三百六十六話
(´・ω・`)一部設定は書籍版基準になっていますが、違和感はあまりないと思います。
主にナオ君と関わる四巻の細部がこちらに反映されていますん。
魔導具の発達具合だけでなく、ダリアとシュンの知識が生きている影響だろう。
サーズガルドを発った船の速度はこれまで乗った船とは比べ物にならない程速く、乗船二日目にして、海路の半分を過ぎたという報告がなされたのだった。
が、やはり燃料の問題や推進部の魔導具の冷却時間を取らなければならなく、後半の旅は少しばかりスローダウンするのだそうだ。
「さてと……今日も今日とて釣り日和。冷却時間中じゃないと釣りが出来ないからな、急いで準備しないと」
そして俺は、この時間は釣りをすると決めており、既に甲板で準備を始めているレイスの元へと向かうのだった。
なお、リュエははむちゃんと一緒に船に設けられている簡易的な図書室に行ってる模様。
絵本の読み聞かせをしているのだとか。
ちなみに勿論その絵本の著者はダリアである。
『ピーチサム』『リトルプリースト』『三匹の子豚』『赤ずきんちゃん』などなど。
前半のタイトルについては、本人も『いつかは改名したい』とか。
「しかし明らかに気温が上がったよな……昨日今日で」
あのレイスですら更なる薄着、半そでにショートパンツという服装をするくらいだ。
まぁ、釣りの邪魔にならないから、という理由が主だとは思うのだが。
ともあれ、俺も甲板へと向かうのだった。
「ふー、日差しが強いな今日も」
太陽を手で遮る様にしながら甲板に出ると、既に端の方でレイスが釣り竿を出しているところだった。
すかさず向かい、足元にあるバケツを覗き込む。
「あ、カイさん。ふふ、今日の一番乗りは私ですね」
「そうみたいだね。それにしても……だいぶカラフルな魚が増えて来たね」
「そうですね、なんだか可愛くて食べちゃうのが申し訳ないくらいです」
「実際、そこまで味もよくないからなぁ……なんというか味が薄いような、身が脆いというか」
温暖な海の魚は、全部が全部可食に向いている訳ではない、と何かで見た記憶がある。
そういえば、沖縄の市場でもカラフルだったり縞模様が目立つ魚は並んでいなかったっけ。
恐らく、美味しい魚は限られているのだろう。
「ま、それでもこんな遠海まで来たんだし、魚種は豊富だろうね。そうだなぁ、こっちの海も温かいし、カジキ、グラディウスなんかもまだいるかもしれないよ」
「本当ですか!? やはり、魚を泳がせて大物狙いにしましょうか!」
「うーん、もしそれをするなら、船尾の方でやらないと効果は薄いかもね」
言うや否や道具を片付け船尾へ向かうレイス。実に可愛らしい。
彼女にならい、俺もそちら側で釣りを始めるのだった。
だが――
「釣れませんね……餌が悪いのでしょうか……それとも場所でしょうか」
「うーん、どうだろうなぁ」
主に俺が小さめの魚を狙い、彼女に餌を供給、と役割分担をしながら釣りを続ける事二時間。
その間、レイスの竿に当たりは一向に訪れないのであった。
するとその時、船員の一人だろうか、逞しい身体つきのおじさんがこちらへとやってくる。
「お二人さん、釣れているかい?」
「一応、こういう小さいのならちょいちょい釣れますね。彼女はこの魚を餌にしているのですが、今のところあたりはゼロです」
「そうなんです……もうすぐ船の速度があがるので、そろそろ切り上げようかと……」
「ん? トローリングなら速度が出始めてからが本番だろう? やりたいなら申請してくれたら道具一式貸し出すぜ?」
「あ! そうかトローリングがあったか! じゃあお願いしても良いですか?」
「おう、任せとけ。じゃあ兄さん達の竿はしまっときな。さすがにそれじゃ耐えらんねぇ」
すっかり忘れていた。最初から船の勢いでルアーや餌で釣るトローリングという釣り方を。
俺達の道具では届かない程遠くへと飛ばし、船の推進力で素早く引き回すこの方法は、巨大魚を釣る上ではもっともポピュラーな釣りなのだ。
なるほど……そんな釣りが行われているのだとしたら、カジキ漁が盛んなのだろうか?
