〈閑話〉白く染まることもなく 2
「それで結局、あなたは何をしていたんですか?」
暖炉の火から目を離して振り向くと、木製の器を手にしたサラが近づいて来ていた。同じものがテーブルに並べられていることを踏まえれば、たった今手渡されたものが朝食であると推測できる。
器を覗き込むとクリーム色の液体の中に、野菜らしき大小様々な物体が浮かんでいた。この色味は獣の乳だろうか。これまた手渡されたスプーンで謎の液体をかき混ぜてみると、とろみの中から僅かに甘い香りが漂ってくる。これは、中々に珍しい。
自身の料理当番が徐々に増えてきているとはいえ、こちらに来てからの食事のほとんどはサラによって作られていた。しかし甘味の類が出てきた回数はそう多くない、と言うより数えるほどしか無かったはずだ。しかもそれが朝食となると、自然と味への期待感が上がっていく。
ただ気になるのは、わざわざ暖炉の前に座っているこちらの方まで持ってきたことだ。まあ理由への心当たりは十二分にあるわけだが、一応聞いておくことにしよう。
「なんで自分のところまで持って来たの?テーブルまで移動する手間が生まれない?」
すでに腰を下ろし音もなく食事を開始していたサラは、視線だけを向けながら然もくだらなさそうに応える。
「わかり切った質問に答える義理はありません。あなたが今どこにいるかを考えれば、そのような戯言が出てくるはずもないのですから」
予想通りの返答でやはりと言うか、なんというか。心当りは間違っていなかったようだ。
そもそも何故自分がここに座らされているのかと言えば、痛みを感じるほどの寒さの早朝に、室外で泥まみれになって佇んでいたからである。
……改めて思い返すと一体何をしていたのだろうか。冷静に考えれば愚かしいことこの上ないが、あの時は気になってしまったのだから仕方がない。
ともかく無自覚に凍えていた自分は、サラに発見されたことで家に引きずりこまれることになる。
それから汚れた靴と服をはぎ取り素早く身体を確認したサラは、いつの間にか用意していた大樽をお湯で満たし、中に自分を放り込んだ。
目まぐるしく変わる己の状態に混乱していたが、胸まで張られた少しぬるい湯に浸かっているうちに自然と落ち着いていった。冷たく強張っていた指先が緩やかに解けていく。
「良いというまで大人しくしていなさい。」
静かに告げられた言葉は確実な冷気をもって体を硬直させた。
暖かいお湯など何の足しにもならない状況もあり得るのだと悟った。この瞬間に最も寒さを感じていたのだから。
素早く首を縦に振ると、小さなため息を残してサラはその場を離れる。
お湯から出たあとは身体を拭いて、清潔な服に着替えて、火の前に座らされた。
そして今に至る。
こうして整理すれば何が戯言だったかというのは実にわかりやすい。
「つまり、まだ身体を温める必要があるってことでしょ?流石にもう大丈夫だと思うよ?ほら、手も動く。」
サラに向けて手を軽く動かして見せたのだが、今回は視線を寄越すことさえしなかった。
「それは、あなたが決めることではありません。」
ぴしゃりと言い放ったサラは、朝食を終えるまで一言も発することはなかった。
***
「まだ質問に答えてもらっていませんでした。あなたは外で何をしていたんですか?」
朝食を終えてやっと暖炉の前から解放されたものの、今度は椅子に座らされていた。
先ほどと同じ内容で会話を切り出したのは、テーブルを挟んで相対するサラだ。先ほどまでと違いがあるとすれば表情だろうか。何しろ正面から視線を受けても背筋が震えることがない。
「私としては詰問という形をとっても構いませんが。」
「いえ、大丈夫です。」
油断をするとすぐにこれである。平坦だった眉根が吊り上がってくのはシンプルに怖いので余計なことを考えてはならない。
素直にあの時考えていたことを話すとしよう。サラに聞きたいこともあったので丁度いい。
「何をと言うほどのものではないんだけど、違和感について考えていたんだ。」
「違和感、ですか?」
一瞬目を細めて思案する様子を見せたが、すぐに続きを促すように瞳を向けてきた。
「外に出たときからずっと感じていた。気にしないようにしていたんだけど、もどかしくなって座り込んで考えていたってわけ」
「……言いたいことは多々ありますが、ひとまず今は良しとしましょう。それで疑問の答えは出ましたか?」
「うん。でもその前に、自分もサラに質問したいことがあったんだけど。聞いてもいい?」
「かまいません。」
指を組んでまっすぐにこちらを見つめるサラから、一瞬目線を外し窓に向ける。部屋から見える違和感そのものを確認して「それじゃあ」とサラに問いを投げかけた。
「ここって雪降る?」
「……?何を言って……」
そのあとに言葉は続かなかった。
