三百四十話
(´・ω・`)そういうこと
「ただいまカイくん! お話終わったー?」
ダリアが話を終えるとほぼ同時に、近所のお土産屋を見に行っていた二人が戻って来る。
どうやらレイスはお目当てのカラスミ、もといボッタルガを大量に購入出来たらしく、ホクホクとした様子でそれらを仕分けていた。
「これは私達の分で……ここからは娘達へのお土産です。いつになるかは分かりませんけれども、これは日持ちする食材ですし、配達を依頼しても良いかもしれませんね」
「これ、昨日食べたけれど美味しかったね! 舌の付け根がググって痺れるような美味しさだったよ。ラディッシュと一緒に齧るだけであんなに美味しいなんて……」
「はは、おかえり二人とも。悪かったね追い出すような真似をして」
「いえ、なにか大切なお話があったのでしょう? 大丈夫ですよ」
二人にはダリアの事情を話す必要もないと決めてある。
彼女達にとっては、ダリアはダリアでしかないのだ。俺達が抱える葛藤やその他もろもろを、彼女達にまで味あわせる必要もない、というのがダリアの弁だ。
まぁ、色々関係性が出来上がってきたタイミングで再び混ぜ返すのもアレだ。
「……カイヴォン、実は記憶こそ共有していますが、やはり味覚というのは正確に覚えていたり思い出す事が出来ない物でして……ちょっと食べたいものがですね?」
「なんだ、何か食べたい物でもあるのかね」
「記憶の中にある物で、是非食べてみたいものがあるんですよ」
するとダリアは、紙と羽ペンを取り出し、なにやらイラストを描き始めた。
「オムライス、という料理はこの世界にもあります。ですが記憶の中にある物と相違があるんですよ。見てください、これは完全に卵の中に味付きのライスが入っているのですが――」
「ん? ああ、オムレツを最後に割るタイプのやつか。それが食いたいって?」
「はい、是非食べてみたいのです。どうやら記憶の中では随分と沢山食べていたようでして」
ああー……確かに一時オムレツ作りの練習をしていた時代があったっけ。
その時、少しでも消費しようオムライスにして食べた記憶がある。確か当時はまだ近くに住んでいたからと、ヒサシやその他友人達にも協力してもらったっけ。
「しかし食べ物の好みもやっぱり違うのかね。まぁいいや、じゃあ今夜はオムライスにするか」
「む? もしかしてお話って今夜の献立の話だったのかい? そんなに食べたい料理があるのかい?」
「ええ、実はそうなんです。古い記憶からなんとか思い出したのですよ」
「オムライスですか? 私も食べた事がありますね、これも解放者が過去に広めた料理だと記憶していますが……」
イグゾウさん。オムライスは伝わっているのにカレーは伝わっていないってどういう事ですか。
まぁオムライスはある意味『元祖洋食』と呼ぶべきメニューであり、彼の年代からしたらなじみ深いのかもしれないが。
となると、レイスの言うオムライスも、完全に卵でチキンライスを包んだ物なのだろう。
実は、後から割るのより包む方が難しかったりするんですよね。
「じゃあ今日はちょっと手の込んだ物にするから、みんなは好きに過ごしていて良いからね」
「良いのですか? でしたら今日も釣りを……ダリアさん、勝負しましょう」
「え……分かりました。では数と大きさ、どちらで勝負しましょうか?」
「では大きさでお願いします」
普通に、馴染んでいる。ダリアの在り方を『そういうものだ』と二人も理解しているのだろう。
さて、あの状態のダリアに飯を食わせるのは初めてだったかね?