「そ、そのトローリングというのはグラディウスも釣れますか!?」
「んー……ここまで遠洋に出ると、中々難しいな」
「そう……でしたか」
「だが、グルーパーなら釣れるぞ! 引きを楽しみたいならこれ以上はないと思うが……まさか姐さんがやるのかい? 悪いことは言わん、腕をダメにしちまうぞ」
「あ、このお姉さんセミフィナル大陸の闘技大会の覇者だったりします」
おっちゃんぶったまげてしまいました。
そうして、早速人生初体験となるトローリングを始めるのだった。
「ねーカイくん、これなら私にも魚が釣れるかな?」
「うーんどうだろうなぁ……確かにある意味運と筋力が物を言うところもあるし」
「そうだよね? なら私もやろうかな?」
「それでしたらリュエ、私と交代してみませんか?」
「良いのかい!? じゃあはむちゃんをお願いして良いかな?」
「ええ、任されました」
初めて数分してリュエもやって来る。
どうやら絵本を読んでいるうちにはむちゃんが眠ってしまったらしく、彼女におぶられていた。
それをレイスがそっと抱きかかえながら釣り竿を手渡す。
「……レイス、カジキが釣れなくて少しだけ熱意が冷めていたりしないかい? 竿をあっさりリュエに渡すなんて」
「そ、そんなことはありませんよ? 本当ですよ?」
「はは、そっか。ついでに漁師さんが言っていたグルーパーっていう魚だけど、たぶん俺の知っている魚と同種なら……下手したらカジキより大きいかもしれない」
「え、ええ!? あれよりも大きな魚が存在するんですか……?」
日本で言う『ハタ』の仲間で、高級魚とされる根魚の仲間。
体長こそカジキに劣るが、その体高や口の大きさ、見た目のインパクトから、まさしく怪魚と呼ばれる事もしばしば……サメですら食べるって聞いた事もあるな。
それがこの異世界でどんな姿なのか……ちょっと恐くなってきたな。
そんな怪魚っぷりをレイスに話すと、俄然興味が湧いてきたのか、なんだか羨ましそうにリュエを見つめだした。
「ははは、じゃあ俺がはむちゃんを抱いているから、俺の竿を使いなよ」
「い、良いのですか……? あ、でもこの子供のぬくもりをもう少し味わっていたいので、もうしばらくは大丈夫です」
そう言いながら抱きしめると、はむちゃんの頭がふにゃりと彼女の胸に埋まる。
……うらやまけしからん!
と、その時だった。俄かに空気が変わる。
肌をぴりぴりと刺激する殺気と、空気を震わす程の魔力の奔流。
その出どころは、当然のように彼女、リュエからだった。
「……来る、気配がする」
「リュエ……そんな本気な顔で釣りをするなんて」
「しっ、静かに。これが魚だって? こんな気配、神隷期に戦った魔物以来だよ。私が竿を持って正解だったかもしれない」
「そ……それほどなんですか……?」
するとリュエは無言で補助魔法を自分にかけ、さらに釣り竿にまで強化の術を使う。
おいおい、トローリング用で鉄パイプみたいな釣り竿だぞ……糸だってほぼワイヤーだ。それを強化だなんてさすがにやりすぎなんじゃ……。
「……来た!」
瞬間、彼女の身体が海に消えかける。
だが、咄嗟に生み出したであろう氷の壁が船壁から現れ、彼女を受け止める。
なんだ、今の速さは!?
「ぐ……ぐう! なんだいこれ……生き物とは思えないけど! 海底にかかったわけではない! ね!」
「竿が……折れてしまいそうです!」
「大丈夫、私の魔法は負けたりしない! でも……これ……魚とは思えない!」
初めて彼女が見せる苦悶の表情。
まさか臨戦態勢のリュエがここまで苦戦するなんて、どうなっているんだ!?
