決断
王の居室に、夜間、四人の人間が集まっている。
椅子に腰かけた王と宰相の前で、近衛隊長と副長が、膝をついて顔を伏せている。誰もが厳しい表情をして、重苦しい雰囲気が室内を満たしていた。
隊長は、私服で夜間に面会を求めた非礼を詫びた。
彼を勝手に王子に祭り上げようとする者達は、最近では家に押しかけるようになっていた。王城ならともかく、民の目があるところで、『殿下』などと言われては、余計な憶測が拡散していく。そのため、外へ出るのも容易ではなくなっていたのだ。これは、異常な事態だった。
彼なりに、水面下で動いてはいた。彼らが、証と言い張る物の回収を試み、彼らの言動が、反逆につながり得るものであることを理解させようともした。水面下での接触は、彼らを勢いづかせ、本当に反逆の種になるリスクも孕んではいたが、穏便に解決できれば、傷は小さくて済む。
しかし彼らも、そう簡単に引いてはくれなかった。何より、都中に噂が広まってしまった後では、これを収めるのは至難の業だった。
収めるには、この方法しか、もうない。
「本当に、そうするしかないのか。」
王は、顔を歪めて呟いた。
「事態を収拾できなかったのは、私の力不足です。この責めは、如何様にしても負えるものではございませんが、これ以上、陛下の御代を騒がせることは出来ません。」
面を伏せたまま、近衛隊長は冷静な口調で述べた。その心中が決して穏やかでないことを、副長のカリベルクは知っていた。
「宰相。」
王は、意見を求めるように宰相を振り返った。即位以来、常に道を示し、知恵を出してくれた宰相を、王は祖父とも師とも思い、信頼してきた。最近では、自ら決断することが増えていたが、この決断は、身を切るように辛いことだ。何か良い知恵がないかと、つい、切実な視線を向けてしまう。
しかし、宰相は沈鬱な表情のまま、隊長に目を据えて言った。
「誠に遺憾ながら、陛下、他に手はありますまい。」
宰相にとっても、これは避けたい事態だった。
宰相としても、何も対処をしなかったわけではない。貴族達には個々に圧力をかけてみたり、国の利を損なう行いであることを説いてみたが、彼らは納得しなかった。しかも、『王子』の復権を願うのは、王家への忠誠ゆえである、と主張しているうちに、自分暗示にかかったような状態になっていて、その声はむしろ大きくなる一方だった。
そして町に流布された噂を正面から打ち消すことは、ある理由から、難しいことだったのだ。
この混乱した状況は、他国にもとうに伝わっているはずだ。
「これ以上長引かせれば、もっと踏み込んだ決断を迫られることになります。心苦しくはありますが、どうか、ご決断を。」
それが何を意味するかは、王にも伝わった。今ならば、まだ、最悪の事態を避けることが出来る。拳を握り、束の間、歯を食いしばり、望まぬ言葉を押し出す。
「分かった。許可する。」
黙って首を垂れる隊長の胸中もまた、無念であることを、副長はもちろん、宰相も王も知っている。
「御代が、幾久しく続きますよう。」
静かに立ち上がり、退室しようとする隊長に、王が声をかけた。
「リオディス。」
動きを止めた隊長が、王に目を向ける。
王は顔を歪めながらも、少しだけ微笑んでいた。
「初めて会った時のことを、覚えているか。」
「はい、陛下。」
「あの時から私は、お前が本当の兄上であったら良いと、ずっと思っていたのだ。」
その言葉に、隊長は優しく、哀しげな眼をした。そして、右の拳を胸の中央に置き、敬礼をする。
「どこにいようと、私は陛下に忠誠を誓う臣です。御前に侍ることが許されずとも、命ある限り、陛下と御代の為に尽くします。どうか、お健やかであられますよう。」
人目を避けて近衛隊の詰め所に入った二人は、手短に引継ぎを済ませた。
この決定は、副長にとっても不本意だったが、事態を収める為に、致し方のないことだった。
隊長の忠誠には揺らぎがなく、疑いを挟む余地もない。それなのに、旗頭に担がれてしまえば、それまでの功績も忠義も意味を成さなくなるというのは、なんとも理不尽だった。
