三百五十六話
(´・ω・`)いよいよ今週はつばいです
「ここは星が出ないんだな」
「ああ。いわば術式の中みたいな場所らしい」
屋敷から漏れる微かな明かりに照らされた裏庭。
シュンの呼び出しに応じた俺は、ベンチに腰かけながら、漆黒の空を見上げた。
「さっき、チセが風呂場で泣いていたようだ」
「……そうか。やっぱりまだ不安、なんだろうな」
「いや、違う。お前の所為で泣いていたんだ」
「……俺の?」
何故、俺なんだ。俺がなにかしてしまったというのだろうか。
「今のお前じゃない。ヨシキだ。さっき、悪いと思ったが少し聞こえてしまったんだ。『兄さん、なんで消えたの』って」
「そう……だったか」
思い当たるのは、里長が作ってくれたカレーだろうか。
……味覚は、人の記憶に深く残る。かつてレイスのラタトゥイユが子供達の記憶に残り続けているのと同じように、あのカレーの味もまた、俺についての記憶を思い起こさせる要因になってしまったのだろう。
……残された人間の気持ちを、俺は今まで切り捨て、考えないようにしてきた。
だが……もしも俺が同じ立場だったら。きっと、諦めきれず、いつまでも探し続けていたかもしれない……。
「カイヴォン。シンプルな疑問だ。何故、チセに正体を明かさない」
「……少しは想像力を膨らませてみろよ。お前、自分の家族に向かって『俺は家族みんなを捨てて、二度と会う事のない遠方で新しい生活をします』そう言えるのか? ようやく自分の中で整理が出来つつある人間に向かって『やぁ、死んでいたと思われていたお兄さんだよ。君達とはもう暮らせない、別な世界で生きていくからさようなら』そう言えるのか?」
「…………」
「一時の感情、満足感の為にそれをしてどうなる。言われた人間がどう感じる。義憤やらじれったさを感じているのかもしれないが、そいつは他人目線だからそう思うだけだろうが」
いつになく、つっかかる。俺が。
きっと俺自身も心の中で、事実を隠している事に憤りを感じているからなのだろうか。
だがそれでも……知らなくて良い。チセは俺の事をもう、死んだものとして飲み込もうとしているのだから。そこに実は生きていると、傍にいると、君自身が殺そうと刃を突き立てた相手だと、それを全部打ち明けてなんになる。
「その考えも正しいのかもしれないが、同時にお前の自分勝手な憶測、予測、考えである可能性も十二分にあるのは、分かっているんだろう?」
「ああ。だがその上で俺の方が正しい、間違っていないと言い切るくらいには自分の考えに自信がある。お前の気持ちはありがたいが、やっぱり俺は、打ち明ける気はないよ」
風もない。音もしない。そんな暗闇の中、互いの主張だけが静寂の中に広がっていく。
だが――ここに来て、シュンは互いの主張を覆す、とんでもない事を言い始めた。
「……七星二体分の魔力がフェンネルの元にあるのなら、きっとその魔力さえあればチセを地球に送り返す事も出来るだろう。だが――ミサトはそこにいない。一人分の魔力が余っている事になる」
「ん……そうだな」
「……カイヴォン、切り捨てるのだとしたら、平等に考え悩むべきだ。お前……うまくすればチセと一緒に地球に還る事も出来るんだぞ。いや……帰るべきなんじゃないのか?」
「んな……!」
「リュエとレイス……家族として大事なのは分かる。だが、チセも同じくらい大事なんだろう? なぁ、少しだけ考えてみても良いんじゃないのか……」
『ふざけるな』と『考える余地なんてない』と『絶対にありえない』と。咄嗟に口から出るのを必死に抑える。
いや……違う。咄嗟に言えなかった。その可能性を提示され、一瞬だけ考えてしまった自分がいた。
戻る……俺が? 今度は、リュエとレイスを置いて……?
