エルデン会戦(2)
戦場を見回せば、中央と右翼は善戦しているが、左翼の動きが鈍いことに気付いた。むしろ、押し込まれている。そのせいで、中央の側面が左翼への対応にとられ、ここも動きが鈍ってきたようだ。
数の優位は変わらずアルジュールにある。後方でも状況を見ているようで、優勢な場所に新たに向かおうとする人の流れが見えた。
もう一度、飛竜で威嚇する必要があるだろうか。一度上空に戻り、待機中の隊員と合流する。
どうやら飛竜達も落ち着いてきた様子なのを確認し、押し込まれている左翼側に、一斉に降下した。
途端に、混乱の戦場が再現される。ただ、先程より、飛んでくる矢の感覚や量が纏まっている。どうやら、冷静な指揮官がいるようだ。
降下と旋回を繰り返しながら、人の流れを観察する。混乱が起きる度、それを抑えようとする動きがある。その元に、指示者がいる。
矢を番え、狙いを定める。
自分が相手を殺そうとしているのか、ただ動きを止めようとしているのか、一瞬の空白が意識を満たした。
まさに、弦を弾く寸前、目の前に別の飛竜が飛び込んできた。
慌てて構えを解こうとするも間に合わず、おかしな方向へ矢が飛んでいく。
(ミルツァ?)
飛ぶだけだと言い聞かせたはずの新人を乗せた飛竜は、敵陣の只中へ向かって行く。弓矢隊が斉射の構えを取っている射程内へ。
(戻れ!)
飛竜へ直接呼びかけてみるが、若い飛竜は既に興奮状態にあるのか、咆哮を上げながら突き進んでいく。
咄嗟に、弓矢隊の近くにいた騎馬に矢を放つ。嘶きながら棹立ちになる馬と、振り落とされた将官に集中を乱された弓矢隊は、狙いを定めることを失敗した。乱れ飛ぶ矢を飛竜達は避けていくが、あの若い飛竜は翼を射抜かれた。硬い鱗を持つ飛竜も、翼は薄いのだ。
上空へ逃れようと上昇した時、バランスを崩し、騎手が背から滑り落ちていく。
「リール!!」
ミルツァはまだ新人だ。ようやく成年に達したばかりだ。
死なせてたまるものか!
想いを共有したリールは、瞬時と言える速度でミルツァに到達した。その体を拾い上げ、大地へ激突するのを避けて急上昇する。
少し無理な動きになった。
体中が軋んでいて、足には鈍い痛みがある。
呆けているミルツァを抱え込み、ローヴェルンの陣地に向かう。後を、ミルツァの契約竜も、少し危なげな飛行でついてくる。
「ミルツァ。あなたは陣地に待機だ。」
「え?でも!」
勢いよく顔を上げるミルツァの言いたいことは予想できるが、却下だ。
「飛竜は翼を射抜かれている。しばらくは飛べない。それに、あんな無理をする者を、戦場に連れていけない。」
ミルツァはしゅんとした様子だが、後でもっときちんと言い聞かせなければならないだろう。
陣地に行くと、飛竜は待機所に降りて行った。
オリファの顔が見えたので、ミルツァはそのあたりにある天幕の上に落とした。乱暴なようだが、怪我は一番少なく済むはずだ。
戦場にはまだ他の飛竜達がいる。また本能が剝き出しにならないうちに、攪乱を成功させて離脱しなければならない。
ローヴェルンの左翼は、この機をどうにか掴み、押し始めていた。
視界の端には、戦場の現実が映る。
獣のようになった兵士。理性も哀れみもなく、暴走する魔物のように、その手を血に染めていく男達。恐怖と苦痛に飲まれたまま、生を断たれていく人間達。
それらを無理やり意識の外に追いやり、陣中を駆け抜けていく。何かを感じている余裕はない。
少し、息が切れてきた。
視界がぼやけ、感覚に微かな違和感が混ざって不安定になっていく。
何か分からないが、焦りか戸惑いのようなものがあり、体が重くなっていく。
視界が赤く染まっていく。
(リール。何を怒っている―――)
それを不思議に思いながら、視界は暗転した。
「左翼の動きが悪いな。あちらの指揮官はなかなか有能とみえる。」
戦場を眺めながら呟いた総司令官は、次の動きを指示した。その指示が行き渡る前に、上空から飛竜の一隊が舞い降りて、左翼の敵陣を旋回する。敵方は混乱しているようだ。
