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三百三十八話

(´・ω・`)単行本七巻は9/29日発売です。

いつもより気持ちページが多く密度もみっちりな内容となっておりまうす

「少しだけ糸を緩めてくれ! 柱からこの魚外してみる!」

「わ、わかりました!」


 再び海中に潜るダリアを透明床から観察する。

 アカマンボウの体長は小さく見積もっても九〇センチはある。これをダリアの身体で動かすのは、水中である事を加味しても中々難しいように思える。

 まぁ……実際には魔法もなんでも使えるのだから楽々作業を終えてしまうのだが。

 その様子を見ていた俺が、水中のダリアに代わりレイスに指示を出す。


「レイス、巻き始めて。かなり大きい魚だから重いと思うけれど」

「わかりました! ……これ、本当に外れたんですか? 全然巻き取れません……」

「ゆっくり、ゆっくりでいいから。俺は今のうちに網を用意しておくよ」

「レイスレイス、たぶん驚くよ。まるで魔物みたいな魚だよ」

「魔物……ちょっと恐いですね……」


 そうして、徐々に徐々にリールが巻かれ、テラスの下からその巨体が現れる。

 すっかり黒に染まった海に唐突に表れる不気味な巨体に、さすがのレイスも悲鳴を上げてしまう。


「レイス、もう少しだよ。網がかかるまでもう少しだ」

「……カイくん、その網には入らないと思うんだけれど」

「……確かに。じゃあフックをかけるから、もうちょっとだけ頑張ってくれ」


 悪戦苦闘の末、ついに魚の口に大きなフックを掛けることに成功する。

 そいつをレイスが一生懸命引っ張り釣り上げ、その巨体をテラスの上に乗せたのだった。

 ……デカいな。九〇どころか一〇〇オーバー、それに体高的にもかなりある魚種だ。

 このインパクト、下手をしたらカジキ以上ではないだろうか?


「ふ、不思議な形の魚ですね……斑点模様や赤い筋……たしかに魔物みたいです」

「なぁカイヴォン、こいつってマンボウかなにかか?」

「まぁ名前はアカマンボウって言うんだけど、正確にはマンボウの仲間じゃないらしいぞ」

「……変な顔。これ本当に食べるのかい……?」

「え!? これ食べられるんですか!?」

「勿論。それに……たぶんレイスは喜ぶんじゃないかな」


 ビチビチと蠢くアカマンボウさん。まさか食べるとは思っていなかったのか、レイスが密かに海に返そうとしていたのだが、それに待ったをかけて再び頭をガツンと殴りつける。

 あ、レイスのじゃないですからね。アカマンボウの頭をです。


「よいしょー! 結構重さがあるなこいつ。ちょっとまな板の上片づけてくれ」

「あいよ。マジで食えるのかそれ? 俺知らないぞそんな魚」

「まぁ見とけって。絶対に驚くぞ」


 ドシンと大きめのまな板一杯に広がる巨体に、早速包丁を入れていく。

 大きな体に包丁を最初に入れるこの瞬間が大好きなのだ。まずはヒラメやカレイの様に五枚下ろしにするべく、体にT字の切れ込みを入れ、まずは背中側の身を外していく。


「ほら、この身を見てごらんレイス。見覚えないかい?」

「これは……! まさかマグロですか!?」

「うん、実はそっくりなんだ。味も似ているし美味しいんだよ」


 剥がれてきたその身は、一見するとマグロにしか見えない赤みがかった肉色。

 そして腹、頬、頭の一部と、可食部位を次々に外し、積み上げていく。

 下手をすると本物のマグロ以上にバラエティーに富んだ肉質、味を持つ身がとれるこの魚は、一時期は『マグロの偽物』『代替え魚』のような悪いイメージが先行していたのだが、今では逆に高級魚として扱う店もあるくらい、食材として見直され始めていた魚だ。

