三百六十二話
(´・ω・`)エピローグその2
「ご無沙汰しています、里長」
アマミの家で一夜を明かし、シュンに促されるように早朝から里長の屋敷へ向かう。
数度のノックの後に開かれる扉と、そこから現れた館の主。そして、はつらつとした調子で挨拶をするシュン。
そして問題の里長だが……随分と人間らしいリアクション……すなわちとても眠そうな様子で、珍しく不機嫌そうな表情を浮かべていた。あーあ、俺は知らんぞ。
「……まだ空は青に変化していませんが」
「ですが、もう四時でしたので。本来ならばあの異変が解決した後にすぐ向かうつもりでしたが、こうして挨拶が遅れてしまい、申し訳なく思っています」
「……せめてもう二時間程ベッドにいたかったのですが……」
「む……それは申し訳ない……」
シュンよ。お前は遠足当日の小学生か。気持ちは分からないでもないが……止めなかった俺も同罪ですね、分かります。
すると、溜め息と共に里長が観念したように俺達を迎え入れてくれた。
そして、悪気が一切ないシュンに代わり、俺がこのツケをはらうことに……。
「カイヴォンさん。朝食はとびきり美味しい物を用意してくださいな。それで手打ちとしましょう。もしくは……そこの彼のお尻を私に差し出すか……」
「俺としては後者でも問題ないのですが、料理を振舞うのは好きですので今回は前者で」
「はい、少し残念ですがそれで……すみません、もう一時間だけ横になります」
という訳で、早速朝食作りに向かうのだった。
「シュン、お前なんでジュリアの事になるとこうなんだ? 常識的に考えて早すぎだろ」
「わ、分かってはいるんだが……すぐ近くにいると思うとどうしても急いてしまって」
「お前、俺に感謝しろよ? 危うくお前の男の尊厳が失われるところだったんだから」
「なんのことだ、それは」
「……まぁ良い。さて、じゃあ何を作ろうかね。シュン、なにかアイディアはないか」
「ふむ……朝から重い物は避けるべきだな」
「いや、里長なら寝起きでステーキ二枚くらい余裕でいける」
「そうなのか……じゃあ肉にするのか?」
「保冷庫の中を見る限り頻繁に肉を食べてるみたいだし、それ以外にするかな」
考えながらも、既に手を動かし始める。
まぁどんな料理でも使うであろう野菜の代表格である玉ねぎやニンニクなら、下ごしらえをしておいて損はないだろう。
そうして作業していると、なんだか不思議な気分に陥って来る。
横にいるのが、リュエでもレイスでも、ましてやダリアでもない。シュンだという事が。
ずっと、別離の道を歩んできた相手。敵対し、袂を分かつ事にもなりかねない状況にまで陥った、そんなかつての親友。
それが今、再び俺の隣にいる。それも――昔と変わらない、ワクワクと瞳を輝かせながら。
「……そうしていると昔と変わらないのにな。どうしてそんなにお堅いキャラを演じているんだ?」
「まぁ癖のような物だ。ダリアはまだ良い。だが俺はヒューマンだ。この容姿も相まって、色々と大変だったんだよ、この数百年間は」
「……ま、それも道理か。さて、じゃあどうすっかな、これから」
「な、なぁ……お前は本当に何でも作れるのか? 正直お前の手料理を食べた回数なんてダリアと比べたら僅かだ。そもそもどれくらい作れるのか詳しくは知らないのだが」
考えてみればそうだった。こいつとはゲームで知り合い、そして現実世界で一緒に遊んでいた友人とはいえ、その密度はダリアと比べるまでもなく薄い。
食事だって一緒に居酒屋やファミレスに行く程度で、手料理なんて数えるくらいしかふるまっていなかったな。
「そうだな。お前がよくゲームしながら食べていたポテチとコーラを完全ではないが、ある程度再現できる程度にはなんでも作れるぞ。趣味がレシピあさりだったしな」
「は!? コーラなんて自分で作れるものなのかよ!?」
「ああ。あの色は難しいが、味だけなら有名な会社のヤツよりも美味い、本格的なヤツもいけるが」
「マジか……さすがに朝食で頼む物じゃないから今は控えるが……今度頼んで良いか」
「んじゃそのうちあの都市で流通してる食品のリストでも用意してくれ」
そんなこんなで、結局俺が作ったのは、粗びきの牛肉と玉ねぎ、その他香味野菜やにんにくをふんだんに使ったタコライスもどきだ。
肉の大きさがひき肉の比じゃない為、食べ応えも中々のもの。
上に乗せた半熟目玉焼きとピリ辛の味付けが、ライスと相性抜群である。
その結果、どうにか里長の機嫌も回復し、無事シュンの貞操は守られたという訳だ。
結局肉である事には変わりないが……野菜も入っているし? 実質サラダだなこれは。
「また新しい料理を……レシピに追加しなければいけませんね」
「そういえば、以前渡したノート、しっかり活用していたみたいですね」
「ええ。無断で一部を複製、配布してしまったのは申し訳ないとは思ったのですが」
「いえ、構いませんよ。お陰で……俺も、凄く救われましたから」
「ふむ……良く分かりませんが、それなら良かったです。それで……結局今回の訪問はどういった理由なのでしょうか?」
俺は、シュンがジュリアの目覚めをここで待ちたいという旨と、今里の外、宿場町にアマミの雇い主が来ている事を伝える。
そして――この人にならば、真実を伝えても良いだろうと、俺は彼女の真実を伝える。
「……実の父親、ですか」
「ええ。アマミにはまだ秘密ですが、アークライト卿は既に間違いなく自分の娘だ、と」
「そうなのでしょうね。ならば、面会を許可しましょう。私も、あの子の父親ならば話をしてみたいと思いましたから」
「……では、彼をここに入れますか? それとも里長が出向きますか?」
「そうですね……貴族という事もありますし、念のため私が向かいます。カイヴォンさん、貴方は里の様子を見て回ってください。子供達も貴方に会いたがっていますから」
遠回しに、二人だけで面会したいと望む里長の意を汲む。
親同士……になるのだろうな。
食器の片づけを買って出て、彼女には早速アークライト卿の待つ酒場へと向かってもらう。
俺も立ち会いたい気持ちもあるが……こればかりは当人同士で先に話をさせるべきだろう。
「シュン、片付けを手伝ってくれ」
「任せろ。料理は出来ないがこれくらいなら俺にも出来る」
そうして食器を洗っていると、玄関の扉が開く音がした。
里長はさっき出たはずだし、恐らく来客だろうと玄関へと向かう。
するとそこには、アマミとクーちゃんの二人組の姿が。
「あ、カイヴォン大丈夫だった? 寝起きの里長ってかなり機嫌が悪いんだよね」
「ああ、それならなんとか新しい料理を振舞うって事でチャラになったよ」
「かいぼん、にんにくの匂いがする! 新しい料理私も食べたかった」
「ははは、さすがに分かるか。じゃあお昼に作ってあげるよ。それで、二人はどうしてここに?」
「カイヴォンが戻ってるってクーちゃんに教えたら会いたいってさ。どうせ里の様子も見に行くんでしょ? だったら付き合おうかと」
「ほほう、お兄さんに会いたかったのか。中々嬉しい事言ってくれますな」
「うん。かいぼん好きだもん。なんでも知ってるし面白いし」
「……素直返されるとなかなか照れるな」
ともあれ、片付けが済むまで二人にも食堂で待ってもらうことに。
里長の所在も聞かれたのだが、念のため今は秘密にしておく。
まぁ恐らく問題はないとは思うのだが。
「あー! カイヴォン、シュン様になんて事させてるの!? シュン様、私が片付けますから休んでいて下さい」
「いや、構わない。洗い物なら慣れている。そっちこそ座っていると良い。カイヴォン、お茶でも出してあげたらどうだ?」
「自ら洗い物を増やしていくスタイル。嫌いじゃないけど好きじゃないよ」
「いいから淹れてくれ。なんなら俺がコーヒーでも淹れるが」
「ふむ。なら洗い物は俺が代わるから淹れて貰おうかな?」
シュンの提案で思い出す。確かコイツは無類のコーヒー党だったはずだ。
俺が料理にこだわる様に、こいつもなかなかコーヒーには煩かったと記憶している。
……飲む酒もカルー〇系ばかりだったしな。
「い、良いんですか?」
「ああ、丁度面白い物を持っていてな。なんとドングリを使ったコーヒーだ」
するとシュンが虚空から、どこか見覚えのある包みを取り出して見せた。
間違いない、あれは俺達が収穫祭の屋台で使用していたドングリラテの原料だ。
なぜそれをこいつが持っているんだ……?
