オリファ(1)
薄明の空に、青灰色の雲がかかる。雲間が徐々に明るくなるにつれ、世界が色を取り戻していく。
傍らには、廃墟同然となった妓館。見上げれば、青い月がかろうじてその淡い姿を保ち、足元には、小さな骸が転がっている。汚れてしまった赤毛を眺めながら、静寂の中、オリファは佇んでいた。
ローヴェルン東部のこの町に、魔物の目撃情報が寄せられたのは、十日前だった。今までなら、町の守備隊が対応し、手に負えなければ王都へ討伐要請を行っていたが、最近、王都の正規軍に、魔物の探索部隊ができたというので、今回は始めから、王都へ正規軍派遣要請をしていた。
まとまった数の兵士が来るなら、妓館としては臨時収入の好機だ。主人も女将も、数日前から張り切っていた。
「リィヤ。まだ?」
「え、えと・・・こっちだったかも。」
長い黒髪を梳きながら、鏡の前で、オリファは溜め息をついた。
リィヤという名の赤毛の少女は、半年くらい前に、女将から押しつけられた。どこから仕入れてきたかは知らないが、色々と教育してやるように言われた。
ところが、この子ときたら、鈍臭いし、覚えは悪いし、お使いにやればお釣りをちょろまかされるし、本当に手がかかるのだ。今も、髪を整えるのを手伝わせようとしただけなのに、昨日まであったはずの髪飾りをどこにやったのか忘れて、部屋の中をひっくり返している。
「もういいわ。別のにするから。ちゃんと片付けておきなよ。」
「は~い。」
そう言ってちょこまかと近づいてくるリィヤを見て、また溜め息をついた。
「あんた、どこに顔を突っ込んでいたのよ。」
癖の強い赤毛についた埃を取ってやると、嬉しそうに、エヘヘ、と笑っている。叱られようとけなされようと、この子はずっとこんな感じで笑っている。全く響いている様子がない。
(調子狂うわね、全く)
一事が万事、この調子だ。独りの方が、色々と早くできる。
わざと崩した形に髪を結い、白粉をはたき、紅をさすのを、リィヤは期待を込めた目でじっと眺めている。
「姐さん、姐さん。リィヤも、それやっていい?」
「だ~め。」
「姐さん、いいな。美味しいもの、食べに行くんでしょ?」
「はあ?」
この子は、ここの仕事をまだ理解していないようだ。きれいに着飾って、美味しいものを食べることだと思っている。一度、ちょっとした土産にお菓子を持って帰ったことがある。それで味を占めたのか、時々おねだりをするようにもなっていた。
「いいな。リィヤも行きたいな。」
「あんたは、ここを片付けて、さっさと寝てなさい。」
そうしてオリファは部屋を出た。
数人で馬車に乗り込み、町の外に敷かれた陣地に向かう。別に妓館で待っていても良いのだが、町の守備隊長に、何人か寄越せと言われたらしい。
日は傾いて大気は黄色味を帯びていたが、陣地に着いた頃は、まだ明るかった。
「お~、来たな。」
顔なじみの、町の守備隊長がいた。
「準備でき次第行くとか言ってるんだけどな、いつになるか分からんし、ま、稼いで行けよ。後で討伐隊の隊長んとこ連れて行くから、それまで適当にしとけ。ああ、けど、ここの連中、自前で若い女連れて来てたぞ。」
妓館の主人が、それは大変だと発破をかけてきて、女たちは肩をすくめた。鼻の下を伸ばしている兵士たちに声をかけ、その中に紛れていく。
適当にぶらつきながら陣地の様子を眺めていたオリファの視界の端に、赤毛が飛び込んできた。
慌てて振り返って見たが、さすがに違った。まず、年齢が全く違う。こっちは十代半ばといったところだ。髪の毛の癖も強くないし、色味も少し違うし、あの子より利口そうだ。
なぜか矢筒のようなものを腕いっぱいに抱えて、兵士のような恰好をしている。あれが、守備隊長の言っていた、自前の若い女、だろうか。どう見ても、同業者には見えないのだけれど。
そう思いながら眺めていたら、荷物を一つ落っことした。拾うに拾えず、困っているようなので、仕方なく、近づいて拾ってやった。
「ありがとうございます。」
そう言って受け取ろうとして、さらにもう一つ落とした。少しドジなところは、似ているかもしれない。
「いいよ。手伝うよ。それも貸して。」
もう一つ荷物を取ると、並んで歩きだした。
「あの、すみません。」
「いいよ。別に。急いでもないし。」
「あの、町の人ですか?」
「うん、まあね。あんたは?なんで兵隊に混じって荷運びなんてしてるの?」
「これは、じきに使うので・・・レイナ!」
歩いていく先に、黒髪の少女がいた。こちらの方が、少し年上の感じだ。肩の先まである、緩やかな癖のある黒髪を一つにまとめて、やはり兵士の格好をしている。赤毛の少女に比べるとあっさりしているが、顔立ちはまあまあ整っていて、少し気が強そうだった。
黒髪の少女は、少し怪訝な顔で荷物を受け取ると、
「ええと、ありがとうございました。あの、どちら様ですか?」
と、妙に丁寧な言い方をした。兵士というより、商家の使用人のようだ。
「どちら様ってほどの者じゃないよ。あたしは、妓館から来たんだ。」
「・・・・・・はあ。」
なんとも間の抜けた反応をされた。
「ここは、魔物討伐の部隊の陣地ですが。」
「知ってるよ。」
「討伐は、これからなんですが。」
「いつ始まるか決まってないんだろ?」
「それは、すぐ始まってもおかしくないってことなんだけど。魔物次第だから。そこの森に複数いるし。」
二人とも、少し困惑した顔をしていた。
