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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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改悛の魔物(3)

 ゆっくり振り返った視線の先にいたのは、昨日遭遇したのと同じ、改悛の魔物だった。同じ個体なのかは分からないが、危険を感じないのは同じで、そこに座ってただこちらを見ている。犬で言うなら、お座りの姿勢だ。


 遠くで砂埃が上がるのが見える。風に乗って人の声もかすかに届く。目測でどのくらいの距離があるのかは分からないが、私はつい先程まであそこにいたと思われる。そしてこの飛竜に空中で掴まれ、数秒でここまで移動したと推測される。

 そんな急加速と急停止をしたら、気持ちが悪くなるわけである。もともと絶叫系は平気な方だったが、最近は荷馬車より早いものには乗ったことがない。


「えーと、ありがとう、と言うべきかな。」


 おそらくこの飛竜は、私を助けてくれた。ただ、戦いの場からは大分離れてしまった。ここから徒歩で戻るのはどれくらいかかるだろうか。そう思いながら立ち上がると、飛竜が身を寄せてきて、伏せに近い姿勢を取った。


「いや、気持ちだけ受け取っておく。」


 おそらくこの飛竜は、私を助けようとしてくれている。自分に乗れば連れて行ってあげる、という意図だと、なぜか感じ取ることができる。しかし、先ほどの急加速急停止を繰り返したら、確実にしばらくは動けなくなる。その間に、あの魔物に食われるだろう。

 すると、飛竜の目に、急速に涙が溜まり始めた。

「ええっ?」

 魔物を泣かせる人間て、何なのだろうか、と思わず狼狽してしまった。飛竜に人間のような感情があるかどうかは知らないが。


 飛竜が顔を寄せてきて、目から零れた涙が私の手に落ちる。しかしそれは、手の平に落ちた時には既に固まっていて、薄赤い半透明の塊は、大きなザクロの粒のように見えた。よく見ようと顔を近づける間に、その粒は浸みこむように皮膚の下に潜り込み、見えなくなっていく。それと同時に、自分の中の感覚が切り替わっていくのを感じた。


 風が見える。世界がより立体的になり、視覚だけでは見えないものが見えてくる。森の中の獣の気配や温度、空気の質量、光の熱量。第三の目、或いは第六感を得たような感じだが、これは飛竜の感覚だと理解する。目の前の飛竜の感覚を共有している。

 今なら、飛竜のスピードについていける。だから、何もためらうことはなく、その背にまたがる。

 戻ろう、戦いの場へ、仲間の元へ。




 黒い触手を蠢くように伸ばしながら、魔物が自ら葉を開き、茎を緩めると、その隙間から幾つもの目のようなものが見えた。それぞれがぎょろりと動いて、周囲を見回しているように見える。

 兵士達は皆怖気づき、嫌悪感で顔を歪めて、後ずさった。

 先程のレーナと同じだ。唐突に動きを止め、触手に掴まれても振り払うことが出来ず、上方から近づいてくる花に気付くことも出来なかった。槍を投げつけると、ようやく我に返ったように戒めを断ち切り、宙に身を躍らせたが、突風と共に現れた飛竜に連れ去られてしまった。

 昨日会った改悛の魔物と外見は似ているが、あれがレーナをどうするつもりなのかは分からない。

 焦りのようなものは感じるが、目の前の魔物を放置することも出来なかった。相手が何であれ、一瞬のためらいが、戦場では命取りとなる。


 リオディスは槍を握りしめ、茎の隙間に向かって力一杯投げつけた。槍が深々と刺さると同時に、悲鳴のような、赤子の泣き声のような、呻き声のような音が響き渡る。一様に体を強張らせている兵士達を大声で叱咤した。

「ひるむな!この程度で死にはしない!奴は確実に弱まっている!我々は優位にあるぞ!」

 それに応えるように、一人の屈強な兵士が、吼えるような声を上げながら、戦闘斧を魔物めがけて投げつけた。それは回転するように飛んでいき、魔物を大きく引き裂いた。それで兵士達の士気も戻ってきた。

 しかし、茎の断面から黒い触手が新たに伸ばされ、兵士を絡めとろうとする。それを断ち切った兵士は、顔を引きつらせて動きを止めてしまった。さらに後から伸びてきた触手に包み込まれ、持ち上げられていく。

 リオディスが近くに降りてきた触手を斬ると、頭の芯に直接手を突っ込まれたような不快感を感じた。反射的に体が強張りそうになるのを振り払い、触手を薙ぎ払い、兵達を鼓舞し続ける。

