三百六十一話
(´・ ・`)おまたせしました。八巻の改稿作業もひと段落がつきましたので、エピローグを投稿します
一夜明けた城の姿は、ダリアが寝る間も惜しみ作業をしていたのか、だいぶ元の姿を取り戻しつつあった。
まぁ、あくまで外見だけ取り繕っているだけで、人が暮らすにはもうしばらく復旧作業も必要になるのだろうが。
「再生術……でしたか? 凄いですね、形だけなら元通りじゃないですか」
「ほぼ石にしか見えない材質だがね。とりあえず崩れた瓦礫と崩れそうな壁や天井を整えたって感じか」
「なるほど……本当に魔法ってすごいですね。私のいた世界でも無理ですよ、一晩でなんて」
知っているさ。けれども、昨今の技術の発展は、段々とその魔法に迫りつつあるのだと俺は知っている。そう、あの世界だって捨てたものではないのだ。そんな事、当然知っている。
城の周囲には兵士達が集まっており、野次馬や詳しい説明を求めて殺到する住人を城へ近づけないよう、今も厳重な警備を行っていた。
こればかりは、王族の人間が正式な声明を出すまでは収まりそうにないな。
「……ま、なんにせよ今日が終わってからか」
兵士に通され、城の地下へと向かう。
聞けばチセは、一時ここの地下牢に囚われていたそうだ。そしてそれをシュンが逃がした、と。今度改めてお礼を言わなければいけないな、アイツには。
地下への階段を下りていくと、そこだけはまだ復旧のめどが立っていないのか、あの戦いの傷跡、すなわち巨大な大穴が残されたままとなっており、今も川の水が流れ込んでいた。
「凄い……これが、あの戦いで出来た穴なんですか?」
「そうだね。ここで、全ての元凶を討ち果たしたんだよ。さぁ、もう少し降りよう、魔法陣はここの最深部に刻まれているはずだから」
この国の中心。地理的にではなく、魔術的な中心が城の地下にあるという。
本当は、七星およびフェンネルを倒し、周囲に拡散した魔力を利用して送還の術式を組み立てる予定だったそうだ。だが、それだけではどうしても魔力が足りなかったのだ。
だからこそ、ダリアはこの国の結界や、それだけでなく大陸に張りめぐされた術式から魔力を引っ張り、この術式を完成させた。
当然、個人的な目的の為に大陸の結界をいじるなんてもっての外だ。
だが、もうこの大陸に結界を維持し続ける理由は存在していない。
漏れ出ていた汚染された魔力は、元凶を失った以上、もう生まれはしない。
外からの侵入に過敏になっていたのだって、元を正せば七星が二体も存在しているという、ある種の爆弾を抱えているが故。相当危ういバランスの元、封印を維持していたのだ。
実際、過去に外大陸から邪な考えを持った人間が侵入してきた事もあるそうだ。
この大陸の過去。幾度となく裏で行われてきた危険な綱渡りに考えを巡らせていると、道の先に小さな祭壇が見えてきた。
既に天井の大穴が塞がれ、元の薄暗い地下だというのに、その場所だけ淡い光が差し込み、宙を漂う塵だろうか、そんな粒子がキラキラと輝き、幻想的な光景を生み出していた。
「ここは……まさか城の元になっている大樹の真下か?」
上を見上げれば、まるで水が粘度を持って木の根に絡んでいるような、不思議な光景が広がっていた。
太陽の光がこの液体を通して地下まで届いているのだろうか?
「凄いでしょう? あの里にある大樹の親株にあたるんです。私とシュンが戯れに『ユグドラシル』と名付けた樹。いつか、世界を支える大樹に育って欲しいから、と」
「なるほど。だからあの里の木、あの近くにあった宿場町の名前が『デミドラシル』なのか」
見上げるこちらに掛かる声。その主は、どこか儚い、少し弱々しい口調のダリアだった。
いつものローブ姿ではない、白く美しい、まるでショールを縫い合わせたかのような薄手の衣装に身を包んだ、まさしく聖女と呼ぶにふさわしい姿だ。
「よく気が付いたな。あの宿場町の名前をつけたのは俺だ。まぁ尤も、当時はただの野営拠点でしかなかったんだけどな。兵士たちの訓練所のつもりで土地を整えたんだよ」
「懐かしいですね。本当に最初期に出来た場所でしたから。ただ、あの土地はすぐにフェンネルの古い知り合いに売られてしまったので、ほぼ関与していなかったのですけどね」
そして現れるもう一人の人物。シュンもまた、少々疲労の色を滲ませてやってくる。
……現状、この国のトップである王族達はほぼ無力と言ってもいい。
何も事情を知らないのだ。となると、今後の陣頭指揮を執るのはこの二人だ。
きっと暫くは死に物狂いで働く事になってしまうのだろうな。
だが――俺の一番の目的が遂げられた以上、旅を急ぐ必要もない――か。
「さて、では術式の最後の調整を行います。チセさん、貴女の魔力を馴染ませる必要があるので、一緒に来てくれますか?」
「あ、はい。分かりました」
チセがダリアと共に、祭壇の周囲に置かれている像や樹木、その他見慣れないオブジェへと向かっていく。
祭壇に取り残される俺とシュン。それを見計らっていたかのように彼が小声で語り掛ける。
「本当に、いいんだな?」
「……ああ。俺はここで生きる」
「なら、もう言わない。だが最後に……真実を教えてやるべきじゃないのか? 俺達は、どうやらあの世界では行方不明者扱いになっている。もしかしたら今も家族が探し続けているかもしれない、心が押しつぶされそうになっているかもしれない。そう考えると、やはり……」
「……そうかもしれないな。だが、それでも俺は言うつもりはない。この土壇場で、話し合う時間もなしに真実を告げてどうする。ここで別れるべきなんだよ、何も知らずに」
「何も知らずに……か」
ダリアとチセが一通りの作業を終えこちらに戻って来る。
いよいよ見送りの時がきたのだと、無意識に拳を強く握る。
実際、俺だって寂しいさ。形はどうあれ家族が、自分の妹が近くにいてくれたのだ。
そんな家族との今生の別れ。それをただ無感情に見つめられる程、人間をやめた覚えはない。
……せめて、なにかお土産でも渡せないだろうか? まぁここで手に入れた品を持って帰れる保証はどこにもないのだが。
「さて、どうやら場の魔力も満ちて来たみたいですね。チセさん、最後にもう一度聞きます。私達は貴女がここに残る事を選択したのなら、可能な限りのバックアップを行い、不自由なく好きな生活を送れるようにサポートするつもりです。それでも、戻るのですね?」
「……はい。私の目的はただ、帰る事だけでしたから」
