三百七十一話
(´・ω・`)いよいよ八巻の発売がちかづいてまいりました!
大規模な部隊になればなるほど、その規律は乱れやすくなる。
訓練された正規の軍であれば、その規律の乱れもすぐに正す事も出来たのかもしれない。
だが、彼ら『解放者遠征軍』は、それぞれ違った立場、目的の人間の思惑が混ざり合っている関係か、お世辞にも規律の正しい軍とは言えない状態だった。
「大丈夫でしょうか、ジニアさんは……」
「高確率で面倒な連中にからまれているじゃろうな……」
「やはり無理を言って僕達と同じ魔車に乗ってもらった方がよかったのではないでしょうか」
「ううむ……しかし頑なに『豪華な場所は嫌いですので』と言うしのう……」
「中々自分の事、話してくれませんよね……ジニアさん」
「結局、あの選定の戦いにも、強引に飛び入りしたようじゃし、何らかの目的があるはずなんじゃが……」
「でも、少なくとも悪い人ではないと思いますよ……きっと」
その遠征軍の総指揮を任せられているナオとその仲間マッケンジー。
解放者である彼とその仲間は当然、その待遇や扱いは他とは違うのだが、新たに加わった少女ジニアだけは、その素性を明かさない事を理由に、あくまで遠征軍の一人、という扱いを受けていた。
とはいえ、勿論ダンジョン内ではナオと行動する事が決められているのだが。
そのジニアは今まさに、彼らの心配が現実の物となり、面倒事に巻き込まれていたのだった。
とはいえ、その本人はそれを良く理解してはいないのだが――
「はい。私はナオに選ばれたので、ダンジョンに同伴します」
「呼び捨て! 貴女どこの出よ、いいから譲りなさい、怪我をしたなり病気なり嘘をついて!」
「ダメです。貴女はとても弱いので、間違いなくナオとマッケンジーの負担になります」
魔物に騎乗し、ナオ達のバックアップとして付き従う遠征軍。
その中には、ナオとの戦いから逃れた多くの女性の姿もあった。
実際に危険な目に遭うつもりはない。ただ長い行軍の中、幾度となく野営という形で夜を共にする事となる遠征。
そこに何かを期待する、そんな考えを持つ大人達の邪な考えもまた、彼らの中に潜んでいたのだった。
「貴女今の状況が分かっているの? 周囲の傭兵達はみんな、私の家の者なのよ? お前達、こいつを取り囲みなさい」
「へい!」
隊列が崩され、周囲を固められる。
それは騎乗中、落馬ならぬ落魔する可能性すらある危険な行為。
それぞれが得物をチラつかせ、ジニアを脅すように威圧する。
だがそんな状況だというのに彼女はただ、冷静に見当はずれな事を考えていたのだった。
(何故私はこの女性に構われているのだろうか。ここまで自分に興味を持つとなると、何か原因があるに違いない。きっと、私と話したいのでしょう)
「自己紹介をしましょう。私の名前はジニアと言います。貴女の名前はなんというのですか?」
「はぁ? なんなのよ貴女。……いいわ、やってしまいなさい」
馬鹿にされていると感じたのか、傭兵達が軽く小突くように槍をジニアに向ける。
だが、彼女はかつて大勢の人間を、アーカムの私兵を束ねる立場にあった生粋の武人でもある。当然、騎乗戦の心得もあり、巧みな手綱さばきでそれを交わして見せる。
そして当然、明確な害意を向けられた事で、ようやく彼女も理解したのだった。
「なるほど、分かりました。では――」
すると次の瞬間、ジニアは大きく息を吸い――
「ナオ! 助けてください! いじめられています!」
あっさりと告げ口、もとい助けを呼ぶのであった。
そこからは早い物で、あっさりと行軍が止まり、あれよあれよという間にどこぞの貴族の娘とその傭兵が、この遠征には相応しくないと、同行を拒否されたのだった。
元々、ここまで大規模な遠征軍など組む予定ではなかったのだ。
だが諸外国、同盟国の手前、バックアップを買って出た人間を無碍にする事も出来ず、一先ず同行を許可していたにすぎなかったのだ。