すると、騒ぎを聞きつけた先程の漁師さんが、血相を変えてやって来た。
「嬢ちゃん、手を放せ! そいつは釣れるもんじゃねぇ!」
「なに、言ってるんだい! もったいない、じゃないか!」
「そいつは『戦神魚アルビオン・グルーパーだ! そうか……そっちの姉さんは闘技大会の覇者って話だったな……その魚は強者の気配を読み取り食ってくるんだ。だが人間が釣れるモンじゃない、こういう時、俺達は降伏の証として白い造花を投げ入れてワイヤーを切るんだ。だから嬢ちゃん、悪いことは言わん……』
いや、たぶんレイスからリュエに竿が渡ったからだと思います。
リュエの強烈な『釣りたい』オーラを感じ取ったんだと思います。
「や、やだ! 絶対! 釣り、上げ、るんだ!!!!」
その時、静かにリュエのリールが巻き取られ始める。
カリカリという音が静かに響き、集まって来た人間が驚愕の表情を浮かべる。
「巻き始めただと!? そんな事が可能なのか!?」
「す、すげえ嬢ちゃんだ! おい、誰か船長に報告してこい、アルビオンに挑んでる人間がいるって!」
これはかなりの大事になってきたようだ。
いつのまにか目を覚ましたはむちゃんが、リュエを応援し始めている程だ。
「白ねーちゃん頑張るはむ! 今日の晩御飯はむ! フレー! フレー!」
「そ、そうですね! 頑張ってくださいリュエ! 初の釣果がかかっていますからね!」
「まかせて! おくれ! 今、ワイヤーを通じて相手の動きを読んでいるんだ……! このまま引き続けたら、いずれ弱って来る!」
キリキリと音が響き、気が付くと船の速度が少しだけ抑えられてきた。
恐らくこれが一番丁度良い速度なのだろう。
何度もリュエの腕が伸び、二の腕の筋肉が膨らみ、器用に竿を持ったまま自身に回復魔法をかけ続けるリュエ。
どうやら自分一人の力だけで釣り上げたいその様子に、俺もただじっと見守っていた。
そんな格闘が、一時間以上続く。
見物人は誰一人飽きる事なく、彼女の格闘を眺め続け、固唾を飲みその場を動けないでいる。
そして俺もまた、気が付けば握り拳を強く握っていた。
「すげぇ……すげぇよあの嬢ちゃん……今までこんなに持ったヤツなんざ誰もいねぇってのに……」
「ダリア様の友人って話だぞ……さすがただものじゃねぇ……」
「け、けどよう……本当に釣れるのか? 少なくとも俺が生まれる前から棲んでるって話だぜ……つまり二〇〇年以上は生きてるってことだ」
あ、そういえば船員さんの殆どがドラゴニアでしたね。さすがの長命種である。
しかしそんな長い時間を生きる魚なんているのだろうか……。
その時、見物人の一人が、双眼鏡を覗きながら大きな声で叫んだ。
『見えて来たぞ!』と。
「うおおおお! もうあんな場所まできてるぞ! 頑張れ嬢ちゃん!」
「まかせておくれ! 絶対、絶対釣るんだ!!!」
汗だくで、全身から湯気を上げるリュエ。
本気の彼女をここまで消耗させる魚がどんなものなのか、俺も視力を強化してワイヤーの先を見てみる。
すると、確かに激しい波の合間に、あまりにも大きすぎる黒い影が見え隠れしていた。
その影が、着実に近づいてくる。だが、ここで思わぬ落とし穴が。
「このままいけば、あの嬢ちゃんはここまでアイツを引き寄せるが……どうやって甲板にあげる? フックでも持ち上がらないんじゃないのか」
「なら、あの嬢ちゃんの魔法で強化してもらうのはどうだ。それで全員総出で引っ張りあげればいけるんじゃないか」
そう、大きすぎるのだ。
確かにこの船はかなりの大型船だが、さすがにこんな大きな魚を持ち上げる道具なんてありはしない。
荷物を積む為のクレーンのような道具もあるが、こんな船尾にはついていないのだ。
「それなら……! 大丈夫! みんな少し下がって、場所をあけておいておくれ」
まぁ、釣り竿を握っているのがリュエである以上、いくらでも手段はあるのだが。
すでに裸眼で目視出来る距離にいる怪魚が、ぐんぐんと近づいてくる。
