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三百四十二話

(´・ω・`)7かんはつばいまでもうすこしよー

「で……そろそろ理解してくれたかね。俺は敵対しない人間には紳士的に振舞うつもりだが」

「……分かりました。一同、武装解除だ。彼との敵対行為は自由騎士団支部長の名の元に即刻禁止とする」


 ソファーに深く腰掛け、眼前に広がる人の群れを見渡しながら、その取り決めをかわす。

 人の群れと言っても全員横たわった状態なので、まるでアザラシかなにかの群れのようだ。

 いやぁ、案の定大乱闘でしたよ。ちょっとお酒注文したらバーテンがビンで人の頭かち割ろうとしてくるわ、隣の席からナイフの切っ先が向かってくるわ、離れた席からイスが飛んでくるわ、挙句の果て矢に魔法まで周囲の被害を考えずにバンバン飛んでくるんですよ。

 もう完全に殺しにきていましたね。よく見るとお偉いさんっぽい人が指揮をとっていたし。

 そして降りかかる火の粉は当然のように振り払い、その結果が今の状況という訳だ。


「して……我々に一体何の御用があるのでしょうか」

「ただの客だよ。酒を飲んで、情報を貰って、適当につまみを食いながら下らない話をするだけの」


 周囲の人間とは一線を画するであろう、物腰がどこか優雅な壮年の男性にそう応えると、まるで信じていないのか、苦笑いを浮かべながら、先程こちらにビンをフルスイングしてくれたバーテンに指示をだす。


「君、彼と私に……そうだな、今日はラムを頼むよ」

「かしこまりました」

「あ、俺にはカットライムを付けてくれ」


 不服そうな顔もせず注文に応じるあたり、やはりこの男性は只者ではないのだろう。


「申し遅れました。自由騎士団エルダイン支部の長を務めている“ルスター”と申します。先程はとんだご無礼を……申し訳ありません」

「随分と場慣れした様子だったがね。この辺りじゃ珍しくもないんだろう、こういう小競り合い(・・・・・)は」


 組織一つ潰しかけた乱闘をあえてそう評し、暗に『あの程度抗争や闘争ですらない』と牽制する。

 こちらの意図をしっかりとくみ取ったのだろう。軽く肩をすくめて見せる男性。


「これは敵対行動ではないのですが、貴方が何者なのか尋ねてもよろしいでしょうか?」

「旅人だ。まぁちょいと人を探していたり、情報を欲しがってはいるがね」

「なるほど。敵対しないのでしたら、こちらも良き繋がりが出来た、と思っておく事にします」


 静かに差し出される二つのグラス。そして小皿には注文通りカットライムが。

 それを互いに受け取ろうとした瞬間、あえてルスターさん側に差し出されたグラスを手に取る。


「まぁ要人深い人間なんでね。ほら、カットライムも絞ると良い」


 そう言いながら、俺はライムも絞らずストレートのままのラムを軽く口に含む。

 ライムを絞らなかったのは、差し出されたラムがダークラムだったからです。疑っていたわけではございません。ホワイトならともかくコイツにはあまり入れないんですよね。これならドライフルーツでも頼めばよかった。


「して、欲しい情報というのはその探し人のものですか?」

「それもあるがね、ただちょいとこの領地の様子がいつもよりピリピリしていると聞いた。その理由が気になったんだよ」

「ああ、それでしたら領主の後継者争いです。先代が少し前に共和国を抜けると言い、それに賛同した領民共々、黒き剣聖シュンに打ち倒されたので」

「そいつは驚いた。まさか皆殺しとはね」

「いえいえ。民を先導した挙句に失敗。それに腹を立てた人間達と領主の軍勢が衝突。後は言わずとも分かるでしょう? 力を示せずに弱みを見せた末路がこれです」

「なるほど」


 少しでも隙を見せれば追い落とされる。それも謀略や策略ではなく、腕っぷしで潰されるとは。ここの領主に求められるのは人望や政治的手腕でなく、腕っぷしが第一なのかね。


「領主には、誰でもなれる。誰でも平等にそのチャンスが与えられる。それがここの決まりですからね。腕に覚えのある人間がこぞって集まり、そして腕に自信の無い者は外部からその力を雇い入れる。平時よりこの領地、この都市の緊張感が高まっているのはその所為でしょう」