「カリベルク。いいか。連中は誰一人、容赦はするな。」
隊長の目に、暗い炎が躍っている。王を害そうとする者への怒りの程が分かる。
第一王子の復権を、と主張している者達は、その内、王統を第一王子へ戻そう、などと言い始めるだろう。それがどれほど、この上官の怒りを掻き立てるか、彼らには想像が出来ないのだろうか。
それにも増して、その彼らの為に、この上官があるべき場所から追いやられなければならないことに、カリベルクもやり場のない怒りを感じていた。
「エルゼー伯は、どうしますか?」
「彼らが証だと言っている物が、エルゼ―伯爵家から持ち出されたという証拠はない。伯爵がそう言い通せば、それで済む。だが必ず、それは回収しろ。取りこぼせば禍根を残す。」
「では、そのように。」
それから、隊長は残念そうに目を伏せた。
「彼の忠告を、活かせなかったな。」
カリベルクにとっても、エルゼー伯は先輩に当たる。いい人ではあるし、能力的に問題のある人物でもない。
「しかし、今回は彼の不手際でもあります。」
「そう言うな。彼にとっても、大切な物だ。仕方のないことだ。」
王の安全に関することには冷徹にも非情にもなれるのに、部下や身近な者が関わることだと、人が好いと言うか、情が厚いと言うか。この上官のそういうところは、カリベルクも嫌いではなかった。
「彼女のことは、どうするんです?」
今の彼にとっては、おそらくそれが、もう一つの懸念事項だ。
隊長は、目線を上げて、蝋燭の灯りが作り出す壁の影を、しばし眺めた後、
「考える。」
と言った。
明りの乏しいところを選びながら、通りを歩いて家に向かう。家の前に陣取っている者達は、どうにかして彼と直に接触しようと待ち構えている。最近では裏口にも人を配置し、夜中でも配下に見張らせている。出てくる時は、部下が注意を引き付けてくれたが、それでも、目を引かないよう私服でひっそりと出なければならなかったのだ。
ただ、生まれながらの貴族である彼らは、まさか、近衛隊長が塀を乗り越えて裏の民家から出入りしているとまでは思っていない。
彼らと直に顔を合わせるわけにはいかない。まして言葉を交わすことも。こちらの意図には関係なく、民衆の前で騒がれれば、収拾がつかなくなる。僅かでも、王の治世に影を落とすことは、あってはならない。
立ち止まり、空を見上げる。
王都の空は狭く、暗い。森にいた頃は、空一面に、光の粒を撒いたような星が見えた。それでも、輝きの強い星は、この王都の空でも、変わらずにその存在を示している。それは、彼女を想起させる。
彼女が立ち直るのを、見守るつもりだった。彼女の放つ輝きが、失われないように。
今までの方法では、もう、守ることは出来ない。それでも、放り出すことは、したくなかった。
家に戻ると、彼女が待っていた。隙を見て、マウルが中に入れたらしい。野菜売りに変装しているが、万一見咎められれば、巻き込まれてしまうというのに。
「ここに来るのは、危険だ。今がどういう状況か、分かっているな。」
それには答えず、彼女は問いかけるような視線を向けてきた。以前ほど強くはないが、静かな輝きは、保たれたままだ。
「なぜ、このような事になっているのですか?」
「俺の力不足だ。」
「なぜ、貴方は違うのだと、示さないのですか?」
彼らの主張は間違いだと、自分は王子ではないと示すことが出来れば、事は収まる。それが容易でないことは、既に悟っている表情で、どこか切羽詰まった様子で、問いかけてくる。
「出来ないからだ。」
何も、語るべきではないかもしれない。知らなければ、巻き込まれずに済む。
「なぜです?」
しかし、この様子では、大人しく引いてはくれなさそうだ。納得のいかないことには、妙に諦めの悪いところがある。ならば、知っておくことで、避けられる禍もあるかもしれない。
しばし迷い、引き下がる気のない表情を見て、話しておくことに決めた。