「ん、これか? 以前ダリアとセミフィナル大陸の収穫祭に向かった際、ある屋台の主人から譲り受けた物だ。なかなか美味しいぞ、代用コーヒーとは思えない味だ」
「……お前、気が付いていなかったのか……その屋台の女主人、レイスだぞ? ついでに言うとそのチップを作ったのは俺だ。まさかこんな……不思議な縁もあるもんだな」
「なんだと……じゃあお前はこれをもっと用意出来るのか? ちびちび飲まなくても良くなると? 量産出来るのか、これを」
「ふむ……この大陸の気候じゃドングリは難しいだろうが……」
ここ、亜熱帯気候だし。
セリュー共和国ならもしかしてどこかで手に入るかもしれないが……。
「ドングリってあのドングリ? 里の森で採れるよ? 私の家に沢山ある。あれでスモークすると良い香りが付くんだ」
すると、話を聞いていたクーちゃんがそんな事を言い出した。
なるほど、言われてみればここの森は、どこか気候の違う、不可思議な場所を間に挟んでいたと記憶している。
なら、ここならドングリ、マテバシイの実が手に入るかもしれないな。
「ふぅむ……じゃあ今度クーちゃんには作り方を教えようか。里で作ってこいつに売りつけてやれ。こいつ金持ちだから、じゃんじゃん買い取ってくれるぞ」
「本当? 最近ニンニクオイルの売り上げが頭打ちになってて、新しい目玉が欲しかったんだ。シュン君、お金持ちならいっぱい買ってね」
身長の所為で子供に見られている模様。
どこか複雑そうな表情を浮かべながらも、未来のドングリチップ生産者の誕生に、少しだけ嬉しそうな顔を浮かべているのだった。
その後、里を見て回り、何か困った事はないかと聞いて回ってみたのだが、現状は至って平和で、不満もなく、毎日美味しいごはんも食べられて幸せだと皆口をそろえて言っていた。
ふむ、ならば今回はこれくらいで問題ないだろうか。
「え、カイヴォンもう戻っちゃうの?」
「ああ。アークライト卿を送り届ける必要もあるしな。元々、シュンの送迎の為に来ていたんだ」
「ふむ、ジュリアの目覚めまで拘束する訳にもいかない、か。俺がいない代わりに、カイヴォンには王都の警備、それに害獣や不穏分子の制圧も行ってもらう予定だったな」
「あいよ。という訳で、今日また発つ予定なんだ。まぁまた少ししたらリュエ達と戻って来るがね。結界の調整や、ジュリアの容態の確認もしたいし」
「あの、さっきから言ってるジュリアさんって……」
「前回立ち寄った時に一緒にいた女の子だよ。今は治療中なんだ」
「そうなんだ……分かりました。シュン様、この里に滞在している間、困った事がありましたらなんなりと仰ってください」
「ああ、ありがとう。そちらもあまり気負わないでくれると嬉しい」
シュンなら一人でここに残しても問題はないだろう。
今頃里長もあの酒場で会談を終えている頃合いだろうと、少々名残惜しく急ではあるが、里のみんなに別れを告げる。
まず間違いなく、近い内にもう一度訪れる事になるとは思うのだが。
……この大陸が変わっていく以上、ここの立ち位置も絶対に変わっていくのだろう。
この土地も元々、フェンネルが個人的な縁で初代里長に貸し出した場所だという事実がある以上、いつかは里長も首都に顔を出す必要も出てくるだろうし。
その辺りの話についても、きっとアークライト卿が切り出してくれているはずだが……。
里の境界に位置する森を通り抜けていた時だった。
途中にある切り株の点在する広場で、里長が腰かけ休んでいた。
もう話は済んだのかと、彼女の元へと向かい、声を掛ける。
「あら、カイヴォンさん。もしかしてもう出発ですか?」
「ええ。里長はもう用事が済んだのですか?」
「ええ、一通り彼の人となりは分かりましたよ」
少しだけ嬉しそうに、けれども疲れを滲ませたような笑みを浮かべる里長。
……よかった。どうやら険悪な関係にはなっていないようだ。
「……どうでしたか、アークライト卿は」
「ふふ、そうですね……歳の割に体力もあり、技量も中々……案外経験豊富な様子でしたね。アマミの父親でなければ、あの場所でそのまま一戦交えたいと思える程の男性でした」
「…………まず俺の聞きたい事ではないという点と、それが戦いではなく性的な意味での事なんだろうな、という点。いろいろツッコミたいところですが、とりあえず我慢します」
「あら、突っ込みたいのですか?」
「……とりあえず、お眼鏡にはかなったという事ですかね?」
おふざけが過ぎるようにも思えるが、これが今、彼女が俺に話せる精いっぱいなのだろう。
思うところだってあるに違いない。不満だってないはずがない。
だがそれでも、こうしてふざけながらも評価しているのなら、それが全てなのだ。
「……本当に、貴方も中々に厄介ですね。ええ、あの人物は善人ではありませんが悪人でもない。どこまでいっても貴族であり、父親でしかない。そういう人間は好きですよ」
「どちらかに傾倒している人間は厄介ですからね。さて、じゃあ俺も行きます。もしかしたら近いうちにまた来るかもしれませんが――」
「いいえ。今度は私から向かいます。厄介な存在が消えた以上、正式に私もこの地の所有権を手に入れておきたいところですしね。その時は宜しくお願いします」
……そうか。彼女もいずれ、城に顔を出すと決めたのか。
ならば、その時は精々主都の案内を任されるとしましょう。
変化は、逃れられない。けれども彼女が自ら動くのならば、それはきっと、彼女達にとって喜ぶべき物になるのだろう。
里長に別れを告げ、アークライト卿と合流を果たすべく酒場へと向かう。
どうやら、今は店を閉めているらしく、マスターの姿もない。
時刻は夕方前。そろそろ開店時間のはずだが、恐らく二人の会談の邪魔にならないよう気を回してくれたのだろう。
二階へと向かい、アークライト卿の部屋へと向かう。
「アークライト卿、お迎えに上がりました」
声を掛けるが、返事はない。もしや会談の場を移したのだろうか?
