【06】 旦那様 01
「雪、か」
窓の外に白いものを見つけて、手を止めた。
ずいぶん寒いと思ったが、雪が降るせいだったらしい。
女神の加護があるこの国では、極度な寒暖の差はなく、いつもすごしやすい気候が保たれていている。
だから、こちらで雪を見るのは
「初めてだ」
一人ごちて思い出す。
こちら側に来た、あの日のことを。
あれは、初雪が降った日だった。
何が理由か分からないが、夕食前に兄と取っ組み合いの喧嘩になった。
思いがけず繰り出したパンチが兄の鼻に当たり、兄が鼻血に驚いて泣いてしまった。
昔は同じような喧嘩で俺が鼻血を出せば兄弟そろって怒られるのに、その日は何故か父も母も兄の味方をばかりして俺だけが叱られた。
言い訳も聞いてもらえず両親に責められ、それを見てニヤニヤしている兄の顔に、悔しくて夕食も食べずに部屋に籠った。
くうくうとなるお腹に泣きながら不貞寝して、いつもよりずいぶん早く目が覚めた。
静まり返った凍えた家は、酷く寂しくて。
俺は一人で家の外に出た。
父が、母が、二つ上の兄を優遇しはじめたのは、最近のことじゃない。
もう何年ももやもやしていた。
俺は兄が好きだった。
変な意味じゃない。兄弟なのだから当然の好きだ。
いつだって一緒にいたかったし、同じことをしたかった。
物心ついたころには、兄の後ろをついて歩き、兄がすることを真似して、父と母と兄が俺は天才だって褒めて笑うのが好きだった。
だから兄の半分も出来てないのに、そう褒められて俺は天狗になってた。
いや、出来てないのは分かっていて、褒められることを喜んでいた。
だって、兄が俺を褒めれば、父と母は兄を褒めて、兄がもっと嬉しそうにするから。
けど、いつからか兄より俺の方が、いろんなことを上手く出来るようになっていった。
毎日兄がやることを見てるんだから、兄がやるより上手く出来るのは当たり前だ。
なのに、そのせいで父が、母が、思ったより兄を褒めなくなった。
俺と比べるような言葉は絶対に言わない。
ただ、俺より褒める言葉が少ないだけ。
兄が顔を曇らせるのを、俺は知っていた。
気付かないふりをしたのは、小学校に上がって、あまり兄と一緒にいることが少なくなったせいだ。
小学校の二歳差は、思ったより行動範囲が違う。
兄は早くから塾に通っていたし、部活動も始めていた。
だから、あまり兄と顔を会わせなくなっていて、兄と俺が比べられることも少なくなったから、時々そんなことがあってなんとなくモヤモヤしていても、気のせいに出来た。
けれどある日突然、母が、兄の肩をもつようになった。
それからすぐに父も。
不思議に思ったけれど、気にするほどじゃなかった。
兄が中学に上がってからはさらに接点が少なくなって、顔を会わせることがほとんどなくなったから。
短い時間なら、兄は少し普通になって、前のように俺に接してくれるようになった。
俺は、馬鹿だった。
俺も前のように兄に接して、喧嘩した。
初雪の朝は、誰も雪かきなんかしない。
だからどこまでもどこまでも真っ白で、いつもはカラフルな世界のただただ静寂で包まれている。
足音も、息遣いも、どこか遠くの音も全部吸収されて
――――まるで、この世界に一人ぼっちでいるみたいだった。
とぼとぼと真白な道に、静かに、一歩一歩と足跡をつけて、そろそろ家が見えなくなったところで足を止めた。
天を見上げれば薄暗い雲が空を覆い、ちらちらと雪が落ちてくる。
寒いけど、寂しいけど、どこかほっとしていた。
このままどこか遠くへ行きたい。
あの日、俺は確かにそう思った。
そう思った瞬間、誰かが俺を呼んだような気がして、振り返った。
振り返って――――俺はこの世界にやって来た。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
不定期更新になりますが
また次作もよろしくお願いします。