「分かりました。ではそうですね……何か持って帰りたい品はありますか? アイテムボックスに収納したままでは、間違いなく術式の狭間に消えてしまうと思います。ですが身に付けておけば、持ち帰る事も出来るかもしれませんよ」
ふむ、どうやらお土産を渡す事は出来そうだ。
ならば丁度良い。実は一つ渡しておきたい物があったのだ。
以前、アマミにお土産を買った時、もう一つ買っておいた物があるのだ。
「チセ。ならこいつはお土産だ。聞けば君、あのはむちゃんにペンダントを贈ったそうじゃないか。その代わりと言っちゃなんだが、受け取ってくれ」
チセに渡すのは、オレンジ色に輝く小粒の宝石があしらわれたシンプルなペンダント。
華やか過ぎず、どんな場面でも付けていられるように、なんて少々こじらせた理由で選んだ一品だった。
「これは……良いんですか?」
「ああ。気に入ってくれると良いんだが」
「オレンジは好きな色です。好きな花の色がオレンジなんですよ」
知っている。君がよく付けている香水、キンモクセイと同じ色だから。
伝わらなくても良い。ただ、俺だけは知っていたという事実だけを残したくて。
それで充分。俺だけが知っていたら、それで充分なのだ。
どこまで自分勝手で、俺さえよければそれで良いのだから。
『一緒に帰ろう、兄さん』『戻って来て』『どうしてまたいなくなったの』
もし……ここで君に、お前に言われたら、きっと揺らいでしまうから。
「では、ありがたく頂戴します。後はそうですね……持ち帰りたい物はコレくらいでしょうか」
するとチセは、虚空から一冊のノートを取り出して見せた。
表紙にはデフォルメされた……里長? 里長のイラストが描かれており、さらに『お料理ノート』『みんなで美味しいご飯を作りましょう』と書かれている。……可愛いな。
「これ、以前お世話になった里長さんに頂いたんです。簡単なレシピだけを集めて、里の住人に配っていたそうで、折角なので私にも、と」
「なるほど。料理、頑張りな」
これ以上話し続ける訳にもいかないと、祭壇の中央、周囲から繋がる術式の中心から離れ、ダリア達の横に並ぶ。
ダリアが無言でこちら見る。言わずとも伝わってくる。何を言いたいのかが。
後悔はない。だから、笑って見送ろう。俺達がもう戻らない、戻れない世界へ帰る彼女を。
「では術式発動します。光の渦から出ないように。シュンとカイヴォンの二人も巻き込まれないよう、離れていてください」
先程から宙を漂っていた粒子が、意思を持ったかのようにチセの元に集う。
それが渦巻き、光の柱となり天へと向かう。
その光景を見ていると、不思議と心がそちらへ引っ張られていくような、不思議な気持ちに囚われてしまう。
……本能か、はたま魂なのか。まるでそれらが、本来あるべき場所へ戻ろうとしているかのように。
それを、意思の力でねじ伏せる。一歩、後ずさる。
「三人とも、お世話になりました! 本当に、本当に……特にカイヴォンさんには、謝らないといけないって、ずっと思っていたんです!」
「はは、そうかい。じゃあ今謝ると良い、きっと許してくれるぞ」
光の向こうから、チセの言葉が聞こえてくる。
笑っているのか泣いているのか、それすら分からない程の光の奔流。
だが、どこかおかしそうに話す彼女に、俺もまた少しだけ軽くそう返した。
だが次の瞬間――俺は自分の表情を完全に失う事となった。
「でもやっぱり謝りません! だって――おあいこだから!」
「おあいこ?」
「そっちも酷い……ううん、辛い思いを私にさせたから、だからあおいこだよ、兄さん」
……聞き間違いではない。確かに今、彼女の口から出た『兄さん』という言葉。
慌ててシュンへ向き直る。まさか、伝えたのかと。
だがシュンは首を振るだけでそれを否定する。ならなぜ――
「始めは少し似ているなって思った。『パスタが食べたい』って言われて、それであんなに沢山作ったりしないよ普通は。でも前にも同じ事をしたよね、兄さん」
「……偶然だろう」
「味は違ってもレパートリーが一緒だったよ。それに――里長さんからもらったレシピノートの中に『カイヴォンお兄さんのレシピ』っていうコーナーがあったんだけど――」
それを言われハッとする。
確かに里長に渡したレシピの中には、昔から俺が作っている品が何品か載っている。
……しかも、過去に日本においても、同じレシピを残していた事を今になって思い出す。
それでも偶然だと言い張る。そんなもの確たる証拠ではないと。
だが――どうやらもう、彼女の中で答えは決まっているようだった。
「不思議だった。どうして私を守ったのか。一緒にいてリュエさんとレイスさんを凄く大切にしているのは分かったけれど、その二人に向かって貴方は『たとえ二人でもこの娘に手を上げるのは許さない』と言った。その意味をずっと考えていたんだ」
「それは……」
「兄さんだから。もう隠さなくても良いよ、兄さん」
光の向こうから聞こえる懐かしい呼ばれ方に、思わず一歩踏み出す。
手を、伸ばしてしまう。
「……気が付いていた癖に、知らないふりをしていたのか?」
「……まぁ、ね」
一歩、また一歩近づく。
もうすぐ光の渦に手が届きそうとなったその時だった。
地下に響く何者かの足跡。そして――慟哭にも似た叫び。
「ダメェェェェ!!!」
「嫌だ!!! カイくん行っちゃダメだよ!!!!!」
空気の震えと共に、全身にその感情の波をぶつけられたようだと錯覚する程の声。
そんなあまりにも慣れ親しんだ最愛の二人の言葉に、ピタリと身体が止まる。
……ああ、そうだ。俺はここに残ると決めたのだ。何をしていたんだ、俺は。
「……ふふ、兄さんが大切な人をここで見つけたなら、仕方ないって私も納得するよ」
「……ああ。俺はもう、ここで生きると決めた」
どうやら、俺の妹は想像以上に強く成長していたらしい。
光の向こうで、一瞬だけニヒルな笑みを浮かべたような気がした。
まるで『二人を幸せにして』とでも言うような、そんな。
兄として、かけてやる言葉はないかと一瞬思い悩む。だが――もう、俺は兄であることよりも、カイヴォンである事を優先したのだからと、その老婆心を抑え込む。
「……カイヴォン、そろそろ術式が完成します。離れてください」
「ああ、分かった」
急ぎ駆け付けて来たリュエとレイスが、まるで怖がるようにこちらの腕を取り下がらせる。大丈夫、もう向こうに行こうとしたりなんてしないから、絶対に。
「チセ。最後に一つ、君より長く生きた人間としての忠告だ」
だがせめて、ただのお節介な人間としてなら、言葉を残してもバチはあたらないだろう?
