三百五十七話
(´・ω・`)29日に今の章が終わる予定です
「つ! これは……よりによってこんな深夜にどうして……」
「里長……ここの住人の皆は大丈夫なんですか……?」
「今すぐにどうこうなる訳ではないですが……恐らく作物の生育にも影響が出ます。ここの物を食べているから彼らは普通の人間と同じように生活出来ているので」
地下から上がって来た里長が焦燥の表情を浮かべながら言う。
この里に住む白髪の住人は皆、外部から自然に魔力を取り込む事も出来ず、逆に放出し続けてしまう体質だった。
それを作物や水に循環させ、彼らが再び取り込めるように循環させるシステムが、今消えた結界にも含まれていたのだ。
外部から何者かに侵入されてしまうリスクと、住人の生命維持にリスクが伴うという二重の危機に、里長もダリアも、酷く頭を悩ませていた。
「……今すぐ裏の大樹へ向かいます。せめて外部からの侵入が出来ないように新しい結界を張りなおしましょう」
「……お願いします、ダリアさん。私は今から里の様子を見てきます。恐らく今日明日で体調を崩す人間は出てこないとは思いますが……」
星空の下、いつもより明るく照らされた里へと向かい、里長が急ぎ駆けていく。
シュンもまたこの事態が異常だと理解したのか、自分に出来る事はないかと尋ねてくる。
「今は……そうだな、じゃあ里の境界、森沿いを見て回ってきてくれないか。誰かが侵入してきていたら……無力化しておいてくれ」
「了解した。だが……これは一体なんなんだ……何故結界が壊れた」
「それを、今から確認しつつ、新たに封絶結界を張りなおしてきます。カイヴォン、貴方はリュエとレイスを呼んできてください。もう起きているとは思いますが」
「分かった。じゃあ後ろの大樹だな。皆、それぞれの持ち場についてくれ」
二人と別れ屋敷に戻ると、やはりリュエもレイスも、そしてチセもまた屋敷の一階に降りて来ていた。
「カイくん、今の地震ってなんだったんだい!?」
「……明らかに自然の地震ではないと思います。一瞬だけ、でしたから」
「カイさんが戻って来たという事は……何か緊急事態なんですね?」
「ああ、実は――」
三人にも状況を伝えると、慌てて屋敷の外に出て空を見上げ始めた。
いつもなら光一つない里の空。だが今そこに広がるのは、満天の星空。
本来であれば感嘆の息を吐きだしたくなるような、そんな素晴らしい光景だというのに、この場所に限りそれは、不吉な予感、凶兆、そして住人への不幸の前触れでしかないのだ。
「……急いでダリアのところに行こう」
急ぎ大樹まで向かうと、ダリアが大樹に触れたまま、微動だにせずにいた。
その表情は驚愕。するとこちらの到着に気が付いたのか、急ぎ指示を出す。
「リュエ、手伝ってください。今、この木から生まれている筈の魔力が全て外に向かって流れている状態です。なんとかそれをせき止めて、この隠れ里に少しでも魔力が残る様にしています」
「わ、分かった!」
二人が手を翳し、結界の構築を始める。
レイスはレイスで、自分に出来る事をしようと、どうやら周囲の魔力をリュエとダリアに循環させているようだった。
……そうか、この場所そのものが、大きな再生術の内部みたいなものだったのか。
「私はここに来たのが初めてで状況がうまく分からないのですが……この場所は身体が弱い子達が元気に暮らせるように、生まれた場所なんですよね」
「ああ、そうだよ。その仕組みが突然壊れたんだ。でも一体何故――」
「……カイヴォンさん、さっき空を見ていた時、南側におかしな光が一瞬見えました」
慌てて南の空へ目を向けると、遥か南に大きな暗雲が見える。そうか……この場所そのものは本来サーズガルド側にあったんだったな。
つまりあの方角は……ブライトネスアーチか。
「……何かが起きはじめているんだな――」
それから二時間程が経過した。
戻って来た里長とシュンがそれぞれ『今のところは異常ない』と報告し、そして同時にリュエとダリアもまた『里を封絶する事だけは成功した』と。
緊急だった為、共和国側の行商人に連絡を入れる事も出来ず、しばらくはこの里に入る事も出来ず引き返す事になってしまうだろうが、今は仕方がないだろう、と。
そして結界を張る傍ら、ダリアが大陸に流れる魔力を調べた結果が語られた。
「激流でした。全ての魔力がブライトネスアーチに物凄い勢いで流れていた為、それにここの里の維持に使われていた魔力も巻き込まれて流出、維持が出来なくなり術式が崩壊したのでしょう……」
「では、その流れが収まれば元通りに戻ると見てよろしいのでしょうか? これは一過性の物なのでしょうか?」
里長の質問に、ダリアはただ黙って首を横に振る。
……もう、そういう段階ではないのだろう。
「大樹が枯れる可能性……それどころか大陸が死ぬ可能性まであります。今すぐにでも元凶を叩く必要があります」
