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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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看病

 意識が戻った後の、彼の回復は早かった、らしい。

 治療師はそう言っていたが、最初は、歩くにも支えが必要で、私としては落ち着かない気分になったものだ。数日後には、ゆっくりなら自力で動けるようになっていて、治療院から家に移り、療養を続けることになった。


 ただ、あの人には家族がいない。使用人も、老年の下男が一人いるだけだという。王城の治療師は、毎日様子を見に行くわけではなく、本当に家に戻って良いのか、不安になった。


 だから、毎日様子を見に、通うことにした。

 幸い、今は魔物討伐も一段落している。アルジュール戦役の後、その周辺の魔物が増えたのだが、あの規模の戦闘が行われたにしては緩やかだった。どうやら、陣地にいた間、飛竜達が頻繁に狩りに出ていたらしい。残った魔物の討伐も終え、今は小康状態が続いている。

 それに、きちんと全快したことを見届けないと、安心できないのだ。あの人が、中々目覚めなかった時の、絶望とも焦燥とも言える不安が、まだ消えていない。


 おそらく、私は恐れている。あの人に何かあった時、その原因が私ならば、魔物討伐部隊(ファリエン)は、私達の居場所は、消えてなくなるのではないかと。






「総長。私服なんですね。」

 出がけにオリファに声をかけていこうと思ったら、傍にいた他の隊員がそんなことを言った。官舎を出る時はいつも制服だったから、珍しいものに映るらしい。

「制服であの家に出入りするわけにはいかないから。」

「治療院は出たんだろ?毎日行かなきゃいけないのかい?」

 オリファは苦笑気味に首を傾げている。

「必要だと思う。表立ってはまだ何も言われていないけれど、無事に復帰できないようなことがあれば、何を言われるか分からない。大丈夫。ここが潰される口実には、ならないようにする。その為にも、きちんと治ってもらうから。」

 オリファ達が困惑した表情になったから、最後にそう付け加えた。あまり、心配させるようなことを言ってはいけない。特に、日の浅い隊員の前では。




「えっと。副長?」

「うん?」

「今のって、もしかして、冗談ですか?」

 レーナを見送った後の、困惑した隊員の質問に、オリファは思わず苦笑した。

「あ~、そう思う?」


 レーナはあまり冗談を言わない。しかも、あんな深刻そうな顔で冗談を言う人間は、まずいない。この隊員が困っているのは、彼女の発言が、予想から大分ずれていたからだ。


「本人は、本当にああ思っているんじゃないかな。」

「え?でも。」


 あの事故の後の、レーナの変化は、誰の目にも明らかだった。まるで自分が怪我をしたかのような血色の悪い顔をして、何をしていても上の空で、挨拶に気付かず通り過ぎることもあった。

 議会の時も、等身大の人形が動いているような異様な様子に、戸惑う出席者もいた。不思議なことに、質問に対しては、そうずれてはいない回答を淡々と返していたが、宰相からは、当面の休養を促されたくらいだ。


 毎日治療院に通って、ずっと付き添っていたのは、彼女が言うような打算ではない。

 彼女が見せていた反応の元にあったのは、どう見ても、愛する者を失う恐怖だ。


 あの二人が互いを気にかけていたのは、随分前から分かっていた。問題は、当人同士が分かっていないということだ。入隊して一年程度の隊員ですら、薄々気付いているというのに。


「レーナは基本的に賢い子なんだけどね。なんで、分からないのかねえ。」


 もしかしたら、彼女が正常な状態にないからかもしれない。

 しばらく前から、彼女の変調は感じていた。表面的には何も変わらないし、気付いた人間が他に何人いるかは分からない。

 少し前に、淡い月影の中、呟くように歌っているのを見た時は、そのまま闇に溶けてしまいそうな気がして、ぎょっとした。

 ヤナが心配していた通り、レーナは全て背負い込んでしまっている。でも、周りが何をしても、何を言っても、その荷を下ろすことは出来ないように思う。それが出来るのは、おそらく一人しかいない。


(そろそろ、あの(ひと)には、どうにかしてもらいたいと思ってたんだけどね・・・)







 隊長の家は、案の定人手不足だった。上級騎士の家としてはこじんまりとしていたけれど、下男一人で家の中を整えたり、怪我人の世話をするのは、やはり無理がある。爵位も持っているような人の家にしては呆れるほどに物がなかったけれど、放置していれば家は荒れる。

 時々、近衛騎士達が差し入れに来たり様子を見に来たりはするが、彼らは使用人の仕事はしない。そういう生まれ育ちなのだ。


「嬢ちゃん。すまんね。この年になるとあちこち痛くてな。助かるよ。」

「いえ、このくらいは。」

「嬢ちゃんの分も作っといたから、後で食べてくといい。」


 下男のマウルさんは、軍の厨房で長く働いていたらしく、食事に関しては問題がなかった。手際が良いし、味も良い。家の中は放置状態だったが、台所は常に整頓されていた。手伝いに行っているのに御馳走になることも多く、食材の差し入れも、時々はした。普段は、市場の人に持ってきてもらうらしい。


