りんご・長針・マグカップ
「サラ!サラ!」
自分の名を呼ぶ声に振り向くと幼い少女が駆け寄ってきて足に抱き着いた。
しばらくの間、腰のあたりに淡い茶色の髪をぐりぐりと押し付けると、こちらを見上げて満面の笑みを見せた。
「ねぇ、サラ!ねぇって!向こう行こ!見せたいものがあるの!」
足にしがみついたままぴょんぴょん跳びはねる少女の頭を優しくなでると、心地よさそうに目を細める。
「全く。せわしないわね……。そんなに言わなくても見に行くわ。」
「ほんと!?じゃあ早くいこ!」
言い終わるよりも早く、少女は体を反転させて駆け出した。そのあとを歩いて追おうとすると、少女はすぐに引き返して再び足元に飛びついてきた。
「ねぇ、はやくー!」
少女はその小さな両手で私の手をがっちり掴むと、そのまま歩き始めた。
よほど急いでいるのだろうか?……いや、違うだろうな。
これは何かが嬉しくて仕方がない表情だ。
少女は日頃から世界に祝福されているかのように楽しげに笑う。その笑顔がいつも以上に紅潮して、これから見るものへの期待であふれていた。
その様子に顔をほころばせていると、やがて小さな工房にたどり着いた。
少女は私の手を離すと、工房に駆け寄って問答無用で扉を開けた。
「できたー?」
少女が呼びかけると中にいた人物が振り返らずに答えた。
「できてるよ。ただ……思っていたより色が薄くなっちゃったんだよねぇ……。」
よれよれのシャツを身にまとった男は、そう言うと自分の頭を無造作に搔きむしった。元々は純白であったはずの白髪が見る影もなく汚れている。
「えー!?約束とちがうじゃん!」
「うーん……。僕もいろいろ練習を重ねていたんだけどなぁ。」
「すごいの見せたかったのに失敗してちゃダメじゃん!」
「は、はい。すみません……。」
男はすでに三十代半ばの年齢であるはずなのだが、青年と言っても差し支えない幼い顔立ちのせいで威厳のかけらもない。そのせいか今も、あろうことか少女に叱られてしまっている。
もちろん、男の穏やかな性格が少女の天真爛漫な言動を許している面もあるのだが。
「何をそんなに言い合っているの?」
連れてこられたかと思えば始まってしまった説教を前に、呆れ気味に口をはさんだ。
その声にようやく男が私の存在に気づいたようで、
「何だ、来てたのサラ!見てないで止めてくれよ。」
などと言い出した。
私は小さくため息をこぼすと、じろりと男を見据えて言う。
「あなたが何かしたんでしょ?なら許してもらうまで謝ればいいんじゃない。」
「そ、そんなぁ……」
男は情けなく肩を落とし、その背中を少女がばんばん叩いて抗議している。
……いい加減、何を見せたかったのか教えてほしいのだけど。
放っておくといつまでも終わりそうにないので、二人の間に割って入る。
「それで?私に見せたかったものって何だったの?」
私の言葉に男が「実はこれのことなんだけどね……。」と言って何かを取り出した。
「あ!見せちゃダメ!」
少女が急いで隠そうとしたが少し遅かったようで、私の手に渡ってしまう。
隠しきれなかったことがよほど悔しかったのか、少女は地団太を踏みはじめる。
「もう!ばか!」
少女が男の頭をぽかぽかと叩きのめすのを横目に、渡されたものをまじまじと見た。
「これは……。」
つぶやいた声に少女の手が止まる。
おずおずとこちらの様子を盗み見たかと思うとすぐに目を伏せた。
「…………ほんとはうまくいってから驚かそうと思ってたんだもん。」
うつむいたままそっぽを向く。
いまいち状況が呑み込めないので男に視線を向けると、男は苦笑い気味に答えた。
「サラにプレゼントするものを自分で作りたいってこの子が言ったから、二人でそれを作ったんだ。この子が形を作って僕が色を塗って焼くっていう分担で。でも僕がうまく色が付けられなかったんだ。本当はもっと鮮やかな黄色になるはずだったんだけど……。」
男は恥ずかしそうに首の後ろをかく。事情は大体わかった。確かに色が薄くなってしまっている。これは致命的なのだろう。なのだろうが……。
「何がいけないの?」
「え……?」
そっぽを向いていた少女が顔を上げる。
「確かに濃い黄色ではないけど私はこの淡い黄色がきれいだと思う。むしろこっちの色のほうが好きかもしれないわ。」
それを聞いた少女はうつむいたまま近づいてきて、私の服の裾をきゅっとつかんだ。
「……ほんと?」
「本当よ。」
私もしゃがんで少女に視線を合わせる。
「それに、あなたが私のために作ってくれたことが他のなによりもうれしいの。」
「……………………うん。」
黙って抱き着いてきた少女の背中に手をおいて穏やかにさする。
どれくらいそうしていただろうか。やがて少女が自分から抱擁を解いた。
「じゃあサラにあげるね。」
微笑む少女に私は「そのまえに」と言って男のほうに体を向かせる。
「せっかく手伝ってくれたのに叩いちゃったんだから、■■■に言うことがあるでしょ?」
「……うん。」
素直にうなずいた少女が男に歩み寄っていく。……あれ、いまなにか……。
「その、■■■も手伝ってくれてありがと。それから、叩いちゃってごめんなさい。」
男は少女の頭をなでながら微笑んだ。
「ぜーんぜん。僕も思ってたものができなくてごめんね。」
「ううん、いいの。サラが喜んでくれたから。」
「そっか。……ところで、僕のことは名前のまま呼ぶのかい?」
男がためらいがちに少女に聞く
「あなただって私のことをサラって呼ぶじゃない。」
「あ……確かに。」
私が指摘すると、頭をかきながら「しまったー」などと大げさに悲しんで見せる。
少女はその様子を見て、
「名前で呼ばれるのは嬉しくないの?」
とキョトンとした顔で男に尋ねた。
「んー。そういうわけじゃないけど、たまには子どもに懐かれている自信を持ちたいなぁ……なんて。」
「ふーん。でも今は呼んであげない。」
「そ、そっか……」
肩を落とす男に少女がいたずらっぽく笑う。それから「あ、でも……」と何かに気づいて、男に耳を貸すように手招きする。
男が顔を近づけると少女は耳元で何かをささやいた。それに対して男が「うん」とうなずく。
何をしているのか気になっていると、少女が笑顔で近づいてきた。
こちらに手のひらを差し出すと「ちゃんと渡したい!」と私が手に持っていたものを返すように言った。
私が小さく笑いながら手渡すと、少女はニコリと太陽のような笑顔を見せて言った。
「はい、これ。プレゼント!いつもありがとう、おかあさん!」
暗闇の中で目を覚ます。
何度か瞬きを繰り返して天井を眺めていると、頬をつたう何かに気づきそれを拭った。
「…………………………………………。」
シフは今どうしているだろうか。夕食後にアイテムボックスの中に入り込んだまま何の返事もない。
ちゃんと寝られているだろうか。
空間の中が汚いと言っていたから片付けてくれているのかもしれない。
あの子は。あの子、は……。
「…………………………………………。」
鼻の奥がつんと痛む。
あの子が今となりにいてくれたなら、抱きしめて眠れたのなら。
このどうしようもなく溢れる寂しさを忘れられたかもしれないのに。
ベッドの上で一人うずくまる。
震える肩を抱き、誰にも聞かれないように声を押し殺した。
「涙が出るほど幸福な夢」
これほど残酷なことはないと思うのです。




