宰相面談
王との面会からわずか二日後、日も暮れかけた頃に、官舎に一人の女性がやってきた。品の良い中年の女性で、物腰が柔らかい。一般市民のように見せているが、大家の侍女ではないかと思われた。
「突然の来訪をお許しください。主が、ぜひとも折り入ってお話があると申しますので、お出で頂けませんでしょうか。」
「これからですか?」
「はい。」
「どちらへ?」
「お出で頂ければ、分かります。」
そう言って、印象のようなものを差し出した。貴族同士のやり取りで使う、紋章を蝋に移したものだ。普段使うことがないので、真面目に覚えていなかったが、その印象は見覚えがある気がした。ご丁寧に、簡素な馬車まで用意されており、着いた場所は、豪華な邸宅だった。
入り口のホールに入ると、迎えに来た女性から、お仕着せを着た男性に案内が変わった。その男性は、丁寧な仕草で、
「お腰のものをお預かりいたします。」
と言った。表から見えないようにつけていたナイフに、よく気が付いたと感心しながらそれを預けると、別の使用人に渡して、先導するように歩いていく。
良く磨かれて艶々とした床や階段の手摺といい、置かれた調度品類といい、王城と遜色ないのではないかと感じたが、邸宅の主の趣味を現しているのか、もう少し落ち着いた雰囲気だった。
やがて一つの扉の前まで来ると、案内の男性が室内へ声をかけた。招じ入れられたのは、執務室のような部屋で、そこにいたのは、予想通り、宰相だった。
「こんな時間に、すまないね。総長。」
白髪と白い口髭を蓄え、温和な顔をした宰相はそう言うと、椅子から立ち上がった。机の前には、長い卓を挟んで二つの長椅子が置かれており、その一つに移動してくると、もう一つの長椅子を指し示した。
「掛けてくれたまえ。」
宰相が着席するのを確認して、自分も椅子に掛けると、女中が入ってきて、繊細な茶器にお茶を注いでくれた。湯気とともに、ふわりと芳醇な香りが立ち上る。せっかく入れてくれたものであるし、宰相も口をつけているので、そっと茶器を持ち上げた。取っ手の作りも繊細で優美で、うっかり壊してしまったら大変だろうと、動きが慎重なものになる。口をつけてみると、薫り高く、仄かに甘く、それでいてスッキリとしている。紅茶とは少し違うが、とても美味しい。
気が付くと、宰相が目を細めてこちらを見ていた。
思わず和みかけてしまったが、おかげで気持ちが少し落ち着いた。
茶器をそっと置き、姿勢を正す。
「宰相閣下。お声がけ頂いたのは、先日の件についてでしょうか。」
「ふむ。総長には、唐突なことだったようだからね。」
「恐れ入ります。実は、こちらから面会を願い出るつもりでおりました。」
「そうかね?」
そう言ってにこにこと笑っている宰相は優しそうに見える。
議会の面々は、皆、口元だけは微笑んでも目元は笑っていないのだが、宰相は、目も優しそうだ。しかし、こうして対面で座っていると、ビフェルン伯に似たものを感じる。一国を長年担ってきた人が、ただの優しいお爺ちゃんであるはずがないのだ。
「ときに、彼女は幾つになるのかな。」
「十九歳です。」
「ふむ。少し遅いようだな。」
結婚が、ということなら、エレナの国でも私の国でも、むしろ早い方だ。
ただ、ここは王が十五歳で成人宣言をするようなところだ。十九歳ともなれば、ほとんどの女性は結婚しているようだし、なんなら母親になっている。日本も昔は『十五で姐やは嫁に』行っていたのである。
「我々は異境の民ですから、致し方がございません。」
「だが、王に望まれているものを、このまま枯れていくのは惜しいと思わんかね。本人も、想いは同じと聞いている。」
「難題がいくつもございます。解決されるとは、思われません。」
「陛下は真っ直ぐなご気性でな。この先、これほど一心に女性を思うことはないのではないかと思うよ。願いを叶えて差し上げたいと思うのは、私が老いたからかも知れんがね。」
好々爺然として、人の良いことを言っているが、それが本音だとはとても思えない。こんな重大事項において、そんな単純な理由で、王に同調するはずがないのだ。
「陛下のお考えはお伺いしました。ですが、慣例や人の心を変えるのは、至難の業です。彼女の身が危ういだけでなく、陛下の治世に支障が出はしないかと、懸念致します。」
「多少の策は必要であろうな。」
にこやかに笑ってそう言うのだが、多少どころではない。そもそも、先程からエレナを王妃にという前提のような話しぶりだが、それが宰相の真意で良いのだろうか。王を喜ばせる以外のメリットがあるとは思えない。少々突っ込んだことを言ってみたつもりだが、宰相からはのんびりとした返答しか返ってこない。