 特に大量に大トロそっくりな部位が取れるので、こいつをあぶり焼きにしたりするともうたまらんのです。


「ほら、ほとんど食べられる場所しかない上に、マグロでいう大トロ、希少部位が沢山取れるんだよ。不気味な見た目とは裏腹に、凄く美味しそうだろう?」

「は、はい……まさかこんな素敵な魚が釣れるなんて……」

「美味しそうだねぇ……この白っぽいところを炙っておくれよ……」

「いやぁこれは良い。もっと沢山釣れて流通してくれりゃあいいのにな」


 まな板の前の前で三人がうっとりと表情をとろけさせながら感想を言い合う。

 この顔が見たかったのだ。まさかあの見た目から、こんなごちそうが大量に取れるとは思わなかっただろう。

 そうして、皆のお腹の空き具合もピークに達したタイミングで、このアカマンボウとカラスミを使い夕食を作ったのであった。




 翌朝の朝食に、アカマンボウの大トロで作った串焼きと、同じくピカタをサンドしたサンドイッチを出したのだが、やはり皆には大好評で、中でもレイスは食べ終わるとすぐに再び釣り竿を取り出し始める程だった。

 が、今日は先日領主であるコーウェン氏からの頼み事聞かなければならない。

 つまりかつてアマミ達が生まれた研究施設へと向かう訳だ。


「そんな事があったのですか……既に封印が破られていたなんて……」

「……でもおかしいよやっぱり。私自身、封印を任されていた人間だから良く分かる。たとえ分割して封印していたのだとしても、そう易々と封印を解くなんて無理だよ。ましてや、あの解放者達はカイくんにコテンパンにやられちゃっていたはずだし……」

「それについては俺もダリアも同じ考えだ。なにかからくりがあるような気もするんだけど」


 たとえば、領主が解放された時期をごまかしている場合。

 ミサト達が俺達と出会ったのは国境の町シンデリアだ。あの場所からならば、ミササギを介さずとも直接この領地へと向かう事が出来ると言う。

 ならば、連中は既にここの封印を解放しており、その後でシンデリアに向かったのではないか?

 その考えをダリアに伝えてみたのだが、それも既に否定された。


「コウレンが気が付かないはずがないからな。全員が繋がっているんだよ、術式を介して。あのコウレンが他所の封印の揺らぎを感じ取れないはずがないんだ」

「そう……か。結構良い線いったと思ったんだけどな」


 島へ渡る為の準備があるらしく、その迎えが来るまでの間、この問題についてひたすら頭を悩ます。

 ……封印。それも七星を二体だ。確かにリュエの言う通り分割されているとはいえ封印一つ一つの術式は強固な物であるはずだ。

 解放者でないと解除出来ないというのは絶対の掟であり、ミサトがあのタイミングで俺達より先にこの領地に辿り着いたのは確実なはず……。


「……フェンネルの部下ってそんなに強いのかい? 私はミサトちゃんの従者の強さをあまり知らないのだけど、それよりも強いのかい?」

「ああ、強い。そうだな……前に隠れ里を襲撃した人間の中に、自由騎士団の精鋭連中もいただろう? それくらい強いと思ってくれていい」

「となりますと……私とアマミが苦戦していた時の相手ですか。あの時はカイさんが駆けつけてくれたおかげで事なきを得ましたが……」


 あの時はレイスとアマミ二人に対して、四人の人間が相手をしていたはず。

 となると……下手をすればレイスと互角の実力者が複数名いた、と。

 そりゃ確かに苦戦必須、正直ミサト一行じゃ歯が立たない気がしてきた。


「……解放者うんぬんはさておき、それくらい強い子……か」


 その時、何かを考え込んでいたリュエがぽつりと呟いた。

 何か心当たりでもあるのかと、彼女に続きを促す。


「……強さだけなら、あの子……ちーちゃんなら勝てるかも……」


 その名前に、少しだけ心臓が強く脈打つ。

 ただの偶然だというのに、やはりその名を聞くとドキっとしてしまうよ本当。

 しかし、それほどまでに強い相手だったのだろうか?


