かざした手の平
「なんか大変だったんだってねぇ。大丈夫だったのかい?シフ少年。」
白い息を吐きながら今まで足を踏み入れたことのない、いつもと少しだけ景色の違う森を行商人と二人で歩いていた。
そういえば井戸に落ちてからこの人に会うのは初めてだったことを思いだす。
「大丈夫でしたよ。ちょっと死にかけたくらいでした」
「あっはっは!それを大丈夫と言えるシフ少年はやっぱり面白いねぇ。」
数日間、家の中でサラに家事や勉強を教わっていると行商人が久しぶりに訪れた。それを見たサラが
「ちょうどいいですね。今日はあなたが山についての知識をシフに教えてください。」
と二人まとめて山に放り出したのである。
急な事態に二人ともしばらく目を回していたが、どうせなら今まで行ったことのなかった範囲を探索しようということになり、森を突き進んでいた。
森の中を先導して歩くのは行商人のコユビさんだ。
コユビさんは灰色の髪を肩で切りそろえた、男性……いや、女性か?
どちらにも見える年齢不詳、性別不明の謎の多い人だ。
全体的に線が細く、首筋や手先など肌を出している部分は華奢に見える。
しかし立ち姿や歩き方など、およそ雰囲気と呼べるものがとても女性とは思えない。
身長も男性ならば低めだが女性なら高い部類に入るくらいで参考にならない。
まあ、こちらの世界の平均身長を知らないのだが。
根拠はないが個人的に女性ではないかと思っている。が、どうだろうか。
性別以上に謎なのが年齢で、以前性別を訪ねたときには「少年。世の中には知らない方がいいこともあるんだぞ?」とはぐらかされた。
だが、ついでに年齢を訪ねると満面の笑みで「聞くな」と凄まれた。
そのあまりの圧力におとなしく引き下がったわけだが、あれは明らかに二つ続けて質問したからではなく、年齢を聞いたから圧をかけられた様子だった。
どう見ても20代前半くらいにしか見えない容貌なのだが、なにか深い闇を垣間見た気がしてそれ以来話題に出すことはしていない。
あまりに深い闇の前では誰もが思考を停止するのは仕方ない、などと考えているとコユビさんがこちらに手を突き出す。
「あ、ちょっと止まって。」
そう言ってこちらを制すると目の前に広がる木を見渡した。
「今日はこっから先には行かないようにしようか」
「何かまずいんですか?」
「うん。この木がね。」
と目の前にある一本の木を拳でコンコンと叩いて葉の様子を眺める。
「“燃える木”って呼ばれるくらいには危険な木だから。ちゃんと腕とか覆ってないと近づいただけで火傷みたいになるから来ない方がいいよ」
さらっと恐ろしいことを口走る。触れることなく火傷する木なんて、さすがは異世界。それとも地球上にもあったのだろうか。
「そんな木に近づいて大丈夫なんですか?」
「いやぁー大丈夫ではない。けど、この実が採れそうだから欲しいんだよねぇ」
などと、こげ茶色の実を指さす。ってそんなこと言ってる場合じゃないのでは?自分で危険だと言っていたのに……。
沖縄で目にした“海ぶどう”にどこか似ている、目的の実を取ろうと必死に背伸びをするコユビさん。
その姿は幼い子どものようで、ますます歳がわからないなと呆れ顔で眺めていた。すると、
「はあ、もういっか……」
とつぶやいた。
諦めるのかと思っていたのだが、急に何もない空間に手を伸ばした。
何をしているのかと首をかしげて見ていると、およそ理解できないことが目の前で起こった。
伸ばした手の先に黒い靄の様なものが現れ、その瞬間。手首から先が唐突に消失した。
「…………………………はぁ?」
目の前に広がる非現実的で理解不能な光景にそれくらいしか声を発することができなかった。
えっ……ど、どういう……?何が……というか、腕、が。……。そう、そうだ。腕!じゃ、ないや。手が!手首?……も。なくなっている!それは、まずい?まずい。そう。まずいだろう。手が欠けてしまっている。
やっと落ち着いてきた。
どうにも予期していない事態に弱すぎるな。前世から不便な性質を持ってきてしまった。
いやそうじゃない。
手が欠けてしまっている。そこは問題じゃないし正確な表現ではない。
明らかにコユビさんは、黒い靄に自分から手を突っ込んでいた。
つまりコユビさんからすれば何の問題もないことなのだ。
それに手を突っ込んだということは、見えない空間に手を突っ込んだということで……?
