王の想い人
魔物討伐部隊が発足して約半年が経ち、頻繁に登城する生活にも慣れてきた。
官舎の一角で行われている文字の学習やレース講習は、すっかり馴染んでしまった感がある。字の学習の方は、ファリエンの隊員にも必要なことで、外部の子供達がそれに混ざっているのはついでなのだが、レース講習の方は完全な善意だった。これは、魔物討伐にも商家の下働きにも行けない元奴隷や、土地を失った避難者が、職を得るための手段だ。講師役のヤナの手間を省くために、官舎で行っているだけなのだ。
レース扇の時に活躍したイルシュや、刺繍の得意な人達は、レースの原理をある程度覚えると、自分達で色々と試行錯誤を始めた。ヤナやエレナも、レースの全てを知っているわけではなく、絶えてしまった技術もある。元の世界と、全く同じ発展をする必要はないのだ。
ただこれが、彼女達にしかできない唯一の技術になり、ひいてはこの国の特産品になればいいと、エレナは考えているようだった。
この頃、というより随分前から、宮廷における最も強い関心事の一つは、王の婚姻だった。
幼くして即位した王には、当初許嫁がいた。隣国の王女だったのだが、乳幼児死亡率の高いこの世界のこと、王侯貴族も例外ではなく、数年前に病で亡くなってしまっていた。
その頃、周辺国との関係が微妙に変化しており、新たな同盟先を探すのが困難になっていたそうだ。単純に年齢の合う王女がいないという国もあったが、代替わりして方針が変わっていたり、関係が悪化していたり、野心的過ぎてこちらが警戒したりで、結局未だに相手が定まっていない。そして国内の候補者選定も、なぜか進んでいなかった。
王は現在二十歳。兄弟姉妹もなく、近しい親族は降嫁した伯母君のみという現状で、後継者問題も含めて、王の婚姻は喫緊の課題だった。
ただ、国内で王妃となれるのは、公爵家と一部の侯爵家の姫君だけで、それ以外の貴族女性にとっての関心事は、誰が王の愛妾になれるのか、だった。これなら、家格が低くても可能であり、正式に認められた公妾ともなれば、それなりの権力も得られる。子を儲けることが出来て、王妃に子が出来なければ、王母にもなれるかもしれない。
そんな夢を描いている令嬢や貴婦人達も少なからずいるらしいのだが、どうやら清廉な性格の王に、浮いた噂は今のところないようだった。
「今、何て?」
「えと・・・その、ね。王様には想い人がいてね。」
「うん。そこまでは分かった。で?」
「それがエレナだって。」
「・・・もう一度。」
「だからっ、私も聞いた話なの。アルノルトが言ってたのよ。近衛の副長がそう話していたって。」
最悪だ。
宮廷雀と違い、近衛でも上層部の人間が、無責任な噂話を口にはしない。であるならば、その話は確定ではないか。オリビアの夫にわざわざその話をしたのは、私達に伝わるのを期待してのことだ。王城ではまだそんな話を耳にしてはいないが、人の口に上るのも時間の問題だ。
最近、エレナが沈んだ様子をしているとは思っていた。宮廷での用事を任せすぎたかと反省して、最近は少し休ませるようにしていたのだが、そういう問題ではなかったらしい。
それに、この話は人のいないところですべきだった。
耳をそばだてていた若い隊員達が、嬉しそうにはしゃいでしまっているが、おめでたい話では全くない。甘酸っぱい恋愛話では済まない。権力が絡んでくるから、とても厄介な話なのだ。この話が広まってしまった時の、宮廷貴族達の反発はどれほどのものになるか。想像するだに恐ろしい。
幹部が一様に渋い顔をしているのを不思議そうに見ている隊員達に、エレナと隊の安全に関わる問題だから、決して口外しないようにと釘を刺すと、彼女達はしゅんとした様子になった。
「ロミオとジュリエットね・・・」
「切ないわ。」
「なあに、それ?」
「世界的に有名な恋愛物語よ。私達の世界のね。」
「縁起でもないからその例えは止めようね。あれ、悲劇だからね。」
そう言って宥めると、ひたすら溜め息をつきながらそれぞれ物思いに浸っている。
本当に、二人とも死んで終わるなどというのは、縁起でもない。そもそもあの二人は若すぎた、というより幼い。ジュリエットなんて、名前からして子ども扱いなのだ。確か、十三歳と十六歳とどこかで読んだ。そりゃあ、突っ走るわけである。性格もあるかもしれないが。
こちらの二人は、それよりもう少し大人だし、一方は王なのだ。後先を考えてもらわなければ困る。
「とにかく、まず本人に話を聞こうか。」
そうして本人に事情を聴いてみたところ、大分言い淀みながら、事の顛末を語ってくれた。
「王城の庭に、バラ園があるの、知ってる?」
「バラ園?」
「こじんまりしたものだけど、懐かしくなって。祖母の家でも、お庭にバラを植えていて、祖母がよく世話をしていたから。」
「そう。」
「眺めながら歩いていたら、水をかけられたの。」
「え?」
「庭師の女の子が、ああ、庭師長のお孫さんね。水やりをしていたようなのだけど、お互い気付かなくて。その子、真っ青になってしまって。とりあえず乾かすまでの間、その子の服を借りて、バラ園の近くの東屋にいたの。東屋というより、蔦に覆われた通路かしら。注意しないと、あることに気付かなくて通り過ぎてしまいそうな。」
「うん。それで?」
「通り抜ける風が気持ちよくて、誰もいないと思っていたから、気が緩んでしまって、ほんのちょっと転寝してしまったみたいで。気が付いたら、いらしたの。陛下が、目の前に。」
「え?」
「驚いてしまって、飛び起きて、つい、カーテシーを。」
「カーテシー?」
「敬礼ではなく、つい。陛下は許して下さったけれど、とても恥ずかしかったわ。」
「ああ。私が、ついお辞儀をしてしまうようなものね。」
それがきっかけだった。
その場所は、王にとって特別な場所だったらしく、供もつけずに訪れることが時折あったらしい。おそらくは、その瞬間、二人は惹かれ合ったのだ。あるいは、もっと前からだったのかもしれない。
その後、二人はひっそりと逢う機会を重ね、求愛されるに至ったらしい。
「とても嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。でも、冷静に考えれば、無理な話だわ。頭では分かってるの。でも、苦しくて、息が詰まるようで、すごく、迷ってしまった。でも、無理だもの。そうでしょう?だから・・・だからね、お断りしたの。」
そう話す彼女の表情を見て、これは無理かもしれないと思った。こうしたことに疎い私でも、彼女の苦悩と葛藤が分かる。
理屈は彼女も分かっている。だからこそ退こうとしている。もしこれが表沙汰になれば大騒ぎになるだろう。下手をすれば、エレナは命を失い、ファリエンも無事では済まない。けれど、感情は理屈で抑えられるものではなく、自分でも思い通りにならないそれに、引き裂かれそうになっているのではないかと思わせる。
「時間が必要ね。しばらく、貴女は官舎から出ないほうがいい。」
悄然として頷く彼女を見て、情けない気持ちになった。色々と助けられ、支えられてきたのに、何の助けにもなれないことが歯痒かった。