一口、茶を含んで思う。
自分は腹の探り合いには向いていない。宰相がビフェルン伯よりさらに上を行く人物なら、裏を読むなど自分には無理なのだ。ならば、正面から行くしかない。目を上げて、真っ直ぐに相手を見る。
「閣下は、異境の民が王妃となることに、問題はないとお考えですか?」
宰相は目を細めた。
目の前にいるのは、孫と大差ない年頃の娘だ。
常日頃は、目立たないよう隅で控えている者が、真っ直ぐな目で、真っ直ぐに問いかけてきた。
正式な役職として登用する前から、彼女のことは注視していた。当初は、問題行動をとらないか、監視のつもりだったのだが、どこで教育を受けたものか、基本的な能力は既に備わっており、礼節を保ち、それでいて度胸の良さを見せることもある。
(惜しいな。)
この娘は原石だ。磨きをかければ、どの星よりも輝ける存在になるかもしれないが、導き手がいなければ、原石のままで終わるかもしれない。もしこの娘が孫や縁者なら、この手で育ててみたかった。
「総長は、どう考えるね?」
「宮廷の方々の反発は大変なものとなりましょう。民も、嫌悪感を持つ者が、少なくありません。」
「そうだろうな。」
立場と置かれた状況を正確に把握している。そしてそれを、過不足なく言い表した。
小賢しい者であれば、自らの利に沿うよう言い換えるだろう。どうやら、根は率直な娘のようだ。
「彼女自身はどうかね?王妃となる資質はあると、君は思うかね?」
「彼女自身は、思慮深く、思いやりがあり、責任感も強い。故国では貴族ですから、高貴なる者の義務も心得ています。」
「ほう?高貴なる者。王家の縁者かね?」
「王家にもつながる血筋ですが、彼女の国では、貴族全般の心得のようです。」
「彼女が貴族であるなら、なぜ隊長ではなく副長の位置にいるのかね?」
「私は故郷でも騎士家系でしたから、実戦部隊としては都合が良いかと。それに、彼女は表に出たがる性格ではありませんので。」
「ほう。」
「ですが、この世界ではそれも関係がありません。陛下の御恩情で身分を頂きましたが、それでも騎士位です。王妃の条件に血統が必須であるなら、端から条件には合いません。」
「ふむ。」
異境の民という立場を理解しながら、全てを受け入れているわけではない。その立場に求められる言動をしてみせてはいるが、奴婢の卑屈さはない。そもそも、異境の民であることを全く恥じていないのだ。
生来の奴隷でない者は、当初反抗的だが、そのうちには気力を失い、本物の奴婢になる。この娘のように、置かれた状況に順応しながらも気力を保つ者は珍しい。
別の意味でも、惜しいと思う。
清冽な水の如き娘だ。
若さ故のその気性。いつか失われるであろうそれが、惜しい。
若者にありがちな、ある種の無鉄砲さと潔さ。この娘の場合は、それが心地よく感じる。出来るなら、保ち続けて欲しいと思う。
口に含んだ茶は冷めかけていたが、鼻腔を抜ける香りは高く保たれたまま、すっきりした味わいが濃くなっている。
「総長。この茶は、好みに合うかね?」
「は?・・・あ、はい。香りも味も大変良いもので・・・」
「そうだろう。最高級の品だ。しかし、茶器が合わないと、どうにも味気なくなるのだ。不思議なことにな。逆に、器が良くても茶葉の質が悪ければ、これもつまらないものになる。」
「はあ。」
「人の相性も、同じだと思うのだよ。」
レーナは少し、戸惑った顔をした。
「陛下と、エレナですか?」
察しが良くて気持ちが良い。次が最も重要な問いだ。
「総長の最も懸念することは何かね?最も望むことは?」
「彼女の安全と幸福です。」
即答だった。曇りのない目で、躊躇いも澱みもなく。
下手に本心を隠そうとしたり、野心を垣間見せるようであれば、また対応も変わったかもしれない。
「よろしい。」
宰相は、心からの笑みを零した。
「策を実行して見せることとしよう。有意義な時間だったよ、総長。」
来た時と同じように、簡素な馬車に乗り、官舎へと向かう間、今のやり取りを反芻する。結局、宰相の考えは、王の望みを叶える方向で動くということで良いのだろうか。
返答に、誇張と嘘が混ざったことを、宰相は気付いただろうか。エレナの家は、何百年も遡れば王家に辿り着くが、その本家はとうに絶え、王位は別の家系に移っているから、現在の王家とのつながりは遠い。自分の方は、どれだけ遡ってもれっきとした庶民だ。
彼女のことは正当に評価して欲しいが、矢面には立たせたくない。そう考えた結果だ。
宰相の本気度は、今後の状況を見なければ判断できない。しばらくは、静観するしかなさそうだ。




