三百三十五話
「ひゃー、すごいねぇ! 水しぶきがこんなに高く上がる」
「リュエー、ちゃんと窓しめておかないと水が入るぞー」
翌朝。昨夜遭遇した川の逆流で水浸しになった街道を魔車でひた走る。
まるで引き裂かれるように左右に跳ね上がる水にリュエが興奮している様子だが、これは想像以上にけん引している魔物の体力を消耗してしまうのではないだろうか?
「ふむ、この辺りの地面は水はけが良いみたいだな。地下が砂利の層になっているのかね」
「確かに昨日に比べて明らかに水が減っているな。昼にはこの日差しの力で完全に乾きそうだ」
「だな。それにしても驚いたな……こんなの初めて見たぞ、この大陸に長年住んでるのに」
本日の御者も俺が務め、隣にはダリアの姿。なんでも、周囲の様子をしっかり観察しておきたいとか。
この辺りはもともとミササギとノクスヘイムを繋ぐ役割しか持たない道の為、周囲に建物もなければ畑もなく、周囲を観察する必要もなさそうではあるのだが、ダリアが言うにはこういう何もない場所だからこそ、大陸全体に刻んだ術式の大半を集中させているのだそうだ。
まぁ今のところ特におかしな兆候は見られないらしいのだが。
ともあれ、少しでも早く街に辿り着くまで、こうして早朝から移動している訳だ。
「カイさん、あの……客車の窓にぶら下げられているイカなんですけれど……」
「……ごめん、そのままにしておいて。気になると思うけれど」
「は、はい。これも調理法の一種なんですか?」
「うん。一夜干しって言って、完全に水分を抜くのではなくて、表面だけ乾燥させて味を濃縮させたり、美味しさを熟成させたりするモノなんだ」
「ちなみにイカの一夜干しは俺達が住んでいた国の定番メニューだったんだぜ」
「カイさん達の……是非食べてみたいです」
「じゃあ今夜はこいつで晩酌に決まりだな」
それから暫く魔車を走らせていると、街道沿いに木の柵で覆われた大きな広場が現れた。
またどこかで管理されている野営地だろうかと、一先ずそこに魔車を止める。
ダリアが言うには『俺は知らない、新しく出来たのかもしれない』という話だが。
誘導員に魔車を止めるように導かれ、早速その誘導員にこの場所がなんなのか尋ねてみる。
「ええ、ここは野営場ですよ。ですが、今では街まで人を運ぶ乗り合い馬車の待合所みたいなものですね」
「街まで……? 徒歩でここまで来る人なんているんですか?」
「いえ、そうではないのです。皆さんはミササギの方から来たみたいですし、ご存知ないと思いますが……そうですね、今日だと後二時間くらいでしょうか」
意味深に語る誘導員に、一体なにが起きているのか皆と顔を見合わせる。
深く尋ねようとしても『見てのお楽しみです』の一点張りだ。
ならばその勿体ぶる程のナニかがあるのだろうと、一先ず俺達も野営道具を広げ、今日はここで一泊することにしたのだった。
「そういえばこの辺りは水が溢れた跡とかないね。海水ってさ、乾くと白く汚れが残るじゃないか。でもこの辺りにはないもん」
「ああ、確かにそうだね。あれって塩なんだよ、白い跡って」
「あー、そっか海水って塩っ辛いもんね」
「ふむ、元々緑豊かって訳じゃないが、小さい林や森だってあるし、塩害が心配だな」
「一応この大陸にも雨季みたいなのがあるんだろ? 大丈夫じゃないか?」
「まぁそうかもしれないが、一応気にかけておくさ」
等と言いながらも、順調に出来上がっていく大きなテント。
もうすっかり慣れたものだ。なんだかんだで野営も数えきれない程こなしてきたからな。
最近ではレイスが一人でテントを準備してしまう事もしばしば。やはり活発化しているのはこのお姉さんなのではないでしょうか。
「まだ昼食には早いですよね? 一緒に釣りに行きませんか?」
「ん、そうだね。ここは川より高い場所にあるから、もしもの時もすぐ逃げられそうだし安心だ」
「私はどうせ釣れないから見学するよー。ダリアはどうするんだい?」
「んー、俺も見る側にするかね。二人がいれば問題ないだろ」
という事で、俺とレイスが竿を担ぎ、昨日の氾濫の影響か、幾分川岸が荒れたその場所へと向かう。
こうして見ると、昨日の光景が嘘のような、そんな穏やかな流れを湛えた川だというのに。
