惑い(3)
晩夏の午後の陽が、墓所を照らしている。大分傾いてきた日の光は、壁に遮られて、陰を長くしているところだった。
神殿の表は、参拝の人が引きも切らないが、裏にあるこの場所は、町の喧騒も届かず、訪れる人もなく、静まり返っている。暖かさを残した風が、時折草花を揺らしても、この静謐を崩すものはない。
纏まらない思いを抱え、彼女達にかける言葉も思いつかず、ただ、ここに佇んでいる。
何を告げるべきだろうか。謝罪か、後悔か。
オリファもエレナもああ言ってくれたけれど、ここに眠る仲間達が、何を思って逝ったのかは分からない。思考は転々と飛び、やがて一つの想いに行きつく。息苦しさを覚えて、青い空を眺めながら大きく息をつく。その繰り返しだ。
あの人に対して抱いてしまったこの想いを、彼女達は何と思うだろうか。
許しを請うべきだろうか。自分を罰するべきだろうか。
ヘザーはきっと、許さないと言うだろう。
ただ帰りたかっただけなのに、それが罪につながってしまった。
処刑を実行したあの人を、想うことなど許さないと。
それは、分かっている。端から表に出すつもりはない。本当は、私の中にあることすら、黙殺すべきかもしれない。けれど、押し殺すことが、とても苦しい。
何度目かの溜め息をついた時、後ろから声をかけられた。
「総長殿。」
振り返ると、女性の神官がいた。真面目そうで、少しつっけんどんな印象の女性だ。
「助祭・・・いえ、神官様。」
神殿に来たばかりの頃、世話係をしていた助祭だった。今は神官服を身に着けている。一度神殿を追放された時以来会っていなかったが、昇進していたようだ。
「お久しぶりです。」
「お元気そうで。」
言葉遣いはあの頃より丁寧だが、相変わらず、にべもない応対だ。
「こちらには、よくいらっしゃるそうですね。」
「おかしなことと、思いますか?」
「元の世界の風習だそうですね。墓石を眺めても、あまり意味があるとは思えませんが。」
この世界では、墓参りは重視されていない。そこは、死者の体を収めただけの場所だからだ。
「墓石を眺めているのではなく、その向こうに亡くなった人を感じるのです。彼らが、死後安らかであることを祈り、その時の想いを語りかけるのです。もしかして、答えを返してくれはしないかと。」
「死者は語りませんよ。死んだ者は、世界へ還るのです。お教えしましたね。」
彼女は神官だから、ここでは、それは正論だ。王や、特別な英雄は神界に招かれるが、他の者は、ただ、世界に還る。
「そうですね。ただ、直接語りかけたい時もあります。許しを請いたいことも。」
故郷ならば、死後も魂は残ると考える。だから、あの世とこの世を行き来することも、世界の終わりに天国に行くことも、輪廻転生も可能だ。
けれどここでは、死者は何も残さず、世界へと還る。だから、生は一度きりだ。
「死んだ者は、世界と一つになるのです。だから、その者達を覚えている限り、常に周りにいます。」
それが、この世界で墓参りが重視されない理由。そこに、死者はいないのだ。
「けれど彼らは、意識も言葉も、消えてなくなります。だから、生者の問いかけに応えることはありません。」
淡々と、説法をするかのように、彼女は語り続ける。
いくら墓石の前で語りかけても、仲間達は、何も返さない。
初めから、分かっていた。初めから、ただの自己満足だ。
「これは、教えていなかったかもしれません。死は、全ての悪しき感情から、その者を解放します。苦しみも、悲しみも、恨みも、痛みも、全て消し去ります。ですから、死者は生者を縛りません。」
ほんの少し、柔らかく変化した声の響きに、顔を上げる。
「死を悼むのは当然です。親しき者の喪失を嘆くことも。しかし、その者の悪しき感情を引き延ばし、生者が自らを縛ることは、彼らの解放を妨げることになりませんか?」