「一瞬、ほんの一瞬だったけれど、あの子は確かに本気の私の背後を取ったんだ。いいかい? 私は普段こんなだけれど、戦いで、ましてや命が関わっているかもしれない状況で手を抜くほど優しい人間じゃないんだ。その状況で私の背後を取る。あれは異質だよ」

「ふむ……リュエ助をしてそこまで言わしめるか。そいつはかなり早い段階で――」


 ダリアが言い終わる直前。リュエが大きな声をあげる。

 そして同時に……酷く、落ち込んだ様子で語り出した。


「……ごめん、忘れていた事があった……ちーちゃんがさ、去り際に言っていたんだ……『近々都で大きな事件が起きるかもしれない』って……」

「っ!? それはまさか、封印の破壊の事だったかもしれないって?」

「……わからない。でも、もしかしたら……嫌だよ、あの子ははむちゃんの恩人だし、悪い子にはとてもじゃないけど思えなかった。ただ故郷に帰りたいだけって――」


 嫌な予感が、不穏な感覚が、おぼろげな輪郭が、少しずつ正解への道を浮かび上がらせる。

『故郷に帰りたい』? 『近々大きな事件がおきる』? 何故、そのちーちゃんと言う人物の事をもっと詳しく聞かなかったんだ俺は。


「リュエ。あの夜、その人とどんな言葉を交わしたのか、可能な限り全部教えてくれないかい?」

「う、うん……レイスも一緒に思い出そう。もしかしたら……あの子は関係者かもしれない」


 そうして、彼女達から伝えられた断片的な情報が、こちらの推論をまるで知っていたかのように完璧に補強していってしまったのだった。


 その人物は、アイテムボックスを使う事が出来る。

 その人物は、ヒューマンでありながら、その若さに見合わない強さを持っている。

 その人物は、ミササギに伝わっている和の文化をある程度知っていた。

 その人物は、ただ故郷に帰りたいと願っていた。

 そしてなによりも――俺はリュエとレイスにこう尋ねたのだ。

『その顔立ちは、どこかナオ君やレン君に似ていなかっただろうか?』と。


「……髪は茶色だったけれど、眉毛は黒だったと思う」

「顔立ちも少し、似ていたかもしれませんね……」

「……確定じゃないが、可能性はだいぶ強まった……か」


 その『ちーちゃん』と名乗った剣士の女の子は、高い可能性で……解放者だ。

 ダリアに尋ねる。封印されている七星が二体ならば、解放者を二人召喚出来るのか? と。


「……あの召喚ってのは、いわば理の外側から人間を呼ぶものだ。七星も同じく理の外から配された存在で、封印から漏れ出る魔力も同じく理を越えた場所へと届く性質がある。流出する魔力は俺が再変換して、二体の七星の間を循環するように術式を組んであるが……もしもどこかに綻びが出来れば……当然二体分の魔力が手に入る」

「つまり、二人の人間を呼び出す事も可能、と?」

「……理論上、必要な魔力は足りる」


 つまり……解放者は二人いた……と。


「……そうなると、俺に気が付かれずに術式を組み替えた人間がいるって事だ。俺に気が付かれないように、休眠期を狙って少しずつ変化させていたのかね……」


 酷く疲れた様子のダリア。恐らく、自分が想定していた以上にこの国の歪みが、昔から水面下でくすぶっていたという事実に参ってしまったのだろう。


「……でも、でもだよ? カイくんがいるんだ。カイくんはもう既に七星を二体倒しているんだよ? もしもの時は……こんな風に頼りっきりなのは申し訳ないけれど……ね?」

「……カイヴォン。お前は万全の状態の七星を倒したのか?」


 リュエが、希望を持たせるように提案するが、ダリアはそれに反論する。

 希望的観測を伝える事も出来るが、俺はこいつにだけは嘘をつけない。

 倒せないとは言わない。無理だなんて絶対に口はしない。だが……事実は伝える。


「一つは封印された状態の相手を、ほぼ不意打ちのように最大の一撃をぶち当てて殺した。もう片方は、恐らく俺の使い魔と戦って弱っていた上に、一時的に人間の身体に乗り移っていたタイミングで倒したんだ」