「ん!? ダリア、ダリア、汽水域万歳だな、でかい魚影……たぶんシーバスだ」
「マジで! フライか、それとも混布〆か!?」
「知っているお魚ですか? なんだか悠々と泳いでいますけれど」
「割とポピュラーな魚で、スポーツとしてあれを釣る人も多かったんだ。食べても美味しい」
「むむ……あそこまではっきり見えているなら、私でも釣れるかも……?」
思いもよらない大物の姿に、こちらもワクワクとしながら、餌用の海老団子をつけて川へと放り込む。
これはブライトネスアーチでお店を手伝っていた時、大量に余った海老の殻や頭を利用したもので、集魚性能は折り紙付きだ。
すると、案の定少し離れていた場所を泳いでいたシーバスが、何かに気が付いたように進路を変える。
「よーしよし…………食った!」
「おお! 大きい! いけ、釣り上げろー!」
ググッっと引かれる竿が、大きくしなりながら魚の方へと引っ張られる。
簡単な機構のリールな所為か、日本にいた頃よりも遥かに苦戦しつつも、着実にその距離を縮めていく。
糸を張り、面倒な岩陰に逃げ込まれないように魚をコントロールしながら格闘する事数分。
なんとか水面から抜き上げた魚をそのまま川岸に上げ、すぐさま近くへと引き寄せる。
「おー……八〇センチは余裕で越えていそうなシーバスだな」
「凄いですね……魚の暴れ方が隠れ里の魚とは全然違いました……次は私も挑戦します」
「うおお、これならフライが沢山作れるな! いやぁ、やっぱり良いな釣りは」
「カイくん、この魚どうするんだい? 私が凍らせてあげようか?」
「そうだな……ちょっと釣りたてを〆て血抜きしてみるよ。ちょっと行ってくる」
釣りの邪魔にならないように、少し下流に移動して処理をする。
するとその時、背後に人の気配を感じ、魚を洗いながら声をかける。
「見て面白いものでもないだろう? もうすぐ終わるから、ちょっと待ってなされ」
「あ、うん。なにしているのかなって思っただけなんだ。お兄さん釣りしてたの?」
その聞きなれない声に驚き背後を振り返ると、目の前には大きな褐色の球体が二つ。
思考停止。たわわ。白ビキニが栄える。頂点の微かな突――
「……失礼、連れと勘違いしてしまいました。今釣った魚の鮮度が落ちないように、血と内蔵を抜いていたんです」
「へー、そういう事も必要なんだ。お兄さんも川下りに来たの? その恰好じゃ危ないよ?」
褐色巨乳エルフさんでした。白髪がまぶしゅうございます。
しかし川下りとはなんぞや。カヤックやボートを使うには、少々流れが緩やか過ぎるし、それこそ逆流現象だってあるのだ、とてもじゃないが舟遊びが出来そうには思えないのだが。
「あ! カイくんがえっちな格好のお姉さんと楽し気に!」
「なんですって!?」
「お、マジで?」
すると、まるで咎めるようなリュエの鋭い声と、それに呼応する殺気を孕んだレイス、そして楽しそうなダリアの声が飛び込んできた。
「いやぁ、ちょっと話を聞いていただけだから。なんでも、ここで川下りが出来るらしくて、水着じゃないと危ないって聞いていたところなんだけど」
「……水着、持ってないや。私の住んでいた森は私しかいなかったから、いつも全部脱いでいたし」
「私も肌を衆目に晒すのは控えていましたので……」
「まぁ俺達は川下りをするつもりはないから持っていなくても関係ないんだけどね」
「ちなみに俺は持っていたりする。どうだ、見たいか?」
「身体をもう一〇歳分成長させてからいらしてください」
こちらの水着事情について話していると、白ビキニのお姉さんがカラカラと笑いながら『そろそろ時間だから』と、川の下流に向かい歩き始める。
するとそのタイミングで、野営場の係員がやって来て『すぐに戻ってきてください』と言い出した。
聞いていた時間よりも幾分早いが、一先ず釣りを切り上げて戻る事に。
「残念……私もシーバスを釣り上げてみたかったのですが……」
「大丈夫、この川にいるって事は、街の海にもいるって事だから」
「海、久しぶりだね! 美味しい酒場とかあるといいなぁ」
「それも、街が無事だったらの話だがね。まぁさっき係の人間が『街まで送り届ける』って話していたし、恐らく無事なんだとは思うが」
語り終えたタイミングで、昨日聞いた地響きにも似た音が聞こえてくる。