「……悩む余地なんてねぇよ。チセは大人だ、家族との別れだっていつか訪れる必然だ」
「ああ、そうだ。だがリュエとレイスも大人だ。チセよりも遥かに強く、経験も豊富な」
「……だがそれでも、最後に残るのは……その先だ。お前も、ジュリアを残して元の世界に戻るつもりなんてない。そうだろ?」
最後に残るその先。それは、愛。家族愛とは違う、一人の人間としての愛。
一緒にいたい。共に歩んでいきたい。そんな、家族を超える愛。
だから、やっぱり選べないんだ。帰るという選択は。
「……そうだな。少し、試したかったのかもしれない。お前の本当のところ。まだこっちに来て一年のお前なら、まだ戻れるのかもしれない、そんな風にどこかで考えていた」
「……過ごした時間じゃないんだ。そうだな、同じくらい大事とは言ったが、そいつはあくまで家族として、だ。もしそこに別な要因、愛が絡んだら、間違いなく俺は二人を選ぶ」
「……本当、俺はお前が羨ましい」
たぶん、こいつなりの思いやりだったのだろう。
俺がいざチセと別れるときに、迷いを見せるのではないか。だから今ここで、はっきりさせてくれたのではないだろうか。
思えば、俺も少しチセに気を向け過ぎていたのかもしれない。
正体を隠すなら隠すで、それで良いのに、深く考えこみすぎていた。
『ただ俺はもう、この世界で生きると決めた。だから、言わない』それだけで良い。
そこに下手な思いやり、考えを挟む事がそもそもの間違いだったのかもしれない。
「……俺も、彼女も大人だ。自分の道を進むのは当然なんだ。ただ、久々に会えて、ちょっぴりお節介を焼いてしまった、そんな感じだ」
「ああ、それで良い。お前は迷うなよ、迷った挙句、周囲に目を向けられなくなって両方失う。そんなの、本末転倒だからな」
この思いは、シュンとダリアも通ってきた道なのだろうか。
それにオインクも……いや、アイツはちょっと俺達とは格が違う気がするな。
あれは間違いなく、初日あたりに全ての覚悟を決めるような、そんな迷いないタイプだ。
「シュン、お前と話せて良かった」
「そうか。少しはお前に借りを返せたのかね」
「治療もまだ始まっていないのに大げさすぎだ。ほら、丁度良いからここで待とう。たぶん里長はここに来るはずだから」
「ええ、その通りです。美青年と美少年の熱い逢瀬を見かけたので覗かせて頂いておりました。それで、ズボンはいつ頃脱ぎ捨てるのでしょう?」
「里長……一体いつからそこにいたんですか」
突然、俺がかけていたベンチの後ろから里長が現れた。
暗闇の中、微かな明かりを反射する俺と同じ銀髪が幻想的で美しいのだが……やってる事と発言がなあああああああこの人マジでなあああああああああ!
「お二人が見つめあって『お前と話せて良かった』というところから……ふふ、言えたじゃねぇか……」
「なーんでそういう方面に捕らえるんですかね。じゃあそろそろ向かうんですかね」
「ええ。お二人の姿が見えませんでしたので、ダリアさんにジュリアさんをつれて来るように言ってありますよ」
すると間もなくしてダリアがジュリアの手を引いて現れた。
この暗闇が恐ろしいのか、少しグズっているようだが、シュンの声に気が付いたのか、暗闇の中をトタトタを駆けよって来る。
「こら……危ないだろう。よくここまで来れたな、偉いぞ」
本当に父親だ。そうだよな……この世界に大事な物が出来たのなら、そちらを優先してもなんら間違いじゃないのだ。
二人の姿を見て、改めてそう確信する。
「お話は終わったみたいですね、カイヴォン」
「ああ、中々身になる会話だった。んじゃあ、向かうとするか」
そして、つい先ほどまでシュンが立っていた裏庭の中央の地面が開き、その階段が現れる。
地下へと続くワインセラー。改めて考えてみると、この屋敷の元の持ち主である先代、つまりリュエの弟子にあたる人物は、かなりのお洒落さんだったのではないだろうか。
「こんなところに……」
「凄いだろ? ちなみに中はワインが沢山だぞ」
「……ワイン、か」
「なに、お前まさか未だにカルーアミルクみたいに甘くないと酒は飲めないとか言うんじゃないだろうな?」
