嵐の前(2)
「魔物討伐部隊も加えれば良いのだ。折角いるのだから。魔物を操る姿を見れば、敵の兵は逃げ腰になるだろう。」
したり顔で主張するのは、司令官の一人だ。と言っても、臨時なので、戦場に出た経験はほとんどない。総司令官は、その意見に難しい顔をしていた。
国同士の全面対決という規模になると、高位の貴族から臨時の司令官が任命されることがある。名誉職のようなもので、実質的な指揮は総司令官以下、正規軍の将校が担うのだが、軽んじることが出来ないのも、また事実だった。
軍議に呼ばれた時に嫌な予感はしていたが、的中してしまったようだ。
「国の大事なのだ。魔物討伐部隊も、当然力を尽くすであろうな。」
当然の如く同意を求めてくるが、そう簡単な話ではない。
「司令官閣下。我々は魔物に特化した部隊です。人間相手の訓練はしておりません。」
「魔物を倒せるなら、人間とて倒せるであろう。」
「技術的には可能です。しかし、心理的には困難です。」
そう言って分からないのは、生粋の戦士か、戦闘の経験がない者だ。宰相はほろ苦い笑みを零しているし、ヴァルトレーテ公でさえ神妙な顔をしている。
しかし臨時の司令官殿は、何を言っているのだ、と言わんばかりの不満顔だった。
総司令官は大きく頷いた後、組んでいた腕をほどいて顔を上げた。
「人間同士の戦争に魔物を使うことが、良い結果をもたらすとは限りませんぞ。確かにその場では強い圧迫感を与えることが出来るでしょう。しかし、国の印象を悪化させることがないか、後々への影響がどのようなものか、考えることもなく安易に使うのは、如何なものでしょうな。」
これに対して、臨時の司令官は不機嫌さを増した。
アルジュールの兵力がローヴェルンを上回ることが明らかな以上、正面からぶつかるのが得策でないのは誰にでも分かる。国同士の戦争では、正規軍の他に、貴族達も兵を供出するのだが、今回、ライヒス公爵家が期待できない状況だ。ビフェルン伯はまだ爵位を継承しておらず、顧問議会もライヒス公不在のまま開かれている。実務を担当する官吏は通常通り機能しているが、今この時に、公爵の一人が不在というのは、やはり痛手だった。
様々な意見が出されたが、最終的な結論としては、ファリエンと飛竜の参加もやむなし、というものになってしまった。と言っても、乱戦の中に隊員を放り込むことはできない。純粋に力負けするし、貴重な魔物討伐部隊を潰すわけにはいかないからだ。
だから、主に上空から飛竜で威嚇し、攻撃するという体制になった。
こういう日が来ることを、実はずっと怖れていた。
魔物を討伐することで、私達は生きることを許された。魔物を倒すことは、人間を守ることになるからだ。もし、魔物である飛竜と共に人間を殺したのなら、その途端に危険な存在として、排除対象になるという可能性はないのだろうか。
それに、人間を相手にして、その命を奪うことはできるだろうか。
魔物だから、剣を振るうことが出来たのだ。
故郷にいる時から、感情や理性に刷り込まれている罪の意識を乗り越えることが、そう簡単にできるのか。
それは例えば、相手が剣を振り上げて迫ってくれば、容易に翻る程度のものかもしれない。それでも、何のためらいもなく斬れる自信は全くない。
しかも、自分だけではなく、隊員にも強要しなければならないのだ。心理的に困難、というのは、そういうことだ。そう考えると、初めから兵士になるしかなかった同胞達が、初めて気の毒に思えた。
一方で、数的な劣勢が明白である時に、専門が違うという理由で傍観することが出来るのか、という思いもある。一年前ならば、あるいは可能だったかもしれない。しかし、エレナが王妃となった今は、この国にも王にも、生き残ってもらわなければ困る。
好々爺然とした宰相の笑顔が脳裏に浮かぶ。宰相は、あの時既に、ここまで想定していたかもしれない。正面から渡り合えるとは思っていなかったが、上手く丸め込まれたような気がする。
レグリアのある邸で、晩餐会が開かれている。客人は三人。控室で顔を合わせた彼らは、互いに緊張と警戒に歪んだ顔で他の二人を睨んでいる。なぜお前達がここにいる、と思っているのが良く分かる。
「まあ、そう気負わずに。ライヒス公のお見舞いを頂いたお礼に、夕餉を共に、というだけの会なのですから。」
ただ一人、穏やかな笑顔でいるのは、主催者の男性だ。この初老の男性は、亡きライヒス公の腹心の部下で、レグリアの主だった貴族とも懇意の外交官だった。
招待客の方は、その趣旨は聞いていたが、他に客がいるということも、それがまさかこの面子であるということも、聞いていなかったのだ。この三人は、現在レグリアの主導権を巡って争っている、政敵だ。間違っても、仲良く食卓を囲もうという仲ではなかった。
レグリア公国は、アルジュールの西、ローヴェルンの南西にある。現在は女公が治めているが、これは内部争いの原因ではない。十年ほど前までは、穏やかに纏まった国だったのだ。
後継者である公子が事故で亡くなり、その後、後継者となった公女まで、病で亡くなるという不幸に見舞われた結果、レグリア公家の直系が絶えることが確実となってしまった。