「……はい、なんですかカイヴォン君」
「……長く生きた人間は、すべからく強さを持っている。だから――仮に、近くに辛そうな大人がいても、それを支えなければと気負う必要なんてない。きっとその大人は君が思って居るよりもずっと強いぞ」
遠回しなエール。お前が父を支えるなんて気負わなくても良いと。
頼りなさそうにしていても、あれは俺の親父だ。俺の親父が弱い訳がないだろうと。
俺の言いたかった事の意味をチセも理解したのか、光の向こうから元気な言葉が返ってくる。
「分かりました。じゃあ、もうさよならです!」
「ああ、さよならだ、チセ」
その時、一際強く渦が輝き、その光が弱まると同時に、まるで掻き消えるように渦が小さく細くなる。
「……召還、完了しました」
後にはただ静寂だけが残り、そこにはもう、誰の姿も残っていなかった。
あまりにも呆気なく、一瞬で終わってしまった儀式に、まるでぽっかりと心に穴でもあいたような、そんな喪失感にも似た感情が湧きだしてくる。
まるで、その穴をうめるかのように。
……無事に、彼女は帰れたのだろうか。それを知るすべは、ここに残された俺達にはない。
だが――今はただ祈ろう。無事にあの世界へ、懐かしのあの場所へ戻れたのだと――
「……カイくん、その……」
「大丈夫、帰ろうとしていた訳じゃない。ただ少し……寂しいと思っただけだから」
「ごめんなさい、カイさん……」
「いや、声をかけてくれて感謝するよ。きっと、未練を残す結果になっていた」
こちらのやり取りを見守っていた二人が、酷く申し訳なさそうに言葉をかけてくれる。
そうさせてしまったのは俺なのだからと、二人に謝罪の必要はないと言葉をかけ、そして、二人と同じく、静かに見守ってくれた親友達にも改めて向き直る。
「国の一大事の最中、力を貸してくれた事、深く感謝する。幸い、そう急ぎの旅じゃない。少しの間、この国の、この大陸の復興に力を貸す事で、その恩に報いたいと思う」
「……それは助かります。ですが……今日のところは休んでください」
「ああ。その方が良い。リュエとレイスの二人は、出来ればダリアのサポートに回ってくれないか。再生術師と魔導師のコンビだ、これ以上ないくらいこちらも助かるんだが」
一人になりたいこちらの心情を察してか、シュンがそう提案する。
ああ、別に落ち込んだ訳でも感傷に浸りたい訳ではないが、ただ少しだけ、一人でいたい。
たぶん、一日と経たず動き出すだろうとは思う。けれども今だけは、少しだけ。
カイさんが一人で地下を後にする。
祭壇に残され私達四人は、ただ無言でそんな彼を見送った。
そして私は、お二人にこの問いをしなければならないと、静かにそれを口にした。
「……お二人が、私達にチセさんの召還の儀式を知らせなかったのは、何故ですか?」
「アイツの選択を尊重する為だ。もし、アイツがチセと戻りたいと言い出した時の為に」
「っ! そう、ですか」
朝。宿からチセさんとカイさんの姿が見当たらなかった瞬間、私はとてつもない不安に襲われた。
リュエを起こし、着替えも満足に済ませないまま城に押し入った私達の選択は、きっと間違いではなかった。
私達の目に飛び込んできた光景。今まで見せた事のない程に切ない表情を浮かべた彼が、自分の妹のいる場所へ、もといた世界へと手を伸ばしていたあの光景は――
きっと、私達が止めなければどこかへと消えてしまっていたと、断言出来るものでした。
シュンさんとダリアさんに恨み言をぶつけてしまいそうになる。
けれども同時に――それがカイさんの事を、誰よりも誰よりも、本当に心の底から思っての行動だと……私達も分かってしまうから。
だから、私もリュエも、二人に何も言うことが出来ませんでした。
「……私達の呼びかけに、カイくんは立ち止ってくれた。それだけで私は満足だよ。選択を与えるのは――正しい事だと思うから。だから、二人ともそんな申し訳なさそうな顔をしないでおくれよ」
「……はい。ありがとうございます、リュエ」
強く、ぶれることなくそう言えるリュエが、輝いて見える。
そうですね、そうなんですよね。カイさんは……ここに残ってくれた。
今はそれを喜ぶべき……なんですよね。
これから先、私はもっと話をしよう。カイさんと、もっと沢山の思い出を共有しよう。
きっと、今の私達が出来る慰めは、きっとそれだけだから。
同じ思い出を胸に、これから先も共に歩む事が……私達家族の役目なのだから――
「……やっぱりまだ都市の混乱も収まらないか。この先、この国はどう変わっていくのかね」
都市の中をあてどなくさ迷い、気が付くと俺は川にかかる橋の上で、ただぼんやりと川の流れを見下ろしていた。
ははは、まるで以前ここで身投げをしようとしていたあの酒場の店主ではないか。
……そういえば、あの店は無事だろうか。そうだ、アークライト卿の屋敷の様子も――
「……この場所にも、大切な場所が出来ていたんだな、いつの間にか」
敵地だと。滅ぼすべき相手の拠点だと憎んでいた場所だというのに、結局はこれだ。
やはり、憎しみを抱き続けるのは難しい。いや……もはやその憎むべき相手がいない以上、もっと素直にこの大陸を見つめなおした方が良いのだろう、な。
そうして橋を後にし、懐かしの飲食街へと向かう。
どうやら暴走した城の樹の被害が出ていたらしく、道の所々が陥没しており、一部の建物も倒壊とまではいかずとも、扉や看板が落下したり倒れていたりと、少なくない被害が出ているようだった。
そんな中、以前俺が働かせてもらった店へと足を運ぶ。
すると、そこでは丁度店主であるミスティさんが、落ちてしまった看板を一人で設置しなおそうとしているところだった。