「…………酒が無くても人は生きていける」
「…………カルーアもどきなら作ってあるが」
「マジか!」
だから咄嗟にキャラ崩すのやめろ。
「これが……確かにかなり進んだ文明の品に見えるな……地球にもこんなのがあるかどうか……」
「では、この中にジュリアさんが入れるように調整します。今は私専用になっていますから」
「あれから調子はどうですか、里長。このマシンのお世話になったりは」
マシンのコンソールを開き、慣れた手つきで操作する里長に体の具合を聞いてみると、目覚めてからはまだ一度もマシンを使う事態には陥っておらず、それどころか向こう数年は使う事もないだろう、との事だ。
「色々力が漲っていますね。思考速度も若干上がっています。今までセーブしていた物を解放出来たので、当然と言えば当然ですけれど、改めてお二人には感謝しませんと」
「いえいえ。元々は私がご迷惑をおかけしたのが原因ですし……」
「いいえ。それでもいずれ私は永遠の眠りについていました。ですが、貴女達のおかげで、それを回避できた。これは紛れもない事実ですから――はい、調整が終わりましたよ」
見たところマシンに変わった様子は見られないが、生物用に調整が出来たそうだ。
さっそくジュリアをそこに乗せようとするシュンだが、やはり得体のしれない物に恐怖しているのか、イヤイヤと逃げようとする。
……さすがにここに大人しく乗せるのは無理そうだな。
「ごめんなさい、今はこうするしか……」
「ぁ……」
「聖女様が少女を眠らせる。なるほど」
「なにがなるほどなんですかね?」
再びダリアに眠らされたジュリアがマシンに乗せられると、里長がコンソールを操作し、透明な膜のようなものが現れ彼女を覆っていく。
「理解出来る可能性がありそうなので、説明させて頂きますと、魔力の膜で彼女を覆ってから、今度は魔力ではない、人体に影響のない目に見えない波を内部に発生させます。その時の波形で、彼女な内部を隅々まで調べているわけですね」
「ふむ……やっぱりMRIみたいな物なんだな……里長、恐らく頭、脳の一部に異常があると思うのですが……」
「……そうみたいですね。一部が活性化していない状態です。これは……何かに遮断されているのでしょうか」
すると再び里長がコンソールを開き、今度は膜が消えて代わりに目に見える、青い触手のような物が現れた。
なんだろう、里長の言動の所為で、これがとんでもなくいやらしい物に見えてくる。
「異常個所が見つかりましたので、その部分に魔力触腕を侵入させます。これは目に見えますが、触れません。また空間に固定されているので周囲に広がらないのです」
「なるほど……つまり周囲に影響を与えずに患部に直接魔力を触れさせる事が出来る、と……これは医療分野を飛躍的に進歩させますよ……」
「さすが聖女様ですね。ですが、人の手でするには少々難しいと思います。この触腕が私のいた時代の医療における、集大成ですから」
「ですが、研究のし甲斐はありそうですね」
こめかみから頭部に埋まっていく触手。リュエが言っていた『頭のどこか』それを正確に割り出しているのだろう。そして、周囲に悪影響を及ぼす事もない……と。
ダリアもそうだが、この光景を見たらリュエもたいそう興奮するだろうな。
「……これは、何故こんなところに……」
するとコンソールを覗き込んでいた里長が、珍しく険しい表情を浮かべながら、まるで怒っているかのようにコンソールを睨みだした。
「どうしたんですか」
「一体この子供に何をしたのでしょう。何故、頭の中に直接悪性魔力が流し込まれているのでしょうか?」
「悪性魔力……?」
「汚染され、まるで細菌のような自立性を持った魔力です。私の知識の中には、それが環境や生物に大きな悪影響を与えていたとあります。なぜこんな物が脳の奥深くに……」
……一体どういう事だ。七星の魔力にそんな物が含まれていると……?
じゃあなにか、レイニー・リネアリスの言う旧世界の時代から、七星が存在していたと?
いや、むしろその旧世界の名残が七星を……?