「それにしては随分と治安が悪いな。これは元からなのかね」

「まぁそうですね。とはいえ、ブレーキをかけるべく領主が居ない今、徐々に犯罪がエスカレートしてきていますが」


 これ以上聞く事はないか? どうにもこの相手は信用出来ないのだ。

 出来ればもう少し濃い内容を知りたいのだが。


「じゃあ最後に。ヴィオを知っているな? シンデリアの自由騎士団支部に所属していた女性だ。今この都市に来ている筈だが、どこに行けば会える?」


 彼女の名前を出した瞬間、ルスターさんの眉が微かに動く。

 そりゃこの大陸でも屈指の実力者であり、多少なりともかかわりのある人間の名前だ。


「彼女に挑戦でもなさるおつもりですか? それでしたら喜んでお教えして差し上げます。この都市の中央にある闘技場にいますよ、彼女は。お察しの通り領主の座を狙うべく日々あの場所で腕を磨いておられます。近くにはここよりも大きな酒場もありますので、そちらに行けばより詳しい情報も得られるでしょう」


 これまでと打って変わって、饒舌になるその姿に、彼の思惑が透けて見える。

『ヴィオに挑んで手ひどくやられてしまえ』『自分の手を汚さずに報復出来る』こんなところだろう。


「話は終わりだ。じゃあ俺は早速そこへ向かうとするよ」

「分かりました。では、くれぐれも道中お気を付けください。自由騎士団の中にも先程の発令を知らない者も多い。それに元々ここの都市を夜で歩くのは危険な行為ですから」

「心得た。ああ、あとそれと――」


 席を立ち、彼に背を向け出口へ向かう。

 こちらの様子をずっと覗っていたのだろう。周囲の人間が未だ剣呑な空気を醸し出しながら集まっていた。

 そんな中、背後へと向かい極小の気弾を飛ばす。


「次は無い。組織の頭の敵対は構成員全員の敵対とみなす。皆殺しにするぞ」


 彼の元にあったグラスを木っ端みじんにしながらそれを告げ、この場を後にした。

 ……あの人、俺が交換したグラスに一度も口つけていなかったんですよね。






 教えられた都市中央への道は、やはりというか、物乞いから売春婦、荒くれものから手枷をはめられた人間と、散々な有り様だった。

 途中、どう見ても『いたしている』女性のものと思われる艶声が聞こえてくる裏通りといったものや、大きなケージに入れられた人間の集団にも出くわすも、俺が関わるべき事ではないからとそれらを黙殺する。

