオリファね。」

「そういう胡散臭いの、一番対処し慣れているの、オリファだもんね。」

「・・・しょうがないね。でも、あんたたちも巻き込むからね。一人で全部やるなんて、無理だから。」

「はいはい。お手伝いはしますから。」

 苦虫を嚙み潰したような顔のオリファの肩を、アンヘラが軽く叩く。苦笑いをしながらも、誰にも気負いはない。とても、自然な空気だ。


 本当は、もっと早く共有すべきだったのだ。皆で生きようとするのなら、一人で抱え込もうとせずに。魔物討伐部隊(ファリエン)は、私達全員の、居場所だったのだから。

 私はいつの間にか、一人で突っ走っていた。頼ることも、力を合わせることも、忘れていた。


 ヤナが、柔らかく笑う。初めて出会った時に、微笑んでくれたように。

「というわけで、レイナ。心おきなく、出発しなさい。ここは、私達がちゃんと守るから。」


 ここは、皆で作り上げた場所で、皆で守っていく場所。だから、私は途中で放り出すのではない。私は、ここでの役目を、終えたのだ。





「リール。私は、あの人と行くことにした。いいかな?」

 リールは、人間をあまり信用していない。私達が、アルタイアの二の舞になることを懸念しているし、私が彼を警戒していたことも知っている。けれど、触れているリールの心情は、優しかった。


<お前が喜ぶは、我の喜び。お前はずっと、望んでいた。>


「私が?いつから?」

 リールはただ、炎のような瞳を瞬いた。

「もしかして、あの人の上に私を落としたのは、そういうこと?」

 飛竜は笑うことはできないけれど、リールは笑っているように見えた。


<望むままに生きなさい。お前が困れば、すぐに行くから。>






「あー、そーちょー!」

「ターク、こんにちは。」

 駆け寄ってきたタークを抱き上げる。もうすぐ二歳になるタークは、しっかり走れるようになったし、言葉も増えたし、重くもなった。最近では、自分より小さな赤ん坊を気にかける様子も、見せるようになってきた。子供の成長は、とても早い。

「レイナ。行くの?」

「うん。マリエル。元気でね。行く前に、会えて良かった。」

 大袈裟なお別れはしない。ひっそり行く。そのつもりで、隊員とも最低限の挨拶しか、交わしてはいなかった。

「あのね、レイナ。」

「うん?」

「レイナがいてくれて、良かった。」

 マリエルは、思いの外、真剣な顔をしていた。

「私が夫と会えたのも、タークと会えたのも、レイナのおかげだから。だから、ありがとう。」


 何かが、腑に落ちた感じがした。

(ああ、そうか。)


 タークが生まれてきたのは、マリエルが生き延びて、夫となる人と出会えて、結ばれて、そうした出来事の積み重ね。それならば、足掻いてきたことの全てが、無駄だったわけじゃない。そう、思うことが出来た。

「私こそ、ありがとう。」


 もう二度と戻らないことも、あの人と行くことも、一部の人にしか伝えていない。他の隊員には、しばらく国内を見て回る、ということになっている。マリエルも、そう聞いているはずだ。それでも、彼女はまるで、もう戻らないことを知っているようだった。


「またねー!」

 タークは、無邪気に、いつもと同じように言った。またすぐに、帰ってくる人を見送るように。


『行ってらっしゃい。また、いずれ。』

 そう言ってくれた人は、もう一人いた。彼女は、もう会えないことを知っている。それでも、状況が変わって、また会える日が来ることを願って、そう言った。

 エレナは笑顔だったけれど、その頬には、涙が光っていた。







 誰の目にも触れないよう、ひっそり町を出た後、待ち合わせた場所で落ち合う。

 王都を見つめる彼の眼には、様々な感情が浮かんでいるようだった。志半ばで、去らなければならないのだ。これからは、遠くから見守ることしか出来ない。それが、私にも残念に思えた。

 そっと、手を握る。

 彼は、ゆっくりと視線をこちらに向け、静かに、諦めたように、目を伏せた。


 近衛隊が密かに用意してくれた馬で、王都を背に歩き出す。行き先は決まっていない。彼を探そうとする全ての者から身を隠し、民の中に埋もれるのが目的だからだ。


「どこへ、行きますか?」

「そうだな。取りあえずは、西にでも。」

「町へは、あまり寄らない方がいいでしょうね。」

「ああ。当面は、避けた方が良いだろう。冬になるまでは、森でも食料は得られる。」

 野宿は、野営で慣れている。ここに来るまでは、考えもしないことだったけれど。


「レーナ。」

「はい。」

「敬語はもう、必要ない。」

「あ・・・」

 ずっと、彼は私にとって上位者だったから、敬語しか使ったことがなかったけれど、確かに、これからは必要がないかもしれない。

「はい。じゃなくて、う・・・ん?・・・いや・・・その・・・」

 なぜだろう。普通に話そうとしているだけなのに、大泣きした時よりも恥ずかしいと感じる。

「少しずつで、いい、ですか?」

「構わない。」

 彼は、少し笑ったように見えた。


「あの、そういえば。」

「何だ?」

「これからは、何と呼べば?」

 さすがに、もう、隊長と呼ぶわけにはいかないし、この人の名前は知られているから、そのまま呼ぶわけにもいかない。そもそも、呼び捨てにしている自分が想像できないのだけれど。

