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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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嵐の前(1)

 種蒔きの時期を終えた頃、王城の空気が、俄かに緊張感を孕んだものになってきた。

 南の隣国アルジュールとの開戦が、避けられない状況になってきたからだ。


 春先に、国境の領主の間で小競り合いがあった。それ自体はよくあることだ。領主達は、自分の土地を拳一つ分侵されたと感じただけで角を突き合わせる。しかし、際限なく争うつもりも、国同士の対決にする気も毛頭ないから、通常なら、適当なところで折り合いをつけるのである。

 だが今回は、どちらも引く姿勢を見せることがなく、段々争いの規模が拡大し、とうとう全面対決の様相を呈してしまったのだ。


 こうなった原因は、特にない。強いて言えば、相手方が、初めからやる気だったから、ということになるだろうか。ローヴェルン側の領主の言い分としては、相手が攻め込む姿勢を見せ続けたため、国軍に応援を要請しただけなのだ。それも、通常は睨み合う程度で終わるのだが、先方は段々と規模を増してきて、さらに本格的な戦闘の準備をしているという報告が届くようになった。


「ライヒス公が亡くなられて間もないこの時期に。」

「だからこそだろうな。」


 王城の中では、至る所でこのような会話が交わされていて、悲壮な雰囲気を漂わせている人もいる。

 確かにそれも、理由の一つと思われた。

 主に外交を担当していたライヒス公爵は、各国に個人的な人脈を持っている。一般的に、凡庸と評されていた方だが、対人関係ではバランスが取れていて、敵を作りにくい方でもあった。国同士の関係も、その根底には人同士の関係があるのだ。しかも、ベレンで睨みを利かせていたビフェルン伯も、現在は公爵領に戻り、相続に関する手続きに追われている。

 今が好機、とアルジュールが考えたとしても、おかしくはない。




 顧問議会の反応は、結構冷めたものだった。約一年前に、アルジュールの新王が即位した時から、いつかは戦争が起きるだろう、と予想していたからだ。

 現在のアルジュール王は、そういう人物なのだ。領土拡張の野心を、初めから隠していない。そして一番攻めやすいのがどこかといえば、平原の続くローヴェルン南東部だった。


「しかし昨年は、ラーエ川流域の一部で、洪水が起きた影響で耕作が不可能でしたから、例年より蓄えは少なめです。一部の領主には、兵や糧食の供出を強要はできません。」

「それでも、足りないことはないでしょう。アルジュールは西の守りを解くわけにはいきませんし。」

「それに関しては、悪い知らせです。アルジュールは、レグリアのタンデル辺境伯と協約を結んだ模様です。それにより、西部に置いている兵力を、こちらに動員できるようになるでしょう。」


 議会の参加者は一様に溜め息を洩らした。

 アルジュールはローヴェルンより国土が広く、人口も多い。その西隣にあるレグリアは、内部で覇権争いをしている最中で、時折隣接する国にも火の粉が飛んでくるので、国境の守りは固めておかなくてはならないはずだった。

 アルジュールは、レグリアで最も優勢な勢力と結ぶことで、西部の安定を手に入れた形だ。そうなると、動員できる兵力は、アルジュールの方が勝る。


「今年は渇水で収穫量が落ちる予測が出ているというのに。」

「その予測は確かでしょうか。」

「まだ何とも言えませんなあ。予測に沿って備える試みは、始めたばかりですから。」

「渇水は、アルジュールの西部の方が酷くなる、という予測も出ている。」

「それを教えてやれば、今年は諦めるのでは?」


 冗談交じりに出た発言に、苦い笑いが広がった。

 アルジュールは、クル川の河口に位置して湿地だらけの東部より、中西部の方が耕作に向いている。その収穫量が落ちるということは、来年は厳しい年になるということだが、もちろんそんなことを教えてあげるわけにはいかない。天候の予測は、ローヴェルンの最高機密なのだから。







「若様。少しお休みください。」


 柔らかくかけられた声に、ビフェルン伯は顔を上げ、手にしていた書類を机に置いた。

「ああ、エシュネか。」

 細面の容貌はさらにやつれたようで、顔色も良くない。元は怜悧な双眸も、今は疲労の色が濃かった。


 エシュネと呼ばれた侍女が、手際よくお茶を入れ、伯爵の手元に置く。

 ふわりと、ふくよかな香りが立った。

「あまり、根を詰めないでくださいまし。」


 伯爵は、茶器に沿えるように置かれたままの侍女の手に、自分の手を重ねた。


「そう言ってくれるのは、お前くらいだろうね。誰も彼も自分の要望ばかり。この公爵家も、一枚岩ではないのだ。若輩の私に、そう簡単には従ってくれない。」


「そのようなことはございません。若様は、れっきとした御当主なのですから。」

 エシュネは、ほっそりとした手を、さらに伯爵の手に重ねた。


 ライヒス公爵家の侍女は、冷静で感情の起伏が少なく、きびきびした者が多い。その中にあって、線が細く控えめな話し方をするエシュネは、随分儚げに見える。

 つい最近まで、彼女は女中であった。そもそも古参の使用人が多い公爵邸では、数年前に来たばかりの彼女は新参者の部類に入る。侍女になったのは、つい最近、ビフェルン伯が戻ってからだ。

 相続に関する膨大な手続きや、一族の取りまとめに忙殺されていた伯爵は、控えめながらも細やかな心遣いをする彼女を気に入り、傍に置くようになっていた。人前では自信に満ちた様子を崩さない伯爵が、エシュネと二人の時には愚痴をこぼす。


 本来なら、それは妻の役割であったが、ビフェルン伯はまだ結婚していない。婚約者のリュディエ嬢も、今はまだ公爵家の人間ではなく、ビフェルン伯の傍にいるわけにいかなかった。


「アルジュールと戦争になるらしいよ。父上が亡くなられたばかりだという、この時に。」

「まあ、戦争ですか?」


 思わしげに眉を(ひそ)め、エシュネは伯爵を見つめた。


「若様も、行かれるのですか?」


 伯爵は緩く笑った。


「とてもではないが、そんな余裕はない。兵を出すことも難しいよ。国の大事に役に立てないのは、とても心苦しい。せめてもう少し、落ち着いてからだったなら良かったのだが。」


 エシュネは安堵したように息を吐いた。


「ようございました。」


「良かった、と言うのかい?」


 不思議そうに聞く伯爵に、エシュネは柔らかく微笑んだ。


「戦場に行かれなければ、若様が傷つくことはございませんもの。私には、若様の御身が、一番大切でございますから。」


 そのように言うエシュネに、伯爵もまた微笑んだ。


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