 ……こいつはリュエやレイスを連れて歩けないな。

 そうして進んだ先には、まるでローマのコロッセオのような外観の巨大な建造物の姿。

 あれが闘技場なのだろうと、早速そこへ向かう。

 すると、本日行われている試合や見世物が掲示板に張り出されており、まずはそちらに目を通す。


「『罪人奴隷対剣闘士の試合』に『女奴隷同士の裸試合』ね……まともな試合なんて一日に数回あるかないかじゃないか」


 ほぼ見せしめや娯楽、ショウのような物ばかりだが、考えてみれば古代ローマでも似たような物だったな、と思い出す。

 で、お目当てのまともな試合のスケジュールだが――


「剣闘士と自由騎士混合のトーナメントか……午前中から夕方までって事は、今日はもう終わったって事かね」


 ふむ、つまりダリアが道を間違えなかったら間に合っていた、と。やっぱりアイツに御者をさせるのはナシだな。

 ならば、戦いの後の祝杯でも上げている事を期待しつつ、話に聞いた酒場にでも向かうとしますかね。


「って、目と鼻の先か。随分賑わってるな」


 オープンテラスを備えた大きな酒場。

 喧噪、怒鳴り声、グラスの割れる音や悲鳴が聞こえてくるも、この都市ならばこれが当たり前なのだろうと、そんな少々アウトローな雰囲気漂う店へと足を運ぶ。

 当然、まともな接客なんてアテに出来るはずもなく、適当に空いている席を探して右往左往。

 すると、店の奥へ向かえば向かう程、客層が良くなっているのが見て分かった。

 恐らく追加で膨大な席料でもとられるのだろうな。

 ならば懐に余裕があるからと、最深部、他の席とはうってかわって、まるで静かなバーのようなカウンター席に腰かけた。


「……お兄さん外から来た人だね? この場所は高いぞ」

「後ろの棚、端から端までキープする程度しか持ち合わせがないんだけど大丈夫かな」

「なるほど、これは御見それしました。では何をお作りしましょう」


 先程の酒場よりも洗練された調子のバーテンダーに、少し気分を上げながら告げる。


「さっきキツめのを飲んだばかりだから……そうだな、ビアにトマトジュースでも混ぜて出してくれないか。塩を一つまみ入れてくれると嬉しい」

「おや、変わった飲み方ですね。かしこまりました」


 レッドアイ。ビールとトマトジュース、お好みで塩や胡椒、タバスコを少々。

 お手軽で美味しいビアカクテルの一つだ。

 サーズガルドではカクテル文化が浸透しつつあるが、こちらにはまだ伝わっていないらしい。

 それとも、ただ単にレシピだけが伝わっていなかった、か。


「すみません、私も彼と同じものをお願いします」


 その時だった。恐らく最高ランクの席であろう、お金のかかるこの一角から、自分以上に場所にそぐわない声に思わず振り返る。

 顔まで隠すローブを纏った、恐らく女性。見たところだいぶ小柄に見えるが、ヴィオちゃんではなさそうだ。

 差し出された赤い液体の注がれたグラスを手に、同じものを向こうの彼女も手にしたタイミングで軽く掲げて見せる。


「乾杯」

「……乾杯」


 突然声をかけた所為か少し戸惑っている様子だ。


「……美味い。良いトマトですね」

「分かりますか。これは滅多にこちらまで流れてこないトマトです」


 そう言った彼の背後には、どこか見覚えのあるマークのついた木箱の姿が。

 ……クーちゃんの野菜がこんなところにまで。こりゃ相当値段が跳ね上がっていそうだ。


「ふむ……このレシピは中々興味深い。買い取らせて頂いても? このレシピ」

「じゃあ、ちょいと質問があるので、それについて教えて頂けたらタダでどうぞ」


 軽いやり取りを交え、情報収集のきっかけを作り出す。

 ふと、同じものを頼んだ彼女の様子が気になり、様子を覗う。

 ……もう全部飲み終わったのか。ビアカクテルとはいえ、随分とお酒に強い様子だ。

 ともあれ、俺は先程自由騎士団の方で聞いたのと同じ質問を彼にする。

 すると、こちらの期待通り、先程聞いたよりも詳しい事情を語ってくれた、

 尤も、それはレッドアイのお陰なのかもしれないが。


「現状、前領主の長男が仮の領主として取り仕切っていますね。お陰でかなり治安が悪化してきていますが、幸いにしてこの辺りは腕の立つ剣闘士も多い。あまり影響を受けていないんですよ」