 兵達を取り込もうと周囲に延びる触手も、根は一か所だ。そこを狙って矢と槍を打ち込ませ、自らも剣を振るい続ける。触手から抜け出した兵もいたが、後から後から伸びる黒い腕に捕まり、引き込まれそうになっている者もいた。


 そこへ、空を滑るように、急速に近づいてくる影が見えた。

 それはあっという間に頭上に達したかと思うと、人影が降ってきた。その人影は剣をかざしながら、真っ直ぐに魔物の本体に向かって飛び込んでいく。それを飛竜が拾い上げ、また飛び上がる。まるで長年訓練したかのように、一体となったかのように、息の合った動きだ。

 昨日の光景が頭をよぎる。

 聖女アルタイアを、特別信仰しているわけではなかった。グリサの近郊であることを意識しているわけでもなかった。しかし、飛竜の傍らにあり、その翼に守られたレーナを見た時に、真っ先に浮かんだのが、その神話だった。

 目の前にある、神話の再現かと思われる光景に、リオディスは瞠目(どうもく)した。



 風を纏い、空を斬る。飛竜と感覚を共有することで、急速な動きも自分の意思のように把握でき、遠くの目標も詳細に見える。

 兵士を取り込もうとする魔物に向かって飛び降りると、蔓が槍のように勢い良く伸びてきて皮膚を薄く切り裂いた。飛竜なら硬い鱗が弾き返したところだが、ここは人間の感覚を保っておかなければならないところだった。体の頑丈さは全く違う。

 けれどそれには構わず、宙を駆けてきた勢いそのままに斬りつける。触手が一息に断たれ、兵士達が地に落ちてゆく。共に落ちる最中に、飛竜が回り込んでその背に掬い上げられる。

 視界がほんのり赤く染まっていく。これは怒りの感覚だ。飛竜が咆哮を上げ、すれ違いざまに鋭い爪で茎を大きく切り裂いていく。核の守りが一部引き剥がされ、露出してきたのを感じた。先ほど蔓に切られた傷から流れている血を、剣にこすりつけ、再び飛竜の背から跳躍する。その剣が触れると、そこはみるみる黒ずみ、急速に周囲に広がっていく。ほぼ同時に、下の方でも茎を通り抜けて中心部が弾けるような音がした。再び飛竜に掬い上げられて空へ舞い上がると、班員の射た矢が、本体部分を弾けさせているのが見えた。



「何をしたの?」

「アルテア草の花汁を(やじり)に塗りつけたんだけど・・・って、そうじゃないでしょ!あっちの方が問題でしょ!」

とオリビアが興奮気味に指さす方向には、倒れた魔物の上に鎮座する飛竜がいる。どす黒い緑の靄と化した足元をものともせず、のんびり翼の手入れをしている。

「いきなり搔っ攫われたと思ったら、あれに乗って戻ってきて、魔物退治の手伝いさせてるって、どういうこと?何したの?」

 続くオリファの言葉に、他の班員や、近くに集まってきていた兵士も大きく頷く。オリファは異民ではないから、あれの気配が分からない。一般兵士と同じように、引き気味に飛竜を見ていた。

「飛竜に、人を襲う意図はないよ。人間の方から攻撃しない限りは。だから、怖がらなくていい。・・・最初は無理かもしれないけど。」

 全く信用できない様子の兵士達が、疑わしそうな視線を向けてくるので、付け加える。

「飛竜はなぜか、私達に手を貸そうとしている。感覚を共有したから、これは確かだ。」

 ますます訳が分からないという顔で、兵士達が顔を見合わせる。

「感覚を共有?どういうことだ?」

「そのままの意味だ。飛竜の視覚とか、空間認識とか、感じているものを、私も同じように感じる状態になっていたから、飛竜に乗ったり、そこから飛び降りたりできた。」

「おお。」

「なるほど。」

「またいつもの暴走かと思ったけど、そういうことか。」

 納得してくれたようだが、私に対する認識には引っかかるものがある。多少の無理をすることはあるが、暴走というほどのことはしていない。

 今はもう感覚のつながりを切っているから、飛竜が今何を思っているのかは分からない。

 ただ、共有しているときに分かったことがあった。飛竜は別個体とも、意識の底でつながっている。だから、人間を襲う意図がないのも、私達に手を貸そうとしているのも、この個体だけではなく、飛竜全体の意思だということだ。

 その理由は、懐かしさと、記憶の彼方にある悲しみだった。


 問題は、指揮官達が、特に近衛隊長がこれを認めてくれるかということだ。様子を窺うと、正規軍の指揮官は困った顔をしていて、近衛隊長は何とも言えない顔をしていた。

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