道中、問題を起こせばすぐに切り捨てる事を彼は明言していたこともあり、娘の言い訳にも耳を貸さず、あっさりと遠征軍の規模を『また一回り』小さくさせたのだった。
「……ジニアさん、もしかしてワザとやってくれているんですか?」
「なにがでしょうか?」
「お主、儂らが動きやすいよう、わざとああいった輩をあぶり出しておるんじゃろう? やはり中々に強かじゃ」
「……どうでしょうか。ただ、私は貴方達に『問題が起きたらすぐに呼んでください』と言われたので、それを実行したにすぎません」
「……そうじゃないとヌシが誰かれ構わず半殺しにするからじゃろうに……」
そう。実は既にジニアは、この遠征中に多くの人間を自らの手、またはナオの力でこの遠征から脱落させてきたのだった。
始めはその美しい容姿に誘われた男達を。次に納得がいかない武人達を。そして、先程の様な篭絡を企む多くの女とその取り巻き達を。
「では、我慢して今度からこの馬車に乗ります。出来れば、もう少し古い荷馬車のような場所の方が落ち着くのですが」
「……あの、ジニアさんっていったいどんな環境で暮らしていたんですか……?」
「そうですね、ごく最近まで、地下牢を改造した部屋で暮らしていました」
「地下牢……お主、まさか罪人かなにかなのかの?」
「そうですね、きっと私は罪人なんだと思います。たとえ誰に許されようとも、私は罪人なんでしょうね」
その含みを持たせた告白に、ナオとマッケンジーは何も言えないでいた。
聞いてはいけない事を聞いたと、ただ重苦しい空気だけが魔車の中に残る。
だがやはり、当の本人は内心『正確には地下牢を模した部屋を自分で作ってそこで暮らしていたと言うべきだったのかもしれない』と、少々ずれた事を考えていた。
……長い地下牢暮らしは、確実に彼女の感覚を狂わせていたのだった。
「……ところで、そのダンジョン、ソーセージの森というのはここから遠いのでしょうか。今日で三日目、まだ距離があるようでしたら、どこかの街で手紙を出したいのですが」
「蒼星の森ですよ……? それだとお肉が沢山ぶら下がっている森になっちゃいます。ええと、ここからあと三日程魔車で移動すると、小さな宿場町があります。そこでお手紙を出しましょうか」
「分かりました。……ソーセージじゃなかったのですね。お土産が沢山手に入ると思っていたのですが」
「ふむ、お主には待っている家族がおるんかの?」
「はい。双子の弟がいます。唯一の血縁です」
「唯一……か。悪い事を聞いてしまったようじゃの」
「いいえ、構いません。私の両親は……恐らく悪人でしたから。ですが、代わりに私には、多くの父や母のような方々がいます。その方達に沢山のお土産を持って帰れると思っていました」
「くく……そうか。ならば、全てが終わったら、港町で色々買うと良い。おすすめは魚介の干物じゃ。酒の肴にも良いし、食材としても一級品ばかりじゃ」
「干物……ドライソーセージのような物ですね。探してみます」
口数が多い訳ではない。自分から多くを語る事もない。
だが、決して彼女は人と話すのが嫌いな訳でもなければ、愛想が悪い訳でもない。
ただただ、一般常識に疎く、そして不器用なだけ。
ゆっくりと。だが着実に、ナオとマッケンジーはこの、少々不思議な少女との関係を構築していっているのだった。
(美味しい食材ならば、カイヴォン様も喜んでくれるかもしれません。教えたら褒められるでしょうか)
(美味しい食材なら、カイヴォンさんも興味を示すかもしれないなぁ……今度会えたら教えてあげないと)
案外、ナオとジニアは似た者同士。
だがそれが発覚するのは、まだ暫く先のお話。
深夜の逢瀬は、ただの座談会のようなロマンティックとはかけ離れた物になった。
が、個人的にはこちらの方がやりやすいというのもある。
だがしかし、さすがにもうそろそろ――
「おい、もう夜明けなんだが?」
「そうですね? それで、続きは? その皇女様とはどうなったの?」
「とりあえず頭はたいておさらばしてきた」
「あら逆玉を捨てるなんてもったいない」
