三百二十八話
(´・ω・`)おまたせしました
「本日も有難うございました。近頃は都内でも物騒な出来事が続いております故、カイ殿もどうかお気をつけください」
「はい、ありがとうございます。ですが――今夜だけは、その心配はなさそうですね」
「ははは、確かに。では、また明日よろしくお願い致します」
夕方。都中の瓦屋根に夕日が反射し、時間にそぐわない眩しさを覚える中、俺は今日の務めを終え、ここ、高級料亭『紫水館』を後にする。
最初のうちはやはり、こういう場で働くことに抵抗があったのだが、熱心にこちらの話しを聞きながら、共に切磋琢磨するという行為そのものはやはり心地よく、柄にもなく『明日はどんな事を教えようか』などと考えていた。
尤も、今日はそんな帰り道での思考を楽しむ余裕はなさそうだが。
前方に停まっている馬車へと向かい、そしてかけられる御者の人間からの『お迎えにあがりました』の言葉。
やはりアカツキさんのお迎えだったようだ。
早速馬車に乗り込むと、そこには既にダリアの姿があった。
「なんだ、途中で拾われたのか?」
「正確には捕縛されたんだけどな」
「なにやってんだよお前」
聞けば、聖地周辺の魔力の流れを調べていたら、そのまま怪しい者として連行されたそうな。
が、今日俺と共にアカツキさんに会いに行く約束があると訴え、実際にその予定が確認された為、確認を兼ねてこの馬車に乗せられていた、と。
見れば、確かに御者席と繋がる窓から、御者の人間がこちらの様子を伺っていた。
「こいつがご迷惑をかけたみたいですね。すみません、確かにこいつは今日一緒にお城に向かう予定の仲間です」
「左様でございましたか。では、早速向かわせて頂きます」
都の広さは先日見て回った経験もあり把握しているつもりだったのだが、まもなく開かれる生誕祭の影響か、元々ここに住む商人や行商人の動きも活発になり、想定していたよりも城に着くまで時間がかかりそうだった。
「で、聖地の方はどうだったんだよ」
「ああ……詳しくは入らないとわからないが、少なくとも――解放者召喚の影響は出ていると見て間違いない。そもそもの話しだが、七星の解放に何故、外の世界から人間を呼び出す必要があるのか、お前はそれを知っているか?」
「そりゃあ……色々と試練があるんじゃないのか? そうなると今の世界の住人じゃあ戦力的に厳しい……とか」
「……フェンネルクラスの人間や、それに届かずとも人外手前の強さを持った人間はいくらでもいるだろ? 強さが問題なんじゃない、そもそも解放出来ないんだよ、一度封印したら本来は」
「解放……出来ない? そいつは一体……」
「殺す事で世界と同化する。そして殺し続ける事で世界そのものに七星を封印させるんだ。同化する時間が長ければ長いほど、七星は世界に溶け込んでいくからな。だから、長い間封印した七星は、やがてその存在を完全に消滅させる……っていうのが俺達の導き出した答えだ。……怒らないで聞いてくれ。たぶん、フェンネルはリュエを本当にいつか解放しようとしていたんじゃないのか……?」
……龍神を長い時間を使い殺す方法。それで、いつの日かリュエを封印から解放する。
無いとは言い切れない、だが――そこに彼女の気持ちが、絶望が、失意が含まれていない。
そんな冷酷なまでの時間を要する方法を、一方的に押し付けるのは、やはり――
「……すまん、忘れてくれ。だがまぁ……長い間封印した七星を解放するってのは本来不可能なんだ。もう、ほとんど生物としての力を失ってしまっているはずなんだからな」
では何故、解放者は七星を目覚めさせる事が出来るというのだろうか?
