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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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天幕にて


 庭にしゃがみこんで、蕾を見つめている。

 うちに、椿はあったんだっけ。


『怜那―――』


 お母さんが呼んでいる。もうすぐ、花が咲きそうなのに。

 白い椿の蕾は大きく膨らんで、ほころびかけていた。


『早く行きなさい。』


 どこへ?ああ、学校か。

 顔を上げて、家を振り返る。

「お母さん。私の自転車はどこ?」

 お母さんは忙しそうで、声だけが返ってくる。


『リールに乗っていきなさい。』


 ああ、そうか。


 リールはすぐ傍で(うずくま)っている。足元には何かの草がたくさん生えていて、お祖父ちゃんがせっせと摘み取ってリールに食べさせていた。

「お祖父ちゃん。何してるの?」

 背を向けたままのお祖父ちゃんは、笑っていた。

 プツッと音を立てて、桃色の椿が花弁を開く。


『レーナ―――』

 遠くから呼ぶ人がある。

 お祖父ちゃんが、空を指さした。

「うん、そうだね。」

 行かなければ。あの声の方へ。

『レーナ!―――』

 分かってる。今、そこに行くから。

 背にまたがると、リールの翼は風を(はら)んで空へと浮かんでいく。


『怜那。』

 見下ろすと、お祖父ちゃんがゆっくり手を振っていた。

『怜那。覚えておきなさい―――。お前の怜は―――』






 目を開けると、天幕の屋根のようなものが見えた。体が酷くだるい。

 ここはどこだろうか。なにか、奇妙な夢を見ていた気がする。


「レーナ?」


 顔を横に傾けると、オリファがいた。


「オリ、ファ。」

 なんだか声も出しづらい。

「ここは?」

「陣中だよ。あんた、矢を射られたの、気付いてたかい?」

「え・・・?」


 どうも頭もぼやけている。言われたことの意味が、すぐに飲み込めなかった。


「毒矢で射られたんだよ。毒が回って、気を失ったんだ。様子を見てた隊員達の話だと、ミルツァを助けようとした時じゃないかってことだったけど。リールがあんたを乗せて矢を避けられなかったのは、その時くらいしかないだろうって。ミルツァの竜に刺さってたのも、毒矢だったしね。」

「ああ・・・そうか。」


 そう言えば、あの時、無理な動きで体中に負荷がかかっていたから、射られたとしても気付けなかったかもしれない。腿のところに、鈍い痛みが残るとは思っていたのだけれど、確認している余裕はなかったのだ。


「その、飛竜は?」

「ピンピンしてるよ。翼ももう普通に動かせるようだし。人間の毒じゃ、飛竜には効かないのかね。」

 オリファが大きく溜め息をついた。

「間にあって良かったよ。ギリギリだったらしいんだ。あの男、じゃなくて近衛隊長があんたを抱えて駆け戻ってきた時は驚いたけどね。騎馬のまま治療所に突っ込む勢いだったんだ。」

「え?どうして、あの人が?」

「どうやら、リールがあんたを隊長の上に落っことしたらしい。」

「は?」

「カリベルク卿に聞いたけど、どうやらそうらしい。で、毒矢に気付いてそのまま治療所に連れてきたそうだよ。」

「・・・・リール。」


 何てことをするのだろう。

 危ないじゃないか。他人(ひと)の上に人間を落とすなんて。

 いや、それ以前の問題なのだろうか。

 やはりまだ、頭が働かない。


「戦いは、どうなった?」


 記憶の最後は戦場の真っ只中、戦闘の最中だった。

 あの後、飛竜達は無事に離脱しただろうか。勝敗はどうなったのか。あるいはまだ、戦闘中なのだろうか。

 ところがオリファはそれに答えず、恐い顔になった。


「あんたは、気にしなくていいの。治療に専念しなさい。」

「え?でも。」

 それは普通に気にするものではないだろうか。

 ただ、いつも飄々としているオリファが、今日はなんだか恐い。彼女の怒った顔を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