扉から離れようとしたその時、室内から微かなうめき声が聞こえる。
何事かと扉を開く。だが……そこにはベッドに寝転び、疲れ果てた様子のアークライト卿がいるのみ……何故に? いや、もしかして眠っていただけなのだろうか?
「カイヴォンか……そうか、もう行くのか?」
「え、ええ……あの、どこか具合でも悪いのでしょうか? 里長との話は……」
里長というワードを口にした次の瞬間、アークライト卿の身体がビクリと跳ねた。
…………一体なにがあったんですかね?
「……深くは聞きませんので、とりあえず行きましょう」
「う、む…………恐ろしい女性だった……あれは……恐ろしい……」
どこか腰の抜けたような、そして膝を震わせる彼に肩を貸しながら、帰りの魔車は静かに走らせようと心に決める。
……まさか『本当に一戦交えた』んですかね?
「ぐわーやられたー」
「へへー、どうだまいったか悪い魔女め!」
「こ、こら! 申し訳ありませんリュエ様……息子はまだこの状況を理解しておらず……」
夕方。お昼ご飯を食べ終えた私は、王様の息子『リオン』君の遊び相手を務めていた。
やっぱり、王様やお后様の興味は古エルフの暮らしぶりや、自分達のルーツに関わる事だったのだけれど、今日はその中でも『フェンネル』についての話を沢山する事になった。
『二代目国王“レヴィン”』。意外な事に、彼はフェンネルの息子ではなかった。
ブライトの一族を束ねるフェンネルが、あくまで次期族長として見出した若者に、王としての役目を引き継がせたに過ぎなかったのだ。
そして今、次の時代の王、次期国王となるであろう一人息子と私は交流を深めていた。
「大丈夫、この子は純粋に知っている事を口にしただけだからね。本当に悪い魔女、恐い存在ならこんな風に一緒に遊んでくれないさ。ね?」
「うん? お姉ちゃん、次は何して遊ぶ? 僕の部屋来る?」
懐かしくて、嬉しくて。かつて失った物が、少しずつ戻ってきたような、そんな感覚。
私が王様に話した『龍神と魔女の真実』は、当然ながら最初は受け入れてもらえなかった。
とりわけ彼の娘である『シーリス』ちゃんの反発はすさまじかった。
幾ら思考が歪められていたとはいえ、それに傾倒していた人間の『そういった考えの元に行って来た事』を完全に消す事は出来ない。だからこその反発。
彼女からすれば、周囲の人間の変化こそ、私が魔女である証。何かよからぬ術を使ったのだと、そう言って彼女はきかなかったのだ。
それに、彼女について良くない噂が多かったのも悪い方向に働き、今は離宮で謹慎中だとか。
出来れば、もう一度くらい彼女と話しておきたいという気持ちもあるのだけれど。
「……リュエ殿。今日まで貴女には多くの事を教えて頂きました……ですが、それらの真偽を確かめる術は我らにはありません……ただ、私はそれを真実だと信じたいと思います」
「今はそれだけで十分さ。少なくとも、理由のない恐れは消えた。だから……また少しずつ、長い時間をかけて変わっていけたらそれでいいと思うよ、王様」
少なくとも、この国を襲った驚異を鎮めた人間達の中に、私という存在が含まれている。
白髪の私が国を救う手伝いをしたという事実は、絶対に消えたりはしないのだから。
終わっていなかったんだ。かつてあの森を襲った悲劇、龍神の脅威という危機は、未だその影をこの大陸に残していた。それが今、ようやく本当の意味で消え去ったのだ。
きっとここから始まる。本当の彼らの国が、歴史が、この時から。
「……リュエ殿に出会えてよかった。どうです、リオンもなついているようですし、この国に留まるおつもりはありませんか? 貴女がいれば、きっとこの国はもう間違わない」
王様とはつまり、ブライトの族長。かつて私を置き、そして捨てた一族が、今再び私と共にありたいと、そう言ってくれた。
それだけで、私は満足だ。長い長い悪夢がようやく晴れるような、そんな晴れやかな気持ちで満たされていく。
「残念だけど、私は旅を続けるよ。国も間違っていいんだ。間違ったら、それを正す誰かがきっとこの国の中から現れる。それに耳を貸す事を忘れなければ、何度だってやり直せるよ」
「そう、ですか。ええ、そうでしょうとも……少しばかり残念ではありますが」
私達の話を全て理解していた訳ではないと思うけれど、それでも私がいなくなる事は分かったのだろう。リオン君が手をぎゅっと握ってくる。
「お姉ちゃん、どこかに行くの? ずっとここにいてよ」
「ごめんよ? でもまた遊びに来るから、安心しておくれ」
「じゃあ……将来僕のお嫁さんになってくれる? そうすれば父上と母上のようにずっと一緒にいられるよ」
「……ふふふ、嬉しい事を言ってくれるね? でも残念、お姉ちゃんはもう結婚する相手を決めているんだ。だから、君は将来別なお嫁さんを見つけないといけないんだよ?」
その瞬間、酷くショックを受けたような表情を浮かべ、リオン君が部屋から走り去ってしまった。
……あ、そうか。今私は……男の子の告白を断ってしまったんだ……。
「ご、ごめん王様。私酷い事を言ってしまったね!?」
「くくっ……ははは、構いません。初恋は実らぬもの。私も通った道ですから」
「そ、そういうものなのかい……?」
「ええ、そういうものです」
もう一度王様に謝りながら、今日の会談を終える。
……殆どお喋りしたりリオン君と遊んだりしただけだけれど。
たぶん、今日でこの会談も一段落着いたのだと思う。
劇的に何かが変わるわけでも、すぐに結果が出るわけでもないと分かっているけれど、それでも、私は自分の役目を――あの森に最後まで残ったエルフとしての責務を遂げられたのだと思う。
王族に託した、森の魔力。
心を広げ、他者や自然と繋がる為の原初の魔力。
それが今も確かに王様に根付いていた事を確認出来た以上、もう心配はないから。
「繋がりは、決して消えない。森を離れても、その魔力はきっとみんなに繋がっていく。私達は元来、生まれた森と繋がっている種族だから……ね」
尤も、私は森で生まれたエルフではないのだけれど。
それでも、あの場所で過ごした年月は、間違いなく私に森の魔力を染み込ませてくれた。
つまりあの場所そのものに『ここはお前の故郷だ』と認められたようなもの。
その私が、彼らの起源である魔力を次代に繋げる事が出来た。こんな私でも、エルフ達の営みに連なる事が出来たんだ。
「嬉しいな……やっと、私も君達の一員になれたんだ」
その実感と喜びを噛みしめ、私は自室へと緩む頬を隠しながら戻るのだった。
「では俺は城に戻ります。アークライト卿、道中お疲れ様でした」
「うむ……いや、川下りに比べたらどうという事はなかったが……お前は随分とタフなのだな。確かに今は休む暇もないのだろうが、少しぐらい休憩していってはどうだ」
「うーん……確かにベッドで休みたいという欲求はあるんですが、とりあえずダリアに報告もしないといけないので」
里を出発してから四日。川を上る事はさすがに出来ない為、向かう時の倍時間がかかってしまった。
都市の状況が四日間で劇的に変わるという事はないのだが、どうやら港からの貨物船の運行が復活したらしく、遠くに大型の船の姿が見えた。
しかし、まさかアークライト卿にまで心配されてしまうとは、そんなに働き過ぎだろうか?