「掃除とか修理はどうしているんですか?」

「いつもは(ぼん)がやってるな。大体のことは出来るからな。」

(ぼん)?」


 マウルさんは、思わず、と言った風に笑った。

「本当はもう、旦那様と呼ぶべきなんだろうな。昔は、坊主って呼んでたんだよ。俺が務めていたのは、先代の近衛隊長のとこでな。一人前の騎士さんになって独り立ちしたのに、誰も雇わんし、食事にも無頓着なもんだから、つい、ついてきちまったんだ。」

 この二人の関係は、主と使用人というより、孫と祖父とか、単なる同居人のようだった。


(ぼん)はいい奴だろ。口数が少ないから、誤解されやすいけどな。」

 そう言って笑うマウルさんに、すぐには返事が出来なかった。


 私にとって、あの人は油断のならない監視者だった。国や王の害になると思われれば、存在を消される。そういう人のはずだった。それが、いつの間にか変化していることに気付いたのだ。


 私は、いつからあの人を怖いと思わなくなったのだろう。

 いつから、信頼するようになっていたのだろう。







「何をしているんですか?」

「剣の感触を確認しているだけだ。」


 剣を持っているのは、見れば分かる。感触を確認どころか、普通に素振りをしているように見えるが。怪我人がそんなことをして、問題ないのだろうか。

 治療師に言われた通り、傷の処置は毎日続けている。傷は塞がってきたが、無理に動いたら、開いてしまうのではないだろうか。


「どの程度動けるかは、自分で分かる。」

 そう言うが、私だったら、多分ニキに止められている。

 治療師に聞いてみたら、曖昧に笑って、

「傷が開いたら、とりあえずこれで処置してください。」

と薬だけ渡された。そのことを伝えると、彼は心外そうに眉を寄せていた。






 普通はどのくらい治癒にかかるのか分からないけれど、この人は確かに早いのかもしれない。日毎に動きが軽快になり、素振りの速度も増している。体力を補う薬の効果と、マウルさんの食事のおかげか、血色も良くなってきた。


「あの・・・何してます?」

 聞くまでもないことなのだが、もはや素振りではなく、普通に剣を振り回している。

「試している。どれだけ動けるか。」

「治療師は、動いても良いと?」

 昨日は、治療師が様子を見に来たはずだった。傷の具合で許可が出たのなら、特に言うことはないのだけれど。

「聞いていない。」

「なんでですか?」

 つい気色ばんでしまったのを不思議に思ったのか、手を止めてこちらを見ている。

「何がだ?」

「傷が開いたら、どうするんですか?」

「自分の体のことくらいは、分かるが。」


 怪我のせいか、職務を離れているせいか、いつもと違って、彼の雰囲気は柔らかい。少し困ったように首を傾げる様子を見て、ふと、母のことを思い出した。

 子供の頃、夢中になって遊んでいると、急に母が怒りだして、困惑したことがあった。後になって、怪我をしかねない、危険なことをしたからだと分かったが、今の私は、あの時の母と同じ様子かもしれない。


「傷を見せてください。」

 そう言うと、大人しく見せてくれた。奥の方は塞がったようで、肉が盛り上がってきている。表面はまだ塞がっていないから、処置はもう少し必要そうだ。

「どうだ?」

「大丈夫のようです。」


 傷をきれいに流して薬を塗り、包帯を巻いていく。首筋にかかる黒髪や、引き締まった背中を見ながら、考えていた。

 この人は、焦っているのかもしれない。この人は、王の盾だ。一刻も早く、戻りたいに違いない。だから最短で復帰できるように、まだ治ってもいないのに、修練を始めているのかもしれない。


「終わりました。」

 そう言うと、また剣を取って動き始めた。初めはゆっくり、段々勢いをつけて。よく見ると、急に胴を捻るような動作は控えている。それなりに気を使っているようだ。本当は治るまで止めて欲しいのだが、心中を(おもんばか)ると、あまりうるさいことも言えない。


「マウルさん、何で笑っているんですか?」

 先程からマウルさんは、まるでお祖父ちゃんのような顔をして、嬉しそうに笑いながら様子を見ていたのだ。

「いいもんだな。」

「はい?」

(ぼん)は、大抵のことは自分で出来るんだよ。しかしまあ、心配してくれるもんがいるって言うのは、いいもんだ。」

「はあ。」

 そのお祖父ちゃん的発想は、私にはよく分からなかった。






「明日から復帰する。」

 一か月ほどが経ったとき、彼は、そう宣言した。今度は、治療師の確認も取っている。

 ならば、これで私の役目は終わりだ。ここに通うのも、今日が最後。無事にやり終えたことに、なぜか安堵は出来なかった。


 ずっと、気にかかっていたことがある。何度も聞こうと思ったけれど、聞けずにいたことだ。

「どうかしたか?」

 相変わらず、この人は鋭い。わずかな躊躇を見逃さず拾い上げた。


「聞きたいことがあります。」

 二人で話せるのが最後ならば、今、尋ねても良いだろうか。


「なぜ、私を助けたのですか?」



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