「飛竜は効果的でしたな。あの者達も、すぐに退避せずにもっと積極的に攻撃を行えばよいのに。そのように命じてはいかがかな、総司令官。」
まるで自分の手柄であるかのような、得意気な臨時司令官の言葉に、総司令官は特に何も言わなかったが、その隣に馬首を並べていた上級将校が苦言を呈した。
「彼女達しか戦果を挙げられないのでは、ローヴェルン軍は、女と魔物に依存していると笑われますぞ。」
ムッとした様子の臨時司令官が言い返そうとしたが、王が苦笑いをしながら、
「それは困るな。」
と言ったので、寸でのところで文句を飲み込んだ。
一人の伝令が走ってきて、総司令官に報告を行う。
右翼側の森に、敵の別動隊がいて、交戦しているとのことだった。もし別動隊に気付かなければ、優勢な右翼も側面からの攻撃を受け、戦況に影響するところだった。
総司令官が近衛隊長を振り返る。
「よく分かったな。」
別動隊の可能性を指摘したのは、彼だった。本人は、いつも通り、淡々とした様子だ。
「飛竜の動きからして、その可能性が高いと考えたまでです。」
「ふむ。確かに目立ったが、そこまでは考えんかった。おや。」
戦場に目を戻した総司令官は、二頭の飛竜が離脱してくるのに気が付いた。後方を飛ぶ飛竜はふらつくような飛び方をしている。あっという間に間近に来た飛竜をよく見ると、翼に矢が刺さっていて、それで飛び難いようだということが分かった。騎手はその背にはいなかったが、前方を飛んでいる騎手に抱えられているのがそうだろう。
「飛竜も弱点はあるか。」
あっという間に反転して戦場に戻っていく飛竜を見送りながら、総司令官は呟いた。
元から彼女達を前面に押し出すつもりはなかった。今回は、臨時の苦肉の策だ。これを常態化させようとは思っていない。
最終的には、顧問議会の判断にはなるが、人間の戦争に魔物を持ち出すのは、禁じ手と言ってよい。確かに相手を混乱させる効果は高いが、だからこそ余計に、慎重に考えるべきだ。妙に危険視されて、対ローヴェルンの同盟でも結ばれれば厄介であるし、他国が同じことを真似ようとすれば、収拾がつかなくなっていく。
もっとも、彼女達と飛竜のようなことが出来るかどうかは分からないが。
「どうしたのでしょうね。」
総司令官の近くにいる上級将校が、不審気な声を上げた。一頭の飛竜が、おかしな飛び方をしながら近づいてきたのだ。馬達が、落ち着かない様子で足踏みをする。
「陛下、お下がりください。」
近衛隊長が王に呼びかけ、近衛騎士達が王を守って後方に下がろうとする。
その飛竜は少しずつ高度を下げながら、バランスを取ろうと苦戦しているように見えたのだが、リオディスの真上まで来た時、不自然に体を傾けた。
次の瞬間、人間が降ってきて、驚いて受け止めると、それがレーナだったので更に驚いた。
飛竜が騎手を振り落とすところなど、見たことがない。しかも、レーナとその竜は、最も早くに絆を結んでいるのだ。
目を上げると、上空を旋回するその竜と目が合う。睨まれたような気がして、ヒヤリとした感触が首筋を撫でた。飛竜はそのまま高速で戦場に戻っていく。
レーナを見ると、様子がおかしい。ぐったりとして意識がなく、呼吸が荒い。すぐに、腿に刺さった矢に気が付いた。出血はそれほど多くないのに、この状態は異常だ。
「毒矢か。」
瞬時に馬を疾駆させたい衝動に駆られたのを、どうにか押し止める。王の傍を離れるわけにはいかないのだ。
「リオディス!」
王が緊迫した声を上げた。
打たれたように顔を上げると、真剣な表情の王がリオディスを見ていた。
「急げ!毒が回ってしまう!」
簡潔ではあるが、それを王命と取る。
「御前をしばし離れます。カリベルク。後を頼む。」
副長に後を託し、治療師のいる陣後方へと馬を疾走させる。
苦しげに呼吸をしているのが、腕から伝わる。既に毒は広がっているのだ。間に合うか。
自身の鼓動が走り、胸が締め付けられるような感じがする。
『抗う手段をください。』
押し付けられた理不尽に抗い、自らの命を掴み取ったレーナ。彼女が闘い続けてきたのは、生き延びる為だ。
「このような所で倒れるな!レーナ!」