今日はちょっと、本気を出させてもらいましょうか。
チキンライスに使う鶏肉を、先に炭火で焼いて香りを向上させる。
下味には多めのバジルと塩コショウで、具材としての主張を強める狙いだ。
その間に玉ねぎをしんなりするまでバターで炒めて――
その時だった。今日も釣りの応援をしていたリュエが、静かに隣へやってきた。
「ダリアの問題は解決出来そう?」
「……気が付いていたんだね」
「私も、似たようなものだったからね。でも、彼女は私よりも深刻だ」
「それでも、後はアイツ自身が決める事だ。もしも俺とリュエが知る過去のダリアが、完全に今のダリアになったとしても、全部ひっくるめてダリアなんだから」
「うん、そうだね。……それにしてもそれ凄く良い匂いがするね? オニオンを炒めているだけなのに」
「ははは、確かに。バターで玉ねぎを炒めると、どうしてこう良い匂いがするのかね」
「謎だねぇ。このまま食べてもそこまで美味しい訳じゃないのに」
久しぶりに、リュエが楽しそうにチョロチョロとこちらの周りを動き回る中の料理。
なんだか懐かしいな、彼女の家で暮らしていた時の事を思い出して。
「焼いたお肉を小さく切るんだね? オムライスっていうことは、ライスを使う料理なんだと思うけれど」
「そうだよ。さて、じゃあ次の具材だ。このキノコ、マッシュルームを使うんだ」
「あ、それ私の家の倉庫に入っていたヤツだよね? 私が長年貯蔵していたヤツだよそれ」
「そういえばあの家の周りに生えていたっけ……リュエはこのキノコが好きなのかい?」
「うん。ポトフに毎回入れていただろう? 良い香りと味が出るんだ。昔私と一緒に森に残った一族の子から、あの辺りで取れる食べ物を教わっていたんだけど、最初に覚えたのがこれだったんだよ」
「確かに特徴的な見た目だしなぁ」
「うんうん。森の中を歩いていて、白くて丸い可愛いこの子達を見つけた時の嬉しさといったらもうね、たまらないんだ」
という訳で、今度はマッシュルームを薄切りにし、玉ねぎと一緒にバターで炒めていく。
そしてある程度香りが立ったところでボウルに移しいれ、いよいよ主役であるライスをとりだした。
「む? ライスは炊くんじゃないのかい?」
「これは前に炊いたのを凍らせて保存していた物だよ。今回はこれを――」
闇魔術発動。ライスの温度を氷の融点まで一瞬で変化させる。
「解凍して使います」
「もうすっかり魔術の扱いにも慣れたよね。懐かしいなぁ……紙一枚凍らせるのにも時間がかかっていたのに」
「そうだなぁ……最初は氷属性しか使えなかったしね俺も」
「本当、あっという間に他の属性まで覚えだすんだもん。やっぱり神様の国っていうのかな? カイくんの世界に住んでいる人はみんな覚えが早いのかなぁ」
「でもオインクはあまり魔術を覚えられなかったらしいぞ。人によるんじゃないか?」
等と言いながら、バターを追加したフライパンにライスを投入。マッシュルームと玉ねぎと一緒に炒めあわせていく。
全体が良く馴染んできたところで火を止めつつ、横で焼いている鶏肉を一口大に切り分けてフライパンへ。さらにフレッシュバジルを粗みじんにしてこれも投入、再び炒め合わせる。
「むむ、これはチャーハンみたいなものだね? セミフィナルのギルドで食べた事があるよ」
「そうだな、仲間みたいなものだよ。けれど――味付けはコイツでするんだ」
ケチャップがないので、代わりに隠れ里で取れたトマトで作ったトマトソースを加える。
濃厚な甘さを持つあの場所で育った野菜の味がさらに濃縮され、ケチャップの代わりとしては申し分ない出来上がりだ。
そこに砂糖と塩、コショウを加え、鮮やかな赤がフライパンの中身全体に移る様に混ぜていく。
うむうむ。鶏肉から出た肉汁が良い感じにライスに濃厚な旨みを含ませてくれている。
「真っ赤なチャーハンだね! 凄く良い匂いだ」
「ある程度炒め合わさったら、ボウルに移して冷ましておくんだ」
「出来立てを食べるんじゃないのかい?」
リュエはすっかりこのチキンライスをオムライスだと思っているのだろう。
いつの間にか取り出したマイスプーンで、チキンライスを一口つまみ食いし始めていた。
「美味しい! なんだかチャーハンとは全然違う味だね! どうして冷ましちゃうんだい?」
「じつはそれ、オムライスじゃないんだ。それはまだオムライスの材料なんだよ」
「ええ……こんなに美味しいのに……もう一口!」
幸せそうに頬を膨らませる彼女に、こちらの気持ちが安らいでいく。
もうちょっとお待ちくださいお嬢さん。もっと美味しくなるからなー。
「おーいダリア! そろそろ仕上げに入るぞ、見たくないか?」
ここまで来て、例の瞬間を彼女に見せないのも勿体ないからと、レイスと並んで釣りをしていたところに声をかける。
どうやら今日は二人とも、今のところアタリは無いようだ。
「あ! 見ます、是非! レイスも一度休憩しましょう。彼が作るオムライスは恐らく貴女の知る物とは異なるはずです」
「そうなんですか? では一度ルアーを回収しましょうか」
二人して大急ぎでリールを巻く姿がなんだかシュールだ。いいのかね、そんな事して。
急な変化につられて魚が食いついてくるかもしれないぞ?