「いいね。あと少し遅かったら、危なかったんだから。無理してすぐに復帰しようとか、考えるんじゃないよ。」

「はい。」

 すぐにでも様子を見に行こうと思っていたのだけれど、少しだけ、大人しくしていた方が良いかもしれない。疑いの目で見られているようだし。


「あと、今回のことは、ミルツァが指示を無視して、状況も確認せず突っ走った結果だから、きつく叱っておいた。さすがに本人も反省しているけれどね。」

「そう。分かった。」

「じゃ、私はみんなのところに行ってくるから。大人しく寝ているんだよ。」


 そう言って天幕から出ていったオリファだったが、外で誰かと話しているような声がした。声が止んだ後、入口を潜って現れたのは、近衛隊長だった。


(ああ、まずい。)


 すぐにでも起き上がって襟を正さなければならない、という思いに駆られたのだが、体が鉛のように重くて、いつものように動けない。


「寝ていろ。」


 開口一番そう言われたのだが、そういうわけにはいかない。真上に落ちるという危険行為は詫びておかなければならないし、きちんと姿勢を正した状態でなければ落ち着かない。

 そう思って、どうにか起き上がろうと足搔いていると、近づいてきた隊長に肩口を押された。ほんの少しだけ背が浮き上がるところまで行っていたのに、あっけなく元の体勢に戻ってしまう。


「寝ていろ。」


 もう一度、同じことを言われた。これほど体が言うことを聞かないとは思わなかった。オリファが心配するまでもなく、しばらくは動けそうもない。仕方がないので、寝転がったままの姿勢で、隊長を見上げた。

「ご迷惑をおかけしました。」


 隊長が何も返さずに、ただじっと見てくるので、少し不安になった。やはり正座くらいすべきなのではないだろうか。


「気分はどうだ。」

「気分、ですか?・・・そう、ですね。悪くはないです。」

 そう返すと、瞬きをして、

「悪くはない、か。」

と呟いて、またじっと見られた。怒ってはいないようだけれど、観察されているようだ。

 少しして、軽い溜め息をついた。


「今日の戦闘は終了した。しばらくは、養生しろ。」

「勝ったのですか?」

「負けてはいないが、勝ったとも言えない。」

「・・・引き分けですか?」

 戦闘に勝ち負け以外のものがあるとは知らなかったが、そういうこともあるのだろうか。

「いや。」

 一旦言葉を切って、珍しく迷うようなそぶりを見せてから、隊長は続けた。

「お前を降ろした後、お前の飛竜が敵陣で暴れ回ったらしい。敵方は大混乱で、戦どころではなくなった。追撃も困難なほどに、バラバラに散っていったそうだ。」


 ヒヤリとした。

 暴れ回った、の内容によっては、問題になるかもしれない。リールは、本能に負けてしまっただろうか。すぐにでも、様子を見に行きたい。


「戦闘は、まだ続きますか?」

 そう聞くと、隊長は初めて眉を(しか)めた。

「あったとしても、お前は出るな。養生していろ。」

 オリファと同じようなことを言う。どのみち、今の状態では出られない。

「分かってます。動けるようになるまでは、休みます。」

 そう言ったのに、険しい顔は変わらない。少しむくれたような言い方になったのがいけなかっただろうか。

「毒の影響が完全に消えるまでは、決して戦闘に出るな。分かったな。」

 再度約束させられてしまった。


「あの、」

 背を向けて去ろうとした隊長を呼び止めたものの、再度詫びるべきか、お礼を言うべきか、迷った。束の間迷って、お礼を言うべきだと思った。

「ありがとうございました。治療所まで、運んでいただいて。」


 すると、隊長の険しい顔が緩んだ。

「間に合って、良かった。」

 そう言って天幕を出ていった。


 良かった、とあの人は言った。オリファならともかく、あの人もそう、思っていたのだろうか。

 なんとなく、くすぐったいような、ざわざわするような違和感を感じて落ち着かない。これも毒の影響か。本調子に戻るのには、しばらくかかるかもしれない。



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