王女と護衛
「なんだかおかしな話を聞いたのだけれど・・・」
そう言いながらマリエルがやって来たのは、宰相との面会後しばらくしてからだった。
「おかしな話?」
「最近街で広まっているのだって。異世界で国を失った王女様が、護衛の女騎士たちに守られて落ちのびてきたって。苦労の末にこの国に辿りついた王女は、王様と出会い、二人は恋に落ちた、とか。」
「それって・・・」
「その王女を守る女騎士の一団こそファリエンだ、らしいわよ。近所のおかみさんたちから、感動したとか、苦労したんだねとか、今まで悪く言って悪かったとか、盛んに声をかけられるのよ。」
「何それ。」
「そういえば昨日、いつも行く店の主人の様子がなんだか同情的だったような。」
「市場でいつも睨んでくる人が、おまけをくれたのって、それのせいかな。」
(宰相・・・)
こんな作り話をわざわざ広める人が、他にいるはずもない。それにしても、思いもよらない誇張話だ。
その話は王都の住民の心を掴んだらしく、微妙に変化しながらあっという間に広がり、歌まで作られたらしい。ファリエンの本部には、急に好意的になった住民達から、激励や差し入れが届けられるようになった。そして、王と『王女』の恋の進展を期待する声が、高まっていった。
宰相の手の者がせっせとお膳立てをした結果ではあるだろうが、なんとも安易である。数年前の、あの憎悪と嫌悪は何だったのかと突っ込みたくなるが、変化したのはあくまで『異世界の王女とその護衛』に対する感情であって、異境の民そのものへの感情ではないあたり、複雑だ。
そして、案の定というべきか、街の噂が貴族社会に到達した途端、蜂の巣を突くような大騒ぎになった。ほとんどの貴族にとっては、青天の霹靂だ。
「一体どういうつもりかしら。図々しいこと。」
「何が王女よ。陛下の御恩情がなければ、奴婢も同然ではないの。笑わせるわ。」
「奴婢と、口にするにも憚られるような生業の者達の集まりですもの。いったいどのような手で取り入ったのかしら。」
「陛下のお心を惑わせるなんて、厚かましいこと。心根の卑しさが分かるというものだわ。」
「妖術の類かしら?魔物を従える、怪しい術を知る者達ですものね。」
最近は、本当に用事のある人間しか声をかけてこない。彼女達のような御令嬢や貴婦人は、当初から遠巻きに視線を投げてくるだけで近寄りもしなかった。目を合わせると目が潰れる、などという馬鹿馬鹿しい噂を信じて、顔を隠す人もいたほどだ。それが、このように詰め寄ってくるのだから、よほど頭にきているのだろう。彼女達からすれば、密かにその場所を目指して凌ぎを削っていたのを、格下の者が横から攫っていったようなものなのだ。
「図に乗らないことね。陛下はほんの少し、憐れみをお示しになられただけですのよ。」
「そうですわね。卑しい者に、本気でお心を向けるわけがありませんもの。」
「恥をかかないうちに、身を引かせなさい。」
控えの間にいる貴族達を全員覚えているわけではない。彼らの名前も序列もほとんど知らない。ただ、彼らの中にも温度差がある。冷静に観察している者も、侮蔑を隠さない者もいる。ここにいる全員が、絡んでくる気はないようなのだ。
今まで、身分に関することは、ここの決まりに従って、受け流してきた。ただ、今後、王や宰相が本当にエレナを引き上げるつもりなら、彼女の名誉に関することは正しておいたほうが良いだろうか。
「異境の民など取り立てたのが間違いだったのですわ。貴族の仲間入りをしたと勘違いしたのでしょう。」
「その婢を連れてくると良いわ。心得違いを教えてやらなくては。」
「付け焼刃の物真似で、貴婦人にはなれませんのよ。そのような誤魔化し、すぐに見破られますわ。」
「殿方は惑わせても、妖術など、私達には通じませんからね。」
段々エスカレートしてきたようなので、少し頭を冷やしてもらおうとした時だった。
「おや、穏やかではないね。」
聞き覚えのある声がした。
「ま、まあ、ビフェルン伯。」
「若公爵」