「……つまり、万全な状態ってわけじゃなかったんだな?」

「ああ。だが――俺の攻撃は、仮に封印されていた状態とはいえ、最強の七星を一撃で葬るまでの威力がある。そして今なら……恐らくそれ以上の攻撃も可能だ」


 確実に倒せる状況を作り出せる訳ではない。だが、当てれば確実に殺せる力はある。

 その事実だけを、ダリアに伝える。


「……そうなると、確実なのは封印されている状態で一体、お前に殺してもらう事になるかもしれないな」

「一体を倒したらもう一体はどうなる?」

「目覚める。間違いなくな。残念だがあの二体は同じ場所に封じている訳じゃないんだ」


 ダリアが言うには、二体のうち一体はセリュー領に封じており、もう一体はその反対側、すなわちエルフの治める地の中枢、ブライトネスアーチに封じていると言う。

 ……まぁ、その辺りは薄々気が付いてはいたのだが。


「セリューは恐らく黒なんだろ、カイヴォンの予想では。そうなると残った封印はエルダインと……俺自身になる訳だ。もう、王手間近って事なんだよな……」

「それと、恐らく封印の場所に一緒に封じられている誰かも……な」

「っ! ああ、そうだな」


 室内が沈黙に包まれる。

 事態が思ったよりも複雑化している事。そして最悪の事態へと至る可能性が見えてきた事に、皆なにも言えなくなってしまっていたのだ。

 ……そうだな、空気変えないとな。


「まぁ、なんとかなるだろうさ。もしも七星を倒す事になれば、当然ダリアは協力してくれるだろ? なんならシュンにもどうにか協力を要請してみろよ。あいつだって、倒せるなら倒したいはずだろ? そうだな……いっそのことセミフィナルにいるオインクにも救援を求めるのはどうだ?」

「なんだよ急に、そんな事簡単に出来るかよ」

「ああ、簡単じゃないだろうさ。けどな、倒すことが出来る力がここにあって、そんで昔の仲間がこの大陸に二人、お隣さんにはもう一人。さらにここにはリュエとレイスもいるんだ。条件が揃えば……絶対に倒せるだろう? だって俺達だぜ?」

「そうだよ! みんないるんだよ、昔とは違う。私が一人だった時でもなければ、ダリア達だけで七星に挑んだ時とも違うんだもん。負けるなんてありえないよ、絶対!」


 こちらの言葉に、不安多少薄れてくれたのだろう。なんだか気の抜けたような笑みを浮かべながら『そうかもな』とダリアが零す。

 楽観的にはなれないのかもしれない、その立場上。だが、その悲惨な結末になるかもしれないお前の未来予測が、俺達の存在を考慮していないのは絶対に間違いなのだから――




 それから、放置していたレイスの釣り竿を回収しようとしたら魚が掛かっていたりと、ちょっとした騒ぎもあったのだが、昼前頃には領主の使いと名乗る人間が現れ、俺達は海岸沿いの、街の端っこにある灯台の近くまで連れられてきたのだった。


