駆け抜ける日々
「ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……」
規則的に吐き出す息だけが耳に響いて、自分が疲れていることを必要以上に実感させられる。
森の中を走り始めて大体一時間くらいだろうか。
あたりは少しずつ暗くなってきていた。
前世でコンクリートの道路を走らされていた時は、足への負担があまりに大きくせめて土の上を走らせてくれと思った記憶がある。が、今ではコンクリートでも舗装された道のほうがましだと思うようになってしまった。
それほど足元の不安定さが疲労を蓄積させる。
木の根の凹凸、滑りやすい枯葉、こちらの足を捕ろうとする無駄に強靭な茎、そのすべてを直前まで隠す薄暗さ。
体のバランスを崩すたびに体は緊張を強いられ、肉体を疲弊させる。
そう言えば晩ご飯には戻るようにサラに言われていたことを思い出し、ようやく足を止めることができた。
疲れと視界の悪さでふらつきながら、ひそかに続けているアイテムボックスを出す練習を行う。
空間をイメージしてそこに穴をあける。
手をかざしてひたすら念じてみる。
ひたすら繰り返しすでに4年。
そう、あのアイテムボックスを使えないとわかって、すこぶる落ち込んだ日から4年もたった。
背もかなり伸び、複数の言語を容易に操れるまでに至った。にもかかわらず、アイテムボックスが使えるようになることは一切なかった。
成功しそうになるとか、希望の光が見えるとか、そういったことも一切なかった。
あの日、膝から崩れ落ちて放心していた自分が、どうやって家に戻ったのかまったく覚えていない。
気がついたら家にいた。
魂が抜けたように干からびている自分と、アイテムボックスを使えない人を目の当たりにして動揺するコユビさん。それらを眺めて呆れ果てていたサラは、何とも言えない空気のまま、昼とは打って変わって静けさの中で晩ご飯を食べた。
食事を終えても自分は放心したままだったが、コユビさんはとうにいつもの調子を取り戻して、帰り際に
「アイテムボックスが使えない人いるなんてことは、やっぱり考えられないんだ。だから少年もコツさえつかめれば使えるようになるはずだよ。だからそう落ち込まないで?」
と元気づけてくれた。そして、
「なんなら“約束”する?」
とまで言ってもらった。
そこまで言うからには本当に自分も使えるのだろう。そう思えた。
「大丈夫です。そのうち使えるようになるかもしれないですし。」
若干の強がりもあったが、まずは自分の力で使えるようになる努力をしようと誓ったのだった。
余談だがコユビさんは、自分のスキルを軽々に話すなとサラに叱られているうちに完全に外が暗くなってしまい、結局家に一泊していった。
とまあ、こういった経緯で練習を続けたが前述の通り何の進展もしなかった。
こんなことなら、あの時コユビさんのスキルに頼ればよかった。と思う一方で、できると約束したから出来るようになるなんてことが果たしてあるのか?あってもそこにリスクはないのか?
そうした疑念が排除しきれなかったので、今も頻繁に会うが頼もうとは持っていない。
そんなわけでこうして4年たった今でも、おそらく無駄である訓練を続けているのだ。
だが、いたずらに時間を無駄にしていたわけではない。
最初は苦戦していた家事も難なくこなせるようになり、今ではサラと日替わりで交代する程度には身についていた。
料理などはいまだに指導が入るし、自分でも理解できない失敗をやらかすこともあるが、及第点と言っていい程度の技能が備わったと思う。
それに加えて文字が読めるようになり、サラに教わる内容を復習できるようになったことで格段に知識が頭に入るようになった。
しかし状態学(恐らくこの世界の化学や物理学)や数学については、本はあったのだが教えてもらうことはできなかった。
サラ曰く、
「それらは生きていく上で必要になることはありません。他の知識を得た方が有益です。」
とのこと。
「物の売り買いに数学が必要になるんじゃないの?」
と聞くと、サラはそっぽを向いてしまった。
ただ単に苦手だったんだな……。
それ以上は聞かないでおくことにした。
家事も勉強もおおよそできるようになった。
では次に何に取り組んだか、それが冒頭の森でのランニングにつながる。
きっかけはサラに「体をつくれ」と言われたことが発端だった。
旅に危険は付きものである。
そうでなくとも肉体が屈強で困ることなどない。
ゆえに体力を付けよ。脚力を鍛えよ。最低限の自衛のすべを身につけよ。
と、まあそういったことをサラに説かれた。
説いたわりに自分で指導する気はないようで、コユビさんが来た時に「この子の体を鍛えて」と言ったまま特に口を出さなくなってしまった。
コユビさんはコユビさんで、
「じゃあ一日の作業が終わったら夕食まで森の中を走ろうか。」
などと言ったきり、これまた何の支持もない。
作業が終わってからでいいというが、家事が日替わりであるため場合によっては昼頃から走る羽目になり、結果として一時間程度ならそれなりのスピードで走れるようになってしまった。
明らかに前世の自分より体力がついてしまっている。
まったく悪いことではないのだが、長年運動系の部活に入っていた身としては複雑極まりないのだ。
運動は昔から嫌いではなかった。
小学校の放課後は公園でサッカーをしているのが日常だったし、中高と運動部に所属していた。
どちらも弱小ではあったが、練習が不真面目だなんてことはなく真剣に取り組んでいた。
だが長い距離を走ることだけは好きになれなくて敬遠していた。すると、身体能力は高いはずなのに体力がないことでそれを維持できない、一発屋としか言えない運動能力になってしまった。それを考えると、前世ほどの瞬発力や跳躍力が無くても運動能力として申し分ない水準になっているのだろう。
複雑なのは、何故それを部活をやっている間に身に着けられなかったのか。ということだ。
考えても仕方のないことは十分理解している。
しかし、あの時もっと打ち込めていたら。もっと競技を楽しめていたら。
そうすれば、あるいは自信を見失わずに済んだのでは。などと、くだらないことを考えてしまうのだ。
そう、くだらない。実にくだらないことを思い出してしまった。
向こうで自分は死んだ。それだけの話だ。
思考にこびりつく靄を頭を振ってふるい落とす。
家が見えてくると自然と余計な考えは消えた。
汗が冷えて熱を奪われた肉体が、外気に晒されていたことでさらに冷えていた。
ゆったりと入口に足を向けると、扉の前にコユビさんが立っていた。
「お疲れ、少年。早く中に入るんだ。温かい食事を食べながら、明日からのことについて話そうじゃないか。」
疲れ切っているこちらとは対照的に、快活にとても愉快そうに声をかけてくる。
「何を話すんですか?」
「もちろん、身体づくりについてだ。“体力”も“脚力”もまだまだだけど、一定の基準には達しただろう。だから次は“最低限の自衛のすべ”について教えよう。」
コユビさんは不敵に笑みを浮かべて言った。
「戦闘訓練だ。」
無理やり毎日投稿を続けていたら、そのツケが回ってきて一日空ける羽目になりました。
少なくとも少年が旅に出るまでは毎日投稿したいですがままなりません。
表現力と語彙力と、ついでに物語を盛り上げる想像力が手に入る都合のいいアイテムを、
それこそアイテムボックスから取り出したいものです。