せっかく再び看板を掲げ、店を再開したというのに縁起が悪いな。
「ミスティさん、お手伝いしますよ」
「え? あ、カイ君じゃない! 貴方ここに戻っていたの? なんだか貴方の事を国の兵士が探しにきていたのよ、少し前に」
「ああ、その件なら無事に解決しましたよ。ご心配をおかけしました」
恐らく俺達が城から逃げ出した後の話だろう。
詳細を省きながらも事情を説明し、早速看板を掲げ直す。
どうやら、俺が去った後もしっかりと営業をしていたらしく、今では表通りの酒場と提携して、より多くの人に俺が伝えたカクテルや料理を提供しているのだとか。
最近では真似をしようと、オリジナルのカクテルを開発する店が後を絶たないのだとか。
そうして、これまでの話を語り終えた彼女が、ポツリと不安そうに切り出した。
「……ねぇ、これからこの国はどうなるのかしら。貴方に聞いても仕方ないとは思うんだけど、あちこち旅をしてきたのでしょう? 考えを聞かせてくれないかしら」
それは、ここの住人だからこそ感じる不安。いや、もしかしたらこれはただのきっかけにすぎないのかもしれない。
俺達が、この国を訪れてから幾度となく感じた歪な文化。
意図的に歪められてきた思想や文化、それに術式。それらが生み出す不和に、もしかしたら住人達も気が付いたのかもしれない、今回の一件を通して。
彼女の質問に、俺は答える。
深い意味があるわけではない、何気ない質問なのだろう。
けれども、何も知らない相手だからこそ、俺はそれを語るのだ。
先への不安、今後の影響やダリア達の未来、俺が動いた事により起きた数々の事件が何をもたらすのか。そういった悩みを全てひっくるめて、俺は俺自身の希望を語る。
『きっと、これからもっと素敵な国なる。その為の試練を今乗り越えたのだ』と――
「悪いなダリア。まだ兵の編成も済んでいないのに。カイヴォンも付き合わせてすまない」
「いえ、構いません。既に将校クラスの人間には納得してもらっていますし、元々貴方は自由枠でしたから。いよいよですね、本当なら私も立ち会いたかったのですが」
「まぁ父親として最初に目覚めた時に傍にいてやりたいんだろう。シュンを送り届け次第戻って来るから、俺じゃないと面倒な仕事をある程度纏めておいてくれ」
「ふふ、了解しました。ですが、レイスとリュエがいれば大抵の事は片付いてしまいますが」
チセが元の世界へ戻ってから、早いもので三週間が経過した。
当初の予定では一月掛かると言われていた、シュンの娘……正確には姪であるジュリアの治療。
が、そろそろ目覚めるかもしれないからと、先に里で待機したいというシュンの願いを受け、こうして送迎を買って出た訳だが……まぁただ単に俺自身あの里の様子が気になっているというのが本音でもある。
結界が破れてから何か動きがあったという報告は来ていない。だが、万が一もある。
里に残して来たアマミの事もあるし、どの道近々向かうつもりではあったのだ。
「……それで、一緒に連れていきたい人がいると言っていたな、カイヴォン」
魔車を走らせ、都市の外へ向かう前に貴族街へと向かう。
今回俺がアマミのいる里に向かうと知り、一度で良い、近くまでで良いからと願い出て来た人物がいた。
そして魔車をある屋敷の前で留め、その人物を向かい入れる。
「……お前にはつくづく驚かされる……まさか同乗者がシュン様だとは……」
「ふむ……確か現王の遠縁の……アークライト卿ですね?」
「凄いなシュン、お前貴族の全員の顔覚えてるのか」
「当然だ。一応俺もこの国の高官の一人なんだからな」
そう、アマミの父であり、レイラの父でもあるアークライト卿。
俺達を追う為にアマミを送り出してから、その消息を掴めず心配していたそうだ。
まぁまだ全てを明かすつもりはないのだろうが、せめて雇い主として、いつでも戻ってきて構わないと言葉をかけに行きたい、と。
……雇い主が直々になんて、さすがに不自然だと思うんですけどね。
「さて、んじゃ早速デミドラシルに向かうかね。シュン、お前も客車に乗っとけ」
「ん、分かった。アークライト卿、暫しの同行、よろしく頼む」
「こちらこそ……いやはや……こうして言葉を交わすのは初めてでございますな……」
「えー! カイくん里に向かったのかい? 急だよそんな、私も行きたかったのに! 結界の事だってあるし、私が向かうべきだったんじゃないかい?」
「私に言われましても……まぁ、今は夢中で動いていたいんだと思います、許してあげてください」
「むぅ……せっかく今日で中庭も復旧完了するのになぁ。レイアウトにカイくんの意見聞こうと思っていたのに」
お城の中庭。前に一度だけ聞いた、水を切り取って飾るという魔術をダリアに教わった私は、ようやく荒れ果てた芝生や花壇を修復した中庭で、その魔術を実際に試そうと楽しみにしていた。
一度カイくんに聞いた事があったんだ。『俺のいた世界には、巨大な水槽があって、そこで海の生き物を観察できる施設があるんだ』と。
だから、きっとカイくんなら良い案を出してくれると思っていたのに。
「リュエの思う通りにやってみてください。きっとその方が見せた時に楽しんでくれると思いますよ」
「そうかな? じゃあ、ここに放つ魚はどうしようか? 川の魚は海の水では生きられないだろう?」
「それなんですよね……まだ大型の商船は運休中ですし……」
「生きたまま運んでくるのが難しいからね、陸路だと」
「では今は海水だけにしておきましょうか」
あの日、ちーちゃんが帰ってから、どこかカイくんの様子が変わったような気がした。
……いや、私達が勝手にそう見てしまっているのかもしれない。
私達が罪悪感を覚えているのからなのかな?
