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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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回想(2)

 先王の葬儀の日、重く垂れこめた雲からは、今にも雨が滴ってきそうだった。

 上官に従って城には来たが、参列はしないから、自分の仕事はそれほどない。貴族に絡まれるのは面倒なので、庭へ出た。

 一度だけ、先王と会った場所には、人がいた。なんとなく、ここで、あの時のことを思い出したかったから、残念に思ったが、自分が先王の死を悼んでいるのかは、よく分からなかった。自分の国の王なのだから、悲しんでいるのだとは思うが。


 城を振り返ると、螺旋階段が見える。あの大階段を始めて見た時、似ているかもしれない、とは思った。だが、記憶にぼんやりとあるものより、こじんまりしている、とも思った。


 城に背を向けて、また人の少ない方へとぶらぶら歩いていくと、来たことのない場所まで来た。そこは、他のところとは趣が違っていた。整えられてはいるが、蔓が伸びるまま、自然に近い状態にされているようだ。

 石造りのその通路は、一見、伸び放題の蔦に覆われて、放置されているようにも見えた。当然誰もいないだろうと思っていたそこに、少年を見つけた時は、一瞬、自分の目がおかしくなったかと思った。

 ただでさえ厚い雲が日差しを遮っているのに、その僅かな光さえ薄らぐような通路の、奥まった座席に、喪服を着た少年が、静かに座っていた。 


 少年は、声を押し殺して泣いていた。

 すぐに、王太子だと思った。王城にいる子供は、王太子しかいなかったし、一度だけあったあの王に、面立ちが似ていたのだ。

 王太子は、こちらに気付くと、慌てたように目をこすった。

『ご心配なく。』

 考えるより先に、言葉が出てきた。

『見張っていますから。』


 少年に背を向けて、そこから見える通路の先や庭へと目を向ける。どうして王太子が、こんなところに一人でいるのか、疑問に思う気持ちもあったが、それよりも、ひっそりと涙を流している姿が心を強く揺さぶっていた。

 王太子は、常に人に囲まれ、(かしず)かれている。それなのに、泣いているところを見せられる人間はいないのか。


 袖を引かれるのを感じて振り返ると、王太子が立っていた。見上げる目はまだ濡れていて、赤いままだ。

『少し、良いだろうか。』

 近衛隊に出入りしていると、貴族階級の子弟が多く、尊大な人間もいる。それに比べて、この王子は、随分と遠慮がちだ。目に入る範囲に人の姿がないことを確認して、王太子と並ぶように座った。


『近衛隊の者か?』

『近衛隊長の従卒です。』

 近衛隊の制服に似た黒服を着ているが、正式な隊員ではないから、通常なら王や王太子と顔を合わせることはない。

『名前は?』

『リオディスと言います。』

『リオディスは、兄弟はいるか?』

『いえ。いません。』


 王太子が、少しがっかりしたように見えたから、つい付け加えた。

『兄弟のいる知り合いなら、たくさんいます。』

 村の人間には大抵兄弟姉妹がいたから、間違ったことは言っていない。王太子は、顔を上げて何度か瞬きをした。

『兄弟というのは、どういうものだろうか。』

『仲の良いのもいますが、よく喧嘩をしたり、()り合ったりしているのも多いですね。ただ、泣く時は一緒に泣いてます。」

 村の子供達を思い浮かべながら、その様子を伝える。自分にも、彼らの心情はよく分からない。しょっちゅういがみ合っているのに、共通の敵がいれば力を合わせるし、誰かが落ち込んでいれば慰めたりもする。

『一緒に・・・』

 そう繰り返した後、王子は、少しもじもじする様子を見せた。

『頼みが、あるのだが。』

『何でしょうか。』

『少しだけ、弟と思って、話をしてくれないだろうか。』


 それは中々難しい注文だった。兄弟がどんな話をするのかは、自分もよく分からない。それに、村の人間を思い出してみると、兄弟で丁寧な口を利いている者はいなかった。流石に、王子に向かってぞんざいな口の利き方をするのはまずい、と言うより、通常は許されない。ただ、今はそうして拒否してしまう方が、悪いような気がした。


『では、殿下。少しだけ。』

『アルテベルトだ。』

『・・・では、アルテベルト。』


 名前を呼ばれた王太子は、それだけで嬉しそうな顔をした。


(そうか。)


 この王子には、もう、名前を呼んでくれる人がいないのだ。呼びかけは、常に殿下、これからは、陛下になる。

 皆が恭しく奉りはするが、同じ目線に立ってくれる人もなく、すぐ後ろで見守ってくれる人もない。母君は既に亡く、父王も亡くなった今、()()()()()()()()()