公家と血縁関係のある、何人かの有力貴族が後継者候補となった頃から、争いが始まってしまったのだ。
「カッツェル伯。我々の立場を、ご存じのはずですが。」
招待客の一人が苦い顔で苦言を呈したが、主催者はどこ吹く風だ。
「ここでは、お三方とも、私の大切なお客人ですよ。亡きライヒス公のため、今日だけは因縁を忘れて頂けませんか。皆様も元はレグリア公家縁の方々。謂わばお身内のようなものなのですし。」
招待客の三人は渋い顔をしたが、一人が部屋の中を見回して言った。
「そうであるならば、一人足りないようですが。」
「タンデル辺境伯ですか。あの御仁からは、お見舞いを頂きませんでしたので。」
そんなはずはない、とは誰もが思った。
ライヒス公は、レグリア公とも親交のある、ローヴェルンの重鎮だ。その死去に際して、何もしないということは、あり得ない。
アルジュールとタンデル辺境伯が協約を結んだことは、三人とも知っている。アルジュールが、ローヴェルンと一戦交える気でいることも。
「辺境伯は、アルジュールと結んでおりますな。貴国は、我々と結ぶことをお望みか?」
「我が国は、レグリアと親交を結ぶことを、常に望んでおりますよ。」
一人が核心をついたが、主催者のカッツェル伯は、穏やかな笑顔ではぐらかし、他の二人は苦笑いを零した。
「アルジュールと貴国は、正面対決が避けられない状況ですな。」
「残念ながら。」
「我々に参戦をお望みか?先に申し上げておくが、その余裕は、当方にはありませんぞ。」
その意見には、日頃いがみ合っている他の二名も同意のようで、やや冷たい視線を投げながら頷いている。ところが、カッツェル伯はおかしそうに笑った。
「参戦ですと?揉めているのは東部の国境ですぞ。そのようなことは、考えておりませんよ。」
三人は訝しげな顔になった。
カッツェル伯は、目を伏せるようにして続ける。
「ただ、心配はしております。」
「何をです?」
「辺境伯はいずれ、アルジュールの支援を得てレグリアを掌握されるでしょう。しかし、気性の荒い方ですから、苛政を敷かれるかもしれませんな。我が国としても、貴国とはお付き合いしづらくなるやもしれません。」
正面から覇権争いに破れる予告をされて、三人は鼻白んだ。
「あ奴が勝つとなぜ思われるのです?アルジュールとの協約など、一時的なものだ。」
「むろん一時的ですよ。アルジュールは此度の戦で、背後の抑えとするのに、辺境伯を選んだわけです。人物で選んだのではなく、最も有力と思ったからでしょう。失礼ながら、単独で辺境伯に敵う方はおられるでしょうか。」
忌々しげな顔で黙り込む三人を前に、カッツェル伯は穏やかな笑顔のままだ。話の内容からはそぐわないほどに、口調も緩い。
「ただ、一方的な協約などはありません。辺境伯にも利がなければ。ですから、辺境伯がレグリアをある程度手中にするまでは、アルジュールが支援するでしょう。その後は、協約を破棄して併合ですかな。」
「なっ。」
「レグリアを属国にするというのか!」
「さて、アルジュール王の望みは領土拡張ですから、最終的には併合でしょう。」
色を失くした三人に、カッツェル伯は畳みかける。
「お三方がまとまれば、辺境伯を圧倒できますから、アルジュールの思惑も外れるでしょうが、皆様は共闘はなさいますまい。」
「いや、それは。」
「我々が手を結んだところで、アルジュールが介入してきたら・・・」
「アルジュールであれば、しばらく東に集中しているではありませんか。その間に辺境伯の勢力を削ることは出来ましょう。物の弾みでアルジュールに入ってしまい、辺境伯へ物資が送られるのを邪魔したとしても、抑えられなかった辺境伯の失態、ということになるのではありませんかね。」
三人は渋い顔をしたまま、互いの顔を窺った。その頭の中では、様々な計算が働いていることだろう。
「おっと、このような話は、今宵の会には相応しくありませんな。別の話を致しましょう。」
一人にこやかなカッツェル伯は、そう言って話を打ち切った。
「あれで本当に良いのかね。」
去ってゆく客人の馬車を眺めながら、カッツェル伯は独り言ちる。半ばは、後ろに控える秘書官への問いかけでもあった。
「よろしいかと存じます。」
壮年に差し掛かろうかというその秘書官は、恭しく答えた。秘書官ではあるが、古くからの部下ではない。
ライヒス公が病に伏してからというもの、外交官達は宰相の指示を受けて動いている。この秘書官は、宰相とのつなぎ役だ。有能ではあるが、あくまで裏方の人間だ。
外交とは、相手あってのもの。常に思い通りに行くわけではない。
「今は効果があるように見えても、明日には冷静になって考え直すだろう。彼らも、愚かではない。」
「はい。ですから、その暇を与えないようにしなければなりません。その為の楔は、閣下ご自身が打ち込まれました。」
別れ際に交わした会話のことを言っていると察しはついたが、カッツェル伯自身は、思惑通りに行く確率は五分五分だと思っている。
「さて。どうなるかな。」
その表情は、晩餐会とは打って変わって、憂いを含んだものだった。