召喚された時に、何か目覚めさせる為に必要な力でも持たされているというのだろうか。
「だが――実際に解放された例が存在する。そいつはお前も知っているはずだよな」
「ああ、セミフィナル大陸の事――」
「いいやその話じゃない……そろそろ話せよ、龍神はどうなったんだ。リュエがここにいる以上、封印の仕方を変えたのは間違いないはずだ。ここまで我慢したんだ、いい加減――」
馬車に揺られながら、珍しく感情をむき出しにしたダリアが強くこちらを見つめる。
それは、どういう立場から来る感情なのだろうか。
封印をより強固に、そしてこの大陸のどこかに存在する筈だとリュエが言っていた『誰か』を救いたいという願いの為なのか。
それとも、ただ国益の為に――いや、それは違うか。そうだな、もう良いだろう。
こいつの反応が少しだけ怖くて、つい先延ばしにしていたが――そろそろ潮時か。
「……こんな状況で話す内容じゃないが、すぐに済む話だ、教えておく」
「……頼む」
ツバを飲み込む、白い喉。焦りと期待の込められたその眼差し。
そう、そうなのだ。本来ならそうなるべき話であり、そうなるのが当たり前の存在。
それが龍神、最強の七星なのだから。
「殺したんだ」
「……何をだ?」
「龍神を、俺が、殺した」
殺せてしまった。
ゲーム時代の俺の苦労が、酔狂が、膨大な時間が、そして仕様の隙をついたかのような技の組み合わせが、なによりも――『彼女と共に外の世界へ』という願いが、その最強を越えたのだ。
「……嘘だろ、そんな事が――」
「出来ちまうんだよ、俺は。いいか、さらに言うと――」
そして俺は続けざまに、セミフィナルの七星をも倒し、そして自分の使い魔とも呼べる龍を変わりの七星として配している事をも伝える。
「デタラメだ。いいか、七星ってのは世界そのものだ。そいつを――何故、何故そこまでの力を……」
「……今にして思えば、俺やお前達がこの世界に来たのは、この為なんじゃないかって思えるんだよ」
あの剣に深く関わったチームメイト。そしてその所持者である俺。
『奪う』という一点のみを突き詰めたこの剣は、もしかしたら『世界の支配権を奪う』という意味をも持たされていたのでは……なんて考えてしまうんだ。
「俺だから、殺せる。ゲームじゃないが、武器やアビリティの効果が働くのなら、この世界だって倍率が物を言う。だから、殺せてしまったんだよ」
「……そいつは、全てを覆しちまう力だよ。俺達の苦労も、戦争も、封印も全て」
「だがお前さん達の歩みは無駄じゃない。そんな事わかってるだろ?」
そう、無駄なんかじゃない。それでこの大陸の住人が平和な時を得られたという事実にゆらぎなんて生まれやしないのだから。
けれども、こいつがその思考に至ってしまうかもしれないと考えてしまうと、どうしても言い出せなかったのだ。
だが――幸いにして俺の友人のメンタルはこの程度で折れてしまう程ヤワではなかったようだ。
「……少し、気が楽になった。なぁカイヴォン……もしも七星が目覚めたら……殺してくれるか? 一切の躊躇なく、文字通りこの世界から、消滅させてくれるか?」
だがふいに、そんな言葉を弱々しく吐き出すダリア。
なんだか、妙に儚いその横顔に、なぜだか凄く、胸が苦しくなる。
確実に……か。これまで戦った七星は『龍』だ。だからこそ俺の持つアビリティ[滅龍剣]の効果で絶大なダメージを与える事が出来ていた
それに……龍神は氷漬けにされ動けない状況で最大の一撃を叩き込んだだけ。
そしてプレシードドラゴンはケーニッヒに寄生し、更にレイスに核を植え付けた後、つまり本調子でない状態で倒したにすぎない。
万全の状態の七星がどこまでやれるのか――少なくともシュンとダリアの二人がかりでようやっと封印した相手を、俺が倒せるのか否か……。
だが、それを期待されたのなら、それを願われたのなら、こう答えるしかないでしょうが。
「超余裕。任せとけ」
その答えに満足がいったのか、ダリアは……いや、彼女は優しく微笑みながら、零すように――
「……そう、ですか。それは……凄く頼もしいです」
そう、呟いたのだった。
「到着致しました。それではアカツキ様の元へご案内致します」
ようやくたどり着いた名古屋城もどき。やはりその外観だけ似せたその有様に脳が混乱してしまう。
漆喰だろうか、白亜の城壁を美しいと思うのだが、よく見ればそれが白い石壁であったり、本来ならば石を積み上げて作られたはずの石垣も、ただ石に溝を掘っただけであったりと、微妙にパチもんのように見えてしまい、なんとも複雑な気持ちにさせられる。
いや、知らなきゃ凄く立派な建物ではあるんですけどね?