夜通し語り明かした。
そこに色っぽい話なんてなく、大人の男女が寝室でベッドに腰かけながら、まるで清く正しい青春ドラマよろしく、ありふれた話をしながら時間を忘れて過ごしていましたとさ。
「今回はここまでで良いだろ。そろそろ二人のところに戻るよ」
「そう、ですか。そうですね、残りはまた今度にしましょう。カイさんの冒険サーズガルド編はひとまずここまで。今度はオインクのところ、セミフィナルのお話をお願いします」
「ああ。じゃあ今度こそ俺は行かせてもらうが、最後に一つ――」
そして、すっかり忘れていた俺の本来の目的。リュエの髪飾りを一時とはいえ手放した本当の理由を思い出す。
「盗まれた本来の髪飾り。もし見つけたら、俺が貰っても良いか? いや、最悪俺の旅が終わるまで借りるのでも良いんだが」
「あの髪飾りですか……。余程、重要な物なんですね?」
「……ああ。信頼出来る予言者に、俺、俺達に必ず必要になるって言われたんだ」
「……ゲームで言うところの、キーアイテムみたいな物ですかね? 良いですよ。幸い、王は既に取り返したつもりでいるみたいですし、問題はないと思います」
「……良いのか?」
「ええ。元々、来歴不明の品だったみたいですし……養子である私が受け継ぐのもおかしな話ですし」
「……だが、態々兵士に探させていたじゃないか」
「ええ。どこの誰とも知らない人間の手には渡したくなかったんです。亡くなった本物のお姫様……彼女が受け継ぐはずの物だったのですから」
それで、彼女は食堂であんな事を言っていたのか。
髪飾りを自分がつけるべきではない……と。
「残念ですが、盗んだ相手の情報はまったくありません。ただしいて言うなら、今のカイさんと同じく、城の警備を掻い潜り私の部屋までたどり着いた手練れである、とだけ」
「なるほど……髪飾りの存在を知っている人間は多いのか?」
「そうですね、一応この国の人間で、王族に強い興味を持っていたら知っていてもおかしくない、と」
「……なるほど。ちなみに盗まれてからまだ日にちは経っていないんだろう?」
「そうですね。盗まれたのはカイさんが来る三日前です。ただ……これでもうちの兵士は優秀な方です。人数こそ少ないですが、機動力も捜査力もそれなりにある方だと自負しています。それで見つけられない以上、きっとスフィアガーデンには運ばれていないと思うんですよね」
「……その割には髪飾りの左右反転に気がつかなかったり、こうして俺に侵入されているけどな」
「あははは……そうですよねぇ? でも、たぶん間違ってはいないと」
とりあえず提示された情報を吟味してみても、今はその行く先を想像する事すら出来そうにない……と。
しかしまぁ今回は髪飾りをこちらの物にしても問題ない、という事を確約出来た事で良しとすべきか。
それに、懐かしい顔と再会する事も出来た。これもある意味では、レイニーのお導きによるものなのかね?
「カイさん、この後はどこに向かうんです?」
「一度スフィアガーデンに戻った後、今度はこの国を通ってまたガルデウス領に向かう。どうやら蒼星の森に向かうには現状、それしか道がないみたいなんでね」
「そうでしたか……ただ、国境付近ではこちらの軍が検問を敷いていると思いますよ?」
「俺達なら別に通り抜けられるんじゃないか?」
「どうでしょう……ちょっと待っていてくださいね」
そう言うとエルは、なにやら羊皮紙を取り出し、そこに慣れた様子で文字をしたためていく。
そして最後に、アイテムボックスから小さな箱を取り出して見せた。
「それは?」
「これ、実は王印です。前に私が拝借しちゃいました。一時は大騒ぎになったのですが、私が間違えて踏んで壊したと嘘をついて、そのまま貰ったんです」
「……なんでまた」
「それは当然、悪用する為ですよ? 私だって自由に動かせる人間の一人や二人いますが、そんな人間の活動の助けになれば、と」
「なかなかどうして強かというか……それで、その書類はなんなんだ?」
