ハイクエル山(1)
ローヴェルンの北西部に、ハイクエル山という鉱山がある。
昔からある鉱山なのだが、さらに奥へ、さらに深くと掘り進めた結果、地下深くに眠っていた魔物を掘り起こしてしまった。
その知らせが届いた王都では、すぐに討伐部隊を編成した。魔物は神出鬼没で、坑夫が中に入ることが出来ず、採掘作業が滞っていたのだ。
魔物が出没するのは狭く暗い坑道の中。出会った者はほとんど生還できず、どのような姿形のものかという情報も乏しかった。重要な鉱山と言うこともあり、派遣された正規軍は中隊規模になったし、探索班も半数を割いた。
結果から言えば、討伐はあっけなく終了した。
魔物の全体像は見えなかったものの、地表近くに到達した魔物が暴れた結果、坑道が崩落し、日の光が地下にいたはずの魔物に降り注いだ。すると、どういうわけか、それは鉱石と化して沈黙したのだ。崩落に巻き込まれた者もいたが、大部分の兵士は無事に生還した。しかも、新たに出現した鉱石は、今まで採れていたものより貴重なものである可能性があった。討伐隊を指揮した若き士官は、少ない犠牲で大きな成果を上げたと、一部から称賛された。
結果だけ見れば、それほど問題はないように見える。
しかしその過程は、大いに問題だった。
指揮をしたとされる士官は、配属されたばかりの新人だった。戦場の経験はなく、魔物討伐の経験も乏しい。本来なら、より上位で、経験もある近衛騎士の指示に従わなければならない。しかし、有力家門の子弟であるこの士官は、自分より家格の劣る近衛騎士の指示を無視した。準備も作戦もなく、それ以前に情報収集もせずに、部隊全員を坑道に突っ込ませたという。
崩落に巻き込まれた者が少数で済んだのも、魔物が自滅していったのも、偶然の幸運にすぎない。全滅もあり得たのだ。
私は別の討伐に行っていたから、その場を見ていない。これはハイクエル山に行った班員から聞いた報告だ。
ハイクエル山での探索班の責任者はエレナだった。彼女が提出した報告書は、なぜか差し戻された。理由は不明だ。上級隊長に尋ねても、書き直せの一点張りで何も教えてくれないが、大方想像はつく。
現地に行った十人隊長達に聞くと、止めどなく不満が口をついて出てくる。しかし彼らは、陰で不満を漏らすのがせいぜいだ。
百人隊長にも話を聞きに行ったが、口は重かった。
「養わなけりゃならん家族がいるんだ。」
苦り切った顔で最後にそう漏らしたのは、本心だろう。捨て駒のように扱われたことへの不満はあるが、それを直接ぶつけることは難しい。彼にとっては、直属の上官だ。
実態は隠されたまま、件の士官は今回の『功績』を評価され、昇進も検討されているという話が流れてきた。良い流れではない。今回のことが不問に付されるなら、今後も同じことが繰り返されるだろう。昇進されたら、手駒にされる兵の数も増え、犠牲者も格段に増える。
少ない犠牲で済んだなどと簡単に言ってくれるが、死んだ者にとってはそれが全てだ。探索班にも死者が出ている。どのような方法をとっても犠牲者は出ただろうが、端から捨て石にされるのと、損害を抑えようとした末なのとでは話が違う。
私達は、生きる為にここにいる。死に場所を求めているのではない。
「こんなものを出すな。書き直せと言ったではないか。」
再度提出した報告書を見て、上級隊長は苛立たしげにそう言った。
「討伐に参加した班員に確認しましたが、内容に間違いはありません。どこを書き直せとおっしゃるのですか?」
「全部だ。問題なく速やかに終了したと書けばいいんだ。」
「噓の報告を出すのですか?」
「嘘ではない。そう書けばいいんだ。」
この上級隊長にとって、件の士官は直属の上司ではない。にも拘らず、無茶を通そうとするのは、身分の問題だろう。あちらは貴族、こちらは平民だ。
それにしても、自分の部下を好き勝手に使われたなら、普通は抗議することを考えるものではないだろうか。
差し戻された報告書を眺め、どうしたものかと考える。
「何をしているか。とっとと戻れ。」
追い払うように手を振る上官を見て、思わず漏れそうになった溜め息をどうにかこらえる。
「隊長殿。」
「なんだ?」
「噓の報告書は提出できません。」
「なんだと?」
「報告書を提出しないわけにもいきません。如何いたしましょう。」
