吟遊詩人(2)
「ヴィルフリーデン子爵!レーナ卿!よく来たな!」
胡散臭い笑顔と野太い声で出迎えて下さった公爵は、なんだかとても機嫌が良さそうだ。こちらは支度をするだけですっかり一仕事終えたような気分だが、ここにいる間は気を抜くことはできない。
近衛隊長は、今日は近衛の制服ではなく、他の貴族と同じような格好をしていた。相変わらず感情が窺えない顔だが、普段見せる鋭さは影を潜めている。それでも存在感は際立っているが、いつものような威圧感は感じられず、この集まりの中に自然に溶け込んでいるようだ。
自分の方は、慣れない場所に放り込まれた猫のように、警戒感を隠しきれていない気がする。これも、経験の差だろうか。
「公爵閣下。お招きに与り、光栄に存じます。」
「我が家の自慢の庭だ。楽しんでいってくれ。」
そう言って、またニヤリと笑う。
とりあえず無難に挨拶は済ませたが、何か企んでいそうで、楽しむどころではなさそうだ。
そもそも、初めから耳が気になって仕方がない。耳飾りが、だが。
自分で用意したものではない。カリベルク卿が進言したようだが、隊長が用意したものなのだ。きっと、あの職人から話を聞いたのだろうが。
祝宴の時も、無事に装飾品を返すまでは落ち着かなかったが、今はもっと落ち着かない。恐る恐る、終わったら返却すると言ったのだが、隊長は首を傾げて、返されても困るから持っていろ、と言った。確かにこの人が持っていても使い道がないだろうが、私も本物の宝石を持ったことがないから、どうしたら良いのか分からないのだ。オリファ達には、そういう問題かと呆れられたが、他にどんな問題があるというのだろう。
そうこうしているうちに、冬の庭が望めるテラスに出た。テラスと、階段を降りたところにあるスペースには軽食や飲み物が用意されている。
差し出された手に、何も考えず手を重ねたが、階段を下りながらふと気づいた。ダンスの特訓の時に何度もした動作だから無意識だったが、果たしてこれで合っていたのだろうか。服装も昼用と夜用があるのだから、マナーにも何か細かい決まり事があるかもしれないではないか。さりげなく視線を走らせて他の参加者の様子を見ると、どうやら不自然な動作ではなかったようで、そっと胸を撫で下ろす。
慣れないことをするのは、とても疲れる。
隊長には、挨拶をしたがる人がちょくちょく近寄って来るので、その都度、離れたり近づいたりしながら、会場を移動していた。
「あら、カレリーナ様。」
「エルデンリッツ伯爵夫人。ごきげんよう。」
テラスから貴婦人同士の挨拶が聞こえる。微笑み合いながらただ挨拶を交わしている、だけのはずだが、どうにも刺々しい雰囲気で、周囲の参加者も遠巻きに様子を窺っている。
しばらく前から、あの二人のことは宮廷貴族の話題の一つだった。結婚により、序列が入れ替わったことで、対立しているのだ。現在の序列に従えば良いのに、と思ったのだが、どうやら、実家の面子とかあるらしい。エレナが言うには、昔のイギリスの王族にも、似たようなことがあったそうだ。その時は、実家の権勢をごり押しした方が勝ったらしいが。全く、面倒な話だ。
伯爵夫人の方は、楽器を持った男性を従えていた。背の高い、亜麻色の髪の美丈夫だ。
伯爵夫人は得意げに、今評判の吟遊詩人だと紹介した。茶会の参加者が周囲に人だかりを作り、主催者の公爵も、興味を持って近づいてきた。その様子を、もう一人が面白くなさそうに眺めている。
人気のある楽師を伴うのは、それなりに費用がかかる。伯爵夫人は、実家の侯爵家を頼ったかもしれない。そして、相手のことは称号で呼ばす、名前で呼び、あくまで自分の方が上位なのだと示したいようだ。正直どうでも良いし、関わりたくはない。
吟遊詩人は、小型のギターのような楽器を抱えていて、椅子に腰かけると、楽器を奏でながら歌い始めた。確かに張りのある声は良く響き、高音から低音まで流れるように進む歌は、どこか人の心を引き寄せるものがあった。女性陣がうっとりしているのは、おそらく声だけが原因ではない。その甘いマスクも、評判の所以なのだ。
一曲終わると、拍手が沸き起こる。伯爵夫人は、まるで自分の事のように得意気だ。
吟遊詩人は、歌っていた時とは雰囲気が一変して、愛嬌のある笑顔で周囲に応対している。ふと、隣に立つ隊長の様子を見ると、目を眇めるようにして吟遊詩人を観察していた。
その時に近寄ってきた人が、隊長にじっくり話を聞いてもらいたいようだったので、庭を散策してくると言って、その場を離れた。
常緑の植物や、冬に花を咲かせる植物などを組み合わせ、この時期に合わせて整えられた庭は、確かに珍しく美しい。庭だけなら興味はあったのだ。その他諸々がなければ。
背よりもわずかに高く刈り込まれた生垣に、拳ほどの白い花をつけた低木が何本か植えられている。なんとなく見覚えがあるような気がして、しばらく眺めていたが、椿に似ている、ということに気が付いた。ただ似ているだけなのか。植物も、あちらから流れてくることがあるのか。
「カメリエがお好きですか?」
聞き慣れない男性の声がして振り返ると、先ほどまで人だかりの中心にいたはずの、あの吟遊詩人が立っていた。少し目尻の下がった眼を細め、愛想よく笑っている。
だが、この男の目は気に入らない。
「眺めていただけです。失礼。そろそろ戻らねば。」
あまり関わる気にもなれず、その場を去ろうとしたのだが、男はさりげない仕草で回り込んだ。視線を上げて顔を直視してみるが、愛嬌のある笑顔は崩していない。
しかし、この男は本当に楽師か。今の動きは、素人のものではない。そもそも、気配を消して近づいてきたのだ。
「お噂を聞いて、一度お話ししたいと思っていたのです。女性の戦闘部隊というのは、珍しいですからね。総長殿。」
「良くない噂ばかりでしょう。」
男は、口の端を一層釣り上げた。
「異分子というのは、そういうものです。私にも、覚えがありますよ。」
そう言って、少し顔を近づけてきた。
「私は、様々な国を旅しておりますので、時に、一般に知られていない知識に触れる機会があるのですよ。例えば、」
一旦言葉を切った男の目が、意味ありげに細められる。いつの間にか、笑顔の質が変わっていた。




