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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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北の森

 その後しばらく、私達はほとんど口をきけなかった。食事もあまり喉を通らず、十分な量ではないにも拘わらず、残す人もいた。望ましくない形で、私達の想いは一つだった。

 あれは、裁判でもなかった。一方的な宣告だった。

 私達に、自由も権利もない。

 そのことを、私は本当の意味で理解していなかった。

 私が生まれたときから持っていたもの、空気のように思っていたもの、だからこそ、その価値を良く分からずにいたもの、そして、本当はかけがえのなかったもの。

 それが、ここにはなかった。



 それほど時が経たないうちに、私達は再び集められた。再び、子どもだけを残し、神殿の外に連れ出される。

 騎馬の騎士達と、徒歩の兵士の集団の後に続き、いつもより長い距離を歩かされる。街中の空気は重苦しいままで、沿道で私達を見る人々の目は、憎しみに満ちているように思えた。そうして私は、初めてこの町の外へ出ることになった。


 街の中の様子は、あまりよく覚えていない。見ている余裕がなかったからだ。石畳の道で、3階くらいの石や煉瓦造りの建物がずっと並んでいた、という程度だ。分厚い城壁に造られた大きな門をくぐると、そこからは舗装のされていない土の道が、まばらになった建物や、広大な緑地の間を蛇行しながら延びているのが見えた。

 この一団がどこに向かっているのかは分からないけれど、中心には、あの黒髪の騎士がいた。彼は、騎士達に副長と呼ばれていて、この一団の責任者のようだった。

 私達は、この世界に来てから、あまり長い距離を歩いていない。それに、足元は、神殿で与えられたサンダルのような履物だ。だから、すぐに歩けなくなる者が出てきた。

 それでも、集団の歩みが止まることはない。休憩は取られたが、私達に合わせたものではない。

 私達は、擦れた足に布を巻き付け、それでも歩けなくなると、荷馬車の隙間に押し込められて進み続けた。気持ちが折れ、もう無理だと泣きだす子や、癇癪を起こして怒ったりする子もいた。彼女達には、もう余裕がなくて分からなかったと思うけれど、他の者には、兵士達の顔に殺意すら閃くのが見えていたから、なんとか宥めながら先へ進んだ。

 幾日歩いたのか、よく覚えていないけれど、いくつか町や村の傍を通り抜け、丘陵地帯に入り、森に野営地が作られた。どうやら、ここが目的地のようだ。その夜、私達は身を寄せ合い、泥のように眠った。


 それから数日間、移動はなかった。兵士達には動きがあったけれど、私達は監視付きで、一か所に留め置かれた。そのうちに分かってきたことだけれど、兵士の中には、異民も含まれていた。

 けれど、同郷のはずの彼らは、全く好意的ではなかった。


 そしてある夜、事件が起きた。

 宵闇が迫る頃になると、野営地では明り取りも兼ねて焚火を燃やす。近隣で拾ってきた細い木の枝や枯葉を使い、私達もいくつか火を起こしていた。周囲がすっかり闇に沈むと、寄り集まって眠る。焚火の明かりは些細なもので、周りを囲む人の顔を、仄かに明るく照らす程度だった。

 互いに寄りかかりながらまどろみ始めた頃、人の話し声が聞こえてきた。と思った直後に悲鳴が上がる。その切羽詰まった響きに、思わず飛び起きて、傍にあった枝の束を掴んで駆け寄ると、数人の兵士が、端にいた少女を引きずり出そうとしていた。少女が泣き出しそうになりながら、必死に抵抗しているのを見て、手に持った枝の束を、兵士の腕に叩きつけた。

「いてえっ!」

 兵士が少女を離し、憎々しげにこちらを見てくる。

「何をしているの!」

 少女を引き戻しながら問うてみたけれど、何を目的としていたのかは、何となく分かってしまっていた。仄明かりでも分かる、彼らのぎらついた眼。監視役の目を盗み、闇に紛れて近づいてきた目的なんて、考えるまでもないことだった。

「お前らのおかげで、俺たちは散々な目にあってんだよ。」

「やりたくもねえ仕事させられて、命張ってここまで来たのに、お前らがスパイなんぞするから、俺らまで同じ目で見られんだよ!どうしてくれんだ!」

 兵士達が吐き捨てる言葉に、思い当たることがあった。

「あんたたち、もしかして・・・異境の民?」

「ああ、そうだ!俺たちは一番危険なところに行かされて、一番危険なことをやらされる。そうやってここまで生き延びてきたってのに、お前らのせいで、全部おじゃんだ。ちっとは役に立ってもらおうじゃねえか。」

 ヘザーの一件が、軍の中での異民の立場を悪くした。それは分かった。その八つ当たりをされているのだということも。けれど、彼らの『役に立つ』は論外だ。反吐が出る。

「彼女は死んだ。私たちは何もしてない。なんで私たちが・・・」

―――捌け口になってやらなくちゃならない?