ううん、分からない。でも、今カイくんは夢中で動き回っている。
まるで忘れる様に、自分を納得させるように。
こういう時、どうすれば慰められるのか。吹っ切れさせる事が出来るのか。一度レイスと相談した事があったのだけど、レイスが何か思いついたと思った瞬間、急に顔を赤くして黙り込んでしまったんだ。
……まぁ私だって長く生きた女だから、それがどういう意味なのか知ってはいるけどね。
うーん……やぶさかではないよ? これまでだって抱き着いたり色々してはいる訳だし。
でもカイくんはきっとそんな理由でそんな事をするのを望まないだろうからね。
「さーてと……じゃあ先に図を作ってから発動させるから、私は一度部屋に戻るね」
「分かりました。今日は王族の方達と昼食を摂る約束をしていましたよね? 後で使いを出します」
「うん。なんだか最近毎日呼ばれている気がするけれど……」
「ふふ、それだけ貴女の事を知りたいのでしょう。これも、この国の文化や歴史を正す一端です。どうかお願いします、リュエ」
「なんだか責任重大だね……じゃあ、また後でね」
一つ、変わった事がある。
まだ街のみんなには見せていないけれど、私の活動区域であるこのお城の中では、私は髪の色を誤魔化さず、ありのままの白髪で過ごさせてもらっている。
はじめは驚き、恐怖する人もいたけれど、その後すぐに不思議そうな表情を浮かべるんだ。
その理由を私は知っている。恐らく『白髪のエルフ』という存在に結びついて、恐怖や嫌悪の感情が引き出されるように、長い間この大陸にそんな仕組みが組み込まれていたんだ。
でもそれが消えた以上、みんなは不思議に思うんだ。なんで恐くないんだろう、と。
「……負の感情は、人を簡単に動かせる、か。悔しいけどそれは事実だし、それを術式で操作、利用したあの子の手腕は間違いなく……私以上だったんだろうね」
一番最後まで生き残っていた弟子。私を裏切った、本来ならば一番憎むべき相手。
最後まで、私は彼を憎いとは思わなかった。ただ、哀れだと、そして申し訳ないと思った。
もしも、もっと昔に彼を正す事が出来たら。誰かと共に歩む事の大切さを教えてあげる事が出来ていれば、きっとこんな結末にはならなかったのに、と。
けれども同時に、それが全ての始まりであり、私とカイくんの出会いの礎になったというのも事実。
だから、今でも不思議な気持ちなんだ。後悔でも感謝でもない、そんな不思議な……。
「レイスは今日も遅いのかなぁ……再生術の修行もかねているって話だけど……」
部屋に戻った私は、窓から都市の様子を眺めながら、今もどこかで奔走している彼女を思う。
現状、ダリアの次に再生術の扱いが上手だというレイスは、損壊した建物や道、物品の修繕を進んで買って出ていた。
曰く『最近どんどん術の効率も上がってきて、正直恐いくらいです』とかなんとか。
たぶん、彼女の魔眼の力のおかげなのでは、と私は思う。
あの目は、魔力を見るだけじゃない、ある程度流れを捻じ曲げる事まで出来るんだ。
きっと、レイスはこれからもっともっと強くなる。いつかダリアをも超えると、ダリア本人も言っていたくらいだ。
「うーん……少し面倒だけど着替えておかないとなぁ……どうして一緒にご飯を食べるだけなのにドレスを着なきゃいけないんだろうなぁ」
そして私は今日も、この国の王族のみんなに、昔話を聞かせてあげる準備をする。
まだ、私が仲間として認められていた時代。私を最初に森に置いてくれた人、当時のブライトの族長、フェンネルの母親が生きていた時代のお話を――
ふふ、『この国の王様と直接話してみたい』と願ったけれど、まさかこうなるなんてね?
「ありがとう御座います! これではね橋を動かす事が出来ます! 職人ギルドに要請したところ、ここまで大きな部品を今から作り直すとなると二月はかかると言われて途方に暮れていたところでした」
「いえいえ。私の方こそ完全な修繕が出来ず申し訳ありません。後程、専門の職人さんに調整をしてもらってくださいね?」
「勿論ですとも! いやはや、噂には聞いておりましたが、まさか聖女様の直弟子がこんなお美しい方だとは……依頼ではないのですが、今度是非我が商会の晩餐会に――」
「申し訳ありません、そういった催しに出席するのは、主人に伺ってからでないと……」
「な……そ、そうでしたか。なるほど、ご主人に……そうですか……」
苦笑いを浮かべながら、心の中でカイさんに謝罪します。
すみません、これでたぶんこの国の商会の殆どの方の中では、私の旦那様がカイさんになってしまいました。
言い訳に使うようで申し訳ないという思いが半分。そして既成事実として残しておきたいという気持ち半分……いえ、半分ではありませんね。リュエにも謝りませんと。
『レイスが勝手にカイくんのお嫁さんになってる! ずるいぞ!』なんて言われそうです。
「これで今日の分の要請は全部ですね……」
商会を後にし、城への帰路につく。
街の様子を見れば、三週間前とは比べ物にならない程多くの人や馬車が行き交っていた。
復興にはお金がかかりますからね。当然、商人達も活発になります。
ですが、私の目から見ても、この賑わいは以前の――あの事件が起きる前に見た時よりも遥かに賑わっているように見えて。
まるで、心が枷から外れたような、そんな生き生きとした人の思いや営みを感じるのだ。
これが、きっと本来あるべき姿なのかもしれない。私達の歩みが、今の光景に繋がっていたのだとすれば、それはとてもとても光栄な事です。
「あ、聖女様のお弟子さんだ! ねぇねぇ、私のお人形さんも直してよー!」
「こ、こら! 申し訳ありませんお弟子様……すぐに下がらせますので!」
そんな時でした。一人の女の子が鼻の取れてしまった子豚のぬいぐるみを持って駆け寄ってきました。
ふむふむ……なんだか可愛いですねこのぬいぐるみ。けれどもどこかで見覚えがあるような……このしょんぼりとした顔……鼻だと思いましたが、もしかして口でしょうか?
数字の3を横に倒したような形のそれを、本来あった場所にあてがう。
ふふ、可愛いですね『(´・ω・`)』こういう顔なんですか。
「いえ、構いませんよ。こんにちは、お名前を教えてくれますか?」
「ミルコだよ!」
「そう、ミルコちゃんね? じゃあこの豚さんだけど……これなら再生術じゃなくても直せると思うの。だから、一緒に直してみる?」
「ミルコにも出来る? ミルコは再生術わからんちだけど、直せるの?」
「ええ、勿論。じゃあ針と糸を用意するから、一緒に向こうの公園に行きましょう?」
女の子のお母さんに断りを入れてから、その子と共に公園のベンチに座る。
この国は、なんでも出来てしまうダリアさんという存在がいてこそ成り立っている部分があるように思えた。
けれども、自分達で出来る事を自分達で工夫する事も必要だと、私は思う。
偉大な人物がいて当たり前だという意識は、時に人の発展を阻害してしまう。
……懐かしいですね。かつて、自分がそんな場所にいた事を思い出す。
「偉大なる母……か。私はまだこんなにも未熟で、学ぶことがまだまだ沢山あるというのに。ふふ、不思議ですね……次にあの場所に戻ったら、みんなにどんな話をしようかしら」
そうして、私はチクチクと豚さんの鼻を縫い付ける。
少しずつ、ゆっくりとでも確実に。
きっと、これから先もずっと――勿論、縫物の話ではありませんけどね?
「で……君は本当に僕が無事に帰すと、ここを通すと思っていた訳だ。あーあアテが外れたよ、本当徒労に終わった。無駄に力を分け与えて、あんなにお膳だてしたのにこれだよ」
薄れ行く意識の中、話している言葉は酷く不快そうな様子なのに、どこまでも平坦な声色のそれがこちらに届く。
病院。私があの世界に行く直前に飛ばされた、不自然に静かで不気味な病院。
きっと、神様かなにか、そんな存在が作り出した、一種に待合室のような場所。
そこに私は、再び連れてこられて――そして、今こうして頬に冷たい床の感触を教え込まされていた。
言葉が出ない。意識が段々と遠くなる。
戻れない、私は戻れないの? ここで、終わってしまうの?