「レイラも心配していた。休めとは言わんが、心配させた詫びも兼ねてレイラに会ってやってくれ。私も娘の淹れた紅茶を久しぶりに飲みたいのだ、付き合うくらい良いだろう?」
「……そうですね、友人の家に来て顔を出さないのも不義理ですし、ご一緒させて頂きます」
さすがにここまで言われて断るわけにもいくまいよ。
随分と久しぶりとなるが、レイラの待つ屋敷へとお招きにあずかる。
料理上手な彼女の事だ。きっと淹れる紅茶も相当なものなのだろう。
そうして案内された屋敷内は、相変わらず天井の随所に配された天窓から優しい光を取り込み、まるで森の中にいるのでは、と錯覚する程の清々しさだった。
屋敷のどこからか、甘い香りが漂ってくる。これは焼き菓子か何かだろうか?
すると家令の男性が、レイラを伴い玄関ホールへとやってきた。
「おかえりなさいませ旦那様。長旅、お疲れ様です」
「おかえりなさいお父様。それに、カイヴォン様! ようこそお出で下さいました」
エプロン姿のレイラが嬉しそうに話しかけてくる。
こうしてみると……確かに美人だ。さすがアマミの双子の……妹? 姉? どっちだ。
「久しぶりだ。なにやら良い香りがするが……クッキーか何かか?」
「ふふふ、実はですね、今日はビスケットという物を作ってみたのです」
するとレイラが小走りで屋敷の奥へと消え、そしてすぐさま皿にのせたソレを持ってきた。
ビスケット。一瞬よくあるクッキーに似た菓子を想像したのだが、彼女が持って来たのはアメリカ式、つまりサクサクとしたパイ生地に似たタイプの物だった。
凄いな……そういえば日本でも一部のファストフード店で取り扱っていたっけ。
が、手作りの物となると俺も実物を見るのは初めてだ。
「ここ数日、王城で行われているお茶会に招待して頂いているのですが、そこで振舞おうと思って練習していたのです」
「そうだったのか……髪は問題ないのか?」
「はい。リュエ様のお陰で、私も髪色を偽らずに入城出来るようになったのです」
少しずつではあるが、確かに感じる国の変化。
父であるアークライト卿もまた、娘が嬉しそうに話すその内容に、どこか感傷深そうに頷いていた。
その後、早速彼女が作ったビスケットを頂きながらアフタヌーンティーとしゃれ込み、久方ぶりに落ち着いた時間を過ごす事が出来たのだった。
……悔しいが、少なくとも菓子作りの腕だけは俺では敵いそうにないな。
ちょっと悔しいので今度から色々思い出しながら作ってみるかね、俺も。
「ではこれで失礼します」
「ああ、無理を言って済まなかったな」
そして今度こそ城へ向かう為、屋敷を後にする。
どうやらアークライト卿もこの後、この都市に住む貴族達との会合に出席する予定があるらしく、案外、彼もこうして落ち着いた時間を過ごしたかったのではないか、と推理する。
国が大きく揺らいだ時こそ、貴族達の真価が問われる。
野心を抱くもの、国に尽くすもの、他を出し抜こうとするものや、静観を決め込むもの。
恐らく彼もまた、難しい局面に差し掛かっているのだろう。
そういう意味では、今回俺達に同行したのは、良い息抜きになったのかもしれない。
「カイヴォンよ」
魔車を出発さえようとしたその時、珍しく俺の名前を口にするアークライト卿。
振り返ると、彼はどこか悔しそうな、それでいて嬉しそうな、そんな矛盾した表情を浮かべていた。
「……お前は、見事この国の闇を晴らして見せた。聞けばお前は極限の地、エンドレシア大陸の時期公爵と聞く。その、なんだ、いわば家柄は私と同格、いやむしろ勝っていると言えよう」
「まぁ、成り行きで貰った称号ですがね。しかしどうしたんです、そんな話を急に」
「……もし、まだお前の心が決まっていないのなら……こちらの国に身を置いてみる気はないか」
「……不安にさせてしまいましたか、俺の力を改めて見せつけられて。安心してください、もうこの国に力を向ける事は決してありません。この国はもう……多くの友人の住む大切な場所ですから」
大切な場所。あの隠れ里だけではなく、この大陸そのものが俺にとってかけがえのない場所。
正直、ここに来てすぐの頃では考えられない程の心境の変化だ。
だが、どうやら俺の答えにアークライト卿は不満を持っている様子だった。
「……そうではない。純粋に、業腹だがお前にここに残ってもらいたい。認めたくはないが、どうやらレイラがお前を気に入っている。家柄も申し分ない、だから――」
「……俺を義理の息子にするおつもりですか、アークライト卿」
真っ直ぐにこちらを見つめる彼の瞳を、こちらも真っ直ぐと見つめ返す。
……打算もあるのだろう。だが、確かに彼の瞳からは嘘の色を見出す事が出来なかった。
「……言ってみただけだ。その気がない事くらい、私にも分かる。大方、公爵にだってなるつもりはないのだろう?」
「ええ、そうですね。でも義理や恩は返すつもりですよ。それは当然……貴方だって例外ではありません」
「そうか。ならば、いつかお前に私も何か頼むとしよう。……また顔を出しに来ると良い」
「なるほど、里の結界の揺らぎが確認されたと。近いうちに私も向かった方が良いですね。どの道、共和国側にも今回の一連の騒動を報告する必要がありますし」
「そうだったな。ヴィオちゃんの事も気がかりだし、ノクスヘイムの領主の動向も気になる」
「ええ。貴方がいない間に、国王との情報共有もだいぶ進みましたし、リュエのお陰で白髪の歴史、龍神の真実を伝える事も出来ました。一応、上層部は落ち着いてきたと言えます」
「つまり、一時的に離れても問題はない、と」
「そうなりますね。近いうちに隠れ里を経由して共和国へ向かいます。先触れをセリューに出しておきます、領主達を全員、セリューに召集してもらうように、と」
ダリアに帰還の報告をしに向かうと、そのまま次の予定を煮詰めていく事となった。
今回の一連の騒動について、共和国の全領主達と情報を共有する為の会談を開くそうだ。
当然俺もそれに出席する事となり、リュエやレイス達にそれを知らせに向かう
聞けば、リュエは中庭の整備中らしく、レイスは今日、城の地下で復興作業の手伝いをしているそうだが……ダリアめ、ここぞとばかりに容赦なく俺達を使ってくれているみたいだな。
まずは中庭へと向かい、リュエの姿を探す。
「あれは水槽? いや、剥き出しの水だ……魔法でこんな事まで出来るのか」
