休息
「ねえ、あれは何をしているの?」
しばらく前から、官舎の隅で、隊員達が何かしている。秘密にしたいようだったから聞かずにいたが、レンガや資材を運び込んだり、職人らしき人達を連れてきたりしているし、そろそろ何をしているのか問い質しても良いと思う。明らかに何かの建物が形作られてきているし。
ところが、誰も彼も笑って誤魔化すだけで、はっきり答えてくれない。
「エーナ!」
元気な子供の声に振り返ると、マリエルが子供達を連れてきたところだった。
「ターク、こんにちは。」
子供は、手をつないでいるアーシを引きずらんばかりの勢いで、どこかに突進しようとしている。アーシがタークの手を引いているのは、マリエルが他の赤ん坊を抱いているからだ。
「彼女の調子はどう?」
「休み休み、ね。」
彼女が抱いているのは、他の隊員の子だ。難産で今も体調が思わしくなく、マリエル達が頻繁に手伝いや子守に行っている。
この世界に根を下ろす。それは良かったのだが、こういう問題があるというのは、私には盲点だった。
出産には危険が伴うものだということを、私は少し前まで知らなかった。マリエルは安産だったし、月足らずで生まれてくる子があるということも、出産で命を落とす女性がいるということも、初めて知った。この世界だからか、とも思ったが、程度の差こそあれ、元の世界でも、それは同じらしい。
もっとも、マリエルのあれを安産と言われたときは、手伝いの女性達を思いきり疑いの目で見たものだが。十分大変そうだったし、地味に時間がかかったのだ。
考えてみれば、一つの命を生み出すということが、簡単であるはずがないのだ。生まれてくるのは、いくつもの奇跡の積み重ねだと聞いたことがある。確かにそうなのかもしれない。
「ターク、危ないよ。」
一歳を過ぎて歩けるようになった子供は、初めはよちよち歩きだったが、今では走れるようになった。うっかり手を放してしまうと、どこかに走って行ってしまう。危ないと思って誰かが追いかけると、遊んでいるのと勘違いして、それはもう楽しそうに、全力で走りだし、あっけなく転んだ。最初はびっくりした顔をしたが、やはり痛かったのか泣き出したタークを、アーシがあやしている。
アーシは小さい子の面倒見が良い。その向こうに、弟を見ているのではないかと思う時がある。
この子は、元の場所に戻りたいとは言わない。けれど、家族のことは、今も忘れていない。もう一度家族と会えると言われたら、信じたくなるのではないだろうか。
それは、他の隊員も同じだ。あの吟遊詩人のような人間が、耳障りの好い言葉を囁いたなら、果たしてそれを、はねつけることは出来るのだろうか。
あの男がどうなったのかは、想像がつく。あの人が目をつけたのだから。
あの人は、関わるなと言った。あれに異民を近づけるのが危険だと考えたからだろう。
今回は、なぜか疑われることなく切り抜けた。しかし、次もそうだとは限らない。
守らなければならない。
盾となって、ここを、この子達を。
「あ、ターク、いらっしゃい。」
「ターク、遊ぼっか。」
マリエルが子供をここに連れてくるのは、仕事を手伝う為でもあるが、人の目が多くて安心だからでもある。ちびっ子に構いたい隊員や見習いが、大勢いるのだ。
見習いというのは、入隊するかどうか、保留中の人達のことで、ベレンから元奴隷達を連れ帰った頃に一時的に置いたつもりだった。しかし、最近志願者が急増しているため、常にあるポジションになった。
志願者が増えたのは、王の婚姻の後からだ。それまでは、行き場のない女性達が、十分な覚悟を持って来ていたから、そのまま隊員として迎えていた。
しかし、最近は一般の若い子達がやって来るのだ。志望理由は、憧れとか収入とか自立するためとか、色々だ。ただ、彼女達がどれだけ危険を承知で来ているのかが疑問だったので、十分に覚悟ができるまでは、見習いとすることにした。