「戻れるさ、身体だけはね? そうだねぇ、心臓麻痺っていうヤツかな? それとも……なるほど、君の記憶に一番強く根付いている病気、この場所に関係する病気にしてあげようか? 君のお母さんが死んだのと同じ状態で発見されるようにしてあげよう」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!
私は帰るんだ、絶対にあの場所に、父の待つあの家に!
けれども、まるで殴られたような衝撃が胸を貫き――私の――意識――
「さすがにそろそろ不味い……そろそろこの場所も限界だ……早くあの世界に行かないと……器を作らないと……誰だ、誰ならアイツを殺せる……それとも――」
「ふぅ……ようやく着いたか。しっかし川の流れを利用すると流石に早いな」
「あ、ああ……シュン様と良いお前と良い、なぜ平気そうにしていられるのだ……丸二日あんな揺れの中で平気だとは……」
「いや、アークライト卿。俺もこれには少々堪えてしまった。おいカイヴォン、幾ら川下りが楽しいからって速度を出し過ぎだ」
「いやまぁ、だって早く里に向かいたいのは二人も同じだろう?」
水陸両用の魔車を借りたお陰で、わずか二日という短時間で旧宿場町、デミドラシルへと辿り着く事が出来た訳だが、どうやらアークライト卿には少々無茶な強行軍だったようだ。
一応、途中魔車を木に繋げて睡眠時間も確保していたのだが。
ともあれ、アークライト卿とシュンと共に宿場町へと向かい、早速あの酒場へと向かう。
「ふむ、話には聞いていたが……この距離で見るあの大樹はやはり物凄い迫力だ。この町で暮らす人間は皆、さぞや健やかな時を過ごしているのだろうな」
「ところがどっこい、やはり新しい宿場町の方が居心地もいい様子。アークライト卿、貴方もアマミと合流する際にあっちの宿場町を使っていたでしょう?」
「ぐ……確かにそうだが……だが、本当にここは良い町だ。可能なら別荘を建てたい程だ」
等とからかいつつも、到着したいつもの酒場。
どうやら今は通常通りに営業しているらしく、中から騒がしい声が聞こえてきていた。
だが、よく耳を凝らしてみると――子供、いや女の子の声? この酒場から?
酒場の扉を開くと、そこでは驚くべき光景が広がっていた。
「だー! もうやめろ、このカウンターは遊び場じゃない! こら! 降りろ、その樽には大事な果実酒が入っているんだ! お前も! 椅子の上に立つんじゃない!」
大勢の白髪のエルフ達が、酒場を縦横無尽に駆け回っていた。
……いや、なんで? なんで里から出てきているんだこの子達。
「マスター、なんだかおかしな事になっていますね」
「うお!? カイヴォンか!? 急いで扉をしめてくれ! 他人に見られるとまずい!」
「え、ええ」
「な……白髪の子供がこんなに……一体どうなっているのだ」
あ、アークライト卿もいましたね……。
一先ず彼への説明は後回しにし、俺も子供の捕獲に乗り出す事にした。
「これで全員だな。はい、じゃあちゃんと座って待っていた子にはお兄さんが飴玉をプレゼントだ」
総勢七名。間違いなく里からやってきた子供達を大人しくさせ、どういう事かとマスターに問う。
「結界が少し前にまた自動で修復されてな。お前さん達が本懐を果たした結果だと里長は言っていたんだが……どうやらその時、内部の方の結界が狂ったのか、子供達が迷い込んできたんだよ」
「なるほど……里長に報告して対策をとらないとですね。なら今なら簡単に中に入れるんですかね? 里に入れるようになるまでこの町で待機するつもりでしたが」
「ああ、問題なく入れるぞ。ただし深夜限定だけどな」
「なるほど。じゃあそれまで今日は子供達の面倒を見ておきますよ」
これは近いうちにリュエとダリアも連れて来る必要がありそうだな。
それにしても……子供達の体調は問題ないのだろうか? 確か魔力が際限なく周囲に拡散してしまい、虚弱体質になってしまうという話だったが。
子供達に尋ねてみたのだが、どうやらいつもよりむしろ身体がすっきりしているそうだ。
まぁ……あんなに大騒ぎをしていたくらいなのだから、当然そうだとは思っていたが。
「そろそろ教えてくれないか。この子供達は一体……」
「っと、俺にも説明してくれ。この人は何者だ? お前さんと一緒にいる以上、悪人ではないんだろうが」
「ああ、アマミの新しい就職先の雇い主だよ。アマミに『いつでも戻って来て良い』ってわざわざ伝えに来たんだよ」
「ほう、そいつはなんとも雇い主に恵まれたみたいだな。初めましてだ、雇い主さん」
「う、うむ……それで、カイヴォンよ、私の質問にも答えてもらえるか?」
「まぁ……見られた以上教えておきますが……くれぐれも他言無用でお願いしますよ」
そして、彼にも教える。
この先にある里がどういう場所で、どういう子供達が引き取られているのか。
そして、アマミもまた特別な事情がある子供の一人として、そこで育てられたのだと。
いわば里親なのだ。あの隠れ里という存在そのものが。
そして当然、彼女や子供達全員の親も同然である、里長の事も。
「そう……か。やはり、歪んでいたのだな。国だけでなく……我々国民全員の心が」
「歪みの元は消え去った以上、これから少しずつそれも正していきましょう。現に今、アークライト卿だってあの子達を見て、特別嫌悪感や恐怖を覚える事はないでしょう?」
「……ああ、そうだな。幼い頃のレイラを見ている様で、なんだか微笑ましいくらいだ」
「だ、そうだ。よしちびっこ達。このおじさんが遊んでくれるそうだぞ」
じゃあとりあえずけしかけておきましょうね?