中庭は先の戦いの際、大量の木の根に養分を吸い取られ、完全に枯れ果ててしまっていたのだが、今では芝生が生い茂り、大きな花壇が随所に配置され、色とりどりの花を咲かせている。元の姿は分からないが、十分に憩いの場として相応しい様相を呈していた。
そしてその花壇の上を、まるでトンルの様なアーチ状の水が覆っている。
日光が水の揺らめきに歪められ、ゆらゆらと、キラキラと花を照らしていた。
その他にも、まるで迷路のように水で出来た壁が中庭を区切り、随所にベンチや噴水も置かれ、なんだか子供が喜びそうな場所になっている。
「凄いな……水の中に生き物はいないみたいだが……」
そうして迷路と化した水壁を辿っていくと、中庭の中央、大きな樹とそれを取り囲む花壇、そしてキラキラと光を反射させる水球が周囲に浮かぶ広場へと辿り着いた。
花壇の隣のベンチにはリュエが腰かけ、その隣には……あれはまさか……。
「リュエ、ただいま」
「あ、カイくん! もう、酷いじゃないか、私に黙って出かけるなんて」
「ああ、悪かったよ。すぐ戻るつもりだったから俺だけで良いと思ったんだ。それより――随分意外な相手と一緒にいるね」
「…………久しいな。ただの執事ではないと思ってはいたが」
いつもと変わらない調子のリュエと、その隣に腰かける、どこか衰弱したような、見るからに生気を失ったような顔をした――シーリス。
王族との和解は果たしたと聞いていたが、この娘だけは頑なにリュエを拒み、この変わっていく世界を否定し続けていると聞いていた。
だが――この有り様はなんだ。痩せこけ、髪にも張りがなく、その輝きをくすませている。
何よりも、目が違う。あの他者を見下し、絶対の自信を覗かせていた、傲慢ともいえる瞳とは似ても似つかない。
「シーリス様ですか。随分とお変わりになりましたね」
「……様などいらん。そうか……カイ、お前がカイヴォンだったか。前王を、あの災厄を滅ぼした」
「シーリスちゃんは、私から森の魔力を受け取った後、それをフェンネルに消してもらっていたんだ。ずっと、あの子の弟子として、指導を受けていたんだって」
「じゃあ……その影響で彼女は?」
「大丈夫。少しずつ彼女にも届いていくよ。この場所はね、少しだけどあの森、私の家の周りにある植物の力が宿っているんだ」
そう言いながら、彼女は虚空から押し花や木の実、乾燥したキノコを取り出して見せた。
それらを彼女は氷で粉砕し、周囲の花壇にまき散らす。
「肥料みたいなものさ。こうすれば、少しずつこの場所はあの森に似た場所になる。だから、シーリスちゃんもここで暮らせば、きっとまた元気になるはずさ」
「……私の事は放っておけと言っても、この人はしつこく尋ねて来た。だから分からせてやろうと剣をも向けたが――」
「くく、敵わなかっただろう? リュエの剣術は俺以上だからな。たぶんシュンにも匹敵するんじゃないか?」
「えー? そうかい? そう言われると照れてしまうよ」
「……ああ、本当に。本当に……私は狭い世界で生きていたのだと思い知らされた」
内心、まだこの女性への恨み……という程ではないが、思うところはある。
それが例え、俺がこの大陸を無条件で憎んでいた時の話だとしても、それでも完全に和解するのはまだ難しそうだ。
……それに人様のムスコをあんな手つきでいじくりまわしおって。色々大変だったんだからな、あの後。
「リュエ、近いうちにまたセリュー共和国に向かう事になるんだ。もしも今なにか抱えている仕事があるなら、早めに終わらせるようにしておいてくれないか?」
「うん? いよいよ大陸を出発するのかい?」
「話の内容次第じゃそうなるかもしれないな」
「……そっか。なんだかあっという間だったような、そうじゃないような、不思議な感覚だよ」
「……そうか、もう行ってしまうのだな。リュエ殿、またいつかこの国を尋ねてくれるか?」
話を聞いていたシーリスが、寂しそうに語り掛ける。
……大分、心が弱ってしまっているのが手に取る様に分かるな。
価値観や支え、信念や自分の歩んだ道を全て否定された人間は、ここまで変わってしまうのか。
「勿論さ。セミフィナル大陸を見て回って、それでファストリア大陸まで行くんだ。全部を見終わったら引き返すと思うから、絶対にまた顔を出しに来るよ」
「ファストリア……ふふ、そうか、では待ちましょう。きっと、たどり着けますとも」
「む、なんだかおかしな事を言ってしまったかな?」
「いいえ、貴女が、貴方達がこの大陸で成し遂げた事に比べたら、どうという事はないでしょう。カイ……カイヴォン殿がいれば、なんでも出来てしまいそうだ」
そう最後に言い残し、少しだけ肌の血色を良くしたシーリスが、静かな足取りで庭を去って行った。
彼女も、これから先変わっていってくれるのだろうか。それとも弱っている今だけなのだろうか。……前者だな。少なくともこういう場面で俺の勘は決して外れない。
「さて、じゃあ俺も行こうかな。レイスにも伝えに行かないと」
「そうだね。私も庭の調整が済んだし、一緒に行くよ」
そうして、再び水の迷路を通り抜けながら、どんな生き物を棲ませようか、水の浄化はどうしようか等と相談し、中庭を後にしたのだった。
「おお……まるで巨大な地底湖だな……この辺りだけ日光が届くように地形を変えたのか」
「そうさ。私とレイスとダリア、それだけじゃないよ、他の大勢の魔導士の力も借りて、地下空間の一部を削り取って、地上の日光が届くように穴の内側を磨いたり、水の魔法で光が入りやすくしたんだ。大したものだろう?」
「だいぶ大掛かりだな……大穴を開けたのは俺だけど、いっその事埋めてしまう事も出来たんじゃないか?」
「ううん、この場所は残さないといけない。戦いの記憶を、過ちの証を忘れないようにね。それに――こういう新しい場所、綺麗な場所を作って、みんなに喜んで貰った方が良いと思って」
「……そうか。確かにここは新たな名所になりそうだ。この大穴だって、水深がとんでもない事になっていそうだ。後で転落防止の柵を作らないと」
城の地下へ向かうと、以前の様な閉鎖的な空間ではなく、直接都市へと続く大きな道や、日光を取り入れる大穴が随所に配置され、とても幻想的な光景が広がっていた。
俺の攻撃により出来た大穴も、川の水で満たされ、今では完全に湖と化している。
これは、いずれ大きな魚が育ったり怪魚が誕生したり、面白い場所になりそうだ。
そうして湖の傍まで向かうと、対岸で作業をしている一団の姿が確認出来た。