「これだから異境の民は!・・・良いか、お前のような下賤な半魔などには理解できない事情が色々とあるのだ!つべこべ言わずに言う通りにしろ!」
「申し訳ありません。確かに私は、この国の慣習にはまだ疎い未熟者です。故郷では、公的な書類ほど、誤りは許されませんでしたので、ついその感覚を引きずっておりました。てっきり、こちらでも同様かと。」
大きく顔を引きつらせ、口をパクパクさせている上級隊長は滅多に見られるものではないが、面白がっている余裕はこちらにもない。本当は、元の世界でも色々問題は起きていたが、そんなことを彼に教えてやる必要もない。
「隊長殿のご指示とはいえ、やはり問題にならないか心配ですので、確認してから書き直すことにいたします。」
「確認?どこへ?」
「筆頭隊長殿か副官殿へ。」
「待て待て待て!」
「失礼いたします。」
待つ気はないので、右の拳を胸の前に置く敬礼をして、さっさと退室する。
直属の上官を飛び越えてさらに上に話を持っていくことは、多分規律を乱す行為だ。が、無断ではないから、一応筋は通したこととする。そこでも同じことを言われるなら、さらに上に直談判することになるだろうか。
そう考えながら上級士官棟に向かって速足で歩いていたら、後ろから騒がしい声が追ってきた。意外にも、上級隊長が追いかけてきたようだ。
「待てと言っとるだろうが!」
「隊長殿も行かれますか?きちんと、隊長殿のご指示通りで良いか伺うつもりですが。」
「だから待てっ!」
そこからのやり取りは不毛だったが、付近を通り過ぎていく士官や兵士達には丸聞こえだった。
「それで?」
厳めしい顔をした筆頭隊長は、報告書に一通り目を通した後、問いかけてきた。
「現地に赴いた班員の報告書ですが、上級隊長殿より書き・・」
「このまま提出するのは問題ではないかとこの者が申すもので!それも尤もと思いましたが!私としましては、嘘偽りのない報告をすることこそ大事と思い!ご指示を仰ぎたく参った次第であります!」
上級隊長が割り込むように声を張り上げたので、とりあえず黙ったのだが、私のせいにされた。ジト目で見る私のことは無視して、緊張感を全身にみなぎらせて直立不動の姿勢で立っている。
筆頭隊長と顔を合わせたことは数えるほどしかないし、直接話をしたことはないが、実直な人だという話は聞いている。上級隊長は、筆頭隊長から咎められる事をしていると、自覚しているわけだ。
「報告とは当然そのようであるべきだ。」
「で、ですが!なにぶん、経験の浅い異境の民の申す事!内容に誤りがあるやもしれません!」
筆頭隊長は、上級隊長を少しの間見た後、私に視線を移した。
「どうなのだ?」
「副班長始め、今回派遣された班員全員から聞き取りをしております。勘違いも誤りもありません。」
「し、しかし、既になされている報告とは、異なるようでありまして・・・」
厳めしい筆頭隊長はまた上級隊長をじっと眺めた。その視線に幾分呆れの感情が混ざっていたのは、私の勘違いではないと思う。
「確かに内容は異なるが、これは受理する。判断をなさるのは、連隊長殿だ。」
筆頭隊長が話の分かる人で良かった。心なしか青い顔をしている上級隊長は放置して部屋を辞し、士官棟の出入り口へ向かっていた時、件の士官が歩いてくるところに出くわした。一度も会ったことはないのに、なぜ分かったかというと、完全に浮いて見えたからだった。他の士官は、誰もが軍人らしい張り詰めた空気を纏っているが、この士官は、綺羅綺羅しい外見と緊張感のない雰囲気で、貴公子然としていた。
廊下の端に寄って敬礼をしながら待っていると、優雅な足取りで目の前を通り過ぎてゆく。淡い金髪と赤みがかった琥珀色の瞳の貴公子は、数歩通り過ぎたところで立ち止まり、ゆっくり振り返った。
「君、異境の民かい?」
さっと目を走らせるようにした後、柔らかな声音で話しかけてきた。兵装をした女は探索班しかいないのだから、その問いは一応の確認だ。
「はっ。」
「ここに来ているということは、君が班長?」
「はい。」
「ふうん。」
今度はしげしげと眺めた後、細長い指を顎に充てて、微笑んだ。すっきりとした鼻梁に涼やかな目元、均整の取れた体躯。外見も仕草も、実に優美だ。
「君が、近衛隊長のね・・・」
そう言って、含みのある笑みを深めた。
闘わなければならないのは、魔物だけではないようです。