「ふふ、通行手形みたいな物です。王の印があれば、たとえどんな内容でも通用してしまいますから。今回はお抱えの商人という扱いです、無理な事は書いていません」
そう言いながら、彼女は出来上がった通行手形をこちらに手渡してくる。
「エル、アイテムボックスの事は誰にも言わない方が良いぞ」
「それはもちろん。これでも経験豊富なんですよ?」
「そりゃそうか。……じゃあ、今度こそ行くとするよ」
「名残惜しいですが、仕方ないですね。こんな事ならもう少し自分を鍛えておくべきでした」
「はは、ついて来たかったのか?」
「ええ。姫を連れ去るのは魔王だと、相場は決まっていますからね? だから――」
昇り始めた太陽が、こちらのシルエットを部屋に映す。
その影に隠れながら、エルはそんな影すらも吹き飛ばすような眩い笑顔で――
「今度は、奪いにきてくださっても構いませんよ?」
「……またお前は無茶を言う。お前は自分の足で歩きだすべきだよ。それで俺のところまで来て見せな」
「……やはりカイさんはどこまでいってもカイさんですね?」
そうして、俺はこの掴みどころのない友人の元を離れ、朝焼けの中帰路へとついたのだった。
「だーかーらー!私達はそんな事してる暇はないの、人を待っているの!」
「申し訳ありません。嬉しい申し出ではあるのですが、そういう事ですので……」
「そこをなんとか! 今日一日、今日一日だけでも良いので!」
カイさんが発ってから二日目の朝。宿の宿泊客の一人である、流れの画家と名乗る男性が、今日も朝からどこか物憂げに絵画を眺めていたリュエに声をかけてきました。
なんでも、頬杖をついて絵画を眺める姿を、是非描かせて欲しいそうです。
正直、良いお話だとは思いますが、今は状況が状況ですからね。
「そちらの貴女もとても美しい……貴女も是非、肖像画を、その身体を絵画として収めてみませんか!?」
「ですから私も……人を待っている身ですので……」
もう、この方でこういったお誘いを受けるのは三度目なんです。
昨日の夜も、石造のモデルになって欲しいというものや、部屋でヌードデッサンをさせてくれ、なんていうとんでもないお願いまでされてしまいました。
「お客様……他のお客様のご迷惑になるような事はお控えください」
「ええいだまらっしゃい! こんな題材を放っておけますか! 見なさい、この愛らしさと思慮深さを併せ持つ、純白のエルフの美少女を! 見なさい! この美の全てを注ぎ込んだような完璧な肢体を! このような対極に位置する美の化身が同時にこの場にいるというのに、それを諦めろと言うのですか!」
「はい。他のお客様のご迷惑となるようでしたら、強制退去して頂くほかありませんが」
「キー!」
そこまで褒められると悪い気はしませんが……さすがにダメです。
リュエも少し嬉しそうに耳をぴくぴくさせていますが、断固として譲るつもりはないようですし。
フロントの男性と画家の男性の押し問答が繰り広げられている丁度その時、ホテルの入り口が開き、来客を知らせるベルが鳴り響きました。
するとそこに現れたのは――
「お、二人ともここにいたんだね。ただいま、今戻ったよ」
「カイくん! おかえり、どこか調子が悪いところとかはないかい?」
「ちょっと疲れていて寝不足なくらいかな?」
「よし、じゃあすぐ部屋に戻ろう、添い寝もしてあげようか?」
「うーん……お願いしたら本当にしてくれるのかね?」
「……恥ずかしいからなしで」
カイさんが無事な姿で立っていたのでした。
これ幸いにと、しつこいお願いをする男性から逃れる様にリュエが部屋へと向かい、私も断りを入れ、それについていくのでした。
「絵のモデルだって?」
「うん。一日中頬杖をつけって言われたよ。断ったけど」
ベッドに横になり、俺がいない間の出来事をリュエから聞かされていたのだが、さすが芸術の街。ただ言い寄るだけの男とは違う、少々暴走気味の熱意を持つ芸術家がいるようだ。
時間があればありじゃないかなーと思うんですけどね?