「・・・クロー。」

「クロー?」

「森を出るまでは、そう呼ばれていた。(きこり)に拾われたときに、そう名乗ったらしい。村の者達は、『リオディス』について聞かれても、誰のことか分からないだろうな。」

 第一王子の名は、クロトルード。愛称で呼ぶのなら、クローになるだろうか。



 街道を外れて森に入っても、困ることはなかった。育った場所ではないのに、彼はさすがに森のことをよく知っていた。木や草花の種類、食用か否か、木の実や茸の取れそうな場所、大体のことは分かるようだ。今までその類の話をしたことがなかったけれど、討伐に赴いた際にも、森に入る時は、癖で周囲の様子を観察していたのだそうだ。


 森の際にある岩陰で火をおこし、夜を迎えると、頭上には一面の星空が広がった。雲一つなく、見渡す限りの、無数の煌めきが全天を覆っている。これほどの輝きを、見たことはあっただろうか。あったはずなのだ。野営は、初めてではないのだから。


「そういえば。」

 星を見ていて思い出した。謝らなければならないことがあったのだ。

 この世界に来てからの私物は、あまり無かったけれど、耳飾りは持ってくることにした。この人にもらったものでもあるし。

 ただ、管理が悪かったのか、片方の石が、黒ずんでしまっていた。それを見た彼は、何とも言えない顔で、石を手に取り、眺めていた。

「すみません。」

 段々いたたまれなくなって、改めて謝ると、彼は、確かめるような視線を向けてきた。


「事故の後、目覚める前に、夢を見ていた。お前、これを使って、何か妙な術を行ってはいないだろうな。」


 束の間、思い起こしてみて、首を横に振る。夢の中なら覚えがあるけれど、現実にあんなことは出来ない。


「私にそんな特殊能力はありませんよ。夢なら、私も見ましたけど。」

「夢の中で、何をした?」

「何と言われても。夢だし。」


 すると、彼は、耳飾りを手に握らせながら、真剣な表情になった。


「俺は、お前の命を削ってまで、永らえようとは思わない。例え夢でも、二度とはするな。」


 不思議なこともあるものだと思った。同じ時に、同じような夢を、見たのだろうか。もしかしたら本当に、あの時、触れ得ない存在に、触れたのだろうか。


「レーナ。」

 確認するように、再び声がかけられる。ただ、その約束は、安易には出来ない。だから、条件を付けることにした。


「貴方が、生きることを簡単に諦めなければ、もうしません。すぐに命を投げ出すつもりなら、何度でもします。」


 彼は、不意を突かれたように目を見張り、しばらく宙を見つめ、やがて溜め息をついた。


「分かった。」


 夢の中のことなど確約は出来ないし、それ以前に、あんなことは、おそらく、二度もあることではない。

 でも、これで、この人は生きようとしてくれるだろうか。投げやりにならず、前を向いてくれるだろうか。

 そうあって欲しいと、期待する。





 空が明るくなっていく。

 星が姿を消し、世界が色を取り戻していく。夜明けの空気は静かで、ひんやりと沈んでいる。光に反応した鳥達は、もう囀り始めていた。

 東の空には雲がかかっていて、青みがかったそれが、太陽が昇るとともに、薔薇色に染められていく。雲の切れ間が黄金色に輝くと、光の帯が、手を伸べてきた。大気が輝き、草露が無数に光を弾く。


 目が、開かれるような気がした。

 夜明けは、幾度も見た。野営地で、王都で、戦場で。けれど、何かを感じたことはなかった。

 この世界は、こんなにも、美しかったのか。私は今まで、目に映るものを、きちんと見ていなかったのかもしれない。


「レーナ。」

 優しい声がする。振り返った先にいる人は、少し心配そうに、首を傾げた。

「どうした?」

 その人の姿に安心し、思わず笑いかけながら、心が温かいもので満たされていくのを感じる。

「美しいところだった、この世界は。初めて、知りました。」

 全てを手放し、何もないところからの再出発だ。

 それでも、今度は、不安はない。

 共に歩む人がいるから。



 東の空を眺めながら佇む彼女に声をかける。振り返った彼女は涙ぐんでいて、それから、ふわりと微笑んだ。穏やかで、温かな笑み。

 陽の光が眩しいのか、その笑顔が眩しいのか、思わず、目を細める。

 彼女の輝きは、夜空の最も明るい星に似て、だが、日の光の中でも消えることはない。

 彼女の本質にある、その澄んだ輝きを、この笑顔を、今度こそ、守っていく。

 そう、誓う。



 差し出した手が、重なる。

 共に行こう。

 再び、踏み出そう。

 この、世界へと―――




                  完




最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。


いかがでしたか。

表舞台からは去った二人ですが、生涯の伴侶を得られたので、作者としてはハッピーエンドです。

この物語が、あなたの心に届くものであったなら、幸いです。


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