恐らく持久力が尽きたのだろう。だが、それでも常人では引き寄せるのが困難であろう巨体を、彼女は常人場離れした力で巻き取っていく。
そして、再び空気が変わる。
「……行くよ、これが正真正銘、私の全力だ」
全身を震わせる闘気に、周囲の人間が委縮する。
レイスですら震え、はむちゃんに至っては俺の背中に抱き着いている程。
そして次の瞬間、リュエが大きく――吠えた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!! りゃああああああああああああああ!!!」
その時、船の上まで水しぶきが上がり、太陽を覆い隠すような巨体が飛び上がる。
この巨大な船ですら揺れ動かす衝撃、そして弾け飛ぶ水しぶきに皆が目を閉じる。
薄目を開け、ぼんやりと現れるその輪郭に、息を飲む。
「やったあああああ!!! 釣れた、私が、私が釣ったんだ! みんな見て! 私が釣った魚だよ! 人生で、初めての! 魚! 私が釣ったんだ!!!」
こちらの緊張を他所に、リュエが飛び跳ねながら喜びの声をあげる。
だが、それを見ても微笑ましいとはとてもじゃないが思えなかった。
……畏怖。この広大な海原に君臨していたであろう、この規格外の化け物、神と呼ばれた魚を前に、俺は七星にすら抱かなかった畏怖を覚えていた。
「こ……これはモンスターではないのですか……なんと巨大な……小さな頃のケーニッヒくらいあるではありませんか! こんな大きな生き物が海にいるなんて……」
目算、四メートルオーバー。体高ですら1メートルはありそうな魚は、そのサイズにさえ目を瞑れば、俺の記憶にも存在する魚種と似た姿をしていた。
ゴライアス・グルーパー。アメリカで釣りあげられる事もあるという、マハタ科の巨大魚。
だが、これはそんな地球産の物とは一線を画す大きさだった。
黄金と黄土色のまだら模様で、ゴツゴツとした体表のソイツは、自分が釣り上げられた事を受け入れているかのように、ただじっと静かに船の上に横たわっていた。
まるで『自分の負けだ』そう言っているかのように、静かにその大きな瞳にリュエを映している。
「ありゃ? この魚ひげが生えてると思ったけれど、全部千切れたワイヤーだね。これまで何百人も途中であきらめてきたのかな? ふふふ、凄いぞ私!」
「ははは……いや恐れ入ったよ……こんな大きさ、見た事がないよ……おめでとう、リュエ」
「お、おめでとうございます、リュエ。凄い……なんだか畏れ多いと感じてしまう程です」
そして、集まっていた人間達から、一瞬遅れて爆発したかのような歓喜の声が上がるのだった。
「ヤダ! これは私が釣ったんだから、私達で食べるよ!」
「し、しかし……長年海の神として君臨してきたこいつを食べちまうっていうのは……なぁ、頼む。こいつをどうか逃がしてやっちゃくれねぇか……」
騒ぎがある程度収まったところで、船員の一人がリュエに魚を逃がす事を提案する。
気持ちは大いに理解出来るし、俺も心のどこかでその方が良いのでは、と思っていたのだが……さすがに一〇〇〇年以上生きてきて初めて釣り上げた魚を逃がせと言われては、彼女も中々納得しないだろうな……元々この世界だとスポーツフィッシングのような文化も根付いていないし、キャッチアンドリリースという考え方も浸透していなさそうだし。
「……どうしても逃がさないとダメなのかい?」
「出来ればお願いしたい。あいつはある意味では俺達の信仰の対象みたいな物でもあるんだ」
「……そう、なのかい……」
ようやくリュエも納得したのか、トボトボと釣り上げた魚の元へ向かう。
大きすぎるその頭に手を触れ、語り掛ける。
「君を海に返す事にしたよ。でも、確かに私は君を釣り上げたんだ。だから、私の勝ちだよ、この勝負は」
まるで敗者に宣言するかのように。
すると魚もまた、それに応えるかのようにエラを大きく動かし、ゴポゴポと音を放つ。