いよいよ逆流してくるのだろうと、川の下流を見つめていると、やはりその大きな波が、まるで川を飲み込むように迫ってきた。
だが――
「なぁ、俺の目が確かなら……大量の人が波乗りしているように見えるんだが」
「それに波の激しさが昨日程じゃない……あ、そうか川幅の所為か!」
「な、なんなんですかあれは……皆さん大きな板に乗って楽しそうに……」
「うわあ! 凄い水の上に乗ってる! いいなー! 楽しそうだなー!」
そう、波の先頭で大勢の人間が、サーフボードのような物に乗りながら川を上っている姿が幾つも確認出来たのだった。
ダリアの言う通り、この辺りの川幅は昨日の場所の数倍近くあり、その所為で勢いも弱いのだろう。
こちらが見ている間に、波に乗っていた人達が近くの岸に次々と上陸し、波にのまれる前に急いでこちらの野営所に上ってくる。そこに緊張感や恐怖もなく、純粋にこの高波を楽しんでいるように見えるのだ。
「いかがでしたか? これがこの野営所に人が多く訪れる理由なんです。さて、では私は誘導や指導がありますので、これで失礼しますね」
先程の係員さんがそう説明し、今しがた川から上ってきた人達を誘導し始めていた。
すると、川の逆流が収まり、今度は昇ってきた水が勢いよく海へと戻っていく流れに、これまた別な人間達が次々と飛び込み、それぞれ自前のボードに乗り込み、悠々と川を下っていくのだった。
そこには先程のお姉さんの姿もあり、ついその豊満なボデー、おもに食い込みが際どいヒップに目を奪われてしまいました。
「……完全に新しい産業に利用していると見て良さそうだな」
「た、楽しそうですね……初めて見ました、あんな水遊び」
「リュエ、なんで氷のボートなんて作ってるの。ダメだぞ、そんな危ない方法は」
「く……あんなに楽しそうなものが目の前にあるのに遊べないなんて……」
あっという間の出来事だったが、その鮮烈な光景に、四人とも完全に心を奪われてしまいましたとさ。
「街に行ったら、絶対さっきの遊びをやるんだ」
「そうですね、あれはかなり興味深いです。まさかあんな方法で川を上ってくるなんて」
「まぁ、俺が領主と相談している間は自由にしていて構わないが……気をつけろよ?」
「レイスとリュエならまず大丈夫だと思うけれど、確かに怪我には気をつけるんだよ」
興奮冷めやらぬまま食事の用意を始めると、早速二人が街での予定を語り出す。
俺は……ちょっと遠慮しておこうかね。出来れば水没遺跡の方を見てみたい。
が、川遊びとなると二人も水着を購入するのだろう。それを見てみたいという気持ちがムクムクと起き上がってくる。これは非常に悩ましいところである。
「ほい完成。シーバスのアヒージョとカルパッチョだ。フライはまた今度で良いだろ?」
「お、今回も洋風だな。ミササギが長かった所為か新鮮だなこういうメニュー」
「ダリアさんの一夜干しも用意出来ましたよ。軽く炙るだけで良いんですよね?」
「ふふふ! レイスレイス、その言い方だとダリアを一晩干したみたいだよ?」
「よし、じゃあ今度紐でも括り付けて魔車にぶら下げてみるか」
「そんなー」
まるでオインクのような口調で出荷を嘆くダリアに皆が笑い、そしてそんな笑いと一緒に焼けたイカの香りが漂う。
少しだけ蒸し暑い、けれども時折川から吹く涼しい風に身を委ねる、そんな夏のひと時。
嬉しそうにイカを頬張るダリアと、ずっと気になっていたのだろう、すぐさま追加のイカを焼きモクモクと齧るレイス。そして、アヒージョをつまみながら、いつの間にか取り出したワインを飲み始めるリュエ。
やはり良い物だなと、こちらも氷を浮かべたワインを口にしながら、しみじみと空を見上げる。
「……明日にはノクスヘイムか。被害はなさそうだが、一体なにが起きたんだろう、な」
翌日。昨日は早めに野営準備に取り掛かったおかげで、今日も早朝に出発出来た俺達は、太陽が頂点に上り切る前に目的地にたどり着く事が出来たのだった。
海を背に大きく沿岸いっぱいに広がった巨大な街『ノクスヘイム』。
かつてエンドレシアのエルフ達が最初に上陸した地でもあり、その際先住していた獣人達を配下に置き、そしてその子孫である『獣人とエルフのハーフ』、つまりダークエルフやヴィオちゃんの様な四つ耳さんが暮らす街。