が、どうやら今回はそんな幸運に見舞われる事もなく、無常に戻って来るルアー二つ。
さぁ、こちらはもうオムレツの準備にとりかかっておりますよ。
「あら……カイさん、チキンライスだけお皿に盛りつけられているみたいですが……」
「そう、これはこのままで良いんだ。今からあっという間にオムライスに変えるからね」
「さっき少し食べたけど、凄く美味しかったよ。これがもっと美味しくなるんだってさ」
卵をよくかき混ぜ、塩を一つまみ。
よく熱したフライパンに油とバターを広げ、表面の溶けたバターがふつふつとし始めたタイミングで火から遠ざける。
そこへ――
「卵を入れて猛烈にかき混ぜる! そして……こうやって……」
一度身体に覚えこませた物はそうそう忘れる事はない。見る見るうちに卵の膜が一か所に集まり、それをトントンと軽くフライパンを振って丸めていく。
ラグビーボール状に閉じられたオムレツは、その内部はまだ固まっておらずトロトロの状態だ。
そしてそれを崩さないように同じくラグビーボール状に盛り付けたチキンライスの上にのせてやる。
「卵をのっけただけ? これで完成なのかい?」
「オムライス……確かに材料は同じだと思いますが……」
そんな疑問の声をあげる二人に、思わず小さな笑いを漏らす。
さぁ、取り出しましたは切れ味するどいマイナイフ。これをライスの上に乗ったオムレツにあてがい――スッと縦に切れ目をいれてやる。
すると、内部に閉じ込められていた半熟のとろとろ卵が、ライスの斜面にそって広がり、またたくまにその姿を黄色い衣で覆い隠してしまったではありませんか。
「ほーら、オムライスの完成だ。とろとろ卵のオムライス。ご所望の品はコイツでよろしいか? ダリア」
最後に仕上げとして、今回はベシャメルソースを少量かける。
黄色と白、そして黄色を割いた先の赤を含めて三色カラーになるという訳だ。
「おお……そうです、このオムライスですよ! なるほど……オムレツ作りが出来る人間には、是非このオムライスを再現するように命じなければ……」
「まぁ! たしかにオムライスです、それもこんなにトロトロ……とても難しそうに見えましたが、カイさんは慣れているのでしょうか?」
「慣れてるねぇ……一日このトロトロのオムレツだけを自分の家で三〇個は作っていたよ」
「おー……固まっていたと思ったら固まっていなかったんだね……この白いドロドロは知っているよ、クリームシチューの仲間だろう?」
話しながら次々にオムレツを仕上げ、チキンライスの上に乗せていく。
『やりたい!』というリュエに仕上げのオムレツ割りを任せ、最後の一つ、自分の分を完成させる。
「はい、完成。じゃあ中で食べようか」
皆が大事そうに皿を両手で持ち、ウキウキと部屋へと向かう。
オムライスは人を笑顔にすると思うんです、俺は。
「んー!!! さっき食べた時とは段違いだねぇ! とろとろの卵と優しい甘さのソースが絶妙だよ! そっかーこれがオムライスかー……今まで食べた料理の中でベスト5に入るね!」
「たしかにこのオムライスは私が知る物とは別物です……とても美味しいです」
リュエがスプーンをまるで指揮者のように振りながら喜びをしめし、レイスが卵をじっと見つめながらしみじみとそう評する。
そしてダリアはというと、先程から皿を回しながら、様々な角度でオムライスを眺めていた。
「そう……これですよこれ。とろりと広がり、ライスを覆い隠すこのギミック……恐らく半熟の卵がチキンライスに絡みつき、そしてこのソースが全体をさらにまろやかにまとめるのでしょう……口内で三位一体となる瞬間を想像するだけで得も言われぬ快感を覚えてしまいそうなほどです。それにこの色艶。もはや官能的です。きっとそれだけでなく、この艶やかなドレスを破くと、閉じ込められたトマトとバジルの香りが広がる事でしょう。なんと完成された、そして計算しつくされた一品、調理法なのでしょうか……まさに――」
「とっとと食えちびっ子」
「あ、はい」
めっちゃ細かい。すげぇ早口。どんだけ食べたかったんですか君。
そして、ようやく口に運ばれる自慢の一口。さて、どんな反応を見せてくれるのか。
すると次の瞬間、スプーンをテーブルにバシンと伏せ、そして顔を隠すように下を向くダリア。
その様子に皆で注目していると――
「……なんという事でしょう。私が今まで食べてきたオムライスはただのライス入りオムレツです。これが、これこそがオムライスに違いありません……」
「リアクションがいちいちオーバー過ぎるぞ。ほら、冷めて硬くなる前に食え食え」
明日の朝にはここを発ち、恐らく最後の封印拠点となっているであろうエルダインへと向かう。
そして同時に、今こうして表に出ている聖女としてのダリアではなく、俺のよく知るヒサシとしてのダリアが戻って来る日でもある。