「急いで取り除きましょう。時間はかかりますが、外に流し出します」
「で、出来るのか!?」
「ええ。この細い触腕で少しずつしか排出出来ないので、かなり時間はかかりますが」
「……どれくらい、ですか」
「……一カ月程、でしょうか。それまでの間、安静にさせるよう生命維持機能を働かせ、安静な状態を保つ事も出来ますが」
「……お願いする。それで、ジュリアが元気になるのなら」
ソレがなんなのか今は分からないが、ただ少なくともジュリアは快調に向かうのだろう。
シュンの表情と声色が、明らかにこれまでとは違う物となる。
憑き物が落ちたとでも言うべきか。
「私が責任を持って彼女の面倒を見ます。貴方達はサーズガルドに向かいたいのでしょう? でしたら、彼女をここに預けて向かった方が良いでしょう?」
「……そう、だな。ああ、そうさせて貰います、里長殿。どうかジュリアの事、よろしく願いします」
「はいお願いされました。ダリアさん、カイヴォンさん。お二人も一緒に向かうのでしょう? きっと、何か大きな動きがあるのでしょう?」
すると里長は、今度は俺達に向かい、いつになく真剣な面持ちで語り始める。
自然と背筋が伸びる。何故だか、彼女の言葉にはそんな力が秘められている様だった。
「貴方達程の人間が三人揃う。それに、少し前に里の魔力が一瞬だけ揺らぎを見せました。……なにか、大きな事件が起きているのでしょうね、ここに住む私達にすら関係のある」
「……はい、その通りです」
すると、ダリアは嘘偽りなくその事実を認めた。
「私達は、それを食い止める為に向かいます。ここへは、彼の迷いを断つために立ち寄らせてもらったという部分もあります。ですが……大陸の魔力が狂い始めた今、ここも平穏無事のまま過ごせるとも言い難い、そんな局面にも差し掛かっています」
「ダリア、そいつは俺も初耳だぞ」
「はい。今日、屋敷の裏の大樹を調べて確信しました。このままいけば……恐らくこの大陸は、魔力を失い荒廃していくでしょう。だから……私達は向かうんです」
……そこまでなのか。
そこまでして、力を蓄えたいのか、お前は。
ダリアはきっと、もっと前にその可能性、大陸そのものの存亡が左右される事を予期していたのだろう。
いつからだろうか。もしかして、セリューにいた段階で既に?
「シュン。このマシンは大陸の魔力を吸い上げて動いています。ですが、その魔力の流れが全てブライトネスアーチ、つまりフェンネルへと向きつつあります。だから……分かりますね」
「……恩人ではある。だが、愛しているのはジュリアだ。剣を向けるのに迷いはない」
「右に同じく。どの道、最初から俺はその為だけに動いてきたんだから」
「……そうでしたね。剣を封じてまで準備を進めて来たんですから」
最後が近いのだと、思い知らされる。
だが予感はしていたんだ。あの玉座の間で、初めてアイツと対峙したその時から。
相容れない者。絶対に殺さなければならない、そんな相手なのだと。
だから俺は――
「やっぱりそうだったんだな。最初からお前は……どこまでも勘が冴えるというべきか、それとも執念深いと言うべきか」
「先の先の先を読むんだよ。大嫌いなヤツの事を誰よりも理解するのは、大嫌いだと思う人間の義務みたいなもんだからな」
「……では、そろそろ作戦を練るべきでしょうね。貴方が剣を振る時。間違いなく大陸の地形が代わるでしょう。どうにかして王都の人間を避難させなければ……」
ワインセラーという場違いな場所で交わされる、久方ぶりの『チームメンバー同士の作戦会議』。
それを一瞬懐かしいと思った時だった。この地下深くまで響き渡る轟音にが、薄暗いランプが大きく揺れ出したのは。
「っ! これは一体!?」
「襲撃か!?」
「そんなはずがありません! 急いで上に上がります、三人とも一緒に来て下さい」
そして、急ぎ地上に戻った俺達が見たのは、予想外の光景だった。
暗闇であるべき場所。だが、確かに地上に出た俺達に降り注ぐのは……月光と星の光。
……そう、隠れ里を隠れ里たらしめる結界が、完全に失われていたのだった。
(´・ω・`)いよいよ大詰め