見れば、その中にはレイスの姿もあり、なにやら桟橋のような物を作っている様子だ。
「向こう側に行こう、リュエ」
「了解。じゃあ遠回りになるし、水の上を凍らせて向かおうか」
「……よし、それで行こう」
湖の外周を確認し、彼女の案を採用する。こりゃ結構な距離だ。本格的な橋を渡す事も視野に入れた方が良さそうだな。
そんなまるで精霊か何かの様な方法で登場したこちらの姿に、作業をしていた人間が驚き手を止める。
そして、指揮を執っていたレイスはというと――
「あ、リュエ! 丁度良い所に……その氷をこの辺り全体を覆うように展開してくれませんか?」
「うん? お安い御用だけど」
「まさかのツッコミなしである」
そうして対岸にあたる部分一帯が凍り付いたところで、レイスがテキパキと桟橋を完成させていく。
なるほど、作業スペースが欲しかったのか。
「ふぅ……助かりました。それにカイさんも戻っていたんですね。おかえりなさい、長旅お疲れ様です」
「ただいま。そっちもお疲れ様。随分大きな桟橋を作っていたみたいだけれど」
「はい。この辺りは地面が脆くなっているので、水辺を全てに桟橋を渡しておこうかと」
「吊り橋式の桟橋なんだね。なんだかお洒落だ」
「ふふ、いつかはこの周囲に小さなカフェを開きたいという方もいたんです。ですので、少しでも景観を良くしようと」
「なるほど……光の差す地底湖と、湖畔のカフェか……最高じゃないか」
二人とも、こうして目に見える形で都市の復興に尽力し、その先の展望をも見据えて動いている。それがなんだか誇らしく、同時にそういった形の残る仕事が自分には出来ない事が、少しだけ歯がゆくも感じる。……カフェメニューのレシピを残すのはどうだろう『ぼんぼんドリンク』なんて名前をつけて。……却下だな却下。
「それでカイさん、私に何か用事でもあったのでしょうか? お陰様で今日のお仕事が早く済みましたので、なんでも言ってくださいね?」
「そんな素敵な笑顔で『なんでも』と言われると非常にときめいてしまうのですが、とりあえず伝えておくことがあってね。実は――」
近々セリューに戻る事、そしてもしかしたらそのまま大陸を発つ事になるかもしれないという旨を彼女にも伝える。
「なるほど、確かに都市部の様子もだいぶ落ち着いてきましたし、目立った崩壊地点の復興もだいぶ進みましたからね……この国の今後を見守りたいという気持ちもありますが……」
「そうだね。ある意味ここが俺の旅の終着点みたいなものだったから……」
「でも、七星の動向も調べておきたいよね。今回みたいな事件が他でも起きているかもしれないし、そもそも……忘れているかもだけど、既に解放されている七星はもう一体いるんだから」
リュエにそれを言われ思い出す。そうだ……クロムウェルさんは確かに言っていた。
『外世界から力ある存在がこの400年間に幾度と無く召喚され、その歴史の中で無事に二体の七星を呼び覚ますことに成功しております』と。
……そうだ、そもそも俺は一つ、大きな見落としをしているではないか。
解放者というシステムの始まり。それを広めたという『神官』。
俺はこれまで、神官と呼ばれる人種をこの世界に来てから一度も目にしていない。
そういった役職を持つ宗教と出会っていないのだ。
つまり……ここまでの大陸に、その宗教は広まっていない。従って――
「この先の大陸に……真実が隠されているかもしれないのか」
「カイくん、後でこれまでのおさらいをしよう。少なくともダリアとシュンにも伝えるべきだよ」
「……ああ、そうだな。解放された七星を含めば、残りの七星は三体……そして残りの大陸は二つ。セカンダリアかファストリアに二体の七星がいるって計算になる。これを踏まえて、情報収集や協力を打診してみるべきか」
「あの……私のお店には他大陸からのお客様、それもそれなりの力や権力、財力を持つ方も多かったのですが……それでももう一体解放されているなんて初耳です……」
言われて気が付く。確かに俺ですら今の今まで忘れていたくらいだ。この旅の中、そういた話を聞いた事がなかったという事に他ならない。
つまり……そこまで秘密裏に解放されたという事なのだろうか。
クロムウェルさんがいれば、詳しい話を聞くことも出来たのかもしれないが、彼自身かなりの高齢だ。もしかしたらその彼ですら、微かに伝え聞いただけなのかもしれない。
「とにかくお話はわかりました。今現在抱えているお仕事ですが、私でなくとも問題ない物ですので、他の方に振り分けて、旅立つ準備をしたいと思います」
「そうだね。ここ最近ずーっと働き詰めだったもん。最後に都市の観光でもしようかな」
「ああ、それが良い。復興した街の様子も見たいしね」
それぞれの仕事も終わり、今日は一先ず用意された自室へと戻る。
少々落ち着かないが、俺達は今、この城の中に個室を用意してもらっていた。
とはいえ、どうせ誰か一人の部屋に集まることになるのだが。
ともあれ、俺も今日のところは早めに休み、旅の疲れを癒す事に専念するのであった。
翌日。三人でダリアの元へと向かう。
元々城にもダリアの部屋はあるのだが、先の戦いで完全に崩壊、修復はしたものの、もはや別物となった部屋では落ち着かないからと、ダリアは離宮とも呼べる場所に住んでいるらしい。
俺達も向かうのは初めてだが、城から魔法陣を使って転送しないと辿り着けないそうだ。
なんでも、城の元になっている大樹の頂点にあるのだとか。
「この城の中心になっている樹なんだけどさ、これってたぶん、この大陸の魔力が全部集まって育ったんじゃないかな……たぶんこの世界全部を見ても、ここ程魔力が集中している場所はないと思うんだ」
「そこまでなのかい? さすがエルフの本拠地ってところかな」
「正直、この場所で魔眼を発動させるのは身の危険を覚える程です……この場所限定なら、確かにどんな術式でも発動させられそうですね」
「そう、そうなんだよ。物質の転送っていうのは、つまり私達のアイテムボックスとか、私の家の倉庫とか、このカバンとか、そういう超常の術式に類するものなんだ。世界の仕組みそのものに組み込まれた物と、それを流用した物。でもこれは、生きた存在をそのまま他の場所に転送している。短距離とはいえ、これは驚くべき事なんだよ」
興奮した面持ちで、転送の間と呼ばれる大樹の洞へと向かう。
