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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
77/99

変転

 細く開けられた窓から、風が緩く吹き込んでくる。

 空は青く澄み渡り、吹き込む風は爽やかだ。

 状況の見通せない現状にはそぐわない。


 ずっと合図を送っているのに、連絡役と接触できない状態が続いている。

 女中だった頃は、町に抜け出ることは容易だった。侍女になってからは外に出づらくなったが、つなぎをつけることは可能だった。若公爵に近づき、より多くの情報を得るためには仕方のない代償だ。


 しかし、これほど依存されるとは計算外だった。怜悧な人間だと聞いていたが、男達の弱点は、誰でも同じだ。弱っている時なら尚更のこと。だから、篭絡(ろうらく)するのは拍子抜けするほど簡単だった。

 ところが、少しずつ行動が制限されるようになり、(しま)いには、一時も傍を離れないで欲しいなどと言われて、この部屋から出られなくなってしまった。

 しかもこのところは、肝心の若公爵が姿を見せなくなった。これでは情報を得ることも送ることもできない。


 何かおかしい。

 若公爵を落としたはずなのに、的を外したような違和感がある。

 連絡も取れず、指示を仰げない状況であれば、撤退時かもしれない。折角、懐深く潜り込んだのに、惜しいことではあるが。


 そう決心して逃走を考えてみると、この部屋が体の良い牢屋であることに気付いて、言いようのない不安を感じた。そのように(あつら)えられている。

 扉の外には、常に護衛と称した見張りが立っている。窓は少ししか開かず、とてもではないが抜け出ることは出来ない。

 それでも手はある。

 元の部屋に荷物を取りに行くことも出来ず、たまたま身に着けていたものしか今はないが、この邸の間取りも、使用人達の生活パターンも分かっているのだ。



 夜になり、具合が悪くなったふりをして扉を開けさせ、顔を出した見張りに薬を嗅がせて眠らせた。人気のない廊下を進み、階下へと降りる。邸の警護に当たる衛士の詰め所が近くにあるので、それを避けるように進むと、裏庭に出る。そこまでの道は、この時間誰も通らないはずだ。


 今夜は、夜が最も暗い日ではないが、裏庭は闇に沈んでいる。ここまでは、想定通り誰の目にも触れずに来た。あと少しだ。


「来たな。そろそろ逃げようとする頃だと思ったぜ。」


 暗闇の中から唐突に投げられた言葉に、心臓が止まるかと思った。

 闇から滲み出るように姿を現したのは、若公爵の従者の一人だ。従者にしては目つきが鋭く、そぐわないと思っていたが、やはり裏の要員か。


「逃げる、だなんて・・・。若様にずっとお会いできないから心配で。」


 荒事専門ではない自分では、この男と正面切って勝負することは無理だろう。か弱い女を演じ、泣き落とすしかない。つい声が震えてしまったのも、今は真実味を持たせるのに効果的なはずだ。


「若様はとてもお疲れになっておいででした。もしや、お倒れになられたのでは?どうか、お傍に行かせてください。」


 柳眉を下げ、両手を組み合わせて、華奢な肩を振るわせて見せれば、普通の男は哀れに思って気を許す。しかし目の前の男は、冷めた目で見返すばかりだ。裏方の人間には、これでは甘いのか。若公爵になら、きっと効果があるのに。


「お前の鳩は全部狩ったぜ。邸を抜け出たところでつなぎはつけられないし、帰るところも、もうない。本国じゃ、偽情報を寄越したお前は裏切り者だからな。」


「な、にを・・・」


 涼しい顔で何を言っているのだ、この男は。

 まさか、ばれたのか。町に潜んでいた者達まで、炙り出されたというのか。そんなはずはない。不可能だ。

 ふと、この数日の焦りを思い出す。部屋に閉じ込められ、仲間に連絡が取れず、合図を出し続けていた。接触してくる者が誰もいないことに苛立っていたが、まさか、あれを餌にされたのか。


「お前が密偵であることは、とうに分かっているんだ。」


 この男が仕組んだのか。か弱く主思いの侍女を完璧に演じていたはずなのに、見抜かれたのか。若公爵の陰に隠れていたから、この男にはそこまでの関心を払っていなかった。

 歯噛みしたい思いに駆られながら、疑問が頭をよぎる。裏方の人間に、そこまでの自由度があるだろうか。自分の行動を制限したのは、この男ではない。この状況を作り出すように、主を誘導したのか。そんな権限があるだろうか。自分と同じ立場なら、この男は実行者であって指示者ではない。


 ならば、まさか。


 その可能性に行きあたって、慄然とする。

 初めから、仕組まれていた。手玉に取ったつもりが、掌の上で転がされていた。ならば、自分が本国へ送った情報は、本物なのか、それとも偽物か。偽物であれば、この局面でそれは致命的な失態だ。裏切りの烙印を押された者に、命はない。