 この辺りは遠浅の海で、日中はその浅瀬を通り、少し沖の方にある水没遺跡まで徒歩で渡る事も可能という話だ。

 現に、今もそのまま遠くまで歩いて渡れそうなほど水が引いていた。


「ううむ……この浅瀬でタコとかエビとかサザエとか捕れそうだな」

「釣り以外で海産物を取る時は許可が必要だぞ。後で宿の人に聞くと良い」

「あ、おっきい魚が迷い込んできてる! バシャバシャしているねぇ」

「……なんということでしょう」


 そうして海を眺めていると、使者の男性がこちらに声をかけてきた。

 どうやらここから歩いて渡った先にある遺跡に、船が着いたそうだ。

 ダリア曰く、元々はここまで遠浅ではなく、研究所に直中する船も普通に港から出ていたそうだ。だが、やはり年々微妙に環境が変化し、今のような地形になった、と。


 そうして遺跡……といっても古い桟橋のような小規模な場所から船に乗り込み、遠くに見える島へと向かうのだった。


「なんだか緑豊かな場所っぽいな。ここからだと森しか見えない」

「反対側にあるんだよ研究所跡は。まぁ元々俺達エルフの建築物は自然を利用する形も多いんだけどな」

「そういえばブライトネスアーチのお城は大きな樹と融合していたねぇ……いつか見学にいける日が来ると良いんだけど」

「リュエ助……ああ、そうだな。いつか、お前さんがなんの負い目も感じずに、どこにでも行けるような国になるように、俺も努力するさ」


 船は島の裏側へと回り込み、ダリアの言う通りその場所に研究所跡はあった。

 ダリアが言っていたように、その研究所も元々は大樹だったのだろう。

 まるでおとぎ話にでも出てきそうな、木の中身をくり抜いて作ったかのようなその外観。

 しかしよくよく見れば、とてもじゃないが絵本などには出てきそうにない姿をしていた。

 シルエットこそ大樹だ。だが、あちこち黒く焼け焦げており、表面もボロボロと朽ちかけている。

 窓も割れ、人工的な部分も歪み、ある意味では元の姿、自然に還りつつあるように見えた。


「過去に襲撃があったって言っただろ? その事件で多くの子供達が行方知れずになったんだ。まぁ……その殆どは俺自らが看取る事になったんだけど……な」

「……詳しくは聞かない方がいいよな?」

「……優秀な子供達だったからな。欲しがる人間も多かったんだろうさ。それとも、非道な実験をしているからと、どこぞの人間に粛清されたのか」


 道すがら、ダリアから事件のさわりだけを聞き、そして建物の目の前に到着すると、先程から静かにダリアの話を聞いていたレイスが一歩歩み出た。


「……ここで、イクスが生まれたのですね」

「……そうだ。そして……取り上げたのも俺だ。俺が目覚める時、当時はいつも最初に妊婦さん達の産婆の役割をしていたんだよ。俺と一緒に目覚めてくれて、この世に生を受けて有り難うって……それが祝福だと、母子の幸せを願う為の儀式だと信じていたんだ」

「……私はその事でダリアさんを責めるつもりは微塵もありませんよ。それに、当時のお母様達もそうだったはずです。それを利用する為に暗躍していた人間こそが悪なのですから」

