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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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変化(2)

 ぞっとした。

 班長達が、若干上ずった声で、

「ひるむな!」

と怒鳴っていたが、兵士達は確実に怖気づいてしまったように見えた。

 枝にしがみつき、振り落とされ、逃げ回る。

 諦めずに枝を切り落とそうとする兵士も残ってはいたが、中心に近づこうとする者はいなかった。


 そこへ、石礫が投げつけられる。

 ナイアラの投石だ。全て枝に跳ね返されてしまったが、諦めずにまた投げる。運悪く枝にしがみついた兵士がいると当たってしまうのだが、彼女がどこを狙っているのかは、私には見当がついた。

 洞が開いたとき、その直上に、歪みが発生したのだ。洞が閉じて、正確な場所は分からなくなってしまったが、大体あのあたり、というところに向かって、ナイアラは投石を続けていた。

 近くにいたエレナと目が合う。エレナも、ナイアラの意図に気づいたように、頷いた。

 深呼吸を一つして、走り出す。正確な投石ができるのは、ナイアラだけだ。他の人間は、近づかなければ攻撃できない。最初の枝をよけ、次の枝もよけ、次の枝に跳ね飛ばされる。とっさに受け身を取り、その勢いのまま跳ね起きて走り出す。授業で少し教わっただけだから、正しくできているか分からないし、痛いことは痛いけれど、やらないよりは多分マシだ。

 枝の下を潜り抜け、飛び越えて、また別の枝に飛ばされる。跳ね起きて、中心に向かって走る。何も考えず、隙間を縫うように。

 次第に、自分の体が自分のものではないような感覚に陥る。視界が狭く、周囲の音が小さくなり、そして、いきなり体を引き倒された。エレナが隣で地面に伏していて、すぐ傍を、太い枝が勢いよく通り過ぎた。目の前に集中するあまり、周りが見えなくなっていたようだ。

 呼吸を整え、また走り出す。枝の間を搔い潜り、飛び越えて、落ち葉で滑って転ぶ。

「レイナ!」

 上からエレナの声が降ってきて、すぐ近くに戦闘斧が落ちてきた。エレナが落としてくれたのか、危ないと注意してくれたのかは分からなかった。上を見て確認する余裕もない。地面を転がりながらそれを拾い、もう少し先の場所へ放り投げる。あともう少し。

 再び走り出し、枝をよけながら戦闘斧を拾い上げると、また軋むような音が聞こえてきた。


―――開け!


 そうすれば、場所が分かる。洞がぽっかりと口を開け、根本の土も崩れていく。同時に、洞の上の歪みが、また見えてくる。その場所に向けて、戦闘斧を投げつける。別に刺さらなくてもいい。とにかく当たってくれればいい。


―――当たれ!


 円を描くように宙を飛んで行った斧が、歪みを抉って落ちた。足元が跳ね上がり、体が洞に向かって飛んでいきそうになる。咄嗟に剣を地面に突き刺してしがみついていると、魔物の動きが止まり、地の底から響くような吼え声が聞こえた。その隙に、幹から少し距離を取ろうとしたところで、体がふわりと宙に浮いた。

 枝に引っ掛けられた、と気付いた時には高い位置まで引き上げられていて、勢いよく振り払われた。


―――たたきつけられる!

 