冷静だったサラの瞳は動揺で見開かれ、自身の組んだ指先に縫い留められていた。かと思えば唐突に立ち上がり、窓まで近づいて外の景色を凝視し始める。
いや、正確には凝視していたのは景色では無かった。雨が降っただけではできるはずもない、違和感の正体だった。
「家に上がったときあれだけ泥だらけだったのは、やっぱり水たまりをよけなかったせいだと思うんだ。でもさ、そもそもおかしいよね。氷柱ができるほど寒かったのに水たまりは凍っていなかったんだから。」
自分で言葉にしてから気づいたのだが、この表現は適切ではない。ここで問題なのは水が凍っていなかったことではない。そうではなく……。
「雪という単語を口にしたのです。気づいているのならば、迂遠な言い回しをする必要はないでしょう。あなたが感じた違和感とは『雨にもかかわらず氷柱が生まれている』……いえ、『氷柱が生えているのに雪が積もっていない』が正確でしょうか。その矛盾について理解するまでに至っているとは。……あんな状況での考察でなければ素直に褒められたのですが。」
動揺が抜けたサラが外の景色を眺めながら正確な表現で補足する。若干の苦々しさが垣間見えるのはおそらく気のせいだろう。
自身もサラに倣ってもう一度氷柱に意識を向ける。気づいた直後はこの世界特有の天候の可能性も考えていたのだが、サラも驚いていたことからその線は無くなった。元々可能性は低いだろうと高を括ってはいたのだけれど。
氷柱については詳しいわけではない。けれど多少の知識は持っている。
氷柱を大雑把に形容するならば『滴る水が凍りついて柱状になったもの』だ。そのため、発生の絶対条件として、滴る水の発生源になる水の塊が必要になる。
しかし水とは液体だ。朝食のスープのように器にためるならともかく、屋根など傾斜のある場所では流れ落ちてしまう。だから雪である必要があるのだ。
屋根の上に蓄積された雪は、気温が上がることによって溶け出し氷の根を張る。さらにその根を伝って水が滴り、また凍り……。気温の上下を繰り返してどんどん太く強固な氷柱となるのである。
つまり、氷柱が生えるには雪が積もっていなければならない。……ということがわかっても最大の謎が残っている。
「シフ。……まだありますね?私から聞きたい答えが。」
「うん」
相変わらずサラの読心に迫る洞察力には驚くばかりだ。窓から振り向いたサラと目が合う。もどかしさの象徴は看破された。残るは根本の原因のみである。
「まだ答えてもらってなかったけど、ここって雪は降らないの?」
「降りますよ。寒い時期には雨の代わりに雪が降るものです。この土地の上空も例外ではありません。」
淡々とサラは言う。窓際から緩やかな動作で離れると、つい先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。
「でも思い返せば雪が降っているのを見たことない気がするんだけど。」
「……そう言えばあなた。雪なんてものをどこで知ったのですか?」
ぼんやりとしていたサラの表情が疑問に塗り替えられる。まずい、墓穴を掘ったか。
「いやー、情報源はいっぱいあるでしょ。本でも人でも。」
意図的にここにいない人物を連想させるように言うと「それもそうですね」と、サラはあっさり頷いた。
「あなたが実物を見たことがないのも無理はありません。実際にここ数年、積もるほどの雪は降らなかったはずですから。」
「へ、へえー……。見てみたいなー……。」
誤魔化しと取り繕いで適当に吐いた言葉であったが、向かいに座るサラの表情がわずかに曇った。
「そんなにいいものではありません。少なくとも私は好きではない。」
ほんの些細な、しかし明確な嫌悪を滲ませた声音はサラにしては珍しい。理由を聞いてもいいものだろうか。少しだけ逡巡していると、こちらの様子に気づいたサラが呆れ紛れにため息を吐いた。それからやや前のめりになっていることに気が付いたのだろう。椅子の背に深く体を預け直していた。
「雪が苦手な人は珍しくないと思います。冷たくて、歩きにくい。家屋に積もったまま放置すれば倒壊の危険性もあります。……とはいえ私には当てはまりませんが。」
サラはちらりと横目で窓を見た。再びのため息とともに言葉を続ける。
「私が苦手としているのは色です。」
「色?白いものが苦手ってこと?」
意外な理由につい聞き返してしまった。驚くこちらに対してゆったりと首を横に振って否定する。
「雪の白さが苦手なのです。一面白く染め上げて何もかもを無かったことにしてしまうような、そんな白さが少しだけ苦手なのです。」
ホワイトアウトのことだろうか。確か景色が白一色となり、視野が失われる現象だったはずだ。ただ雪の白さと言っていたことから考えると、どちらかと言えば雪そのもののことを指しているのか?