 苛立たしいとともに、同郷の彼らに悪意を向けられることが、悔しく、悲しくもあった。

「ごちゃごちゃ言うな!」

 掴みかかる手を払おうと、振り回した枝が相手の顔に当たった。怒った兵士が首を締めあげてくる。

 そこへ、騒ぎを聞きつけた監視役の兵士が駆けつけてきて、引き剝がされた。

 地面に倒れ込み、激しく咳き込む。耳鳴りがする。誰かが背中をさすっているのを感じる。

 そして、男達が毒づいているのを、確かに聞いた。

「どうせこいつら、魔物のエサになるんじゃないか!だったら別に、いいだろ!」




 翌日は静かだった。あの男達がどうなったのかは知らない。監視役の兵士が怒っていたから、処罰を受けたかもしれない。

 宿営地を、沈黙と困惑が覆っていた。あの男の放った言葉が気にかかる。魔物のエサというのは、どういう意味だろう。

 神殿の助祭が、魔物と聖女の話をしていたのを覚えている。魔物というのは、神話か、何かの例え話だと思っていた。私達は、人身御供のようなものか。それとも、あの男の腹立ちまぎれの暴言なのだろうか。


 昼過ぎ、変な臭いが漂い始めた。臭いと表現するのが正しいのか分からないけれど、腐臭を嗅いだ時の不快感と、肌がヒリヒリする感じと、悪寒に近い落ち着かなさとが混在して、とにかく嫌な感じだ。

「なにこれ?」

「気持ち悪い。」

 宿営地が騒めき始める。鼻や口を抑えたり、胸を抑えたりして、この奇妙な感覚の元を探そうと周辺に目を向けてみるけれど、特に変わったものは見えない。

「なんだ、何をしている、お前たち。」

 監視役の兵士が胡乱げな目を向けてくる。この兵士はこれが何か、知っているのだろうか。思い切って、一人が尋ねた。

「あの、この臭いは、何ですか?ちょっと・・・気持ちが悪いんですが。」

「臭い?」

 兵士は怪訝な顔をした。

「臭いというか、沁みる感じというか・・・」

 適切に表す言葉が見つからずに言い淀んでいると、兵士は若干苛立ったようだった。

「何もないぞ。妙なことで騒ぐな。」

 私達は互いの顔を見合わせ、同じ不快感を共有していることを確認した。監視役の兵士には軽くあしらわれてしまったけれど、その不快感は夜になっても消えることがなかった。


 その夜は、やけに静かだった。風の音や、遠くで鳥が叫んでいるような音が稀に聞こえてくるのが、なんとも不気味で、私達はいつもより寄り集まって、まんじりともしない一晩を過ごした。

 夜が明けると、あの不快感は薄れていったけれど、今度は、監視役の兵士が、二人足りないと騒ぎだした。よく見ると、確かに二人いなくなっている。いつ抜けだしたのかは、誰も知らなかった。

 すぐに捜索が行われた。私達の中からも、数人が捜索隊に加えられた。近くに集落があるのかどうか分からないけれど、土地勘もない森の中を、どうして移動しようと思ったのだろう。しかも昨夜は、普段とは違う夜だった。


 どのくらい経ったか、おそらく日はすっかり高くなっていたと思う。私が加えられた班とは別の兵士達が、何かを囲んで固まっているのを見かけた。

「おい、どうした。何かあったか。」

 声をかけられても、彼らは口元を抑えて、地面を見つめたままだ。一人だけ振り返った兵士の顔色は、ずいぶん悪く見えた。

 近づいてみると、地面に何かが転がっているのが見えてきて、来たばかりの兵士達が、同様に固まった。私には、それが何か、一瞬分からなかった。でも、すぐに悟った。それが、原形を留めていないそれらが、消えた二人だということを。

 そう気づいた瞬間、全身を冷たい水につけられたような感覚を覚えた。

 手足が震える。胸が冷えて、体が強張っていく。歯の根が合わない。心臓が鷲掴みにされたようで、息が苦しい。

 一人の兵士が、青ざめた顔のまま、私を見た。

「間違い、ないか?」

 それを、私に聞くのか。私は、震える手を組み合わせ、何も言えないまま、兵士の顔を見て、もう一度地面に目を戻した。

 見れば、分かる。そこにある布切れも、サンダルも、神殿で支給されるものだ。私が身に着けているものと同じだ。


『こいつらは、魔物のエサだ!』


 あの男の言葉が脳裏によみがえる。風が吹いて、かすかに、あの不快な臭いを感じた。


 ()()()()()()()()()()()。ここに連れてこられた目的。私達の末路。


 恐怖に満たされた心の奥底で、別の感情がうごめき始める。それはゆっくりと渦を巻き、突如噴出した。


―――冗談じゃあない!!


これは何の罰だ。私達が何をした。もう、この震えが、恐怖なのか、怒りなのかも分からない。歯を食いしばり、拳を握りしめ、踵を返して、猛然と歩き始める。このまま、大人しくエサになどなってたまるか。

 後ろで、兵士が慌てたような声で呼び止めるが、無視した。一般の兵士に何を言っても無駄だ。何か言うなら、上の人間、この隊の責任者だ。

 兵士達が後を追ってきたが、私が逃げるわけではなく、野営地に向かっているのを見て、何か言いながらも後をついてくる。


 野営地の中心、一番大きな天幕の前に、この隊の責任者である近衛隊副長が、あの黒髪の騎士が立っていた。こちらに気づきながらも、ただ静かに見ている。兵士が後ろから腕を掴んで引き留めようとするのを全力で振り払い、騎士の前に立った。

 騎士は無表情のまま、何も言わずに私を見ている。その視線を、正面から受け止めた。ただ助けて欲しいと言っても、この人は聞かないだろう。不当だと訴えても、届くとも思えない。それが通るなら、今この状況にはないのだ。だから。

「武器をください。」


 私は泣きつかない。頼らない。


「私たちは、魔物のエサにされると聞きました。ただ死んでいくのは御免です。抗う手段をください。」


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