元々、転送先はシュンとダリア、そしてフェンネルの三人だけが入る事が許された場所という話だが、今はダリアが私室として利用しているという訳だ。
そして転送の間の扉を開いたその時、部屋の中に鎮座しているソレを見つけ、俺とリュエの足が止まる。
「二人とも、どうしたんですか? どうやら『あの像』が術式を起動する為の物のようですが」
まるで木の内部に入り込んでしまったかのような場所。木々の隙間から差し込む日差しがキラキラと輝く、植物の生命力にあふれたこの場所に、確かにソレは存在した。
……まだ俺は覚えている。俺は、これとよく似た物を知っている。
「それにしても……この像は壊れてしまったのでしょうか。『顔の部分が抉れてしまっています』ね」
「……いや、たぶんその像は、元々顔がないんだと思うよ。もしくは、後からワザと破壊したのかな」
「カイくん、これ……材質は違うけれど、間違いない……」
そう。俺とリュエがかつて、マインズバレーの廃坑道の果てで見つけた黒い像と同じ造形をしていたのだ。
それを、クロムウェルさんは呪物と呼んだ。だが――あれは物ではない。元々は人だ。
あまりにも禍々しく、その場の怨念を更に殺し、その呪いを強めていた最悪の存在。
聖騎士であるリュエですら、入るのを、近づくのを躊躇う程の存在だったのだ。
それと、全く同じ造形の白い像が、この場所にある。
それが一体何を意味しているのか……この先で待っているダリアに問わねばなるまい。
像へと近づき、予め教えられていた呪文をリュエが唱える。
すると、空から眩い光が降り注ぎ、一瞬だけ身体が引っ張られるような感覚がした。
そして気が付くと――
「ようこそ。すみません、まだ部屋の掃除が終わっていなくて」
「あ、ああ……凄いな、まるで木の中に作った部屋……絵本で出てくるような妖精の住処だ」
「ええ、実際そういうイメージで作ったみたいですよ。それで、三人揃って尋ねてくるとなると……セリューに向かう用意が出来たという事ですか?」
「ああ。俺達の仕事は一段落ついたよ。まぁ俺に振り分けられた討伐、鎮圧なんて、この国の衛兵にかかれば簡単な物ばかりなんだろうし」
待ち構えていたダリアが、大きなテーブルを磨きながら応える。
部屋というよりもサロンのような、そんな一人で過ごすにはやや広めなスペースだ。
今日はダリアも一日休みをとっているのか、いつものような法衣ではなく、一緒に旅をしていた時の様な私服姿だった。
「そうですね……既に兵の再編も終わりましたし。ではセリューへ旅立つ日取りですが、今朝先触れを出しましたので、三日後には共和国の自由騎士団支部に着きます。そこから飛竜便でセリューまで一日ですので、五日後あたりに我々は出発しましょうか」
「あー、そうかこっちには通信魔導具がないのか。セミフィナルより魔導具文化が進んでいるように見えてそうでもないんだな」
「ええ、本当に。ですが、これからはもっと他大陸と交流を深める事になると思いますし、魔導具文化ももっと発達していく事でしょう。それに――」
テーブルを拭き終え、椅子に腰かけたダリアが、表情を落としながら続きを語る。
「……オインクにも、説明と謝罪をする必要がありますからね。いずれ向こうにも顔を出しにいくつもりですよ」
「……なぁ、もしかしてお前なんじゃないか? オインクから受けた協力の打診を断ったのは」
ダリアは、少なくともオインクが最初に出会ったダリアは、『ヒサシ』としての人格を再現していた時だったはずだ。だが、もしも今のダリアが時折こうして表に出ていた時にもう一度会っていたとしたら……?
「……ええ。きっと『俺』では情に流される。私でないといけない。この不安定な国の上に立っている人間が、他所に甘さを見せる訳にはいかなかったんです。少なくともあの頃は」
「だろうな。結果、こうして大陸全土を巻き込む陰謀が水面下で動いていたんだ。下手に他国の戦争に介入しようものなら、今頃もっと酷い状態になっていただろうさ」
「ですが、それでも私は彼女を拒絶した。謝らないといけませんよ、やはり」
「そうかい……きっと喜ぶぞ豚ちゃん。アイツは誰よりも仲間思いだったからな」
しんみりとした空気。だが、その空気を今一度打ち破り、俺は問わねばならない。
あの『顔のない女神像』について。どういういわれの物で、どこから伝わったのかを。
「あの像ですか? あれはフェンネルがどこからか貰ってきた物と記憶しています。それこそああいった彫像は芸術が盛んなセカンダリア大陸から渡って来た物だとは思いますが」
「それでも術式の起点にしているって事は、術的な意味あいがあるんじゃないかい? あれ、調べてみてもいいかな?」
「ええ、それは問題ありませんが……あれが気になるんですか?」
ダリアだけでなく、レイスにも説明する。俺とリュエが何故、あの像にこだわるのかを。
そしてリュエの口から語られる、俺達が破壊した像がどういう物で、どういった製法なのかを。
あまりにも残虐で、聞くに堪えない製法。リュエは少なくとも、あれに似た呪物を知っているそうだ。
『本当の意味での魔女の呪い』『呪術の道具』『呪いの儀式』そういった地球でいうところの『黒魔術』に類する術も、確かにこの世界に存在していたのだ。
生きた人間を死ぬまで殴打し、滲んだ血がかさぶたとなり、その表面を黒く固めていく。
本人の恐怖と絶望を糧に、その悪烈極まりない儀式が完成し、その像が出来たのではないか。
そう推理してみせたリュエは、自分が今口にした事に対し、自分自身が我慢できなくなったかのように顔を伏せ、自分に回復呪文をかけはじめる程だった。
「そうやって生み出された魔物がいるって、昔聞いた事があるんだ。あれもきっと、同じような製法だと思う。ねぇダリア、フェンネルはそんな邪悪な術にも通じていたと思うかい?」
「……もしかしたら、知識としては知っていたかもしれません。彼もまた、他大陸に足を運んでいた時代がありましたから……」
「ふむ。どうにも宗教というか邪教じみてきたな。一つ質問なんだが、セカンダリア大陸にはそういった宗教や密教があったりするのかね?」
先の疑問。七星復活の術式を与えた神官という存在も含めて、そういった組織、集団がいるのではないかと問う。
曰く、あの大陸は今も戦争中だという。ならば敵対国同士で違う信仰があってもおかしくはないと踏んでみたわけだが。