さすがに未成年の子は家に帰そうと思ったのだが、それはオリファに止められた。王都や周辺の村の場合はともかく、地方から来ている場合は、帰す方が危険だというのだ。信用できる商隊などに送ってもらえれば良いが、子供だけで旅などしたら、人攫いに会う危険がぐんと上がる。そうまでして来ている彼女達は、やはりそれなりの事情を抱えていることもあった。もしかしたら、ここに辿り着けなかった少女達も、いるのかもしれない。
だから、とりあえず見習いとして置いて、訓練や任務の様子を見せていく。それで志望を取り下げるなら、その時はその時だ。
ある日、官舎に戻ると、満面の笑みの隊員達が勢ぞろいで出迎えてくれた。思わずこちらがたじろいでしまうほどに浮き立っている。
彼女達に連れて行かれたのは、あの謎の建物だった。どうやら完成したらしい。
二重になった扉を開けてみると、中はもうもうと湯気が立っていて視界不良だったが、どう考えても故郷で見慣れた施設だった。
「お風呂?」
それも二十人くらいは一度に入れそうな大浴場だ。随分前に、たまにはゆっくりお湯につかりたい、とぼやいたのを覚えていたらしい。何をしているのかずっと不思議で不安だったけれど、こんなに手間をかけて、ちょっと呟いてみただけの願望を叶えてくれたのが、なんだか嬉しかった。
立ち上る湯気の中、綺麗にした身体をゆっくり湯に沈める。足を伸ばして肩までお湯につかることが、これほど贅沢なことだったとは、故郷にいた頃は思いもしなかった。いつの間にか凝り固まっていた身体も心も、解れていくようだ。吐き出す息と共に、澱が流れ出ていくような気がする。
「はあ。極楽・・・」
言ってしまった後で、少し年寄り臭いと思ったが、こういうのは自然と口をついて出てしまうものらしい。
「天国?」
「神界?」
くすくす笑う声とともに、不思議そうな声も聞こえてくる。
普段は忘れているが、自動翻訳機能で話をしているから、少しずれた言葉になることがある。極楽は、天国や神界と同義ではないと思うが、そのように聞こえるらしい。
「まあ、似たようなものか。」
外国では水着で温泉に入るものだし、この国には温泉もなく、こういう浴場自体目にすることがない。
だから、皆布を巻き付けたり下着で入っていたりする。日本の温泉ではご法度だったけれど、ここを頑張って作ったのは彼女達だし、細かいことは気にしない。井戸から水を引いたり、効率的に温める工夫も、職人と相談しながら考えて造ったらしい。燃料代がかかるから、そう頻繁には入れないが、月に一度、いや二度くらい入れると嬉しい。タークや子供達を連れてきたら、どんな反応をするだろうか。
「総長。神界には、こういうところがあるんですか?」
すぐ隣で不思議そうな声を出しているのは、最近正式な隊員になったカテリだ。成年と認められたばかりの彼女は、まだ十五と若い。王都から離れた農村の出身で、家族との折り合いが悪く、入隊の決意は固かった。
この国では、明確な成人年齢は定められていない。大人と同じ仕事がこなせると見做されれば成人だ。個人差もあるが、大体十五歳前後であることが多かった。政略結婚をする貴族だと、もっと早いこともある。
「さあ。どうだろうね。神界には、人間が望むものが全てあるそうだけど。」
「え~。行ってみたいなあ。」
「馬鹿ねえ。神界には滅多なことじゃ行けないのよ。」
横から口を出してきたのは、やはり新米隊員で、こちらは町の商家の出身だ。両親を亡くして、引き取った親族と喧嘩して、なぜかここへやってきた。商家の見習いになれば良いのでは、と言ったのだが、頑なに魔物討伐部隊の入隊を望んだ。
「え~。だって見てみたいじゃない。」
「無理無理。王様くらい特別な人でないと入れないんだから。」
確かにここの教義ではそうなっている。神界は神々の住むところだから、そこに招かれる人間は、王や、神話に出てくるような英雄だけなのだ。ただ、どうせ架空の世界の話なのだから、そう目くじらを立てることもない。
「私達の世界なら、王様でなくても行ける天国があるよ。悪いことをしなければ、だけどね。」
「ここの神界とどっちがいいところなんですか?」
「さあ。どう思う?」
話を振られた他の隊員は、苦笑しきりだった。