で、シュンよ。お前はどうしてそうソワソワとバックヤードを見ているのだ。
……深夜まで我慢しなさい。ジュリアが目覚めるのはまだ先なんだから。
夜。まだ深夜には時間もあるが、一日中遊び続けた子供達を二階にある部屋に寝かしつける。
深夜になったら起こさなければいけない事を考えると少々気が重いが、幸いな事に子供の扱いがとんでもなく上手な人物がここにいるからと、ほっと安堵する。
「……無邪気なものだ。自分達を取り巻く環境を、まだ知らないのだろうな」
「その環境を整えていくのは、国の上に立つ貴族の皆さんですけどね。そうだろ? シュン」
「……ああ。俺も、精いっぱい努力させてもらう。他人事ではないのだし、な」
「シュン様も他人事ではない……ですと?」
「ああ。俺の姪が、まぁ俺が後見人である以上娘の様なものなんだが、その子も白髪でな」
すると、アークライト卿が驚きながらも、どこか安心したかのような笑みを浮かべた。
……ああ、そうだろう。上流階級にいながら、白髪に近い髪を持つ娘が居る彼からすれば、とても、とても心細かったのだろう。
貴族社会がどんなものなのか俺には分からない。だが、きっと一般の人間よりも遥かにしがらみも多く、隙を見せる事が出来ない世界なのだろう。
今、国が変わりつつある中でも、きっとそういった古いしがらみはなかなか消え去りはしない。
だからこそ、そこに自分以上の立場にありながら、同じ悩みを共有出来るであろうシュンの登場は、彼にとっては一種の救いとなったのかもしれない。
アークライト卿もまた、自身のこれまでを、そして娘の事をシュンに話す。
どうやら、俺が何かを言わずとも、二人は良い関係になってくれそうだ。
そんな父親同士の絆の誕生を見守っていたその時、一回の酒場から聞き覚えのある声がした。
「マスターいる? ちょっと聞きたいんだけどさ、里の子供達がこっちに迷いこんだりしてない? 森の中にいないから、もしかしてと思ったんだけど……」
「お、アマミか。丁度今お前にお客さんが来ているぞ」
そう、アークライト卿の目的でもあるアマミだった。
一階へ降りると、こちらを見つけたアマミが驚いた様子で駆け寄って来る。
「カイヴォン! ごめん、本当は私もすぐに後を追いたかったんだ。でも子供達が心配で里から離れられなくて……全部、全部終わったんだよね? 里長がきっと大丈夫だって――」
「どーどー、落ち着きなさい。積もる話は後だ後。子供達なら今上で寝ているよ。それと、今回ここに来たのは俺だけじゃないんだ」
背後から現れるシュンの姿に、アマミがどこか緊張した面持ちで挨拶をする。
だが……もう一人はどうした。何故出てこない。
「む、どうしたんだ? 顔を出さないのか?」
「う、うむぅ……」
「え……」
彼の登場に硬直するアマミ。そしてアークライト卿もまた、どこかばつが悪そうな表情だ。
……まさか伝言だけ託して自分は隠れているつもりだったのだろうか?
「ど、どうしてアークライト卿が……」
「その……なんだ。アマミ君に伝える事があってだな……」
「あ……はい……そうですよね。本当になんとお詫びをしたら良いか。こんなにも長い間、無断で姿を眩ましてしまった事は本当に申し訳なく思います。どんな罰でも受け入れます」
「い、いやそうではない。カイヴォンからある程度の事情は聞いている。君の故郷の事も、子供達の事も。だから……気が済むまで、家族の為に動きなさい。それで、いつでも帰って来なさい。我が家の騎士は、アマミ君の他にはいないのだから」
「だ、そうだ。結界が不安定な以上、里に残っておきたいだろう? 安心して残りな、君の働き口はしっかりとこの先も残っている」
パクパクと口を動かすアマミと、照れくさそうに咳ばらいをするアークライト卿。
なんというか、不器用な父親そのものじゃないですか貴方。
すると、ようやく再起動をはたしたアマミが、感激した様子でアークライト卿の手を握る。
「感謝します、心の底から。未来永劫、私は閣下に忠誠を誓います。すべき事が済み次第、必ず閣下の元に舞い戻ると、剣となり盾となり、貴方を、そしてレイラ様をお守りします」
「う、うむ……」
嬉しい反面、複雑だろう。本来は娘だというのに、こう言われてしまうのは。
……でも、遠くない未来にその関係も変わると俺は信じている。
しがらみは、やがて消える。国が変われば当然貴族だって変わっていく。
聞けば、最近はリュエが王族に呼ばれているそうだ。
きっと、そう遠くないうちに白髪についての誤解も解けるかもしれない。
そうなれば……きっと。無論、父と子の関係が、過去の過ちがすべて帳消しになるとは思わない。
だが……少なくともこの親子は大丈夫だと、そう、思えた。
その後、ぐずる子供達を協力して里へと連れていく事になったのだが、アークライト卿が是非里長に挨拶をさせて欲しいと言い出した。
だが、一先ず今日のところは諦めてもらう。さすがにそこまで独断で決める訳にもいかないだろう。まずは里長にお伺いを立てなければ……。
そして、約一カ月ぶりの里へ足を踏み入れたのだが、どうやらしっかり結界が再構築されているらしく、空もまた、不自然な程漆黒に染まっていた。
「里長もさすがに今日はもう眠っていると思うから、子供達を送り届けたら私の家に泊まると良いよ。狭いと思いますけれど、それで良いですか、シュン様」
「あ、ああ。すまない、こんな時間に」
「いえいえ。じゃあ、私は子供達を連れていきますので――カイヴォン、私の家の場所分かるよね? 先にシュン様を案内しておいてくれるかな」
「了解。じゃあまた後でな」
まるでゾンビのような動きでのろのろと眠そうに歩く子供達を引き連れ、暗闇へと消えていくアマミを見送る。
……よかった。どうやら大きな事件が起きた様子はないみたいだな。
シュンと先にアマミの家に向かい、鍵もかかっていないので上がらせてもらう。
相変わらず殆ど物がない質素な家だが、以前よりは長く滞在している所為か、微妙に生活用品が増えているようだった。
「しかし、まさかアークライト卿のご息女がな……しかしそうなると妙だ。城の舞踏会で彼の娘、レイラ嬢を見かけた事があったんだが……城で髪色は誤魔化すのは不可能なはずだ。リュエですら白髪のまま生活しているというのに」
「あー……それについては更に別な事情があるんだ。まぁそのうち知るだろうから今はそこの部分を気にしないでくれ」
「そうか……それで、どうやら里の結界が戻っているようだし、という事は魔力の乱れも収まったと考えて良いみたいだな」
するとようやく本題に入ったのか、心の底から安堵した様に語り出した。
当然だ。ジュリアの治療に使われている里長のポッドは、この土地の魔力を利用して稼働している。もしも里の魔力が不安定なままだったら、治療が出来ないという事になる。
……まさに一日千秋の思いだったろうに。
セリューに封じられ、そして今度は治療の為この里へ預け……もしも俺が同じ立場なら、こいつのように落ち着き払う事なんて到底出来そうにない。