「……だが、フェンネルを止めなかったのも俺だ。『将来国を担う良家の子に、大きな力と加護、そして教育を施そう』というアイツの案に乗ったのも俺だ」


 まるで、感情を失ったかのように淡々とダリアは語る。

 俺には、少しだけダリアの気持ちが分かるような気がした。

 俺もダリアも、自由な社会という物を知っている。

 平等にチャンスがあり、そして努力や才能、運や境遇に左右されながらも人々は幸せを掴もうとしている。そんな世界を。

 だがその反面、上に立つ人間の悪行、非道で、そんな幸せを望む一般の人間が苦しみ潰れていくという残酷な現実も、嫌という程知っているのだ。

 ……この世界なら、そんな悲劇を回避する事が、上に立つべき人間を良き統治者として教育し、作り上げる事が出来るのでは、そう考えたのではないだろうか。


「その辺の後悔は今してもどうにもならないだろう。今やるべき事をやるぞ」

「っ! ああ、そうだな。とりあえず当時の資料室にでも行ってみよう。その前に封印の拠点も見ておかないとな」


 そうして朽ちかけの扉を開いたその時、鼻を衝く異臭に全員の足が止まる。

 明らかな腐臭、そして血の臭いだ。

 屋内は既に壊滅し、壊れた機材や建物の瓦礫にまみれていたが、ところどころに惨劇の跡が色濃く残されていた。

 恐らく、大雑把に遺体だけ片付けられたのだろう。いたるところにこびり付いた血や肉片、それが恐らくこの異臭の原因だ。


「ちっ……仮にも子供達の生まれた場所だ、さすがに我慢ならん。リュエ助、頼む」

「うん……浄化してみるよ」


 久しぶりにリュエが『ディスペルアース』を発動される。

 最高ランクの聖属性が付与された剣でなければ発動できない、最高の回復魔導。

 その効果は周囲を浄化し、断続的な回復効果を与える事。そしてこの世界においては、本当の意味で正常化させ、悪霊や怨霊、汚れや思念を洗い流す物でもある。

 しかし――


「……ダリア、ここってなんなんだい……表面上の汚れを払ったのに、奥底にまだ何かある……強い、凄く強いなにかがある」

「……やっぱりそうなのか」


 思い当たる節があるのか、ダリアが静かにこちらに振り返る。

 その表情にはどこか見覚えがあった。ダリアとしてではない、ヒサシの顔で、時折こんな表情を向けられた時があった。

 それは――


「……俺に、頼みたい事があるんだな、ダリア」

「封印跡地は、ある種の力場になっている。恐らく、ここに溜まっているんだよ、リュエでも祓えない何かが」

「……ここは、ある意味産婦人科なんだよな?」


 合点がいった。

 恐らく、ここで亡くなった命は生まれた子供達だけではなかったのだろう。

 ……中には、生まれなかった子供もいたのだ。

 そして……幸か不幸か、俺は雑学としてそういう方面の話にも通じていた。

 まぁ、趣味でヒサシとカズキを誘って心霊スポット巡りをするくらいには。


「お前さ、もしかしてこの世界に来てから、色々試したりしたんじゃないのか? 俗にいうウィッチクラフトとか陰陽道とか、この世界なら実現しうると思って」

「っ! ああ、そうだ」

「この研究所で、危ない事をしていたのは何もフェンネルだけじゃなかったんだな?」

「……命を冒涜するような真似だけはしなかった」

「そいつは分かってる。けど、渦巻いてるんだろ? 何かが。それで都合が良いからここを封印の拠点としてフェンネルが選んだ、と」


『水子の霊』という言葉がある。

 それは、生まれなかった子供や、生まれてすぐに亡くなった子供の霊を指す言葉であり、時には恐ろしい物、祟るものとして語られる事もある。

 だからわざわざ水子の霊の為の霊園を設立する場所も少なくない。

 だが――俺に言わせりゃそんなの嘘っぱちだ。無垢な魂が邪悪であるわけがないだろうが。

 一番きれいな魂を持っているのが赤ん坊だろうが。誰が祟るか。

 だがその反面、こうも思う。無垢が故に囚われ、騙され、染められる事もある、と。

 ダリアやリュエの弁を聞く限り、少なくともここはまともな場所ではなかったのだろう。

 そして、封印と一緒にもしもそんな無垢な魂までも封じられていたのだとしたら――


「……一応、供養は出来ると思う。一度だけ、俺は心の底からある人の鎮魂を願い、魔法を使った事がある」

「あ……! マインズバレーでの事……だね?」

「そう。ああ、なるほど。確かに少しだけあの場所に似ているな、ここは」


 もしかしたら、その封印の拠点跡に向かえば、また恐ろしい幻惑、思念に囚われるかもしれない。

 その懸念を抱きながらも、俺達は研究所跡の最深部へと向かうのだった。


 道すがら、ダリアはこの研究所について語る。

 元々はダリアやシュンといった、神隷期の人間の身体について調べる為の場所だった事。

 そしてダリアやシュンがもたらす地球の知識を応用した術を開発する場所でもあった事。

 そして……医療分野の話にフェンネルが異様な食いつきを見せた事。


「地球の医療は、正直こっちの世界の魔法や魔術、魔導よりもよっぽど優れているんだよ」

「そうか? 一瞬で回復する魔法の方が遥かに上だろう?」

「そいつはな、計算式を書かずに問題の答えだけを書いてるのと同じ事なんだよ。その過程やプロセス、人間の身体の中で何が作用し、どんな細胞変化が起きているか理解した上で、人間の力だけでそいつを治療している方がよっぽど高度なんだよ」


 確かに言わんとしている事は分かるが、それでも俺は、より多くを救える回復魔法には敵わないように思えてならなかった。


「ま、そう考えるのも当然だけどな。だがなカイヴォン、医療をさらに遺伝子学やクローン技術まで進めたらどうなる? ここまでくりゃ、さすがに魔法より優れていると考えられるんじゃないか?」

「……それは、確かにそうだが」

「フェンネルはそれから、そいつばかり研究していた。その中でもとりわけ、マンモスの復元実験、先祖返りを狙った推論に食いついていたんだよ」


 聞いた事がある。仮にマンモスの遺伝子を組み込んだ受精卵から象が生まれたとする。

 そこにもし少しでもマンモスの因子が発生していたら、今度はその因子を持つもの同士を掛け合わせ、よりマンモス因子の強い子供を産ませ、それをまたマンモスの遺伝子と組み合わせ――というヤツだ。