 恐怖とも取れる表情を浮かべ、青ざめる侍女に、従者は冷たく告げた。いつの間にか、侍女の周りには衛士が何人か立っている。

「相手を見誤ったな。エシュネ。どのみちもう手遅れだ。部屋に戻って大人しくしてろよ。じきに、お前の処遇は決まるだろう。」






「あ~あ、俺も派遣組の方に行きたかったなあ。」

 篝火の中、若い兵士が暗い海を眺めてぼやいているのを聞き、年長の兵士が笑いながら声をかけた。

「なんだ、お前、ローヴェルンに行きたかったのか?」

「ローヴェルンっつーか、あっちなら手当出るんですよね。ここで海眺めててもなあ。」


 アルジュールの沿岸には、港町がいくつかある。最大の港は、クル河の河口にほど近い場所にあったが、ここも、それなりの規模の港だった。停泊しているのが、商船より軍船の方が多い、というのが、変わったところではあったが。

 ここは貿易港ではなく、軍港なのだ。沿岸の警備を担う基地でもある。


 今回の戦争では、海軍からも部隊が動員されていた。居残り組に入れられた兵士は、概ね平和な海を毎日眺めながら、戦場で手柄を立て、褒美をもらっているであろう仲間達のことを考えて、羨んでいたのだ。

 自分達は、抜けた仲間の分も仕事をこなさなければならない。日常業務を回すにしても、人手が不足していた。見張りが大事なのは分かっているつもりだが、地味に大変なのに余分な手当ては出ず、内容も退屈となれば、愚痴りたくもなる。


「ローヴェルンか。うちより田舎だろ?」

「でも、ベレンはいいところらしいぞ。」

「いい女いるかな。」

 近くにいた兵士達も加わって、無駄話に花を咲かせる。

「でも、ローヴェルン相手じゃあ、陸戦だろ?なんで海軍から連れて行くんだろうな。出番ねえじゃん。」

「そういやそうだな。船は持って行かなかったしな。」

「とりあえず数集めときゃいいとか、思ってんじゃね?」

 適当に放った兵士の言葉に、一瞬全員沈黙し、次いで笑いが広がる。

「まさか!」

「そんなわけあるか。」

「陸と海じゃ全然違うぞ。」

「陸で、海の上と同じように戦えって言われてもなあ。」

「なんか、別の役割とかあんだろ?お偉方の考えはよく分からんが。」

 残念ながら、上層部に深い考えはなく、ただの数合わせであることは、末端の彼らは知る由もないことだ。


「おい!そこ!」

 少し離れたところから、叱責の声が飛んできた。

「見張りをさぼるな!」

「おっと、隊長だ。」

「なんか、カリカリしてるよな。やっぱ、派遣組になりたかったのかな。」

「聞こえるぞ。地獄耳なんだから」

「さあさ、仕事、仕事。」

 兵士達は再び槍を持ち、城壁から海と港を眺める仕事に戻る。ただ、緩んだ空気は、どうにも引き締まらない。


「戦争は北でやってるのになあ。何を見張るんだろうな?」

 そう言って同僚を振り返った兵士の目に映ったのは、目を疑う光景だった。

「・・・・・え?」


 同僚は、事切れていた。

 どさりとその体を放り出したのは、筋骨逞しい長身の男で、血の滴るナイフを持っていた。


「え?」


 その男の背後から、城壁を越えて、更に数人の男達が入ってくる。その服装も装備もバラバラだが、身のこなしは、船上で戦い慣れた海の男のものだった。


「か・・・」


 ナイフの男が、死んだ同僚を越えて、一歩を踏み出してくる。松明の明かりでは、顔立ちまではっきり見えないが、その目には何の感情も見えない。慣れているのだ、こうした行為は。


「かいぞく?うわっ。」

 思わず後ずさりしていた兵士は、階段を転がり落ちた。更に階段からも落ちたが、幸い脇に積まれていた何かの袋の上に落ち、そのまま地面まで転がる。背中は打ったが、どうやら怪我は免れた。


(なんで?)


 城壁の上からは、不自然な音と、時折短い人の声が聞こえる。やがて危険を知らせる笛が響いたが、すぐに途切れてしまった。


「海賊!!賊だ!!」


 混乱しながらも、周囲に異変を知らせるために走り出す。叫びながらも、何が起きているのか、まだよく分かっていない。軍の基地を襲撃する海賊など、聞いたことがない。



 上官に指示を仰ごうと、騒がしくなった基地の中を移動しながら、鉢合わせた賊に必死に応戦する。気が付いた時には、まだ夜中だというのに、港がやけに明るくなっていた。


 賊が引いた後の港町は、嵐が去った後のようだった。基地の中には兵の死体がいくつも転がり、何艘もの軍船から火の手が上がっている。

 その夜の襲撃で、舵を壊されたり、穴を開けられたり、燃えてしまったりで、港に停泊していた軍船の半数近くが使い物にならなくなっていた。


(なんで、こんなことに?)


 襲撃はそれだけで終わらず、数日に渡って、周囲の貿易港といわず、漁村といわず、海賊が荒らしていったことを、兵士は後日知った。



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