 話した内容は、他愛もないことだ。自分が知っているのは、森と村のことくらいだが、王子は目を見開いて聞いていた。(じき)に治めることになる国なのに、まるで遠い異国の話を聞いているようだった。八歳になる王太子は、唯一の王位継承者であったためか、大切に守られ隠されてきた。だから、城の中しか知らないのだ。自分にとって、育った森と村が世界の全てだったように。すぐそこにある王都のことですら、少し覗き見ただけの自分の方が知っている。


 王子の日常は、王になるための教育で埋め尽くされている。それを当然のことと受け入れながらも、さぼりたくなって仮病を使うことがある、と重大な告白をするかのように教えてくれた。それがいかに些細な事か、村の悪ガキ達の悪戯とその顛末を教えたら、またもや、目を見開いて驚いていた。


 自分に親がないことを話したら、同じだ、と少し寂しそうな顔をした。確かに、同じかもしれない。だが、背負うものがあまりに違う。もし、本当に自分が兄であったのなら、この少年の背負うものを、分け持つことが出来たのだろうか。こんな風に寂しそうに笑うことも、一人で泣くことも、なかったのだろうか。


―――俺は、あなたの兄かもしれない。


 喉元まで出かかった言葉は、しかし、決して口にしてはいけないことだった。自分でそうだと確信していないのに、確かな証もないのに、そんなことを伝えて、一時この王子が喜んだとしても、すぐに失望させてしまうことになる。


 鐘の音が、時間が来たことを告げる。戻ろうと立ち上がった王子に、声をかける。

『アルテベルト。顔を洗った方がいい。』

 近くの水場で顔を洗わせ、持っていた手巾で拭いてやる。

『行こう。』


 城の近くまで行くと、血相を変えた侍女や侍従がウロウロと庭を歩き回っていて、王子を見つけた途端、吸い寄せられるように駆け寄ってきた。見下ろすと、王子はばつの悪そうな顔をしている。


 立ち止まった王子の後ろに、片膝と片手をつくように屈み、顔を伏せる。これは、臣従の礼だ。忠誠を示す為の、特別な礼。兄弟ごっこは終わり、王子と臣下に戻る。

 口々に心配と安堵の言葉を告げる者達に詫びた後、王子は振り返った。その顔に、どのような感情があったのかは分からない。


『ご苦労だった、リオディス。ありがとう。』


 柔らかい声音で、最後はこっそり囁くように、王子は言葉をかけた。


 その時に、誓ったのだ。この王子に、全てを捧げると。この王を、生涯支え、守り抜ける人間になると。


 それからは、武術はもちろんのこと、苦手だった座学も、宮廷の作法も必死に身に着けた。王のすぐ傍で、誓いを果たせるように。

 騎士に叙任される頃には、貴族出身の近衛騎士にも、対等に扱われるようになっていた。命ある限り、己に課した誓いを、果たしていくはずだった。




「それも、もう終わりだ。」

 息をつくことも出来ず、話を聞いていた。終わりだ、と言った時の彼は、無念そうでもあり、哀しそうでもあった。ずっと、感情に乏しいと思っていたけれど、そんなことはなかった。ただ、表に出にくいだけだ。


 彼には、彼なりの理由があった。王だから、ただそれだけで、盲目的に仕えていたのではない。王を守る為に、必死だった。他の何よりも、それが彼の最優先事項だった。だから、仕方がなかったのだ、あの時のことも、その後のことも。もう、責める気持ちも、恨む気持ちもない。ただ、悲しかった。


「どう、するのです?」

「消えるしかない。宮廷から、彼らの前から。」

「消える?」

「辞意はお伝えしてきた。俺はここから去る。担ぎ上げようとした存在が消えない限り、連中が黙ることはないだろう。」

「・・・いつまで?」


 声が震えそうになるのは、どうにか抑えた。答えは、聞かなくても分かっていた。おそらくこの人は、もう戻らないのだろう。王子ではない証明が出来ない限り、同じことは今後も起き得る。

 自分が宮廷を離れるのは、一時の予定だった。気力が戻ったら、また仲間の元へ戻ってくる。この人も、そこにいるはずだった。けれど、この人が去ってしまうのなら、もう二度と、会うことは出来ない。それは、なぜかとても、恐ろしいことのように思えた。


「どこへ?」

「どこへでも。どうとでもなる。森でも、町でも、戦場でも。」


 声色は淡々として変わりがないのに、戦場、という言葉に、ヒヤリとした。この人なら、どこでも生きていくことは出来るだろう。その能力や(すべ)を持っている。けれど、生涯の目的を手放した後で、この人は、今まで通りに生きようとしてくれるのだろうか。


 一度下げた視線を戻した彼と、目が合った。私は、抱いた不安を、隠そうともしていなかったかもしれない。

 彼の雰囲気が、ふっと和らいだ。


「共に、来るか?」


 それは、二度と戻れないことを意味する。作り上げた居場所を放棄し、生死を共にした仲間達とも、二度と会えないことを。



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