……やっぱある程度知性があるのだろうか、人の意思を感じ取る程度には。
そのまま、魚を荷物の積み下ろし用リフトに乗せようと動かし始める。
するとその時、今の今まで大人しくしていた魚が突然暴れ出し、周囲の人間を弾き飛ばすように跳ねまわり始めた。
そして大きな口を開き――
「うわ! なにか吐き出した!」
「これは……胃袋を自分で吐き出した……のか」
甲板に散乱する、大量の小魚の残骸や石やサンゴ、何かの骨や疑似餌、ワイヤーの類。
まるでこれまでため込んできた物全てを吐き出すようにした後、自ら大きく飛び跳ね、甲板から海へと飛び込む巨大魚。
大きなしぶきが収まるまで、皆呆気にとられ言葉を発する事が出来ずにいた。
「最後の最後に、馬鹿にされた気分だよ……! やっぱり食べちゃえばよかった!」
取り残されたリュエが地団駄を踏むのを眺めながら、まずは慰めようと近づいたその時だった。
こちらの足に当たる硬い物に視線を下ろす。すると――
「リュエ、そうでもないみたいだよ。ほら、これ見てごらん」
「う? なんだいカイくんこんなガラクタ……」
消化されかけたのか、腐食の進む金属片や岩。だが、その中でも力あるものは、本物はその姿を変えず、残っていたのだろう。
船員さんが言っていた『強者の気配を読み取り食ってくる』それは、何も釣り人に限った事ではなかったのだ。
「『孤剣ライカンスロープ』に『宝環シルフィード』。それだけじゃない、全部神隷期に見た事のある物や貴重な物ばかりだ」
そう、掃き出した物品の中に見え隠れする輝きに、すぐさま『詳細鑑定』を使用した結果、そこに混じるゲーム時代の品々や、何かしら力を持った品を見つけていた。
「たぶん、敬意を評して自分の宝を受け渡したんじゃないかな」
「そ、そうなのかな……? うわぁ凄い……こんなの見たことないよ」
早速浄化の魔法を使い、現れた品々を確認するリュエ。
どうやら、先程までの悔しさはどこかへ行ったみたいだ。
いやはや……まさかこんな結末になるとは思いもよらなかった。
俺としては、あの巨大魚がどんな味なのか気になっていたという面もあったが、まぁ立場が立場だ。船員の不興を買う訳にもいかないからな。
ともあれ、こうしてリュエの人生における初めての大物釣りが成し遂げられたのだった。
「解放者ナオよ。此度の顛末は確かに理解した」
「はい、国王様」
「主の考えを尊重すると認めたのは私だ。故に、これまでの行いを咎めるつもりはない。事実、ダンジョンの消失により争いの種が消え、結果として住人の暮らしが守られた、という地方も数多くあるのも事実だ。だが――」
「はい。もう、僕の我がままを続けられない事は重々承知しています」
玉座の間。僕が最初にこの世界に現れた場所で、僕は膝をつき、胸を締め付ける感情に耐え、これからされる通告を受け入れる準備を、気持ちを整える。
「うむ。報告にあった男や、ダンジョン深部から持ち帰った呪物の解析は引き続き進めていくつもりだが、同盟国や貴族達の反発もある。いよいよ、本格的にナオ殿には七星解放に動き始めてもらうつもりだ」
「……はい」
僕は、勝てなかった。僕達は望む結果を、真実を手に入れる事が出来なかった。
勝てると思っていた。僕だけでは無理でも、三人でならきっと勝てると、そう思っていた。
でもその慢心が、あんな結果を……生み出した――
「近衛副隊長の戦線復帰は、現時点では難しいだろう。今、国の治癒師団から報告が上がり、治療が終わっても半年以上は確実に剣を振るう事、それどころか鎧を身に付ける事すら難しいという話だ。残念だが、スティリア・シェザードに命じた解放者護衛の任を解く事が正式に決定された」
「……はい。全ては僕の責任です」
「いいや、それは違う。彼女は護衛の任を全うしたのだ。確かに元々命じた七星解放とは異なる目的で動いていたのだろうが、ナオ殿は解放だけではいけないと、動いたのだろう。事実、この戦には不可解な点も多く、ダンジョン化の謎も解明出来ずにいる。他国や貴族からの反発の声も多いだろうが、私としては、その行いを咎めようとは思わんよ」