「……皆さんはそれを叩きつぶしに行くのでしょう?」
「無論です。カイヴォン、今すぐ向かう事は出来ますか」
「行ける。御者は俺が務める、みんなは客車で休んでくれ」
「いや、ここは俺が……」
「大丈夫だ、皆より俺の方が体力も持つよ」
既に皆、臨戦態勢に入っていた。
もう分かっているのだ。理由や証拠、そんなものがあらずとも。
この原因を、これを引き起こしたモノの存在を。
「強行軍で行く。ブライトネスアーチに到着次第、城に突入する」
「俺とダリアがいれば止められる事も無いだろう。だが……恐らく大規模な戦闘になる。言い方が悪いが、最優先で貴族と王族を避難させる必要があるな」
「……それでしたら私が先導しましょう。上が動けば下もそれに続きます。私が王族に指示を出し実際に動き出すまで少し時間がかかると思いますが……その間はカイヴォン、貴方だけで彼……フェンネルと対峙してもらいます」
「了解した。もう分かっていると思うが――俺は既に仕掛けを施してある。タイミングはどうする」
「彼をすぐに殺しても、なんらかの仕掛けが発動するでしょう。彼はそういう人間です。実際に対峙してみないとなんとも……」
「……お前の真似ではないが、俺も最悪の予想はしてある。あの城の最上階にはもう一体の七星“剣神ハイネルン”解放者は既にヤツの元にはいないが……もしもも考えておきたい」
「……そうだな。封印の術式がかえられていたんだ、セリューの封印と連動して解かれていたとしても不思議じゃない、か」
「可能性としては十分に考えられます。では……シュン、貴方一人でハイネルンを抑えるのはさすがに厳しいでしょう……どうしますか、国に残った衛兵や騎士を総動員しますか?」
「いや、連中はずっとあそこにいた。俺の指示に従うか確信が持てない。生憎、人望を集めたり信頼を寄せられるような上司じゃなかったんでね」
三人で作戦を煮詰めていると、リュエとレイスもまた、自分達はなにをすれば良いかと尋ねてくる。
そうだ、今ここには二人もいる。ならば――
「リュエとレイスの二人も、シュンの援護に回ってくれないかい」
「……私がフェンネルの前に行かなくて平気なのかい?」
「因縁があるのも分かっているけれど、それでもお願いしたい」
「私で役に立てるのでしょうか……相手は七星……なんですよね」
「……正直、ダリアと一緒に避難誘導に回って欲しいっていう気持ちもある。ただ、察するに相手は剣士タイプ、君の射撃は絶対に有効だと思うんだ」
今まで見た事が無い程、自信なさ気なレイスの姿に、心が痛んだ。
見せようとはしていない。だが……彼女は今恐怖している。
そうだ……強大な敵に挑まなければならないのだ。彼女もまた、俺と一緒に旅を続ける以上、いつかはこういう場面に出くわすと、彼女も覚悟していたはずなのだ。
「……レイス、また君に加護を与えるよ。今度は、君が負けない為の加護を。守る為じゃない、勝たせる為の加護を与えたいと思う」
「……分かりました。勝ちます、リュエとシュンさんと一緒に」
「あ、じゃあ私にもなにか加護をおくれよカイくん。私もみんなにとっておきの補助をかけてあげるからさ」
「はは、そうだな。じゃあ……残りは魔車の中で相談しよう」
決戦が近いのだという緊張感を彼女がほぐす。
シュンもダリアもまた、慣れているかのように作戦や動き方を煮詰めていく。
レイスもまた、緊張しながらも、自分に出来る事を模索し動こうとしている。
皆、大きな戦いを既に経験してきた人間なのだ。
そして俺もまた……いつの間にか経験してきたのだ。
『絶対に負けられない、勝たなければならない戦い』というものを。
だが――本来であればそんな世界とは無縁の人物がこの場にいた。
「あの……皆さん、私はどうすれば良いのでしょうか」
「チセはここに残った方が良い」
無意識に口が動いていた。だが――当然反発する彼女。
「嫌です。私にも出来る事はあるはずです」
「カイくん……うん、そうだよね。ならチーちゃんはダリアと一緒に動いてもらおうかな」
「それが良いですね。恐らく大きな混乱が住人を襲うでしょう。それに乗じて、フェンネルの部下が私を狙う事も十分に考えられます」
「了解しました。ダリアさんの護衛につきます」
こちらの気持ちを察してか、出来るだけ安全な役目を回す二人。
……安心とは言えるか微妙なラインではある。だが……そうだな、少なくとも俺の攻撃に彼女が巻き込まれる事はこれでないだろう。
「ダリア、避難誘導にはアークライト卿の協力も仰いでみてくれ。そうだな……今回はアマミも連れていくべきかもしれないが、どうする」
「……いえ、彼女はここに残しましょう。もしもの時、里を守る人間が必要ですから」
「……そうか。分かった、彼女は今回はここに残ってもらう」