 まぁ実現しなかったと子供の頃どこかで見た記憶があったのだが……。


「……フェンネルは、俺達になろうとしていたんじゃないかって、今なら思う」

「そいつはどういう――ダリア、お前まさか!」

「……ここで生まれた子供達には、俺の細胞も埋め込まれている。間接的にだが、俺の血も流れているんだよ」


 それは、さすがの俺も血の気が引く話だった。

 だが、優れた子供を生み出すのが目的であり、なおかつ……そこにダリアの知識と肉体があれば……それを実際に行ったとしても不思議ではないと、そう、思えてしまった。

 するとこちらの話を聞いていたレイスがダリアへと詰め寄った。


「それは、どういう意味なんですか? ダリアさんが皆さんの、イクスやアマミの母親という事なのですか!?」

「い、いやそうじゃない……生まれてくる前に、少しだだけ俺の遺伝子……人間の設計図といえば良いんだろうか……そいつを魔術的に置き換えて、加護として刻み込んでいたんだ」

「……難しいです。ですが、少なからずダリアさんと関りがある、そういう事なんですね?」

「……ああ。だから、ここが襲撃された後も、百年近くは子供達の為に動いていたよ。そして最後の代、イクスやアマミ達と同時期に生まれた子供達は、全てその最期を――」

「……なぜ、亡くなったのですか。まさかイクスも……?」

「彼女は大陸から逃れたんだろう? なら、フェンネルが何かしてもその影響下から逃れていたと思う。俺が見てきた子供達は……皆再会した時には老衰で亡くなった後だったり、その間際だったりしたんだよ」


 そして、アマミとレイラの二人は、その出自が他の子とは違い、双子という形で負担が分散したお陰で今も生きている、と。

 もし、この大陸に張りめぐされた術式が子供達になにか悪い影響を及ぼしているのならば。

 やはり、七星ごとこの術式を破壊した方が良いだろうな。


「そろそろ最下層だ。ただ、コーウェンが態々俺に依頼したんだ、そうとう厄介な事になっているはずだ」


 ダリアが大きな鉄扉の前でそう言った矢先だった。

 ゾクリと悪寒が奔る。そしてそれはどうやら俺だけではなかったようで、リュエもまた少し顔色を悪くしていた。

 だが――それよりも酷い様子を見せていたのはレイスだった。

 蹲り、口を抑えながら涙を流す彼女。

 まるでうわ言のように『ごめんね、ごめんなさい』と言い続けていた。


「……レイスはね、たぶん魅入られやすいんだと思う。前にさ、カイくんが黒い化け物を見つけた時、レイスが呪われてしまった時があっただろう? その時もこうだったんだ」

「っ! リュエ、レイスに回復を頼む」

「ううん、何も呪術的な物は受けていない。ただ……レイス、それは見ちゃダメだし、耳を貸しちゃだめだよ、私を見て」


 リュエはレイスの前にかがみこみ、しっかりと自分を見るようにさせながら優しく諭す。


「リュエ……声が、声が聞こえるんです……この扉の向こうから……子供の泣き声が」

「うん、そうだよね。レイスはみんなのお母さんだったから……優しいから、ついみんなレイスに声を向けちゃっているんだと思う」

「……レイス、ここでリュエと待っていてくれていいよ。俺なら一人でも大丈夫だから」


 俺には今回は何も聞こえない。だが、レイスには聞こえているのだろう。

 どうやらダリアも少なからず影響を受けているのか、随分と顔色が悪いように見える。

 だが、レイスは意を決したように立ち上がりながら――


「見届けます。子供達がもしもこの先で苦しんでいるのなら……それが晴れる瞬間を私も見届けないと、たぶんこの胸の痛みは治まらないと思うんです」

「……そうか。分かった、じゃあ一緒に行こうか。ダリア、扉を開けてくれ」


 そうしてダリアは開く。

 暗く、闇がどこまでも続く地下へと続くその扉の。






 一歩ごとに、足が重くなるような錯覚をする。

 それはまるで、何かが足にしがみ付いているかのような、そんな曖昧な気配すら漂わせる程の感覚だった。

 そしてその果てに、再び現れる扉。

 そしてそこを開いた瞬間――レイスでもリュエでも俺でもない、ダリアが絶叫した。


「ああああああ!! なんだ、なんだこれは! どうなって! どうなってるんだよ! お前か、お前か! お前なのか! ああああああああどうして、どうしてこんな! お前は、お前は何を考えて! ああああ!!!」


