追放の女主人 2
部屋を出ていったサラが隣の部屋で料理をしている。
姿はこの部屋からは見えない。けれど、鼻歌を口ずさみそうになる程度には浮かれている、というのは何となく伝わってきた。
そういえば寝室があったことを初めて知った。
ごはんを取りに来ていた時には気づかなかったが、他に部屋はあるのだろうか。
その程度の疑問が浮かぶくらいには落ち着きを取り戻していた。
なんだろう。これまで徹底してと言いたくなるほど突き放した態度をとられていたせいで、ちょっと優しくされるだけで感動してしまう。
ヤンキーに優しくされるとすごい性格いい人に見えるみたいな。そんな感覚。
個人的にはあれ、せこいと思うのだが。
そういった風に、むしろ何か裏があるのではと勘繰りたくなるほどの変貌ぶりだが、おそらくその必要はない。
今までの冷たい態度に嘘はない。見ればわかる。
あれは心の底からこちらに興味がない目をしていた。
あの視線はとても既視感がある。
なぜならクラスの女子がこちらに向ける視線が常にそういう類のもので、それが怖くて印象深かったから。
そしてその逆もまたしかりで、今日のサラの笑顔は間違いなく本来の彼女のものだった。
ので、余計に戸惑った。
いままで拾った側拾われた側、食事を与える側与えられる側。
それ以上の関係はなかった。
なのでお互いに愛着も何もない関係だった、はずなのだ。
急に愛着が生まれた?
あり得るかもしれないが、なんで?井戸に落ちたから?
間抜けすぎて保護欲を掻き立てたとか?
それにしてはあの表情には違和感がある。
つい先日親しみを覚えた相手に、あの笑みを向けられるものなのか?
そうでなければ昔から愛情を向けられていた?
それこそあり得ない。
欠けらも興味を抱かないが愛情を持っていた?
どんな状態だそれは。
愛情はあったがそれを知られないように隠していた?
そんなこと必要がないだろう。
全部違うな。
どれか一つでも当たっていたら本人の正気を疑う。
これ以上考えても意味はない。そう結論付けておとなしくサラの料理を待つことにした。
そう料理を……
……
……
え、まって。手料理?
きれいな女の人に手料理を作ってもらっている。この状況ってなんていうか……こう……すごくないか!?
しかも体調が回復しきっていない自分のために作っているときた。
つまりこれは看病イベント!?
漫画やゲームでは定番でありながら男子の9割以上、いや10割が経験することができない貴重な体験。
こんな体験をする者が1割でもいてたまるか。故に10割。
扱いがあれだったから意識することなどありえなかったが、サラは間違いなく美女!
もしかして井戸に落ちて正解だったんじゃないの?
「何馬鹿なこと考えてるんですか。」
そう言って料理を持ったサラが部屋に入ってきていた。
相変わらずドアの開閉音が全く聞こえない。というか今、
「心を読んだ!?」
「読んでいません。けれどあなたの顔を見ればそれくらいわかります。どうせこの状況を井戸に落ちたことで生まれた幸運だとでも思っているのでしょう」
すげぇ……。なにその洞察力。
「くだらないことを考えていないで早く食べてください」
少し顔を赤くしながらこちらの目の前にスープを突き出す。
その表情はどっちだ?怒りか?それとも興奮か?