一瞬、彼女の血の繋がった家族である彼らの元に連れていくべきかと迷いもした。
だが……感傷で動くのは良くないと思い留まる。
結界を張ったとはいえ、以前ほど安全とは言えない状態だ。それに……事態が遅れれば徐々に住人の身体も弱っていく。
彼女の存在は、そんな時に彼らをきっと勇気づけてくれるはずだ。
「里長。俺達は今すぐ向かいます。ジュリアの事、お願いしても大丈夫ですか」
「分かりました。現状、マシンに蓄えられた魔力だけでも一週間は持ちます。ですから……それまでにケリをつけてきてくださいな。里の食糧の備蓄も恐らくそれが限度です」
無言で頷き、急ぎ里の境界へと駆けだす。
使命感、義務感、殺意、憎しみ。あらゆる感情が渦巻きながら、じわじわと身体に『動機』と言う名の力が溜まっていくのを感じる。
許しはしない、絶対に。お前だけは、ここで跡形もなく、その影響や思想に至るまで、全てこの世界から消さなければならないと、俺の中の勘が囁き続ける。
「……ダリア、もしも最高のタイミングが出来たら、俺は躊躇なくアレを発動させる。その時の被害なんて俺は知らんからな」
「……承諾はしません。ですが……それが最善なのだと信じています」
「ねぇ……カイくんの言っているのって奥の手か何かかい? そろそろ教えておくれよ」
「なんだ、お前リュエやレイスには説明していなかったのか」
「まぁ規模が規模だし、あまり教えて気持ちの良い物ではないだろうから」
「……ええ、私も出来れば気がつきたくありませんでした。ある意味では人質みたいなものですから」
森を抜け、例の酒場の裏ではなく、宿場町の奥にある獣道に出る。
今回は魔車を利用する為、あらかじめこちらに移動させておいたのだ。
尤も、この町にも魔車を貸し出してくれる場所はあるのだが、今回は急ぎの旅。性能の良い魔車を貸してくれたファルニルに少しは感謝をしなければ。
「じゃあ御者は俺が務める。途中、ノンストップで王都に向かうから、みんなが客車でしっかり休憩するように」
「やっぱり途中で俺が交代する。どの道、王都に入るのには俺かダリアの方が都合も良いだろ」
「分かった。じゃあ途中で起こすから休んでいてくれ」
ここまで急ぎの旅は、初めてだ。ここまで急を要する事態に見舞われたのも初めてだ。
いつの間にか、そこまで大切な物に、守らなければならない場所になっていた。
最初は、この大陸全てを憎み、敵とみなしてきていたというのに。
この国なんて滅ぼしても良いと、そんな事すら考えていたのに。
それなのに今、俺は国の為、住人の為に動いている。
それがなんだかおかしくて。けれども、こんな風に自分が変わってくれてよかったと、そう思えて。
「……オインクが言っていた通りになったな。俺が、憎しみを薄れさせなければ……きっともっと酷い事になっていた」
一人魔車を走らせながら、過去に言われた言葉を思い出す。
……お前のお陰で、今俺の後ろにはシュンとダリアの二人がいるよ、オインク。
こいつらがいれば、最悪は絶対に避けられると、そう信じる事が出来るんだ。
「全部……終わらせる。いつかお前の所に一緒に戻ってやるからな」
風を切り裂き進む。遥か先に見える、暗雲立ち込めるその場所へと。
そうして空が白み始めた頃、ついに見えて来たその場所。
シュンを御者席に呼び隣に座らせると、先程まで軽く眠っていたのか、少しだけ眠そうな瞳がみるみるうちに驚愕に染まっていく。
……ああ、そうだろうさ。あんなのもう……城じゃねぇ。
「……元々、あの城は巨大な木をベースに作られていた……だがこれは……」
「大樹の暴走かね。過剰な魔力で成長したと見るべきか」
「ダリア、起きているならお前も見ろ。こいつは……なんだ?」
席の後ろの窓が開き、顔を出すダリアもまた、その『あまりに禍々しいモノ』に目を見開く。
「……七星の魔力が人体に影響を与えたように、植物にもおかしな成長を与えたのでしょうか……」
遠目からも、それがただの樹木でないと分かった。
まるで地下から血液でも吸い上げたかのように、樹皮が赤く染まり、そして枝から霧のような赤い靄を噴出する姿。
かつて都市を見下ろす場所にあった美しい城は、その姿を完全に、邪悪そのもの、歪で不快な、そんな悪趣味なモニュメントへと変わり果てていたのだった。
……これは、もしかしたら住人の避難が早く終わるかもしれないな。
こんなの、まともな感覚の人間なら近くにいたいと感じないだろう。
「門が見えて来た。もしもの時は強行突破するぞ」
「了解。全員、戦闘準備に入ってくれ。全員に加護を与える。けれど、くれぐれも無理はしないでくれ」
鼓動が速まる中、ついに俺達は辿り着いた。
狂った人間の狂った考えなんて俺は知らない。だが――恐らくこの先世界を蝕む事になる、七星以上に強く邪悪な存在の待ち構えるその場所に。
「……ブライトネスアーチ。今の姿とは真逆の名前だな」