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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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湖中の光(1)

 夜の湖は静かだった。

 色づいた葉が落ちて浮かぶ湖面も、今は闇に沈んでいる。天には青と黄の月が並んで、空と地上に淡い光を投げかけていた。

 静かな湖面に、衣を引き裂くような音がした。続いて、水音。

 湖面が波立ち、千切れるように揺らいだ二つの月の影が、赤く染まる。それを、荒い息と共に見つめる男の顔には、返り血がついていた。


 村娘が行方不明になった。捜索は何日も行われ、男もそれに加わった。見つかるはずがないことは知っている。あれは湖の底だ。いずれ皆が諦めれば、そうすれば、解放される。そう信じていた。

『なぜ、うらぎった』

 最も夜の明るい日に、湖が持ち上がり、男を飲み込むまでは。






 ある侯爵領から、魔物討伐部隊(ファリエン)へ捜査依頼が出された。捜査といいつつ、魔物の仕業と考えているのは明らかだった。

 侯爵の館からもほど近い湖の付近で、最近、失踪事件が相次いでいるという。その湖は、普段から漁をする人がいたり、夏には泳ぐ人がいたり、ごく普通に生活の中に溶け込んでいる場所だ。

 初めのうちは、事故や人攫いの可能性も考えられたのだが、頻度が多すぎておかしいと思われるようになった。

 魔物の姿を見た者はまだいない。ただ、近くの村人達は、湖の様子がおかしいと侯爵に訴え出るようになった。

 表面的には何も変化はない。だが、毎日それを見ている人達が、違和感を感じるなら、それを(おろそ)かにはできない。だから、捜査を依頼してきたのだ。


 存在が確認できた場合に、すぐに討伐に移れるよう準備を行った上で、王都を()った。しかし、その道中で、侯爵領から王都への早馬に出会った。その使者は、侯爵家にも失踪者が出たと言い残し、王都へと向かって行った。その時点で詳細は分からなかったが、同行していた近衛隊士は、隊長が派遣されるかもしれないと言った。

 その侯爵家は、王の母方の叔母に当たる人の嫁ぎ先で、つまりは王の親戚だったのだ。





 村に着くと、村人が遠巻きに眺める中、村長が出迎えてくれた。この一か月余りの間に、十人以上が行方不明になったという。ほとんどが、漁をしていたり、湖の近くにいる時に消えており、中には子供もいたということだ。最近、湖の色や波の立ち方が何となく変わったような気がして、村人は気味の悪いものを感じて、近づこうとはしなくなったそうだ。

 確かに、傍に寄るまでもなく分かった。

 湖には、間違いなく魔物がいる。それほど強力ではないが、単体で、容積はかなり大きい。もしかしたら、湖そのものと言ってもいいかもしれない。

 そう告げると、村人達は頭を抱えた。

「まさか、言い伝えが本当になるなんて・・・」


 どこにでも、一つや二つ伝説はあるものだが、この湖には、『月が赤く染まると、湖が人を喰らう』という言い伝えがあるのだそうだ。別に、月は赤くならなかったが、湖に沈む魔物が人を取り込んでいる可能性は大いに考えられた。その魔物が、いつからそこにいたのかは分からない。人々の営みの下でずっと潜んでいたのか、あるいは突然発生したのか。ただ、人々の記憶にある限り、いや、記録に残る限り、今回のような事は起きたことがなかった。





 村長と共に侯爵の館を訪れると、一家が一室に集まっていた。誰もが硬い表情で、特に侯爵は、苦々しい不機嫌そうな表情をしていた。魔物の存在を確認したことを報告すると、表情は変えず、唸るような声を発した。


 同行した近衛隊士が、途中で会った早馬の情報を確認しようとする。

「侯爵閣下。お身内のどなたかが、行方不明と伺いましたが、事実ですか?」

 侯爵は、一層苦々しさを増した表情になった。

「孫だ。」

「お孫様、ですか」

「湖には近づかんように言い付けておったのに。あの馬鹿者め。」


 耳を疑った。今、自分の孫を罵ったのだろうか。


「あの湖の近くで行方が分からなくなったのですか?失礼ながら、誘拐という可能性は?」

「世話係と孫が湖の傍にいるのを何人か見ておる。世話係は村の出で、信頼できる者だったが・・・。一瞬目を離した隙に、消えていたそうだ。」

「その者に話を聞いてもよろしいですか?」

「構わん。牢に入れておるがな 。」

 主家の人間に何かあれば、使用人は罪に問われる。それは致し方のないことだ。身分社会とは、そういうものだ。


「侯爵家の人間が、このような時に、分別のないことをしおって。」

 解せないのは、孫に対するこの態度だ。心配ではないのだろうか。聞けば、まだ六歳の女の子だという。

 侯爵だけではない。夫人も、父親であるはずの令息も、硬い表情で黙り込んでいる。さすがに母親である女性は、手を固く握りしめ、青い顔で唇をかみしめている。

「孫のことは後でも良い。とにかく、その魔物を討伐してもらいたい。」

 貴族とはこういうものだろうか。家族でさえ、ここまで関係が薄いものだろうか。平民と貴族では、家族の距離が違うと聞いたことはあるが、それでも、肉親の情というものはあると思っていたのだが。





 桟橋の上から湖を見渡す。普段は、漁に使う小舟が係留されているらしいが、今は全て陸に上げられていた。討伐は決定事項なのだが、何しろ相手は水の中だ。表面まで引き上げないと、何もできない。侯爵が私兵団を貸してくれたので、正規軍に応援要請をしなくても、人数的には足りる。姿さえ見えれば、だが。

 水辺には風で起こされた小さな波が、絶えず打ち寄せ、また引いていた。様子を窺いながら待機していたファリエンの隊員や私兵団の若者が、恐る恐る水の中を覗こうとしては、波を避けようと足踏みをしている。平和な時であれば、微笑ましいとも取れる光景だ。

「うわっ。」

 波を避けそこなった若者が、水をバシャバシャと跳ね上げた。足がすっかりずぶ濡れだ。気持ち悪そうにしているが、仕方がない。

 その後ろに立っていた別の隊員が、急に前に出てきて、湖を凝視し始めた。

 その理由は、見ずとも分かった。

 気配が移動したのだ。急速に、水面に向かって、この場所に向かって。


「来るぞ!構えろ!」


 剣を抜きながら叫ぶ。ファリエンの隊員が弓矢と槍を構える。近衛隊と、遅れて私兵団も、それぞれの武器を構えた。

 その前に、湖が首をもたげた。青みを帯びた半透明の何か。それは首長竜のように細長く水上に伸びあがったが、いつの間にか水辺にも広範囲に押し寄せていた。


 矢が一斉に放たれる。普通の矢は弾力のある表面に弾かれて落ち、一人の兵士が音もなく飲み込まれた。傍にいた兵士達が慌てて斬りつける。何度かそれの表面に白い(ひび)が走った後、膜が裂けるように表面が割れ、飲み込まれた兵士が水と共に吐き出された。


 その後、急速にそれは引いていき、水の中に戻っていった。どうやら、アルテア草を塗った槍を嫌がったらしい。



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