やはり、人の親になるというのは、とてつもない覚悟がいる反面、それに相応しい強さを手に入れるという事なのだろう。
「シュン。今までよく頑張ったな。俺が偉そうな事言う立場じゃないのは分かってるが、それでも言わせてくれ」
「……ああ、本当にな。お前のお陰だ、カイヴォン。お前はこの国だけじゃない、俺の未来も取り戻してくれた。その事を、どうか誇ってくれ。お前は誇って驕って、少し調子に乗るくらいで丁度良いんだからな」
「ははは、まぁそうだな。なんていっても俺だしな?」
「ああ、それで良い。ここ数週間ずっと悩んでいたみたいだが、どうやら少しはマシになったみたいだな?」
「まぁ、いろいろ考える事も多かったからな。が、殆どケジメがついたんだよ」
「ふむ」
昔の事を思い出すようになったし、残して来た家族を思う時間も増えた。
だが、それを飲み込む事も確かに出来たのだ。一応、これでも切り替えの早さには定評があると自負しているわけだし。
だが、どうしても何かがひっかかるような、何か忘れているような、そんな気がしてならないのだ。
もうなにか心配をする必要はないというのに。
「忘れ物……か。ふむ、あの戦いで何か心残りでもあったのか?」
「いや、それはない。俺は……確かに決着をつけた。戦いには満足しているさ」
それに、フェンネルをちゃんと看取ったのも俺なのだから。
あの戦いに後悔ややり残した事なんて――
「なら復興作業か……? そういえばお前、川の浄化について色々考えていたが」
「それでもない……と思う。あの水量だ、瓦礫の撤去が完全に済めば自浄作用も働くさ」
「そうだろうな。いや、実際お前には助かっている。ダリアなんて特にそうだろう」
「ふむ?」
ダリアとはほぼ別行動だったと思うが。
俺は基本的に力仕事と魔物の討伐、それと一部の暴徒の鎮圧とお悩み相談だけだ。
アイツは国の要人や共和国からの使者との対応、王族の今後についてとほぼ俺と接点がないではないか。
「あいつ、仕事の合間に再生術で城の細部も直しているんだよ。で、お前がアイツに付与したアビリティがあるだろ? あれのお陰で大分――」
「ああああああああああああああああ!! それだ、それを忘れていた!!! おいシュン、お前にも今俺のアビリティ、付与されたままだったりするのか?」
「ん? そりゃお前が解除しない限りそのままだが」
「……すっかり忘れていた……そうだ、そうだった……今からいけるか……?」
胸のつっかえがとれた。
そうだ、俺はあの戦いの前に仲間達にアビリティを付与していたのだ。
それの解除を忘れていたという事はつまり――チセに[再起]を与えたままなのだ。
……地球で発動なんかしないよな……? もし平穏無事に天寿を全うしたとして、その瞬間もう一度目を覚ますなんてホラーだぞ……?
いや、まぁ寿命なら蘇っても一瞬だとは思うが……不慮の事故を一度だけ防いでくれると思えば、それもアリなのか……?
「……一応確認しておくか」
慌てて取得したアビリティ一覧表示させ、今も付与して失われてしまっているアビリティ一覧を確認する。
だが――チセに付与した[再起]だけは、どうやら既にこちらに戻って来ているようだった。
一度しか発動しないアビリティだから、当然発動すればこちらに戻って来るのだが……チセがここでそんな命の危機に瀕したという報告はされていない。
ふむ、となるとやはり地球に向かうと無効化されて戻って来ると見るべきだろうか?
「どうしたんだ? 忘れ物に気が付いた様子だが」
「あ、ああ。いやもう大丈夫だ。杞憂だったみたいだから」
「そうか。まぁ、今日はもう少し落ち着いて寝る準備でもしておくと良い。明日朝一で里長の屋敷に向かうんだから」
「……本当に待ちきれない様子だな」
考えさせられる事も多く、そして俺自身の在り方や心にも大きな変化をもたらした大陸。
俺の当初の目的である、シュンとダリアとの再会。そして思っていたのとは少々違う形ではあるが、リュエの過去を清算できたのでは、と俺は思っている。
……本当なら、ここで一度旅を終えても良い。ここで友を支え、そしてリュエの同胞とも呼べる子供達の為に生きていくのも悪くないと、心からそう思えた。
だが……やっぱりここで止めるのは無責任、だろうな。
「まだもう少しだけ……続けないとな」
「ん? なにをだ」
「旅を、だよ。七星はこれで既に四体葬った事になる。だから、俺は最後まで責任を持って旅を続けないとな、と」
「……そうか。まぁ、もう少しだけここにいて貰うが、それが済み次第……だな?」
「ああ。しっかりと見届けてから、また旅立つさ。俺の一番の目的が達成出来たんだ、後はのんびりお気楽に行くさ」
「くく、そうかい。ならそうだな……そのうち俺も色々教えてやるさ」
そうして、アマミが戻るのを待つ事なく、ソファーに横になる。
どうやら強行軍で思いのほか疲れていたようだ。
この里に来ると、どうしてもほっとして力が抜けてしまう。
だからつい――この睡魔に――
「チセ、起きなさいチセ。こんなところで寝て、どこか具合でも悪いのか?」
「……う……うん……父さん?」
凄く懐かしい匂いがする。自分の家の匂いだ。
そして、懐かしい声に私は目を覚ます。
「夕食の前に倒れたのか……病院へ行こう。会社には今日は休むと連絡しなさい」
「え……父さん、今日って何日だっけ」
「ん? ああ、八月七日だ。余程疲れが溜まっていたんだろう、少し座っていなさい」
間違いない。今日は、私があの世界に行った日の次の日だ。
いや……もしかして夢だったのだろうか。
それとも、時間がずれている……。
「全部夢……だよね、だって私……殺されて……」
思わず、あの時受けた衝撃を確かめる様に胸に手を伸ばす。
すると、カチンと指先に何かが触れた。
ペンダント……いつも私が身に付けている、母のカロートペンダント……。
「じゃ……ない。これは……」
けれども、胸に下がっていたのは綺麗なオレンジの宝石がちりばめられたペンダント。
そして、すぐ傍には一冊のノートが落ちていた。
間違いなくそれは、私が持ち帰った……。
「夢……じゃない?」
じゃあ、私があの場所で死んだのも……?
どうして生きているのだろう。いや、それこそあの部分だけが夢なのかもしれない。
不安だったから、なのかな。本当に戻る事が出来るのか。
「やっぱり今日病院に行っておこう。なにかあったら大変だもん」
その後、病院で全身くまなく検査してもらった私は、後日送られてきた検査結果に度肝を抜く羽目となった。
……物凄く健康になっていたんだよね。まるで十代並だってさ。
本当、何が起きたんだろう。まるで生まれ変わったみたいだって言われたよお医者様に。
(´・ω・`)レイスさんに鼻なおしてもらった。
エピローグはもう少しだけ続いて、その後次章に移りたいと思いますが、もう少し時間がかかります。
予定として次章とその次の章で完結させるつもりなので、最後に向けてプロットの調整が必要なのです。
後モンハンコラボでPSO2忙しいです(頭魚)