潮風に強いのだろうか、薄いオレンジ色の建物や、白い石造りの建物が軒を連ねる、どこかシチリア島にも似た街並みが広がっているその光景に、珍しく俺の心が大きく湧き立っていた。
「すげぇ……海の透明度の高さよ。浅瀬から沖まで、沈んでいる建物がはっきり見える」
「良い景色だろ? 街の入り口から海までなだらかな下り坂になっているから、魔車は街に入ってすぐの駐車スペースに預ける事になっているんだ」
「おー……海ってこんな色にもなるんだねぇ……どうしよう、川上りも楽しそうだけど、ちょっと観光もしてみたいねぇ」
「た、たしかに……こんな綺麗な景色は初めて見ました……お魚、釣れるでしょうか?」
街の外れの方では、山から続いている川が海へと流れ込んでいた。
その川幅はもはや大河と言っても差し支えのない程の規模であり、遠目にも色とりどりの水着を着た人間の姿が確認出来た。
元々自然大好き人間であるこちらとしては、もうワクワクが止まらないのですが。
「じゃ、早速魔車を預けに行こうか。その後は宿を探して、そしたら俺は領主に挨拶に行くから」
「あいよ。どんな宿があるのか楽しみだな……アレとかないか、ほら海の上のバンガロー」
「くくく……あるぞ。ただあの逆流だ、高波の危険性もあるから閉鎖されているかもしれんが」
「頼むダリア。お前の力で地形変化させてくれ。波がこないようにするんだ」
「必死すぎだろ……」
海上バンガローは俺の夢なんです。憧れなんです。
部屋の中にガラスの床板があって、青い海と白い水底が覗けちゃうんだろ?
テラスから直接釣りが出来たり、ちょっとした遊泳スペースが作られているんだろ?
今改めて思う。異世界に来て良かったと。生きていてよかったと。
そして業腹だが、この大陸に来てよかったと。
「カイくんがそこまで夢中になる宿って、どんなのだろう?」
「珍しいですよね、カイさんがこんなにはしゃぐなんて」
なだらかな坂道を下りながら、海辺の宿を探して歩いていると、途中いくつもの路地が通行止めになっているのが目に入った。
一見すると何も問題がないように見えるのだが、さすがにここまで通行禁止の立て札が乱立しているとどうしても気になってしまう。
だが、やはり俺の意識はこのどこか地中海を思わせる優雅で開放的な街並に奪われていた。
潮風特有のどこか生ぬるい温度も、周囲の建物に反射した日差しも、そして街行く綺麗なダークエルフの皆さんも、その全てが素晴らしいの一言で片づけられない程魅力的だ。
「ふむ……下層に行くほど通行止めが多いあたり、この辺りは高波の被害にあっている可能性があるな……けど、そのいずれもが川方面に続く道だし、高波は川に向かって集中的に起きていると見るべきか」
「やっぱり街にも被害が出ていたか……その割に街の雰囲気が明るいというか、楽しそうだな」
「まぁ、あんな風に遊びに利用しているくらいだしな。それに元々この街は人口に対して土地が広いんだ。移住に困る事もないんだろうさ」
「うーん、でもやっぱり住み慣れた家を追い出されるのって辛いんじゃないかい? なんとか波を抑える事が出来れば良いんだけどね」
海辺に出ると、近くに漁港があるのか、海産物を販売しているところが目立ち、中には店先で獲れたての魚介を焼いている場所もあり、なんとも抗いがたい、食欲を刺激する香りが漂っていた。
すると我慢できなくなったのか、早速リュエが大きなドラム缶のような道具で魚を焼いている店へと突撃していくのだった。
「店員さん、この一番大きくてしましまのお魚くださいな」
「おや、珍しいね、白い髪のエルフさんなんて。これは良い事があるかもしれない、ちょっとおまけしてあげようか。五〇ルクス値引きしちゃおう」
「いいのかい!? じゃあはい、三〇〇ルクス」
店先の会話が聞こえてくる。リュエの髪に対して、偏見というよりもどこかありがたがっているようにも見えるその内容に、この街の文化がどういう物なのか興味が湧いてくる。
そういえばあの国境の街、シンデリアには『魔女のつまみ食い』についての昔話が伝わっていたが、あそこもダークエルフが多く暮らしていたな。
もしや、その昔話の発祥がこの場所なのだろうか?