「あんたたちって、兵士なの?」
「そうですが。」
「へえ。」
少し興味がわいた。
女の兵士なんて初めて見た。普通なら、考えつきもしない。育ちは悪くなさそうだけれど、大方、食い詰めて身売りしたんだろう。その先が軍隊という発想が珍しいし、軍の方もよく入隊させたものだ。傭兵ならたまに見かけるが。
「なんで兵士になんかなったのさ。力仕事が多くて、大変だろ?」
「色々あって。」
黒髪の少女は、天幕の横に立てかけられた弓の近くに、荷物を置きながら、簡単な答えをよこした。赤毛の少女は、複雑な表情で黙っている。
オリファは、近くにあった丸太の上に腰を下ろして、頬杖を突きながら二人を眺めた。
「あんたたち、外国の人間だろ?よく入隊を許されたね。」
「まあ・・・。」
「どこから来たの?」
「・・・遠すぎて、誰も知らないところ。」
「二人で?」
黒髪の少女は、答えあぐねているようだった。あまり触れて欲しくないと思っているのは確かだ。
オリファも世界を詳しく知っているわけではないが、近隣の国の名前くらいは聞いたことがあるし、旅が簡単なものではないことも、客から聞いて知っている。二人がこの国の人間でないことは、見ていれば分かるが、誰も知らないほど遠いところから、少女だけでやって来るのは、容易ではない。
考えられるのは、一つだけだ。
「・・・人さらいにでもあった?」
「・・・似たようなものかも。」
「ふうん。それで兵士にねえ。よく分からないね。普通は、奴隷になったり、裏町か色街に売られるんだけど。」
黒髪の少女は、一層複雑な表情になった。
「そうなる可能性も、確かにあった。」
「でも兵士になったんだ?あんたたちなら、色街でもそこそこ稼げたかもしれないのに。」
少女たちの顔が強張った。
暮れゆく陽が西の空で黄金に輝き、長い光の手を伸ばすとともに、影を濃くする。それが、少女たちの顔に余計に影を差すようだった。
黒髪の少女が、誰にともなく、呟く。
「・・・・魂を殺されたら、死んだも同じ。」
深刻そうな顔をしているから何も言わなかったが、この娘の考えでは、そうなるようだ。物心ついた頃から妓館にいるオリファには、よく分からない。親も、庇護者もいない貧しい少女の行く末など、大体は決まっているのだ。よほど運に恵まれない限り、選ぶ余地などない。
この少女たちは、やはりそれなりに育ちが良いのだ。人さらいになど遭わなければ、今頃故郷で安泰な生活を送っていたのだろう。
「あ、ごめん。」
何かに気づいたように、黒髪の少女がオリファに顔を向けたが、何について謝られたのかは、よく分からなかった。とりあえず、手を振っておく。
日はもう地平線を赤く染め上げ、その光量を急速に落としていくところだった。
「火、おこさなくていいの?」
陣地の中では、もう火の用意がされ始めている。暗くなってからでは、火を焚くことはできない。二人の少女も、オリファに言われて慌てて用意をし始めた。
(下手だね。)
初めてではないようだが、手際が悪い。特に赤毛の少女の手元はおぼつかない。オリファも最近はやっていないが、子どもの頃はずっと炊事の手伝いをしていたから、この二人よりはずっと慣れていた。というより、この年で火も碌につけられないというのは、一体どういう育ち方をしたのだろう。
ようやくついた火を眺めながら、赤毛の少女が呟いた。
「夜は、動いてほしくないね。」
黒髪の少女が空を見上げる。
「暗いと、よく見えないからね。森には入れないし。」
魔物のことを言っているのだろうという察しはついた。初めて目撃されたのは昼間だったが、その後、夜陰に紛れて町の周辺の畑が荒らされたり、農家が襲われたりしている。こちらとしても、ぜひとも今夜は大人しくしていて欲しいところだ。でないと、仕事にならない。
「今は、月が一つだからね。余計に暗いんだよ。」
二人の少女が怪訝な顔をする。
「月が、一つ?」
「そうだよ。今は月が別々に昇る時期だから。空は見ないのかい?」
少女たちは顔を見合わせている。
「随分月が暗いとは思ったけれど。」
「別々に昇るって、どういうこと?いくつもあるみたいね。」
今度はオリファが沈黙した。
話がかみ合わない。何を当たり前のことを言っているのだろう。一体どこの国から来たら、月が二つあることを知らないというのだろう。
そこまで考えて、ふと、一つの可能性に思い至った。
「もしかしてなんだけど、あんたたち、異境の民、だったりする?」
間違っていたらきっと怒るだろうから、できるだけ遠回しに聞いたつもりだったが、少女たちは押し黙った。つまり、肯定だ。
それで、色々腑に落ちた。誰も知らない遠いところからやってきた、月のことも知らない女兵士。
オリファは異境の民を見たことがない。彼らは、神殿に閉じ込められると聞いていた。
ふと、おかしくなって、思わず笑い出してしまった。
異境の民は異形の民だと、誰が言い出したのだろう。異境の民が魔物探索を行うという話は聞いていた。魔物と同類だから、魔物を探すことができるのだと、誰かが言っていたのだ。これが異形なら、ずいぶん可愛らしい異形だ。
気付くと、二人の少女が、憮然とした顔をしていた。
「ごめん、ごめん。あんたたちを笑ったんじゃないよ。噂なんて、あてにならないと思っただけだよ。」
「噂?」
「くだらない噂だよ。気にしないで。」
少女たちは怪訝な顔をしながら、また顔を見合わせた。