「本当に……私のあの落書きだけでよくここまで再現出来ましたね……」
「中身も結構様になってるな。しっかり畳の部屋もあるし、廊下の作りもしっかりしているし」
「ふふ、いつかここの技師を呼んで、私の国にも似たような天守閣を用意したくなります」
なぁ、気がついているのか? お前、さっきから口調が女のままだぞ。
俺の前じゃ恥ずかしがっていたのに、どうしたんだよ急に。
けれども何故だろうか、それを指摘するのが、酷く恐いと感じてしまう。
「……ああ、そうだな。その時は俺も招待してくれよ。広い座敷で寝転がるのが好きなんだ」
「勿論、招待しましょう。一緒にお酒でも――宴会でも開こうぜ」
そして再び『ダリア』は『久司』に戻る。
もはや隠しきれない動揺を見せながら。
そうして城の階段を上っていき、窓から都の端まで見渡せるほどの高さまで到達した頃、ついにその扉の前へとたどり着いた。
それは紛うことなき襖。ふすま紙に、どこか淡い色彩で美しい山水が描かれた、見事な物だ。
案内の人間が声をかけると、アカツキさんのものと思われる、『入れ』という凛々しい声が返ってくる。
「失礼致します」
「うむ。では他の者は下がれ、些か内密の話があるのでな」
これも一種の上座と呼ぶべきなのか、一段高くなった座敷の深部に座した彼女が、室内にいた女中や付き人を下がらせる。
無論、こちらを訝しむ人間から反論も上がるのだが、それすらも彼女は一蹴してしまう。
そうして、室内に残ったのが俺とダリア、そしてアカツキさんだけになった頃、ようやく彼女は思い出したように『近くへ参られよ』と声をかけてくれた。
「本日はお招き頂き、誠に感謝致します」
「なに、主の友人というのに興味が湧いたのだ。して、そちらの童が、か?」
「お初にお目にかかります。ダリアと言います」
「ふむ……母上にこのような友人がいたとは私も知らぬが……それを証明出来る物はあるのか?」
「先代の“コウレン”様に、私は術を教え込まれました。そうですね……これをご覧ください」
ダリアはそう言って、自分の手のひらから四角い、まるで板のような炎を生み出して見せた。
それを、まるで影絵のように変化させながら、一つの形へと至る。
それは狐。よく影絵で作り出す、狐の顔を象った炎だ。
だが、これはしっかりと身体もあり、その炎のかすかな色彩の変化や、妖術特有のものなのかゆらめきの少ない炎は、まるでアニメーションのように滑らかに動いていく。
「……いつか、自分の子供をあやすのに丁度良いと、二人で考案したものです。見覚えはありませんか?」
「それは……ああ、懐かしい。それならば、私も母上に教わった。我が娘アリシアにも、よくこれを見せて欲しいとせがまれたものだ」
影絵ならぬ焔絵。それを見せられた彼女は、優しく瞳を閉じ、噛みしめるように、昔を思い出すように言葉を漏らす。
「そうか……では主が、母上の言っていた『私の一番の友達』である『ダーちゃん』なのだな。まさかそのような姿とは夢にも思わなんだ」
「……ダーちゃんですか。そういえば、いつまで経ってもその呼び方を直して頂けませんでした」
「……そうか。主が都を造るおり、数々の知識を与えてくれた賢人であったか」
はい、お兄さんものすごく異議申し立てしたいところですが、ぐっと我慢します。
聖女の次は賢人ですか! 何故だろうか、俺以外のチームメイトは皆、何やらかっこいい二つ名ばかり貰っているように思えてならんのですが。
感激した様子で、嬉しそうに話している二人を前に完全に置いてけぼりを食らっている状態ですが、とりあえずお兄さんは畳の枚数でも数えて気を紛らわしておこうと思います。
「しかし……なるほどのう。母上はそちを『立場上、もう会うことが難しい』と言っておったが、確かにそちの名を聞いて納得がいった。……ダリア、それは親しみや畏敬の念で付けられた名ではないのであろう?」
「ええ。私が、サーズガルドで聖女と呼ばれているダリア本人です」