……というか、白く染め上げる?
確かに雪は白いものだが、個人的には純白という印象はあまりない。なぜなら積もる場所は確実に屋外だからだ。地面が土である以上、どれほど本体が清くとも終いには泥にまみれる。
それに雪を構成する結晶の核は、空気中の埃だということを聞いたことがある。かき氷のように食べてはいけないと言われる要因だが、理由までは知らなくとも口にするべきではないのは周知の事実ではないだろうか。
どうせなら自分の持つイメージを口に出してみることにした。
「雪が積もったところで、白一色になんてならないんじゃない?」
「……どういうことですか?」
こちらの若干突飛な意見に虚を突かれ目を見開いたサラは、口元に指をあてがい小首をかしげた。
「雪って結局水の塊でしょ?水が地面に落ちたら泥になるじゃん。ってことは雪も泥だらけってことにならない?そんなの白一色って言える?」
「それは……そうかも、しれませんが……?」
暴論もいいところである。
土との接地面が泥にまみれたところで、積もっていく雪の白さに影響は出ない。だが混乱が瞳に現れているサラは、すぐには気づかない。もう少し続けてみよう。白さが苦手だと言うサラを見なくて済むかもしれない。
「それに空から降ってくる性質上、木の様な縦長の物は大して雪を積み上げられないよね?じゃあ木の幹や葉の色味はそのまま残るじゃん。」
「……そうですか?風があれば横向きにも積もりそうでは……?」
「でも葉っぱの色は隠せないのでは?白の中に緑があったら目につくと思うんだ。そうしたら雪の下に植物が存在することを意識しちゃうんじゃない?」
深い深いため息が聞こえた。
口の端にほんのわずかな苦笑をもらしつつ、呆れは隠そうともしていない声の主と目が合った。
「流石に根拠が破綻しています。」
やれやれといった様子のサラに、小さく両手を挙げて降参の意を示す。やはり、いい加減なことを並べ立てていたのはばれていたようだ。
「あまりに流暢に続けるので一瞬流されそうになりました。しかしあまりにも無茶苦茶すぎます。最後のは何ですか?主観に主観をかぶせているだけではないですか。推測ではなく願望になっていることで説得力が失われてしまっていたと認識していますが、どう思いますか?」
「……全くその通りかと思います。」
「よろしい。自覚があることはよいことです。それに……」
「それに?」
言い淀んだサラに思わず聞き返す。組んだ指をぱたぱたと動かして何か迷っているようだったが、諦めたように口を開いた。
「あなたの言葉でその、確かに白一色になることはないのだろうなと思ってしまいまして……。」
そんなばかな。意外と滅茶苦茶言ったのが効果的だったのだろうか。
「……えっ、じゃあ苦手克服?」
「そんなに簡単に克服できるものを苦手とは言いません。……けれど、そうですね。少し過敏になってしまっていたのでは?とは思いました。……また雪が積もる様子を見るのも、それほど悪くはないかもしれません」
外の景色。違和感の象徴だった氷柱は、気づけば陽を浴びて随分と短くなっていた。昼も近づいて来ている。会話だけで随分時間を使ってしまったようだ。
これから何をしようかとそっと正面に顔を向けると、サラは静かに風景を眺め続けていた。横顔は陽だまりの中で微睡むかのようだった。
そしてその一年後。窓の外はあたり一面白く染まることになる。
今回文章が膨れ上がっています。作者です。間をおかないという話は何処へやらですね。申し訳ない。
分割にすれば前半部分はもう少し早められはしたのですが、細かく分けるのと長めの文章をどん、とまとめるのは、実際どちらが読みやすいのでしょうか。悩みは尽きません。
さて少しだけ内容に触れておくと、前回の違和感の解消回になっております。
とはいえ前回のあからさまな効果音表現の後なので、新鮮さみたいなものはないかもしれませんが、そこはご愛嬌と言うことでお願いします。