「なるほどね。けど、近々正式な領主を改めて決めるんだろう?」

「ええ。すぐそこの闘技場で試合が行われます。ルール無用、反則、助っ人、外部からの攻撃も全てありの文字通りの殺し合いが」

「なにそれ物騒。反則って本当になんでもありなんだな」

「全てを叩き伏せて君臨する。それが全てですから」


 ふむ。これは恐ろしい。いっその事俺が領主に――いや絶対後々面倒だから却下。

 しかしそうなると、ヴィオちゃんに勝ってもらいたいところだな。そうすれば封印についてもスムーズに事が運びそうだ。

 後はヴィオちゃんとどうすれば会えるかという質問もしたが、やはり闘技大会にでも出て戦うか、試合後に出待ちでもするしかない、とのこと。

 潜伏先を誰も知らないそうだ。まぁ現状、その元領主の長男からしたら彼女は目の上のたん瘤になりかねない相手なのだし、闇討ちを避ける為、なのだろうが。


「その長男さんっていうのは強いんですかね。縁あってヴィオ嬢の戦いを見た事があるのですが」

「ええ、お強いですよ。ヴィオ様と五分五分……いえ、最近では彼の剣聖、シュンに迫るのでは、と噂される程です」

「ヒュー……シュンサマに迫るとは大したもんだ」

「彼は強い。領主最有力候補で言えるでしょう。噂によれば、さらに外部協力者いるそうです。時期領主は彼で決まり、というのが大多数の意見ですね」


 レッドアイを飲み干し、おかわりを頂く。

 すると、再び隣から『同じものを』の声が。気に入ったようでなにより。

するとその時、バーテンダーの男性が何かに気が付いたのか、ローブ姿の女性の元へむかう。


「待ち合わせのお客様が来店されたそうです。お部屋を用意してありますので、係の者と奥へとお向かいください」


 どうやら待ち合わせの最中だったようだ。ふむ、中々の上客だったのかね?

 そんな彼女が去り際にこちらに向かい話しかけてきた。


「バーでの注文の仕方に不慣れでしたので助かりました。それに、お陰で美味しいレッドアイも頂けました。有り難う御座います」

「……ん? ああ、気になさらず」


 律儀な娘さんだ。この都市には少々似つかわしくない程に。

 が、この席一角は客層が良いようだし、案外彼女のような人も多いのかね?

 ……一癖も二癖もありそうな油断できない相手である可能性も高いだろうが。


「さっきの人、ここの常連さんですか?」

「いえ、彼女も始めてのお客ですが――少々訳ありです。あまり深入りなさらない方が宜しい相手、とだけ」

「ふぅむ……」


 なーにか引っかかるんだよなぁ。

 声に聞き覚えがあるような? いや、それだけじゃない。

 なんだかこう、覚えがあるんだ。全体的に。


「ところでお客さん。こちらのメニューの名前は『レッドアイ』でよろしいので?」

「ええ、そうですよ。お好みで胡椒やタバスコなんかも合います」

「なるほど。後程オーナーに提案してみましょう」


 そこまで話したところでようやく気が付いた。

 今の彼女は……なぜレッドアイの名を知っていた? 元々この世界に存在していたのか? 少なくともサーズガルドで俺が広めたレシピの中にこれはない。

 先程の人物ががぜん気になり始める。


「すみません、急用を思い出しました。これで失礼します。幾らです?」

「約束通りタダで構いませんよ。おかわり一杯では割に合わないでしょう。今宵はこの素敵なレシピで十分です」

「……ありがとうございます、ではこれで――」


 席を立とうとした瞬間、バーテンダーの声が人当りの良い物から、どこか鋭い声色に代わる。


「ここを出れば、貴方はもうお客ではなくなります。ここは、ありとあらゆる方法でのし上がった人間の為の席です。そんなお客様の要望にもある程度お応えするのが我らのモットーです。私は貴方の為に『関わるな』と先程忠告しました。その意味、どうかお考え下さい」

「……なんの事を言っているのか分かりかねますが、ご忠告感謝します」

「……またのご来店、お待ちしております。物の味が分かるお客様は貴重ですから」


 なるほど、先程の女性には何かある、もしくは何かする予定だ、と。

 酒場を出て、すぐに回り込み店の裏手へと向かう。

 すると、やはり用心棒、それも場所が場所だからか、自由騎士団支部周辺にいた人間とは明らかに身にまとう雰囲気が違う、本物の強者達が警備にあたっていた。


「ここで乱闘騒ぎはさすがにまずいか? 場所が悪すぎる」


 静かに、だが確実に全員を戦闘不能にする必要がある、と。

 ……あったな、一つだけ。絶対にバレずに、静かに相手の意識を奪う方法が。

リュエに魔術を教わっていた時代、二人でこう言い合ったっけ。


『リュエ、これ案外極悪な魔法かも』

『奇遇だねカイ君、私も今そう思った所だよ。これ、お蔵入りにしておこう』


 そう、俺が最初に試した黒い炎。音も温度もなく、ただ酸素だけを奪える魔法だ。

 時刻は既に深夜を回っている。この闇に乗じて魔法を広めてやれば――


「……臭いもなにもないからな……苦しいと思った時にはもう、気を失う、か」


 首を抑え倒れこむ見張りの人間達。そして、先程のバーカウンターの裏側にあたる扉を開ける。

 そしてすぐさま[ソナー]を発動してやれば、ついさっきまで俺が座っていたカウンターや、さらにその奥の個室の様子が脳内に広がっていった。


「個室……VIPルームってやつか。明らかに『いたしてる』人ばかりだが……様子が違う部屋が一つだけあるな」


 不自然に揺れる人の反応の中、微動だにしない反応が二つ。恐らく件の彼女だろうと、足早にその部屋へと向かう。

 だが、そこにも見張りの人間がおり、再び闇魔法を使おうにも、下手をすれば室内にも影響が出てしまう。

 ここはこの場所で様子を探るが吉だろうか?