その、優しい言葉が。理解をしめすその言葉が、今の僕には、少しだけ辛くて。
「しかし、やはり周囲の目がある。先程も言ったように、正式に解放者である主を主軸に置いた遠征軍を編成する事になった。大陸最大の難所『蒼星の森』へ挑む以上、それなりのバックアップは必要だろう」
「了解しました。僕の方は、いつでも出発できます」
「うむ。だが――スティリア・シェザードが抜けた以上、代わりの人員を補充する必要がある。バックアップとしての軍でなく、共に戦う人間を、だ」
「っ! ……はい」
代わりなんていらない。彼女が戻るまで、僕は……たとえ一人でも。
幸い、マッケンジーさんは他に代えの効かない術師だからと、僕の護衛は続行される。
でも、僕はいつもの三人じゃないと、スティリアじゃないと……。
「残念だが、今回の件は広く知られている。最初こそ召喚主である我が国が人員を決める事が出来たが、今回はそうもいかない。今、各国の貴族達がそれぞれの代表者をこちらに派遣している。ナオ殿。誰か一人を自分で決めるつもりはあるか?」
「……僕が断ったら、どうなるのでしょうか」
「それぞれ総当たりで戦ってもらい、勝ち上がった者を護衛の任に付かせるつもりだ」
知らない間に決められるくらいなら。
僕が、決めた方が良いのかな。
嫌だよ、スティリア。僕は他の人となんて……。
「ナオ殿。おぬしの気持ちは痛い程理解出来る。今日のところは下がると良い。先程言ったように、スティリア・シェザードの治療も一先ず終了している。顔を、見に行くと良いだろう」
「……はい、王様。今回は、本当にお手数をおかけし、またこのような大ごとにしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
王様と僕だけ。たった二人だけの謁見が終わり、部屋を後にする。
……会いたい。僕の所為で戦えなくなった、スティリアにもう一度謝る為に。
そして僕は、部屋の外で待っていてくれたマッケンジーさんと共に、彼女に実家であるシェザードの屋敷へと向かうのだった――
「あまり気に病むな、とは言えぬ。あの時、主を守れなかったのは儂も一緒じゃからな。だが……我らに命じられた任務が主の護衛である以上、今回の件の責任はお主にはないのじゃ。それに、スティリア嬢はこれまで長い休暇をとらずにいた。今は、ゆっくりと休ませてやれる事を幸いに思うくらいで良いじゃろうて……」
「……でも、やっぱり僕がもっと強ければ……」
「いや。彼奴はそれでも勝てぬ相手じゃ。少なくとも、儂はあそこまで得体のしれない強さを持つ者など知らぬ。かつて、カイが、カイヴォンが見せたあの強さにすら匹敵する程……残念じゃが、儂らでは挑めない相手なのやもしれぬ……少なくとも今の段階では」
貴族街の道すがら、マッケンジーさんが慰めの言葉を……違う、これは事実だ。
未だ納得のいかない僕に言い聞かせるように、優しく諭してくれる。
そうして気が付けば、僕達はスティリアの実家、シェザード家に到着していた。
初めて訪れた彼女の実家は、まるで美術館を思わせる程、美しい絵画や美術品が並べられていた。
なんでも、当主であるスティリアのお父さんが有名な収集家であるのだとか。
今は芸術の都『スフィアガーデン』にある別宅で、自分の肖像画を描いてもらっているそうだ。
そうして数多くの絵画を通り越し、彼女の部屋に通されたのだった。
「ナオ様! 来てくださったのですか」
広い、部屋。部屋にも絵画が飾られていたけれど、ベッドから起き上がった彼女は、そんな絵画よりも美しく、そして同時に儚く映った。
いつもより気持ち血色の悪い肌と、いつも漲らせているようなエネルギーが弱まっているような雰囲気に、またジクリと胸が痛む。
「情けない姿を見せてしまい、申し訳ありません」