「因果なものだの。都の礎となった主が、やがて起こった戦、その相手方の旗印となっておったとは」
「……成り行き、とは言えません。私達は、自分で選んであちら側に付きましたから」
「もしかしたら、母上がいち早く戦から手を引いたのも、共和国制に真っ先に合意したのも、そちを思っての事だったのかもしれぬな……」
「アカツキ殿……」
よし数え終わった。この部屋は四六畳、かなりの大広間だ。
ふむ、何か重要な案件があればここに人が集まるのだろうか。
よくよく見れば欄間も随分と手が込んだ組木細工に見える。うむ、外見だけの城だと思っていたが、ここは立派な日本風の城ではないか。
いいな、それこそこういう広い畳の部屋で寝転がったら気持ちが良さそ――
「――ヴォン! カイヴォン、聞いているのか?」
「あ、すまん、どうしたんだダリア」
「いや、だからアカツキさんが俺達の素性について詳しく知りたいって。その、つまり色々と説明が必要になるから、どうしたもんかと」
「ふむ、どうやらカイは疲れている様子だが……日を改めた方が良いか?」
「あ、いえ……ではとりあえず……アリシアさんに同席して頂きたいのですが」
それから少しして、部屋の襖が開く音と同時にトストスと畳を駆ける音がし――
「ボンさーん! ありがとうございますー! おかげで外に出られる機会が増えましたー!」
「やめい、ひっつくな! 尻尾を押し付けるのは――ああいい匂いいい匂い……」
「さぁどうぞ存分に吸い込んで下さい。私がたっぷりお礼をですね……ささ寝所へ」
外見とのギャップがありすぎるお狐様の突撃を食らう羽目に。
ええい、色々とゴリゴリ削られる!
なんとか彼女を押しのけ、アカツキさんの方へと押し付けると、てっきり呆れた表情でも浮かべている物かと思いきや、我が娘の成長を見守るかのような、そんな慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
「我が娘ながら良い目を持っている。ふむ、確かに義理の息子になれば、毎日アレが食べられるな」
「いやレシピならシミズさんに渡したんで! それに結構簡単な料理なので、この城でも作って貰えば良いと思いますが」
「む、アレとはなんですか。私は先日の競い合い、幽閉されていたので詳しい事情は知らないのですが!」
「うむ。お前の見つけたこの者が、素晴らしい品を生み出したのだ。アレは至極の味だ」
やっぱりお稲荷様は稲荷寿司が好きだと、次元や世界の壁を越えて魂に刻まれているようです。
一先ず俺が何者で、結局アリシア嬢とはどういう経緯があったのかを説明する。
そもそもアリシア嬢とは初対面だと言う事。
雲行きが怪しくなってきたヒモロギとの一件で、咄嗟にアリシア嬢が嘘をついた事。
そして俺がその嘘に乗っかり、あの競い合いを誘発させた事を。
「大方我の予想通りだったな。しかし、肝心の目的、何故そのように振る舞ったのかが分からぬ」
「……貴女に会う為ですよ、アカツキ殿」
正確には元代表に会う為に、その娘であるアカツキさん、さらに言うとその娘であるであろうアリシア嬢と顔を繋ぐ為なのだが。
「……それは本気か?」
「ええ、本気です。つまり、この瞬間俺の目標は達成されたようなものなんです」
その美しすぎる貌、瞳が、俄に剣呑な輝きを宿す。
スッっと細められたそこから発せられた、妖しさを覚える程の真紅の輝きに、なにかが腕を這い上がるような、そんなゾッとする怖気のような物を覚える。
何故だろうか。この視線から逃れる事がそのまま、こちらの道を閉じる結果になってしまような気がして、こちらも負けじと彼女の瞳を強く強く見つめる。
だが次の瞬間、その剣呑な表情が唐突に音を立てるように崩れ去り、先に向こうが視線を逸してしまった。
「……困る。つがいを亡くし久しいが、そのように求められたのは……」
「ボンさん! ちょっとおかしくないですか!? 私がここにいるのに、何故母上なのです!」
「いやそういうのじゃないから」
厳格で大人な人だと思っていたのですが、やはり親子!