…………つまり、どういうことなんだ?
……
……
……そうだ!有力な仮説を思いついた。
つまりあれは迷彩色の鞄なのだ。
空中に手が消えているように見えたのは、自分の目には見えないほど森の風景に溶け込んでしまっている鞄の中に手を入れていたからで、空中に浮かんでいるのは、いるのは……。
……
だめだわからない。
迷彩色の鞄なわけないだろ。
もう無理だ。考えてどうにか理解できるものでもないだろ。
そうだ、もういっそのこと異世界なぞパワーと呼べばいいんじゃないか?もうこれ以上ない素晴らしい名案な気がしてきた……。
「…………っ…………っくふっ……」
何かをこらえるような声がした。
長いこと考え込んでしまっていたようで、周りが見えていなかったが声の主はすぐに見つけることができた。
コユビさんが腹を抱えてのたうち回っていた。
「……ふっ……っくふふっ……っくふっふふふふふ!あっはははははははは!!」
こちらの視線に気づいたことにより耐えられなくなったようで、ついに地面を転がりながら笑いが爆発した。
「しょっ……少年!きっ君っ……君の、その反応は……面白すぎるだろ!!」
ヒーヒーと肩で息をしながら目に浮かんでいる涙をぬぐっている。
この人はここが森の中だということを忘れてはいないだろうか?
周りの声が聞こえないほど考え込んでしまった自分が言える立場ではないが。
というか……
「笑いすぎですよ……」
脱力気味に抗議すると、コユビさんはぜぇぜぇと息を切らしながらもこちらに振り向いた。
「いやぁ……ごめんごめん。あまりにも面白かったものだから。」
やっと起き上がったと思うと、ずいっとこちらに顔を近づけてくる。
「君、気づいてなかったろう。僕がアイテムボックスに手を入れてからずっと表情が動いていたんだよ?あんなにころころ変わってるのを見せられて、笑うなっていう方がひどいでしょ!」
くっくっくと体を震わせながら、からかってくるコユビさんを横目に自分はそれどころではなかった。
“アイテムボックス”!
そうか。異世界なぞパワーもあながち間違っているわけではなかったのか。
というかよく考えればここ、異世界だったではないか。
魔法とか一切目にしないしサバイバル過ぎたから忘れていたけど、アイテムボックスを使える可能性について考えようともしなかったのは失敗だった。
しかし実物が目の前にあるのならいろいろ知っておいた方が便利だろう。
「コユビさん」
「なんだい少年。」
「その、“アイテムボックス”って誰でも使えるんですか?」
「……っ」
なんだ?珍しくコユビさんが言葉に詰まった。
「少年!」
「はっはい。」
「……もしかしてアイテムボックスを知ったのは初めて?」
「そうですけど?」
それを聞いたコユビさんは大きく頭を抱えた。ついでに「あちゃー……」とかなんとかつぶやいている。
「じゃあ……まさか少年……<スキル>についても何も知らないの?」
スキル?スキルまであったのか。そんなのもちろん知っているはずもない。
なので、
「はい。知りません。なんなら初めて聞きました。」
と正直に答える。
コユビさんは諦めたイイ笑顔で空を仰いだ。
ようやくアイテムボックスが出てきました。
あらすじにあったのでシフの考察の最中に「知っとるわ」と思った人がいたかもしれません。
でも目の前でいきなり使われたらすごい混乱しそうじゃないですか?
手が消えるってやばい。(小並感)