「そんな事、ないよ」
ベッドの脇にある椅子に腰かける。
気が付くと、マッケンジーさんの姿がなかった。どうやら部屋に入るのは遠慮してくれたみたいだ。
「……王からの指令は、先程知らされました。ナオ様を、貴方を最後まで守り抜くという約束を……果たせなくなってしまい……心から、お詫び申し上げます……」
「僕の方こそごめん。僕の我がままに付き合った挙句……僕をかばって」
「当然の事をしたまでです。貴方を守れた。それが出来ただけで、私がどれほど安堵したか。どれ程嬉しかったか。よく、生きていてくださいました、ナオ様」
そう言いながら、彼女は震えながらゆっくりと腕を僕に伸ばす。
その手を握る。ひどく、弱々しく握り返す彼女。
「ふふ、驚いたでしょう。今は、リンゴですら掴み取れないのです」
「……一体、どうして……」
「重度の呪いと、肉体内部に作用する魔術的なダメージによる物だ、と」
あのローブの男から放たれた光の奔流が、僕を襲った。
その時、彼女が僕をかばい、全てを受け止めてくれたんだ。
その結果、彼女は自分で立ち上がる事も、呼吸をする事すら難しい瀕死の状態に陥った。
命からがら撤退した僕らを、あの男は追って来ようとはしなかった。
それはまるで、僕達なんて取るに足らない存在だとでも言うかのようで。
「今は、命をつなぎ止める事に全ての力を回しているそうです。ですので、筋力が戻るのはその後、ゆっくりと時間をかけて、という話でした」
「……ごめん……僕が、もう少し強かったら。もう少し、慎重だったら」
「……確かに、私達は少々、相手の力量を甘く見ていたかもしれません……ね」
前人未踏のダンジョンを幾つも制覇し、多くの強者との手合わせも受け、そして僕の成長に、誰もついてこれなくなって。
だから僕は慢心していたんだ。もう、誰かに負ける事なんてないのだ、と。
「……今日、ここに来たのは、見舞いの為だけではないのでしょう?」
「……うん。王様に、代わりの護衛を選べって言われたんだ。でも――僕はスティリアが戻るまで、そんなの必要ないって――」
「それはダメです。貴方は、万が一にも死んではならないお人です。私を気遣っているのなら、その考えは捨てるべきです」
儚げな表情を一変させ、彼女が言う。自分を気遣うな、自分の代わりを入れるべきだと。
それがなんだか、自分を使い捨ての道具だと言っているみたいで、僕は少しだけ、反発してしまった。
『スティリアは、代わりの効く道具なんかじゃない、絶対に僕に必要な存在なのだ』と。
けれども、何故かその言葉に彼女は言葉を失い、口を利いてくれなくなってしまった。
騎士の義務を軽んじる言葉、だったんだろうか。僕の言葉は、彼女の生き方否定する、酷い物だったのだろうか。
「…………それでも、僕は代わりなんていらないんだ」
「……でしたら、貴方の身を守る為の手段を増やす、と考えてください。いつか……いつか私が戻る場所を、貴方がいなくなってしまうのを、防ぐための手段だ、と」
「っ! 僕を守る手段……」
「は、はい。私が……戻るまで、貴方が無事でいられる為に。だから、どうか受け入れてください、その新たな人物を」
代わりじゃなくて。僕を守る為の、新たな力、存在として。
……そうだよ、新しい三人目なんかじゃない、四人目として受け入れる。
そんな事ですら、僕は気が付けなかったのか。
「……分かったよ、スティリア。僕が、僕自身が見定めるよ。新しい仲間を」
「はい。きっと、今のナオ様ならば、良い仲間を見定める事が出来ると思います」
「……うん。スティリア、ありがとう。僕は絶対に死なないよ、君が僕の隣に戻って来るまで、絶対に……」
なんだか、妙に気恥ずかしくなって。
ほんの少しだけ続く静寂がむずかゆくて。
ずっと張りつめていた気持ちが、ようやく溶けほぐれて。
少しの間だけ、僕も一緒に彼女の隣で、静かに過ごすのだった。
(´・ω・`)さぁ、八巻はつばいまで更新ペース上げていくぞ