けれども、もしかしたらヒサシとしてのダリアと旅をするのは――今回で最後になるのではないかと、この時何故かそんな予感に囚われていたのだった――
翌朝。波の音に起こされるような形で目を覚ました俺は、まだ朝日の差さない海が広がるテラスへと向かった。
「おはようさん。随分と早いな、まだ夜明け前だぞ」
そして、予想通りの先客へと向けて声をかける。
「まぁ、ある意味たっぷり寝ていたようなものだしな」
「違いない。で……お前の方からは何か言っておきたい事とかないのか?」
静かに海を眺めていた、小さな親友に言葉をかける。
「初めは――ただの気のせいだと思っていた。演技にのめり込んだんだって。だが、段々とヒサシとしての俺と思考が違うって、気が付き始めたんだよ」
「それは、昨日聞いた」
「ああ、そうだったな。ただ……一つ訂正をするとしたら、あれこそが俺、ヒサシなんだよ。そして今の俺の方が、むしろ作られた人格なんだわ」
それは、少しだけこちらを驚かせる告白だった。
「認めたくないから、無意識にそういうものだって、俺がオリジナルだってあっちは認識していたんだろうな。だが違う。意識や心は、身体に引っ張られる事もあるんだ。勿論、必ずそうなる訳じゃないし、むしろこっちの方が珍しいだろうさ」
「……だが、恐らく根底にある思い、動機は同じなんだな?」
「正解、良い読みしてるぜ相変わらず。そう、俺はお前の為に『俺』を作った。正式には、変わらずにいるシュンと、いつか現れるかもしれないお前の為に、だな」
『このままではヒサシが消えてしまう』だからこそ、ダリアはヒサシの記憶を持った人格を新たに生み出した……と。
確かにこっちの方が自然に聞こえる。むしろ昨日の説明には少し無理があったと思えるくらいだ。
「もう分かっただろ? ヒサシはいねぇんだよ。俺は残滓、記憶の奥底にあるヒサシと、シュンの語るヒサシを再現した疑似人格なんだよ」
「……元が一緒だ、疑似って訳でもないだろう。けど――そろそろ消える、だろ?」
『最後のブレーキを、貴方が取り外してしまいましたから』ここは、変わらない。
何よりも、昨日俺自身が『どちらでも親友だ』と言った事が引き金だったのだろう。
昇り始めた朝日が、まるで逆光でその姿を隠すようにダリアを照らす。
「カイヴォ――いや、ヨシキ。あの夜、あの店で食ったお前の飯、やっぱりこの世界に来てから食ったどんな物より美味かったわ」
「……当たり前だ。俺だぞ? 俺が作った飯が負けるかよ」
光の向こうから聞こえる、声に似合わないその言葉。
「じゃあ、こっから先は任せた。たぶんキツイ戦いになるぜ、なんてったって七星が二体だ。だが――お前ならやれるんだろ?」
「ああ、任せとけ。全部終わらせてやるから安心して――元の自分に帰ると良い」
逆光で見えなかったその姿が露わになる。
そこに残っていたのは、ただ寂しそうにはにかんだ――『彼女』だった。
「……結局、私も自分の事をしっかりと分かっていなかったのですね」
「まぁ、そういう事だな。気持ちは分かるがね」
「私が……私こそがヒサシだったのですね」
消えたとは、思って居ない。ただあるべき姿に戻っただけなのだから。
けれども、懐かしい思い出に浸らせてくれた『彼』と言葉を交わすことがもう出来ないという事実に、少なくない寂しさが去来する。
「さて……じゃあ二人を起こして出発の準備に入ろうかね」
「……ええ。行きましょう、エルダインへ――」
ノクスヘイムを発ってから二日。
旅立ちに際し、領主から何かあるかもしれないと身構えていたのだが、結局何事もなく出発し。
順調に行軍は続き、そして今日、エルダイン領の辺境に位置する山岳地帯へと辿り着いたのだった。
「この岩山が天然の関所になっているんです。他の領地にはありませんが、ここエルダインだけは入出に審査が必要なんですよ」
「へぇー……向こうに大きな洞窟が見えるけれど、そこを通るのかな?」
「そうですよ。あの場所を潜り抜けた先がエルダイン領となっています。この場所が唯一エルダインへと続く道なのですが、一応険しい岩山を突破する事でも辿り着けるんです」
「なるほど……以前お聞きした限りでは、随分と好戦的な方が多いそうですが、それも理由になっているのでしょうか?」
「そうなります。ある意味では隔離されているとも言えますが、向こうも向こうで、私達エルフにもしもの時攻め込まれないように、と納得しているという状態です」
あれから、ダリアは聖女として振る舞い続けている。というよりは今の状態がダリアなのだ。
さすがにリュエとレイスも疑問に思い始めていた為、ダリアが『ここからは聖女として、自分の責務を果たさなければなりませんからね、いつまでも昔の調子ではいられないのです』と説明してある。
リュエもレイスも、何かを察してくれたのだとは思うが、そこには触れないでいてくれている。
ともあれ、恐らく最も危険が伴うであろう封印拠点、エルダインへと俺達は進んで行くのだった。