祝宴(2)
祝宴が開かれる広間には、王と王妃を迎えるべく、既に大勢の貴族が集まっている。
リーズシャウデン侯爵家が魔物討伐部隊の三人を伴って広間に入ると、軽い騒めきが起きるのが分かった。礼儀上、侯爵夫妻に挨拶をするのは当然だが、その後に続く女性には、挨拶をすべきか、ただ黙って膝を折るべきか、迷ったからだ。
正装に身を包んだ彼女は、凛とした佇まいで、日頃慇懃無礼ともとられる愛想のなさが、今は安易に触れてはならない近寄りがたさとなり、王族とも見紛う風格を纏っていた。
遥かな格下の存在に圧倒されることを不快に思う余裕もなく、居並ぶ貴族達は、自然と道を開け、見送ったのだ。
その様子を感じ、侯爵は頬を少しばかり緩めた。
異境の民を養女にすることを、揶揄する声があることは知っていたし、魔物討伐部隊の面々を祝宴に伴うことが、侯爵家の恥になると嘲笑う者があることも知っていた。だからこの反応には、溜飲が下がる思いだ。
玉座近くに立つ宰相は、いつもと変わらない温厚な笑顔で、義理の甥である侯爵にも、その内心は計り知れないが、この様子を面白がっているのではないかと感じた。
「国王陛下!王妃殿下!お成りでございます!」
侍従が国王夫妻の入室を告げる。
列席の貴族達は一斉に扉に向かって立ち、その時を待った。
国王夫妻が姿を見せると、人々は感嘆と驚きでどよめいた。
それは一幅の絵画のようだった。
王は黒地に金の刺繍をふんだんに施した衣装を着け、これも金の刺繍で飾られた深紅のマントを羽織っている。儀礼用の剣と王冠を着け、堂々たる様子だった。つい最近まで、初々しさを残す青年王だったが、一気に大人びて落ち着いた風格が身についてきた。その眼差しは易しく、隣に立つ女性に向けられている。
王妃として立つエレナは、光沢のある白の生地の上に、微かな虹色に見える薄絹を重ねた衣装を身に着けている。その薄絹には金糸と銀糸で繊細な刺繍が施され、腰は引きしぼられてゆったりと裾が膨らんでいる。まるで、真珠の輝きを纏いながら、内側から溢れる光が流れ出ているようだ。その胸元には、青藍石の首飾りがつけられている。先の王妃、つまり王の母君の形見だ。
頭上の宝冠からは、レースのヴェールが結い上げた髪を覆い、腰の辺りまでを覆っている。その透通るような細工は、貴族にすら物珍しく、他国の大使達は初めて目にする芸術だった。これは、ファリエンの隊員とレース講座の女性達が、昼夜を問わず作業を続けて仕上げた品だった。
幾分緊張して立っているエレナの手を優しく引きながら、王が歩みを進めると、居並ぶ貴族達は波のように次々と祝意を述べながら礼をしていった。
玉座の近くには、宰相を始めとした三公爵家の人々が並ぶ。それに続いて、王妃の養父母となったリーズシャウデン侯爵家の人々が並んでいた。
ゆっくりと近づいてきたエレナと目が合う。
緊張しながらも頬を薔薇色に染めていたエレナは、柔らかく微笑んだ。
心に温かいものが流れるのを感じ、思わず、微笑み返した。
これから先、穏やかな日々が待っているとは限らない。厳しいこともあるだろう。それでも、エレナ、大切な仲間、大切な家族。貴女の歩む道が、その名前の通りに、光に満ちたものであることを願う。
その瞬間、広間に静かな衝撃が走った。
思いのほか気品に満ちた王妃の姿に騒めいていた人々は、しんと静まり返っていた。その視線は、王妃を追って、一人の女性に注がれていた。
氷の心を持つ者。冷酷非情な、魔神の化身。
そう言われていたはずのその人が、常に冷淡な目で周囲を睥睨していたその女性が、笑ったのだ。地母神もかくやという、慈愛に満ちた瞳で。
これに勝る衝撃はそうそうあるものではない。
完全に思考停止する者、幻を見ているのではないかと何度も目を瞬く者、思わず頬をつねってみる者もいた。
しかし、在るべからざるものを見たような気がして、誰もが口を噤んだのだった―――。