「カイくん見ておくれ! こんなに大きな焼き魚! ヒレがカリッカリで美味しい!」
「おー! じゃあ俺も何か買おうかな?」
嬉しそうに焼き魚を掲げる彼女に習い、俺も店先へと向かう。
ドラム缶のような道具の中には、真っ赤に燃えた炭がつまれているようだ。
これは確かに美味しく焼けそうだな、どれ、何にしようか。
「ほほう、お兄さんはヒューマンか。これまた珍しい」
「あー、最近ミササギの方からお客さんって来ないんですか?」
「そうそう、どうしてか分からないけれどね! さぁ、どれにするかい?」
綺麗に伸ばされた海老が殻ごと串に刺さっている。うむ、これにしよう。
他にも、貝の身だけが串にささった物や、変わり種として、魚の切り身が数種類刺さった物などもありとても迷うのだが、やはり海老の香りが一番強く、こちらの胃袋を掴んで離さないのだ。
「じゃあこの海老をください」
料金を支払っているうちに、後ろにはレイスが並び、そのさらに後ろにはダリアの姿。
それぞれ自分が食べたい物を購入し、近くにあった海を見渡せるベンチに腰かける。
「あー美味しい……お魚の身が凄く濃い! 塩加減と焼き加減が絶妙!」
「焼き魚マイスターのリュエが言うなら間違いないな。こっちの海老も良く焼けている。頭から殻までバリバリ食べられるよ」
「こちらの貝も食感が楽しいですね。味付けは塩だけのはずですが、凄く深みのある味わいで」
「…………身が崩れて地面に落ちた。もう一本買ってくるわ」
眼前の景色を色だけで表現するとしたら『青と白』。
アクアマリンと呼ばれる色をそのまま液体にしたような海と、スカイブルーの名に相応しい明るい青空が広がる、これぞ夏の中の夏、そう呼べる景色だった。
そして入道雲が遥か先の空で、まるで大きな丘のように、人が乗れそうだ、なんて考えてしまう程の存在感を放っている。
海に目を向ければ、遠浅のおかげか、キラキラと波に揺らめく陽光が水底を照らし、そしてもう少し向こうを見れば、朽ちかけた遺跡が幾つも連なっている。
海上に影を落とす廃墟達。その影を照らすのは海の色を纏った日の光。
もう、この光景を一日中眺めていたいくらいだった。
「ただいま。今度は落とさないように一口で食うとしよう」
「戻ったか。凄い景色だな、ここ。もっと観光客が居てもいいくらいだが」
「ミササギが塞がっていた以上、ここから繋がっているのはエルダインくらいだからな。だがあの連中が観光なんてしゃれ込むとは思えないし、仕方ないだろうさ」
「でも、ここって港街でもあるんだろう? 他の大陸からはこないのかい?」
「そういえば、客船が出ている様子もありませんし……漁船ばかりですね」
そういえば、かなり前にヴィオちゃんが『他大陸と繋がる港はサーズガルドが抑えている』みたいな事を言っていた気がする。
いや、あれはセミフィナル大陸から繋がる海域だけの話なのだろうか?
だが、確かにこの目の前に広がる海は遠浅であり、なおかつ水没した遺跡が乱立している。
客船のような大型の船が入港するのは難しそうだ。
「ま、色々政治的な理由や地形的な問題だな。この港に国外の船が来る事はないんだ」
「そっかー……凄く素敵な場所だし、もっといろんな人が来てくれたら良いのにね」
「昔、エルフ達はエンドレシアからここに来たって話だが……そうか、当時はもっと陸が続いていたって事か。皮肉なもんだよな、大きな戦いのお陰で、この景色が生まれたなんて」
「そうですね……ただ、そんな場所に今、異変が起きつつあるのですよね? 有効に活用しているみたいですが、やはりなんとかした方が良いのかもしれません」
「……だな。早いとこ宿を決めて、ちょっくら領主に話を聞きに行ってくるわ」
沿岸を歩きながら宿を探していると、海上に向けて桟橋がまるで蜘蛛の巣のように伸びた場所が見えてくる。
その橋の終着点にはそれぞれ小さなバンガローが作られており、俺が脳内で思い描いた『海上バンガロー』そのものの姿だった。
「あ、あれだよな!? どこで受付しているんだ? あそこ、あそこに泊まろう」
「おおー! 凄いね、海の上の宿だなんて!」
「青い海……海底に移る桟橋の影……素敵ですね、カイさん」
「お気に召してくれて何よりだ。受付はたぶん、桟橋の入り口のアレじゃないか?」