どこかに展示して、その後俺が買い取る事を許可してくれるのなら。
「私も服を脱いでみる気はないか、と誘われた時は、流石に……撃退したくなってしまいましたが」
「レイス、そいつの特徴詳しく。後で闇討ちしておくから」
「さ、さすがにそこまでは」
そんな彼女達の報告を受けながらも、俺は無事に取り返した髪飾りを取り出して見せる。
すると、パァっと表情を輝かせたリュエがそれを大事そうに受け取り、すかさず髪につけなおしていた。
「あの、また見つかるかもしれませんし、この国を離れるまで外しておいた方が良いのでは……?」
「大丈夫だと思うよ。向こうはもう取り返したつもりになっているし、この髪飾りだって盗んだ訳じゃない。盗まれた髪飾りの持ち主に事情を説明して、ちゃんと返してもらった物なんだ」
「持ち主とお話したのかい? それで、対になる髪飾りの情報も手に入ったのかな?」
「いや、それについては謎のままだったよ。ただ、恐らくこの街にはないだろう、と」
「……察するに、髪飾りの持ち主はこの国の王族、王妃やお姫様だったのではありませんか?」
するとレイスが、持ち主について詳しく聞きたそうに質問をしてきた。
ここで話しても良いのだろうか。何故だろう……エルが身体を乗り換えているという話をしていた所為か、二人には少し言い辛いと感じてしまう。
……いいや、それでも隠し事はしたくない。
何よりも、二人にとっても良い知らせになるはずだ。
「実は、髪飾りの持ち主……お姫様の事なんだけど――」
彼女から聞いた話を、搔い摘んで説明する。
そして紆余曲折を経て、王の養女になっている事まで。
その反応は劇的で、中でもレイスはワナワナと手を動かしながら、もっと詳しくと言いたげな様子を見せていた。
「え、エルバーソンの遺作が……その本人と共にあるなんて……! 図鑑に題名しか載せられておらず、複製画が一点だけ現存するという……いいえ、それよりまさか、ご本人が今もこの世界にいるなんて……」
「おーエルが生きていたなんて! 私もう、てっきり死んじゃったんだなって思いながら、昨日もずっと一階の絵に語り掛けていたんだけど……なんだか失礼なことしちゃったかも」
「ははは……立場上すぐには会えないだろうけど、この戦争になんらかの決着がついたら、会う機会もあるんじゃないかな?」
「本当かい!? じゃあ、その時は沢山お話しないとだね」
「わ、私も是非! 絵の解釈について、是非ご本人の意見を……なんと光栄なんでしょう」
二人の為にも、早くナオ君と合流しないと、な。
この戦争、きっと暗躍している人間がいる。それはきっと彼も気が付いているはずだ。
それに、スティリアさんが負傷した件も詳しく聞いておきたい。
全てが、繋がっている。根拠なんてない。だが、確かにそんな予感がするのだ。
「二、三時間だけ眠るよ。起きたら昼食を摂って……少しだけ観光してから、先に進もうか」
「うん、そうしようか。じゃあよく眠れるおまじないをかけてあげる」
「ふふ、では私は香炉を焚いておきますね?」
「はは、至れる尽くせりだ。じゃあ、おやすみ、二人とも」
心地よい感覚が身体に染み込み、そしてラベンダーに似た優しい香りを吸い込みながら、自分でも驚くくらい、一瞬で意識を――
心地よくて。このまどろみがいつまでも続けば良いのにと願う。
けれども、願えば願う程。意思を持てば持つ程、この心地よさが遠のいていき、そして――
「……おはよう、レイス」
目を覚ますと、レイスがそばに座り、静かに本を読んでいた。
タイトルは……『神話から今この時へ。スフィアガーデンが生まれた理由』この街の歴史を語る本のようだ。
「あ、おはようございます、カイさん」
「うん、おはよう。なんだか面白そうな本を読んでいるね」
「これですか? 先程、リュエが近くの書店で購入してきたんです」
「なるほど。そのリュエの姿が見えないけれど……」
「それが……三時間だけという約束、絵のモデルを引き受けていて……」
「ははは、じゃあそろそろ時間かな? よいしょ……迎えに行こうか」
驚くほど疲れが取れた身体に、二人が俺にしてくれた安眠の秘策は本物だと感心しながら、身体を伸ばし起き上がる。