 部屋は、まるで巨大な生き物の体内のような有様だった。

 肉。骨。なにか。それらが壁や床、天井を埋め尽くし、どこか生暖かい空気が充満していた。

 そして、封印の拠点であったであろう肉の祭壇の周囲には、遠目からでも人の物であると分かる、干からびた頭が埋め込まれていたのだった。


「ダリア、落ち着け! どうした、この惨状はお前が知らない物なのか!?」

「知りません! こんな、こんな死者を冒涜するような物! 子供達を……子供達をこんな物に!」


 余程取り乱しているのか、その口調が聖女のものとなる。

 祭壇に埋め込まれた頭一つ一つに手を伸ばし、光でそれらを覆い、そして光の粒へと分解していくダリア。

 ……明らかに異質。この封印の拠点は、俺から見ても異常であり、とてもじゃないが封印の為の神聖な物だとは思えなかった。

 すると、レイスが静かに歩みだし、ダリアの肩に手を置いた。


「ダリアさん……ここにみんないます。泣かないでと、必死に身体に手を伸ばしています」

「なにを……あ……見えているんですか、貴女には」


 気が付くと、レイスの両眼が赤い光を湛えていた。

 彼女の魔眼が、ある意味魔力のような存在である霊を捉えているのだろう。

 もう泣き声は聞こえないのか、ただ静かにダリアへと語り掛けるレイス。


「たぶん、どこかでダリアさんが自分達の親のような存在だと気が付いていたのかもしれません。部屋に入った瞬間、泣き声が消えました。たぶん、安心したんだと思います」

「……そうですか。ああ……ここにいるんですね、みんな」

「……ダリア、もう浄化の必要はないと思う。その身体を浄化してあげたからかな、少しずつ気配が希薄になりつつあるのを感じるよ」


 そして、俺もまた久方ぶりに魔導の準備をする。

 手助けになればいいと、天へと続く道になれば良いと。


「ダリア。この地奥下底からじゃ子供達が昇りづらそうだ。天国へのハイウェイ開通させるから少し部屋から出てくれ」

「……はい、お願いします。存分に、盛大に、やってください」


 不思議な気分だった。俺の親友が、男であったヒサシが、今は母親としてここにいる。

 けれどもどこか納得している部分もあった。もう、ヒサシではなくダリアなのだと。

 ここで聖女として生き、そして母として子供を思う、一人の人間なのだと。

 人は変わる。それは、知っている。だが、ダリアの変化があまりにも大きくて、そしていつも見せる顔があまりにも昔のまま過ぎて、それをどこかで受け入れられなかった俺がいる。

 だが『彼女』は『彼女』だ。過去や将来にとらわれるのは間違いなのだ。

今ここにいるダリアがその全てなのだと、ようやく俺も納得出来た、そんな気がした。


「……子供達を彼の地へと運んでくれ“ヘヴンリーフレイム”」


 禍々しい部屋を、漆黒の炎が包み込む。

 温度を伴わないはずの炎が、全てを塵に還し、そして部屋の天井を消し去り、土と、岩を、建物を全て消し去りながらトンネルを作り出していく。

 そしてそれが頂点へと達したのだろう。降り注ぐ午後の日差しが、この闇の底へと差し込んだ。


「……先に行ってください。私も……いつの日かそこへと向かいますから」

「……そうだな。そこで、もう一度会えると良いな」


 魔導が終わると、部屋はただの土の洞穴のような姿と化していた。

 封印跡地での調整作業はどうなるのか尋ねたところ、恐らく今の一撃で全てがリセットされたから、今はまだどうする事も出来ない、と。

 だが、この津波については、後で付近の海底を変形させて抑える事も可能だとか。


「元々、ここに来るための口実みたいなもの、でしたからね。さて、ではここに残されているかもしれない資料を探しに行きましょうか」

「お前さんの話で色々知らなかった事も分かったけどな。それでも何かあるかもしれない」


 何故か涙ぐんでいたレイスとリュエを宥めながら、再び階段を昇っていく。

 けれども、今度はその足が重くなる事もなく、どこか爽やかな気持ちになっていた。

 ――そう、俺達が地上に戻るその時までは。


(´・ω・`)カイヴォンがこれまで心の中ですらダリアを『彼女』と呼ばなかった理由

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