それは、優しいとも、残酷とも言える言葉だった。苦しむ者にとっては救いとなり、言い訳にしていた者には厳しい叱責となる。
「もし、貴女が亡き者へ許しを請わなければならない行いをしたのなら、裁きの神へ委ねると良いでしょう。神々は、全て見ておられます。」
そう言って、神官は去っていった。
墓所を後にしながら、彼女の言葉を反芻する。
死者は生者を縛らない。ヘザーは何も語らない。私は、自身を縛っているのか。
後ろめたさと後悔を抱えているのは確かだ。それが、この想いを直視することを、許さない。
裏口に近づいた時、近衛騎士と神殿の修養生達が見えた。王城で行われる儀式に、神殿に保管される財物を借りたり、王家の宝物を神殿に預けたりする時、近衛騎士がその役目を担う。今は、調印式に使用された、契約と裁定の神にまつわる品を、返却に来たのだろう。
初めてあの人と出会った時、他の騎士とは別格の存在感を、怖いと思った。いつの間にか代えがたいものとなったこの想いは、もしかしたら初めからあったのかもしれない。
直視することを避け、他のものに置き換え、抑え続けた。認める勇気がなかった。その口実に、彼女を使った。そういうことなのか。
一つ息を吐きながら、空を見上げる。晴れ渡る空は青く、煙のように薄い雲がゆっくりと流れていく。
もし、夢で触れたような存在が、この世界にはあるのなら、身を委ねても良いだろうか。自分の中にある想いを、受け入れても良いだろうか。それが許されない事ならば、いつか、罰を与えてくれるのだろうか。
「レーナ?」
トクリ、と鼓動が鳴った。少しだけ、不安を抱きながら振り返る。
次に会う時は、きっと、どんな顔をしたら良いのか、困るのだろうと思っていたけれど、意外に冷静な自分がいる。
この人は、すっかり元通り、いつもの隊長だ。大きくて、安定していて、特別で。けれど、常日頃の厳しさは、今は影を潜めているように思う。
「神殿に用か?」
「いえ、神殿ではなく・・・」
前にも、こんな会話をした気がする。墓所の方向へ目をやると、彼は、ここにいる理由を察したようだった。
「傷の具合は、どうですか?」
「問題ない。」
凪いだ海のような、深い青の瞳。初めの頃は、目を合わせるのが怖かったし、緊張した。むしろ安心を覚えるようになったのは、いつからだったのだろう。この想いは、確かに私の一部だ。
「お前は、大丈夫か?」
そう聞かれたけれど、私は今、どんな風に見えているのだろうか。あまり、酷くはないと良いのだけれど。
「そう、ですね・・・」
何と答えようか、逡巡する。以前なら、即座に大丈夫だと返していた。本当の状態には関係なく。けれど、子供のように大泣きしたところを見られた後では、意地を張っても仕方がないように思える。
「そのうち、大丈夫になります。」
受け入れてみようと思った。この想いは、大切に、私の中に収めていく。そう思ったら、苦しさが和らぎ、胸の奥がじんわりと温くなった気がした。
「しばらく、宮廷を離れるか?」
「王妃様からも、提案を頂いています。ファリエンに籍を置いたまま、国内を視察するという体で、と。」
彼は頷いて、
「それならば、こちらでも手助けできる。」
と言った。
この精神状態で、宮廷貴族達と対峙するのは難しい。表向き、私も事故で負傷したことになっている。連日治療院に通っていたのも、そのためだと。現在も、事故の後遺症で、完全な職務復帰がまだ難しいということになっているけれど、いずれ彼らも気付く。
だから、エレナもこの人も、気を使ってくれたのだ。精神的にも落ち着いて、気力が戻るまで、宮廷から離れるようにと。
しかし、貴族達が私の変化に気付くことはなかった。それどころではない、国を揺るがしかねない騒ぎが、起きてしまったからだった。