 この高さと勢いでは、まず無事にはすまない。思わず目をつぶり、身構えた。しかし、何かに引っかかって急速に勢いが削がれ、覚悟した衝撃は来なかった。


「目をつむるな。」


 すぐ傍で、低い声がする。副長の声のようだ。


「敵から目をそらすな。」


 副長に抱え込まれたような態勢になっていることに気づき、慌てて立ち上がる。

 まだ立てる。剣も手放してはいない。深呼吸をして、魔物を見据える。


 『目標から目を離すな。』

 以前にも、どこかで言われたことがある。状況は、全く違うけれども。


 魔物の変化は明らかだった。洞は開いたまま、斧が刺さった歪みには、緑の靄が淀んでいる。響き続けている吼え声は、痛みを訴えているようにも聞こえた。

「全員で枝を抑えろ!同時に切り付けろ!」

 言いながら、副長は長剣を槍に持ち換え、騎士達が道を作るように走り出した。兵士も異民も近くの枝にしがみついて武器を振り上げる。

「切り刻め!」

 その言葉を合図に、一斉に剣やナイフを突き立て、斧を打ち込んだ。あらゆる箇所への攻撃に、魔物の動きが緩む。


 その瞬間、副長が動いた。妨害をかわし、はねのけて走り抜けていく様は、素人目にも鮮やかだった。明らかに他の兵士達とは、身のこなしが違う。そして、副長の手から飛び出した槍は、吸い込まれるように歪みに到達し、深々と刺さった。

 歪みから淀んだ緑の靄が噴き出してくる。枝が勢いよく開かれ、ゆっくりと地に落ち、幹も枝も萎びていき、やがて動かなくなった。


 歓声が上がる。立ち上がっている者はわずかで、地面に伏せたまま、腕だけ挙げている者もいる。

「終わった・・・」

 そう実感すると同時に、膝が崩れ、地面に座り込んでしまった。今になって冷や汗が吹き出してきた。心臓が早鐘のように鳴っていて、息が苦しい。良く今まで走り回れたものだと、自分でも呆れる。エレナの姿を探すと、大分離れたところではあるが、座り込んで肩で息をついているのが見えた。怪我はしているかもしれないが、無事のようだ。


 今回は、治療が必要な兵士の方が多く、救護班が野営地から呼び寄せられた。応急手当が行われ、少しでも動ける兵士が、動けなくなった兵士を運んでいく。

「レイナ、大丈夫?」

 携帯用の薬壺と包帯の束を抱えて、重症の兵士の間を動き回っていたニキが、声をかけてきた。

「どうにか。」

 ようやく呼吸が落ち着き、動けるようになってきたので、立ち上がろうとすると、膝が笑ったようになってしまって、上手く立てなかった。

「待って。右腕、怪我してるわ。手当てするから。」

 首を回して見てみると、右腕の後ろのところが切れている。感覚が麻痺しているのか、あまり痛みを感じなくて、気がつかなかった。周りに擦れたような痕があるから、地面を転げたときに、そこにあった石で切ったのかもしれない。やはり、付け焼刃の受け身ではダメだったということか。




 野営地に戻って数日は、救護班が治療に忙殺されていた。他の兵士達は回復に努め、私達は、動けるようになったら、ニキ達を手伝った。

 数日後、討伐の終了と、帰投命令が全体に伝えられた。


―――生き延びた。


 私達も、元の場所へ、神殿に戻されると言われた。全員ではないけれど、ここで命を落としてしまった仲間達もいるけれど、私達は乗り切った。自分の命を、つなぐことができた。安堵の溜め息が漏れ、肩の力が抜ける。

 ならば、この剣は返さなければならない。当初は日中だけ借りていたのだが、最近はずっと借りたままになっていた。これのおかげで命をつないだようなものだ。きれいにして返そう。その都度、刀身の汚れは拭き取っていたけれど、きちんと磨いたことはないし、鞘も汚れている。手入れの仕方は良く知らないし、研ぐことはできないけれど、せめてしっかり洗おう。道具は大事にしろ、と剣道をしていた祖父に言われたことがある。

 刀身と柄をきれいに洗い、乾いた布で良く拭き取り、ついでに鞘の汚れも落としてよく磨いていく。右腕が痛いので、片手で持つのは少ししんどい。怪我をしたときは痛みがなかったのだが、しばらくしてから傷が熱を持ってきて痛くなった。ニキが、痛みと炎症を和らげる薬草を塗ってくれているので、落ち着いてきてはいるが。

「これでよし。」

 両手で剣を持ち、副長の天幕へと向かった。


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