「ありますね。私達よりも遥かに古い国が多く存在する広大な大陸ですからね。宗教が分裂、統合した歴史も当然あります。そうですね……あの像そのものもセカンダリア大陸から来た可能性が高いですし、調査する価値は十分にありますね」
「……やっぱりそうか。ダリア、今回のセリューの会談が済み次第、そろそろ俺達も旅立とうと思う。もう少し手伝ってやりたい気持ちもあるが……やっぱりまだ腰を落ち着けるには気がかりな事が多すぎる」
「そうですか……。ええ、確かにだいぶ助けてもらいましたし、いつまでも甘えている訳にもいきませんしね。分かりました、では、セリュー港に外洋船を手配しておきます」
最後の気がかり。七星を遣わせた存在と解放者を呼び出す何者かの存在。
その全てを解き明かす事を以って、俺の旅の区切りにしようと決意する。
ダリアにも、そしてリュエとレイスにも、俺の考えを伝える。
「旅の終わり……なんだか想像出来ないなぁ……ずっとずっとあっちこっち旅を続けていくような気がしていたよ」
「そうですね……セミフィナル大陸ですら、山岳地帯や森林地帯の地方都市には行ったことがありませんし、まだまだいける場所は沢山あるとは思いますが」
「勿論旅そのものを終えるつもりはないさ。ただ、なにか暗躍しているものがあるのなら、それを晴らして、憂いが消えた事を皆に伝えないといけないだろう? だから一区切りさ」
「そっか。じゃあそれが終わったら次の旅に出るって訳だね?」
旅は終わらないさ。元々これは後付けの目的なのだから。
その目的が終われば、また当てのない、目的のないぶらり旅に戻るだけ。
いずれ、エンドレシアの王や、恐らくその頃にはギルド本部に戻っているであろうオインクにも報告をしないといけない以上、旅の再出発は再びエンドレシアからになりそうだ。
「ふふ、リュエの故郷ですか。一度行ってみたかったんです。今から楽しみですね」
「森しかないけれどね! でも、珍しい薬草や山菜、キノコが沢山あるんだ」
「最恐の大陸エンドレシアですか……私もいずれ訪問してみたいですね」
そうして新たな旅の終着点を定め、この大陸を発つ準備が終わった五日後。
セリューで開かれる会談に出席すべく、首都ブライトネスアーチを後にする。
今回向かうメンバーの中には、意外な事に国王の姿はなく、今は国の安定を優先すべく政務に勤しんでいるようだった。
とはいえ、元々外交的な役目を担って来たのはダリアだという話なのだが。
「恐らく、先触れが届いた各領地の代表もセリューに向かっている頃合いです。本来であれば私達はもっと早く出発しないと向こうに辿り着けませんが――」
「あの里がありますしね。隠れ里にいったら、シュンさんも合流する手筈なんですよね?」
「ああ。ただ恐らくジュリアが目覚めている以上、彼女も同行するかもしれないんだ」
「それはそれで好都合です。長い間封印された彼女を管理していたのはセリューですからね。容態を見せる必要もあるかもしれません」
客車の中で交わされる会話。では本日の御者は誰が務めているかというと――
「本当に白髪のままで良いのかい?」
「ええ。この王家所縁の魔車をリュエが御者を務める事で、内外にアピールするのです。既に、王の口から白髪のエルフにはなんの罪もない、ただの術式の異常で生まれただけだ、と発表がなされましたから」
そう、現王自ら発布したのだ。『白髪が生まれる理由が分かった』と。
真実を伝える事は出来ないが、それでもその原因には『国の結界が原因だ』と。つまり『国の所為で生まれた』と王自らが語って見せたのだ。
だからこそ、そのアピールもかねてリュエには御者を務めてもらっているのだった。
「よし、じゃあ出発進行! まずは市内を通り抜けて入り口に向かうよ!」
窓から眺めている限り、やはりリュエの存在に住人が驚きの声をあげる。
だが……それだけだった。不自然に込み上げる恐怖や憎しみ、憎悪が消えた今、住人はただ、王の発布を受け入れ、そしてこの光景に驚きながらも、少しずつ受け入れていくのだろう。
……この都市を、彼女が疾走する。楽し気に、嬉しそうに。
それが何よりもの変化だと、この国が変わった証なのだと、そう、思えた。
入口に向かうと、門番のエルフ達もまた一瞬驚きの表情をするも、どうやら王城で
リュエを見かけた事があったらしく『庭師の娘さん』と呼んでいた。
……庭師だと思われていたみたいだぞ、リュエ。
リュエが楽し気に『違うよー、今は魔車の御者さんだよ』と言うと『なんでも出来るんだな』と、門番たちもどこかおかしそうに返していた。
「……思ったよりも変化が早かったな」
「ええ、本当に。元々、風習や迷信、言い伝えというものは時と共にうつろい消える物。それを術式に力で強引に引き留めていた以上……思ったよりも早く消えてしまうかもしれません」
「散々迫害しておいて、はい忘れましたってのはムシが良すぎる気もするがね」
「勿論、我々の罪を忘れるつもりはありません。ただ、全国民に罪を背負わせる事もまた難しい……ですから、今は私と王家、そして貴族達がそれを引き受けます。今は、それで納得してくださいませんか……?」
ああ、分かっているさ。これはちょっと意地悪を言っただけ。
現に、アークライト卿が主導し、各貴族達が自分達の抱える事業や商会を通じ、迫害を受けた人間への支援、援助、働き口の紹介も検討中だという。
他にも、あの里を出て共和国で働いている人間に対して行って来た差別の撤廃も進んでいるという。
国を跨ぐ際の関税の高さ等は、元々はそれが理由だったそうだ。
「許すも何も、せっかく良い方向に変わっていってる最中に水を差したりはしないさ」
そして再び動き出す魔車。無事に門を抜けたようだが、その速度を上げる前に再度止まってしまった。
何事かと御者席側の窓を開けてみると、そこには――
「び、びっくりした! 突然走り寄ってきたら危ないよ?」
魔車に近づくローブ姿の人物。随分と小柄だが、子供が飛び出して来たのだろうか?
「申し訳ありません、見知った顔をみつけてついつい」
すると、その人物はフードを脱ぎながらこちらに声をかけてきた。
その正体は――
「見たところ王族の乗る魔車。リュエさんが御者をしているとなると――カイヴォンさん、中にいますね? 私も乗せてくださいな。どうやらこちらに乗った方が正解みたいですし」
そう、なんとあの隠れ里から出て来た里長だった。
……こりゃまた楽しい道中になりそうですね?