惑い(1)
夜遅くに官舎に戻った私を、オリファは待ち構えていた。もう隊員達は寝ている時間で、誰に見られることもないだろうと思っていたのに。
開口一番、彼女は言った。
「で、何があった?」
なぜ、何かがあったと思ったのだろう。もう、目の腫れは引いているはずだけれど。
「あんたの顔見りゃ分かるよ。何かあったなって。ほら、お姉さんに、全部話してみな。」
確かに、オリファの方が年上だ。多くを見聞きしてもいる。
それでも、どこから、何を話したものかは、躊躇われた。私の中で、まだ整理がついていない。
だから、あの人に言われたことを、そのまま伝えた。
「納得いかないのかい?」
「分からない。どうすれば良かったのか、どこかで間違えたんじゃないかって。」
「間違えた?」
「私達には、魔物を感知する能力がある。討伐は、誰でも出来ることではないから、私達が役に立つのだと思わせることが出来れば、生きていける。安心できる居場所が出来る。そう思っていたけれど。本当は、そんなことしなくても、何か他の方法があったのかもしれない。もし、あの人が言うように、どこかで私達が許されていたのなら。」
オリファは、机に肘をついて、考えるように言った。
「どうかねえ。どうするのが一番良かったのかは、よく分からないけど、実際難しかったと思うよ、どんな方法も。最初の頃、あんたたちを見る世間の目は、かなり厳しかった。」
「でも、他の方法を探そうとしていたら、今生きている仲間は、もっと多かったかもしれない。」
私は、探そうとすらしなかったのだ。これしかないと思い込んでいた。
「私のせいだ。」
肘をついた姿勢のまま、オリファは目を見開いた。そして、
「あんたは、真面目だからねえ。」
と言って苦笑した。
「あたしはあんたに感謝してるよ。あんたと会わなかったら、あたしは今でもあの町にいた。選択肢なんてない、未来なんてものも端からない場所に。あたしだけじゃないよ。ここがあるおかげで、助かった人間は大勢いるんだ。まあ、向き不向きってのはあるからね、実戦に出られない人間もいるけれど、その気になればツェーラみたいな方法もあるわけだし。それにさ、ここの隊員の顔を見てれば分かるよ。悲壮感なんて欠片もない。あんたを恨んでる隊員がいるかい?」
そうしてオリファは、私の頭に手を置いて、ポンポンと軽く叩いた。
「あんたは、よくやったよ。みんな、ちゃんと分かってる。」
そう言われても下を向くしかない私の頭を、オリファは搔き回すように撫でた。
「あんたさ、あの隊長のこと、どう思ってるんだい?」
「え?」
ドキリとした。それと同時に、ズキリとした痛みを感じる。
「どう思っているのかは、見てりゃ分かるんだよ。あんたがそれに気づいているのか、無視しようとしているのかを知りたいんだ。」
「どうって・・・私は・・・」
心の奥がざわついて、苦しくなる。
「そろそろさ、素直になりな。あんたには、必要なことだと思うよ。」
開いた窓から、二重の月が見える。
当初一つであった月は、女神が星を産み出す為に、二柱の娘神に託したことで、二つに分かれた。それぞれ生と死を司る女神は、別々に空を廻り、定期的に母神の元へ戻る。
原初の姿に戻った白々と明るい月は、冷たくもあり静かでもあった。
よくやった、とオリファは言ってくれた。まだ、それを素直に受け止められはしないけれど、少しだけ、気持ちが軽くなったのは事実だ。
二重の月に、手を伸ばす。
周囲の星を散らすように輝くそれは、故郷の月に似てはいるが、それよりも少し大きく感じる。
少し、疲れた。
ずっと走り続けてきた。脇目もふらず、必死に突っ走っていた気がする。
『怜那はね、賢く美しくなるように、と思ってつけたんだよ。』
なぜ、急にそんなことを思い出すのだろう。
両親は、昔、そう言っていた。
祖父は、もっと難しいことを言っていた。
『怜那。覚えておきなさい。お前の怜は、賢いという意味だ。黎も同じ読み方をするが、これは暗いという意味だ。真っ暗な、闇だ。お前は、暗闇を払う、賢い大人になるんだよ。』
『・・・おじいちゃん。よく分かんない。』
小学校に上がってしばらくした頃だったと思う。祖父は、そのうち分かると笑っていたが、あの時の私には、さっぱり意味が分からなかった。今なら、祖父の言いたかったことが、分かる気がする。
(でも、やっぱり難しいよ。お祖父ちゃん。)
私はそんなに賢くなれなかった。闇を払うどころか、惑ってばかりだ。今は、進むべき道も、見失ってしまった。
この世界に来て、四年以上が経った。家族の顔はもちろん覚えている。けれど、細部を思い出そうとすると、ぼやけてしまう。写真も映像もないここでは、記憶が全てだ。祖父の声にいたっては、もうよく思い出せない。
閉じた瞼の裏には、あの人の顔が浮かぶ。どこか、痛みを感じる目をした、あの人が。
彼をどう思っているのかと、オリファは聞いた。
あの人を強く意識するのは、警戒しているからだと、ずっと思っていた。それがいつから変わっていたのかは、自分でも分からない。でも、あの人が昏睡状態だった時の強い不安は、純粋に、いなくなってしまうのが怖かったからだ。夢の中で、自分の命を分けても構わないと思ったのは、本心だった。
あの人はいつの間にか、私の中で大きな比重を占めていた。それは、恐れでも嫌悪でもなく、もっと強い想い。
そう気付いたのに、なぜ、苦しいと感じるのだろう。