さてさて、モデルとなったリュエさんがどうなっているのか、見物も兼ねて迎えに行きましょうか。
そうして一階に向かうと、画家と思われる三人組が、なんだか苦笑いを浮かべながらキャンパスに下絵というのだろうか? クロッキーに似た道具で線画を描いているところだった。
「……頬杖をついているはずじゃなかったっけ?」
「そ、そのはずですが……」
描かれているのは、まるで日曜の朝にテレビで放送でもしていそうな、ヒーローポーズ宜しく片手を腰に当て、もう片方の手を天に掲げているリュエさんの姿でした。
当然、当の本人もそのポーズを取りながら、心なしか自慢げな表情を浮かべていた。
「あ、おはようカイくん。もう一〇分待っておくれ、今私の雄姿を描いてもらっているんだ」
「あ、ああ……」
画家の皆さんは、少々悔し気に『どうして……』とぼやいていますが『うるせぇうちの娘描けて光栄だろオラァ』の精神で黙殺したいと思います。
可愛いじゃないか。これは是非一枚買い取らせて貰わないと。
そうして、無事に下絵が完成したところでリュエがこちらに戻って来る。
「じゃあ、次に来た時に見せておくれよ? そうしたら、今度こそ君達の言うポーズをしてあげるからね」
「は、はい……」
「どんな構図であれ……芸術に昇華させるのが我らの矜持……」
「これはこれでありなのか……?」
とりあえず俺も一枚、買い取る事を約束しておきました。
言い値で買おう。それでどこか高名な美術館にでも寄贈するのもありかもしれない。
そしてリュエを交えて、ここ、スフィアガーデンの観光へと繰り出したのだった。
翌朝。昼前には宿を引き払い、魔車に乗り込みスフィアガーデンを後にする。
後ろ髪惹かれる思いも強いのだが、今はナオ君と合流するのが先決だ。
情報が確かなら、ナオ君達はもう、蒼星の森へ向かっている。
そしてスタート地点が違う関係で、恐らくもうその森の入り口付近までたどり着いていてもおかしくないはずだ。
「全部終わったら、また行かないとだねぇ。私の絵がどうなるか楽しみだよ」
「ふふ、確かに気になりますね。……あのポーズでどんな仕上がりになるのか」
「そうだね。じゃあ、今回はエルのいる街には向かわず、このまま暫くしたら内陸側に進路を変えるよ。これでガルデウス領の反対側に回り込める筈だから」
「うーん、地図を見る限り、途中に休憩出来そうな場所もないし、野営になっちゃいそうだね」
「そうですね……出来るだけ、見通しの良い場所を確保しませんと」
魔車を走らせながら進路の確認を取っていると、早速分かれ道が見えて来た。
考えてみると、沿岸部の大半を抑えている帝国とそれに続く諸外国の兵力は、実はガルデウスを遥かに上回っているのではないだろうか。
具体的な兵力を記した地図はないが……戦争として見ると、追い込まれているのはナオ君達の方なのではないだろうか。
「……帝国そのものはあんな有り様なのに、な」
全貌が見えてこない。だが、一度起きた物はたとえ元凶をどうにか出来たとしても止められはしない……か。
それとも、この世界における七星解放というのは、戦争を吹き飛ばす程の意味を持っているのだろうか。
分からない。少なくとも、この大陸に来たばかりの俺には。
ナオ君の足取りを追い始め、スフィアガーデンを発ってから三日。
道中、明らかに戦禍の爪痕と思しき沢山の廃村、荒野を越えて来た。
大量破壊兵器がない世界でも、たとえ神隷期の人間、リュエのような大魔導士がいなくても、やはり魔術や魔法というのは、向かう方向を誤れば、多くの被害をもたらす災厄となる事を改めて思い知らされる。
それは無論、俺の力も同じだ。
この大陸にきて、俺は改めて『強い力』が存在する事が、周囲にどういう影響を及ぼすのか。それをまざまざと見せつけられたような気持ちにさせられていた。
そして今日の行軍はここまでにしようと、再びかつて厄災に見舞われたであろう、焼け焦げた瓦礫だけが残る、小さな村跡で野営をする事にした。
「カイくんやっぱりこういう場所は苦手かい?」
「少しね。俺自身、一歩間違えばこんな光景を、それこそ簡単に作り出せてしまうんだ。それを考えるとね」
