追放の女主人 4
それから数日間、サラの後ろをついて回ることで家の中で行われていた炊事、洗濯、掃除を一通り見て大体覚えることができた。実践できるかどうかは別として。
そう、実践がなかなか難しい。
サラは「何もやって来なかったわりに覚えるのが早い」と驚いていたがそれはそうだろう。何しろ義務教育を受けているのだから。
この世界にきて再々確認されるありがたみである。
掃除は小中高と一日の時間割に組み込まれていたし、料理も授業内で行う。洗濯に関しても服ではなく上履きだったが、少なくとも半年に一回は持ち帰って洗っていた。
つまり一度は経験しているのだからできないわけがない。
しかし異世界の壁、というより時代の壁は厚かったようで、文明の利器に慣れきっていた前世の経験値はたいして役に立たなかった。
特に洗濯は想像していた風景とは大きく違っていた。
歴史の教科書で見た洗濯板を使うのかと思っていたのだが、桶を大きくしたような手動の洗濯機みたいな装置で洗濯していたのには驚いた。
ただ水を切る作業は変わらず手作業のため絞っただけで脱水ができているはずもなく、水分を含んで重い服を干すのもまた一苦労であった。
「回数を重ねれば自然となれてできるようになります。」
とサラは言っていたが、難なく家事をこなす自分というのが想像できない。
前途多難である。
それから家事の合間にこの世界について少しずつ勉強を始めた。
史学、地理学、経済学、それから文学。
経済学と大仰に言ったが、都市などに行くと貨幣で物を購入するといった基本的なことを中心に教えられた。
しかし前世の知識だけではどうにもならないものもあった。
貨幣の種類だ。
日本では国内で使えるお金は基本的に日本のものだけだった。しかしこちらの世界では様々な国の通貨が市場に入り乱れているらしく、信用によってその時使える貨幣も変わってくるのだとか。
イメージとしては為替ドルのようなもので、1ドル100円というのが日々移り変わっていて、なおかつ「買い物は円でもドルでもユーロでもいいけど今は円の信用が高いから円で払ってね」みたいなことが普通に起きているらしい。
なんじゃそりゃ。
7歳の頭脳にもわかりやすい説明をしてほしい。
混乱して目を回していると、
「わかっていれば騙されにくいというだけで、基本的にここまで気にする必要があるのは商人だけですよ」
と苦笑い気味にサラが教えてくれた。
それから貨幣の種類も教えてもらう。ユーサ貨幣、ジャプ貨幣、ゲルマーニュ貨幣、シンア貨幣……とここまで来たところでギブアップ。貨幣についてはそのうち覚えられるとサラは言うが無理だろう。
これから旅に出たとしても商人にだけはなるまいと固く決意した。
そして史学と地理学、はひとまず置いてとにかく先に文学だ。
おそらく、経済学は早々に匙を投げるだろうと予測してさわりだけ紹介したに違いない。間違ってはいないが釈然としない。それはともかく。
この世界の文字は一切わからない。
今こうしてサラと普通に会話できているのは、単純にこの7年で言葉を覚えたからに他ならない。辻褄は全然合わないけどなんか読める、みたいなことがあってもいいと思うのだが、そううまくはいかないようだ。
しかし覚えてさえしまえば本が読めるようになる。
娯楽の少ないこの世界で、それは自分をやる気にさせるだけの魅力があった。
日ごろから純文学と呼ばれる本を読んでいたわけではないが、物語を知るというのは昔から好きだった。ゆえに家のすみにある本棚にはずっと興味を抱いていた。
問題は自分が英語を徹底して嫌っていたことだ。
つまり英語っぽい文体だった場合、心が折れる可能性がある。
……いや!大丈夫!それよりも本が読みたいはずだ!こんなところで足踏みをしては……だが、ここで躓くと……。
「何をそんなに恐れているのですか?さっさと先に進みますよ」
と迷い続ける自分を無視してさっさと教科書代わりの本を開く。
「まずは私が読み上げるのを目で追ってください」
そう言ってサラが読み始めてしまった。
慌てて文章に目を通し文字を追いかけながら文法を探る。
サラもこちらが文字を学び始めることに躊躇してしまうことをわかっていたのだろうか。
すぐそばで文字を読み上げる彼女の声が、何だか得意げに聞こえた。
その日から実際の会話の練習も日常生活の中で始められることになる。
例えばこんなことがあった。
サラがこちらを見て聞きなれない言葉を3回か4回繰り返し、最後に手招きしながら「こっちに来なさい」と呼ぶので何事かと思い近づくと振り払われた。
訳も分からず彼女から離れると、また同じように何かを3回か4回繰り返して言い、それからこっちに来いという。
それを何度か繰り返しようやく、「こっちに来い」を別の言語で言ってから、聞きなれた言葉に戻しているのだと気づいた。
要するに異世界版スピードラーニングが行われていた。
わかりづらいと抗議すると「日常会話で覚えていきなさい。それが一番早いと思います」とのこと。
考えてくれているようで嬉しいのだが、こちらが気づかなくて作業が進まない場合でも怒らないでほしいと切に願った。
それともう一つ。
だいぶ後になって知ったのだが、たびたび行われたこの異世界ラーニング(仮)は、複数の言語で言った後に普段会話で使っている言葉を使っていたらしく、聞き取れるようになるころには複数の言語を聞き分けられるようになっていた。
そりゃあ難しいはずだ。
なかなか覚えられなくて心が折れかけたことがあったので、サラを問い詰めたところ「その方が便利じゃないですか」と悪気なく返されるという珍事が起きることになる。
そういった経緯で多言語の日常会話の習得に成功し、晴れてマルチリンガルとなった。前世では長年勉強したにもかかわらず、英語すら話せなかったことを考えると大躍進である。
しかし大きな成果の裏で、サラの無自覚なスパルタによる心的ダメージで失った自信を取り戻すのに多大な時間を要することになるのだが、それはまた別のお話。
次回は新キャラが出ます。まぁちらほらと存在が仄めかされていましたが。
彼?彼女?
どちらかわかりませんがどんな活躍が……え、そんなことより早く次の投稿しろ?
すみません……