周囲を取り囲んでいた令嬢や貴婦人方が騒めいたのも無理はない。なぜここに、この方がいるのだろう。遠いベレンにいるはずなのに。
慌てて、とは見えないように、速やかに騎士の礼を取った。
「妖術というものが実在するとは知らなかった。ファルクハウセン総長の故郷では、一般的なのか?」
「かつては信じられていた時代もございましたが、現代では、物語の中にしかございません。」
「なるほど。」
伯爵はくすりと笑い、令嬢の一人は真っ赤になった。
「それにしても、穏やかではないね。聞きようによっては、陛下を非難するようにも聞こえる。」
「そ、決してそのようなつもりはっ。」
女性達は引きつったように口を噤んだ。
「そうだろうね。けれど、発言には気を付けたほうが良いですよ、ご婦人方。」
にこやかにしか見えない笑みを浮かべている伯爵が、なぜか周囲を威圧しているように感じる。女性達が青ざめて押し黙った中、伯爵は悠然と去っていった。
宰相と同様、ビフェルン伯、つまりライヒス公爵家は、この話を推すつもりということで良いのだろうか。であるならば、控えの間にいる貴族達の温度差にも合点はいくのだが。
「ビフェルン伯まで。一体どのような手練手管を用いたのやら。厚かましい婢は、副長だけではないようですわね。」
見ると、まだ微かに幼さの残る令嬢が、眦を釣り上げている。
「あの方にはれっきとした婚約者がいらっしゃるのよ。身分不相応な夢など、見ないことね。」
おそらくは義憤からの発言だろうが、間違っている上に、認識が甘い。あの伯爵に通用する『手練手管』があると思うなら、やってみれば良いのだ。
「お嬢様。それは、伯爵閣下に対して失礼かと存じます。」
「な、なんですって?」
「任務でベレンに赴いた際、閣下の手腕を拝見いたしました。大変優れた方です。容易に誰かに篭絡される方ではございません。どのような者が相手であれ、それで判断を曇らせることはないと存じます。」
「なっ。」
それは王にも言える。
卑しい心根で王を誑かすとか、妖術で王を手玉に取っているとか言っている者は、王はそのような手合いに容易に騙される、と間接的に非難していることにもなる。だから伯爵は、発言に気をつけるようにと忠告したのだが、この令嬢は分かっていなかったようだ。
「それと、貴族の生まれであることが尊いのであれば、彼女は間違いなく尊き人です。」
「何を言って・・・」
人の尊卑は、血統のみで決まるものではない。現代人である私達には当たり前のことだ。しかし彼女達に理解を求めるのは難しい。
「しかし私達は、生まれ育ちにまつわるものを、全て故郷に置いてきました。元が王族や貴族であろうと、庶民であろうと、この地では等しく異境の民です。」
どの令嬢も貴婦人も、聞いていることが理解できないように、呆けた顔をした。
「お嬢様。」
「な、なによ。」
「お嬢様のことを誰も知らない遠い異国へ、ある日突然放り込まれたと御想像ください。その国で、ご自身の出自を証明する術はありません。今まで築いたものも、持っていたものも、無かったことになり、当然のごとく奴婢となるのです。異境の民とは、そうした者の集まりなのです。」
その令嬢は、愕然とした顔をした。
揺るぎないと思っていたものが、永遠に続くと信じていたものが、あっけなく崩される。それは全ての異民が経験したことで、ここにいる人間が誰一人、想像もしていないことだった。
「それでも尚、尊い者と卑しい者に分かれるとするならば、それは、その人自身の心根や、徳性によるものです。彼女は、そうした意味で、今でもやはり、尊き人です。」
反応は静かに分かれた。反発で顔を強張らせる者と、羞恥で俯く者と、困惑する者と。
見回すと、先程までの怒気をすっかり抜かれ、それぞれに眉根を寄せて押し黙っている。こちらとしては、別に彼女達を苛めたいわけでも、やり込めたいわけでもない。ただ、その思い込みを少しばかり、正してもらいたいだけだ。
だから、いつもより丁寧に、深く首を垂れ、その場を辞したのだった。