「それは私も同じです。ですが同時に、戦争は集団が起こすもの。カイさんが一人で出来てしまう事を、多くの人間が同じ目的で行う事の方が私は恐ろしいと思います。やっぱり、戦争なんて間違いなんです……それも、こんな意味も大儀も薄い戦争なんて……」
かつて自らも戦争に身を置いたレイスの言葉が、深く心に染み込んでくる。
……一人より集団で行う方が恐ろしい、か。確かにそうなのかもしれない。
それは、もし誰かが止めようと心変わりしても、もう自分の意思では止められないのと同じなのだ。
……ならば、この流れを生み出した人間は……。
「ほらほら、難しい事を考えるのはやめだよ。私達は部外者で、カイくんはそんな部外者のおかしい戦いをぶち壊すだけなんだから。ほら、周囲に結界も張ったし、準備しよう準備」
「そうだな。じゃあ今日は出来あいの物じゃなくて何かしっかりと作ろうか」
「そうですね。幸い、近くに川も流れているみたいですし」
「燃えかけた看板を見る限り、ここは『アクリヴァー』っていう村だったみたいだね」
「なるほど……水源が近くにあるし、元々は広い畑でもあったのかもしれないな」
村跡の周囲に広がる焼土を見ながら、そんな感想を抱く。
……ここも、いつかは元の光景を取り戻す事が出来るのだろうか。
夕食の準備をしていると、周囲の様子を見ていたリュエが、何やら嬉しそうな顔をして戻って来た。
「なにか面白い物でも見つけたのかい?」
「うん。ほら、これ見てごらんよ」
「何かの書状みたいですね……ええと……」
薄汚れた書状には、この辺りに住む住人に、全員で近くの砦まで避難するように、という命令が書かれていた。
となると、少なくとも住人に被害はなかった、と見るべきなのだろうか?
「焼けた跡とか、周囲の地面の燃え方が不自然だったんだ。まるで攪乱の為に派手に燃やしたみたいな印象? 建物の被害に対して周囲の燃え方が弱かったんだよね。それで辺りを探っていたんだ。ほら見て、近くの土を掘ったら、まだお芋も残っていたくらいなんだ」
「じゃあ、住人はどこかに逃れたと見て良いみたいだな」
ははは、確かにこれは嬉しい発見だ。
戦いなんて戦いたい人間だけがすればいい。そこに無関係な人間巻き込むなんてまっぴらごめんだ。
「帝国は、思いのほか民を大切にする国柄なのかもしれませんね」
「帝国? 住人を保護したのは帝国なのかい?」
「そうみたいですよ。この書状、下の方に帝国の王印があります」
その印を見た瞬間、エルの顔が脳裏を過る。
……なんだよ、お前さんもちゃんと動いていたんじゃないか。
戦争を終わらせる事は出来なくても、自分に出来る事を自分なりの方法でやっているではないか。
「……土の下にある野菜、ちょっと拝借しちゃおうか?」
「そうだね、ダメになっちゃう前に私達で美味しく頂こう!」
案外、早いかもしれないな。お前さんが俺や、他の皆のところまでやって来るのは。
「あっちにジャガイモがいっぱいあったから、もっと採って来て良いかい?」
「食べる分だけにしておくんだぞ? 住人の皆さんが戻って来るかもしれないし」
「勿論だよ。よーし、掘るぞー」
夕焼けの中、楽しそうに芋を掘り起こすリュエを眺めながら『いつか仲間達と共に、こんな時間を過ごせる時が来たら良いな』そんな事を考えながら、空を見上げる。
……元々、無関係でなんていられる訳、ないよな。
なにせナオ君だけじゃなく、エルにも関りのある問題なのだから。
「……戦争って、どうやって止めりゃいいのかね」
「……関わると決めたんですね、カイさん」
「どちらかについて攻め滅ぼすくらいしか出来そうにないけれどね。それ以外の方法を考えてみるさ。幸い、俺達にはナオ君とのコネもある。必死に知恵を絞ってみるさ」
力は向ける方向を間違えれば、悲惨な光景を生み出す。
だが、それが必要ならば。それで失われるのが、消えてしかるべき存在ならば。
容赦なく振るおう。この村のような光景を作り出す事を恐れずに。
今まで散々好き勝手やってきたんだ。今更常識人ぶるのはやめろよ、俺。
「ところで……リュエはジャガイモを一人でどれだけ食べるつもりなんですかね?」
「……だんだん見つけるのが楽しくなってきたみたいですね……後でどこか近くに隠しておいてあげましょうか」
晩御飯、ジャガイモづくしになりそうだなぁ……。
(´・ω・`)じゃがいも美味しいよじゃがいも