主だった大貴族や大使からの、お祝いと贈り物のやり取りが終わり、給仕の若者が飲み物を配って回ると、しばらく歓談の時間となった。普段は格下の者から話しかけることは許されないが、今ばかりは、国王夫妻へ直に祝意を述べに行くことが許される。国王夫妻はその全てに和やかに応じていた。
やがて楽団が定位置につき、広間の中心が開けられた。王が王妃の手を引いてその空間に進み出る。
人々が見守る中、楽団の奏でる調べとともに、ダンスが始まった。
優雅でしなやかな動き、軽やかなステップ、王妃の纏う衣装の裾がなびくたび、光が流れるようで、見守る人々からは感嘆の溜め息が漏れる。一部で心配され、一部では意地悪く期待されていた、王妃らしからぬ振る舞いなどは見られない。
ワンフレーズ終わると、さりげなく周囲に待機していた近衛騎士達が、パートナーを伴って国王夫妻を囲むように位置につき、それを合図に他の貴族達もダンスに加わった。常に王の傍近くに控える近衛隊長も、王を囲む輪の中にいて、パートナーとなっているのは、青いドレスのファリエン総長だった。正装をした隊長は、いつにも増して凛々しいが、女性の方も、文句なく貴婦人然としている。国王夫妻を除けば、最も目を引く二人だった。
ダンスの輪の中に加わりながら、さりげなく周囲に視線を送る。人がこれだけ集まる機会は、この世界に来て初めてだ。エレナに好感情を抱いていない貴族は多く、他国の人間もいる。王以外で帯剣を許されているのは、近衛騎士と他国の大使だけだが、警戒せずにはいられない。目に見える武器は預けられているが、自分のように隠しナイフを持ち込む者は、いるかもしれない。
『ダンスの時は、お相手の顔を見るのですよ。』
そうだった。マインス伯爵夫人には何度となく注意されたことだった。
広間の内外には近衛騎士達が目を配っているし、王城内は衛兵達が目を光らせている。ここには隊長もいるのだし、万一のことも、この人は許さないだろう。自分が周囲を威圧して、お祝いの席に水を差してはいけない。
視線をパートナーの顔に向けると、向こうはきちんとこちらを見ていた。一瞬だけ、後ろめたい気分になる。後で何か注意されるだろうか。
体の向きを変える時以外は、相手から目を逸らさないのが礼儀だ。社交に慣れた人なら、ダンスの間も会話を楽しむものらしい。そんな余裕はとてもないが、せめて最低限の礼儀は守らなければ。
こうしてみると、この人の瞳は深い青なのだ。
修練の時は当然相手の目を見ているが、あまり気にしていなかった。ずっと、黒っぽい色、と認識していた。この距離でじっくり見たのは初めてだ。
普段から、感情をほとんど見せない人だけれど、凪いだ深い海のように静かな目をしている。
知らないうちに、私も緊張して気持ちが昂っていたらしい。それが、静まっていくのが分かった。
国王夫妻が三曲続けて踊る間、他の騎士達は交代しながら警戒を続けていたが、隊長はずっと王の傍を離れずに踊り続けていた。一曲だけで済ませず、夫人に言われた通りに特訓をしておいて良かった。
その後は、目立たないように大人しくしているつもりだったが、何かと話しかけてくる人が意外に多く、リーズシャウデン侯爵家の方などとは、ダンスもしなければならなかった。
これは、大変緊張することだった。近衛隊長の方が楽だ。考えてみれば、練習の時はずっとあの人が相手だったのだ。踏み出すタイミングも互いに分かっていて、考えなくても体が自然に動いた。
その隊長は、玉座に座す王の傍に、ずっと控えていて、近づく者達を、それとなく観察しているようだ。広間の中では、近衛騎士達がさりげなく隅々まで目を配っているが、すっかり会場に溶け込んでいるので、参列者が気付くことはない。
国王夫妻が穏やかに微笑みながら見守る中、祝宴は華やかに、かつ盛大に行われたのだった。
エレナー(Eleanor)には、光り輝くという意味があるそうです。
青藍石のイメージは、コーンフラワーブルーのサファイアです。