急ぎその誤解を解きつつ、こちらの言い方も悪かったと頭を下げたのだった。
「ふむ、母上に会いたい、と。ダリア殿を私に紹介したかったのも、そういう意図があっての事だということか」
「ははーん……なるほどなるほど。お祖母様に会う為にここへ来て、そして偶然にもその孫である私と出会う……そこから可能性を見出し、その道を辿りここまで来た……やりますねぇボンさん。なかなかの運命力ではありませんか」
「割りかし分の良い賭けだと思っていたんだけどね。まぁ、利用するような真似をして悪かったよ」
「いえいえ、それでしたら真っ先に利用したのは私ですから」
が、実際問題俺にとって彼女との出会いは非常に都合が良かったのも事実。
運命力……確かに今の俺、いやこの世界に来てからの俺は……。
「運命……ね」
「カイヴォン、あまり深く考えない方が良い、少なくとも今はまだ」
「……そうだな。とりあえず、件の懇親会の席、是非ともコイツを先代様に会わせてやってください。お願いします」
「ああ、勿論構わぬ。ふふ、母上もさぞお喜びになるだろう。なにせ久しく顔を合わせる親友。治療うんぬん抜きに元気が出るであろうよ」
「はー……しかし聖女様でしたか。となると、そのおつきのボンさんが自分の事を『戦士としても一級』と自称していたのも納得ですね。ふふ、案外ヒモロギは、虎の尾を踏まずに済んで幸運だったのかもしませんねぇ」
そう言いながら、彼女とその母。まるで姉妹にしか見えない二人が、互いに口を押さえながら上品な笑みを浮かべる。
……はは、この破壊力はやべぇですよ。ああ……美人すぎんでしょうよ二人共。
「さて、そういう事なら今宵の要件はこれで終いと成る訳だが……どうだ、本当に戯れな一時を過ごすというのは」
「んな! ちょーっと待って下さいな母上。良いですか、先に目を付けたのは私ですよ」
「くく、冗談だ、そうムキになるな。どうだカイよ。ここでその腕を振るいつつ、娘の慰み相手となるのは。そうなれば、少しはこの奔放ぶりも収まるのではないかと思うのだが」
何やら今の状況では洒落にならない、ホイホイと乗ってしまいそうな冗談を交えながらそんな誘いをかけられる。
確かにこの場所は、俺も気に入っているのだが――
が、俺に先んじてその誘いに待ったがかかる。
「申し訳ない。この男を今他の人間に渡す訳にはいかないのですよ」
「ふむ、やはりそうか。言ってみただけだ。あまりに主の作るイナリズシが美味なのでな」
「ははは……本番の際にはより一層美味しくなるよう腕を振るいますので、それでどうかご勘弁を」
「むむむ……私はそれをまだ食べていないのですよねー……今から楽しみです」
和やかに終わる、今宵の会談。
先へ続く道が確かなものになったと、一先ず安堵の息を漏らすのだった。
帰り道。
すっかり月も上り、送り馬車の音だけが通りに響く。
車内での会話もなく、ただ静かに眠そうなダリアの頭がコクリコクリと揺れ動くのを、なんとなく眺めていた。
コイツも、抱えている物があるのだろう。
今日の様子を見る限りだが……やはり、人格に影響が出ているように思える。
それは油断した時だったり、感情を抑えきれなくなった時だったり。
性別が変わり、そして女として振る舞う事を必要とされる生活をウン百年と過ごす、か。
それは、たった三十年にも満たない時間、男として生きてきた身には重たすぎる時間なのかもしれない、な。
「……人は、変わる。抗うことが出来ずに、変わってしまう事だってある……か」
まるで黄昏れるように、けれども黄昏れるには少しばかり時が経ちすぎた空を見上げる。
景色が流れる中、追いかけるようにしてついてくる月を、ただ夜の風を受けながら。
馬車の先、布施屋が見えてきたその時だった。
敷地を囲む塀の上を、人影が駆けていく姿が見えた気がした。
「あれは……やっぱり忍者みたいな人間がいるのかね」
この都の人間。アカツキさんの配下やそれに準ずる諜報員でもいるのだろうか。
「本当に、不思議な場所、だな」
既に完全に眠りに落ちた友人がゴツンと壁に頭をぶつけて目を覚ますまで、ただ静かに時を過ごすのだった。
(´・ω・`)もうそろそろ7巻の改稿作業が始まるので、また更新頻度がさがってしまうううううううう