ダリアが指示した場所へと向かい、早速三日間契約で宿を取ろうと試みる。
しかし――
「申し訳ありません、現在高波が押し寄せてくる可能性がある為、お客様の安全を保障出来かねる状況でして……今は営業していないのです……」
「んなっ……!」
テンションがフリーフォール。やめてくれ、ここまでガッカリさせられるともう目の前が真っ暗になってしまう。所持金が半分になって最寄りの〇〇モンセンターに送り返されそうだ。
「高波が来ても大丈夫だよ、だから泊めてくれないかい?」
「大丈夫と言われましても……今はこちらに影響がありませんが、いつ飲み込まれてしまうか……」
「むー……そうだ、じゃあこれを見ておくれよ!」
なにやら店員と交渉しているリュエが、受付を出て海の前まで移動する。
一体何をするのかと、リュエに続く店員と俺達だが、次の瞬間――
「ふぅ……せーの!」
まるでボールを投げるような動きと共に、リュエが海の向こう、バンガローから少し離れた外海に向けて魔法を放つ。
するとその瞬間、目を疑う光景が広がった。
遥か先で大きな氷壁が現れ、完全にこの宿周辺を隔絶してしまったのだった。
「いやー、海水って凍らせにくいから疲れちゃうね。どうだい? これなら高波も襲ってこないはずだけれど、どうかな? 三日くらいは確実に持つと思うんだけれど」
「ひ!? な……な……え、確かに波はこないと思いますが……」
俺もレイスも絶句。ダリア大爆笑。店員ドン引き。リュエさん超笑顔。
「……後で俺から領主に説明しておく。なぁ店員さん、これなら泊められるだろう? もし問題があればすぐに氷の解除も出来る、頼めないか?」
「……分かりました。ただし、私どもはこの件には無関係ですと、もしもの時はお願いしますよ……?」
ごめんなさい。申し訳ない気持ちよりも泊まれる喜びの方がはるかに大きいです。
早速桟橋を進み、一番外海側、つまり陸から離れた大きめのバンガローを借りた俺達は、すぐさま着替えてシャワーを浴びる事に。
幾ら暑いとはいえ、海に飛び込んで汗を流す訳にもいくまい。
ただどの道シャワーを浴びるのなら、先にこの透明な海を堪能したいという気持ちもあるのだが。
「ふぃー……じゃあさっぱりしたところで俺は領主の館に向かうとするかね」
「ああ、ここから遠いのか? 結構広いぞこの街」
「この街の最上段だな。ほら、窓から丁度見えるだろ? 俺達が入ってきた入り口から少し川側にいったところ」
ダリアが指さす方向に、小高い丘の上に聳え立つ白い大きな館が確認出来た。
街並から海まで一望出来そうなその立地に、この場所とはまた違った魅力を感じる。
……見学とかさせてもらえないだろうか。
すると、何やらダリアが露骨にチラチラと、やや演技がかった仕草で上目遣いをしてくる。
なんだ、急に女の子チックなムーブを見せおって。
「こ、これから私は領主の館に向かいます……もし、夜になっても戻らなければ……い、いえ、なんでもありません……私、絶対に負けませんから――!」
「なにそのNTR系エロ展開風な口上。お前今から悪徳領主に開発されんのかい」
「いやお約束かなって。このネタが通じる人間がいなくて寂しかったんだ」
実にアホである。これがこの大陸の重要人物である聖女様である。
だがしかし、このやり取りを何も知らないピュアな人間が見たらどう思うだろうか。
「ダリアさん……ここの領主はその……そういう方なのですか?」
「立場を振りかざす人間なのかい? 私達もこっそりついて行こうか?」
「ほらー! 二人が真に受けてしまっただろ? とっとと行ってこい」
「ははは、悪い悪い。今のは冗談だ、安心してくれ」
そう言いながらバンガローを後にする瞬間、一瞬だけダリアの横顔が険しい物になるのを見逃さなかった。
まるで死地に赴くような、覚悟を決めたその表情に、なにか良くない物を感じる。
去り際に、ダリアにだけ聞こえるように呟く。『本当に大丈夫か?』と。
けれども返事はない。ただ無言で片腕を持ち上げ『余裕だ』とでも言いたげにひらひらと手のひらを動かすのみ。
……お前が大丈夫と言うのならば、本当に大丈夫なのだろう。だが――
「……こいつは老婆心じゃない、好奇心だ」
ただ静かに、ダリアを追いかける事に決めたのだった。