「今度は[五感強化]か。こういう潜入ってレイスの街の一件以来かね」


 発動と同時に頭に響く、大量の『ギシギシアンアン』な声をシャットアウトしながら、俺が聞くべき会話を選別していく。

 すると、先程カウンター席で聞いた、妙に起伏の少ない、けれどもどこか聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。


『なるほど。旅人とは聞いていましたが、他大陸から人を攫う類の旅人ですか。一応情報は本物のようですが、それくらいここにいても分かる話ばかり。本題に入ったらどうです?』

『……お前は腕が経つ。容姿も珍しくはあるが悪くない。愛玩兼用心棒として欲しがる人間は多い』

『生憎自分の身体は売らない主義なので。もちろん、二つの意味で』

『いや、お前が売る売らないを決めるのではなく、それはあくまで俺が決める事だ』

『……最期通告です。魔王の情報を。それさえ頂ければ用心棒でも暗殺でもやってあげます』

『……察しが悪い。端からそんな情報はない。どういう訳かこの件に関しては不自然な程情報が入らないのでな。向こうのトップが隠匿を徹底している』

『なんで、ちゃんとあるじゃないですか情報。なら、その向こうのトップに聞けば何か分かるという事ですね』

『賢い女は嫌いじゃないが、生憎お前が向こうに渡る事はない。あっちの大陸は奴隷や愛玩人形の輸出入にとてつもなく厳しいのでな』


 わーおなんという偶然。お兄さんの事を知りたいと申すかレッドアイガール。

 だが、最初からそんなものはないと。悪いおじさんは君の身体が目当てだったと。

 腕も立つという話だし、この界隈では有名な剣闘士かなにかだったのだろう。

 ……解放者の線も捨てきれない。このまま彼女を見捨てる訳にもいくまいよ。


『……ところで、先程から随分と汗が出ている。それに身体が震えているようだが』

『……バーテンダーもグルでしたか』

『お前が脅している、程度の低い宿の人間と同じではないという事だ』


 次の瞬間、とてつもない物音が曲がり角の向こうから聞こえてくる。

 顔を出せば、先程部屋の前にいた見張りの人間がドアごと吹き飛ばされているところだった。


「これでお暇させていただきます」

「薬が効いていてもまでそこまで動けるか。つくづくお前が欲しくなった」

「生憎、誰かの下に付くつもりは毛頭ないので――」


 瞬間、ローブの下に下げていたであろう剣の鞘が、深めに入れられたスリットから現れ、次の瞬間には銀色の閃光が奔り、見張りの人間どころか周囲の壁までもが細切れになっていた。

 刀使い……それにあの技の冴えはなんだ? シュンと比べても遜色がないぞ。

 一瞬思考が過去へと飛んだ瞬間、曲がり角からローブの彼女が現れた。

 微かに香るキンモクセイの花の香り。そして、一瞬だけ見えた茶色い長い髪。

 そして――突き付けられる刀の切っ先。


「貴方までグルでしたか」

「いんや。気になって侵入したクチ。……外の見張りは俺がさっき無力化した。早く逃げな」


 視線が一瞬出口へ向かう。

 空いたままの扉と、底から見える男の倒れた姿に、こちらの言葉を信じてくれたのだろう。

 そのまま一気に駆け抜けながら、彼女がこちらに向けて言葉をかける。


「失礼しました。ご縁があればその時に借りを返したいと思います。では」


 一瞬で消える彼女を追うようにこちらも外へ出る。

 しかしそこにはもう、彼女の姿形はどこにもなく、かすかに先程感じた、仄かに甘い香りが残るだけだった。


「……律儀な暗殺者がいたもんだ」


 花の香りの暗殺者――か。


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