うーん。どちらかというと……
「冷静になるとさっきの行動が恥ずかしくなった、かなぁ」
と声に出してしまった。
途端にサラの顔が真っ赤になった。
「な、な……!」
サラの体が羞恥でプルプルと震え、うまく言葉を紡げていなくなっていた。思わず「やっべ……」とつぶやくと彼女の目がギロリとこちらを見据えた。
「忘れ……!じゃない!早く食べなさい!」
顔を赤くしたままスプーンを掴むと、中身をすくってこちらの口に突っ込んだ。
「んぐっ!?」
「まったく……。よくわからないところで鋭くならなくていいんです」
目をそらしぶつぶつと文句を言いながら、口から引き抜いたスプーンでもう一度スープをすくう。
そしてもう一度、今度はゆっくり
「はい、あーん」
と言いながらスープを差し出す。
そして、動きが固まった。
こちらにも「あーん」の文化はあるのか、などと考えていた自分は気づくのが少し遅れた。
彼女が赤くなった顔を明後日の方向に向けている。
自然にやっていて自分の行動に気づかなかったのだろう。
ついでにこの世界にも「あーん」文化があることが確定した。
今度のは完全に自爆なので非難されるいわれはない。
気にすることなく彼女の手からスープを食べる。
サラは大きくため息をつくと諦めたようにスプーンを差し出し続けた。
空になった器を片付けて戻ってきたサラはいつもの調子を取り戻していた。
いや、よく見ると耳が赤いままだったが気づかなかったことにしよう。
今度はベッドではなく、どこからか持ってきた椅子にこちらと向き合う形で腰かける。
ベッドの上で体を起こしている自分をじっと観察したかと思えば、ふぅ……と息を吐いた。
「ひとまず食欲もあるようですし、体の不調もなさそうで安心しました。ですが数日、最低でも明日まではおとなしくそこで過ごしなさい。いいですね?」
口調は相変わらずだが、やはり纏う空気が柔らかい。
以前とは別人のようだ。
「でも、小屋の中を整備しないと……」
「いいですね?」
瞳孔が開ききった目で睨まれ小さな反論は踏みつぶされた。
前言撤回。間違いなく同一人物だ。
しぶしぶ「はい……」と応じると、サラはあからさまにため息をついた。
「わかりました。あなたが寝ている間は私が整備しておきましょう。それなら問題ないでしょう。」
やれやれといった様子で出された条件でようやく素直に頷くことができた。
それだけ小屋の管理が大変なのだ。
小屋の中は簡単に砂が入ってくるため、木の実が砂だらけになっていたりゴミと間違えてパサパサが食べてしまったりすることがある。なので毎日掃除を欠かすことができない。
それに加えて、寝床にしている穴に砂がたまってしまうと寝起きに口の中に入ってくる砂の量が比較にならないほど多くなる。戻った時には手遅れでしたという状況を考えるとおちおち寝てもいられないのだ。
寝ている間の一番の心配事が片付くことを知ると、遠慮なくベッドに体を預けた。
懸念が消えたことにより「ところで話は変わりますが、」と前置きをした彼女への警戒を一切していなかった。
「私とした約束を破ったこと、覚えていますか?」
がばりと勢いよく体を起こす。
だらだらと汗を流しながら彼女のほうへ顔を向けるとサラと目が合った。
……目を合わせたことを後悔した。
恐ろしいほど完璧な笑顔だった。まったく笑っていない目を除けば。
美人の笑顔は人を殺す力がある。それを新たに学ぶことができたが、授業料があまりに高そうで考えるのも恐ろしい。
しかし井戸に落ちた状況でどうしようもなかったのは事実。何とか言い逃れをするすべを考える。
「私はあなたに言いましたね?昼食を自分で用意して食べなさいと」
「いや、あのそれは……」
「言いましたね?」
「……はい。」
だめだ圧が強すぎる。言葉をはさむ余地がない。
「井戸の中に魚はいましたか?」
言われて思わずぎょっとする。
確かに魚を求めて井戸に落ちたが、そこまでわかっていたのか。末恐ろしい。
ということはあの井戸に魚がいないことを知った上での質問なのだろう。
何とも性格の悪い……。
瞬間、睨まれる。
……まるで勝てる気がしない。おとなしく白状する。
「いませんでした。」
「では昼食を食べなさいという言いつけは無視したと。」
「え゛……!?」
そんな馬鹿な!?
「では夜に食事を取りに来なさいと言いました。来ましたか?」
「……行ってません」
「ではそのあと私が小屋まで声をかけに行きました。返事すらありませんでした。違いますか?」
「……違いません」
あ、もうこれわかった。死刑宣告だ。理不尽と思うことすら許されない。
こんな裁判官がいたら弁護士も裸足で逃げ出すに違いない。
「これほど約束を反故にされたのは初めてです。これはあなたが泣いて許しを請うほどの罰を与えなければなりません」
泣いて許しを請うのがわかってるならやめてほしいんだけど!
いや、もう無理だな。今日だけでもサラの頑固さを思い知った。せめて長く苦しまないものであってくれ。
そう願い始めた自分に、彼女はその罰を言い放った。
「これからはこの家で私と一緒に生活しなさい。」
スキルもアイテムボックスも旅も出てこないので、そろそろあらすじ詐欺で訴えられるんじゃないかとびくびくしています。
まあ許してもらえると……え、だめ?そうですか……。