三百七話
「本当に!? 話したの、里長と!」
「ああ、まだ完全ではないけれど、少しだけ治療について相談したよ。しっかりと俺達の事も覚えているし、近日中に治療も終わると思う」
屋敷に戻ると、昼食を食べた後もここに残り寛いでいたアマミがいたので、早速先程の出来事を伝える。
すると、勢い良くソファーから立ち上がり、顔がぶつかってしまいそうなほどこちらに迫ってきた。
「良かった……里長、元気になるんだよね? もうすぐ、戻ってくるんだよね?」
「ああ。さっき目の前にご馳走がないぞって、少しがっかりさせてしまったよ。だから、今から料理の準備でもすすめておこうかなって」
「わ、わかった! じゃあ……お、お肉の用意してくる……」
「そんな断腸の思いで用意された肉を調理するのは嫌なんですが」
乳牛でなく本来の家畜がいるのなら、大人しくそちらにしましょう。
ううむ、こういう時リュエのバッグが使えたら便利なのだが……やはり今も使えないのだろうか。
そういえば、二人の姿が見当たらない。どこに行ったのかアマミにたずねてみると――
「二人なら、作るものがあるからーって屋敷の裏にいるよ」
「なるほど、ちょっと様子を見に行ってくるよ」
「じゃあ私はちょっと集落の方に食材の交換に行ってくるね」
勢い良く駆け出す。さぁ、ではたっぷりとお肉を手に入れてください。
こちらも、どんな物を作るか今のうちに考えておきましょう。
さて、じゃあ二人の様子を見に行きますかね? 恐らく、レイスが竿の保護をリュエにお願いしているのだとは思うが……。
屋敷の裏手、バラが咲き誇るその場所で、野営用の作業机を設置し、二人で熱心に何かに取り組んでいるのが目に入る。
なんだか真剣なその様子に声をかけるのが躊躇われるので、そっと後ろからその手元を覗き込むと――
「レイス、先端部分には硬い木材を入れて、切っ先から鞘を保護するんだよ」
「なるほど……となると、なにかちょうどいい端材が必要ですね……」
「うーん……私のバッグが使えたら、中にいろんな材料が入っているのに……」
「あ、そういえば使えなくなっていたんでしたっけ」
「うん。ちょっと後でダリアに相談してみようかな。もしこの大陸の結界が妨害しているなら、何か抜け道もあるかもしれないし」
「では、残りの部分を作って、後は縫い合わせるだけの状態まで作ってしまいましょうか」
二人が行っていたのは、レイスの竿の保護ではなく、こちらの剣を収める鞘の製作だった。
嬉しいな。二人で悩みながら作ってくれるなんて。
驚かせてしまわないように一度離れてから二人に声をかける。
「あ、おかえりなさい。ダリアさんの様子はどうでしたか?」
「おかえりー。ダリア、ちゃんとご飯食べてた?」
「ただいま。一応なにか摘んではいたみたいだったよ。それにフライサンド、凄く喜んでくれたし、レイスの淹れてくれたお茶も美味しそうに飲んでいたよ」
「それはよかったです。今晩はこちらに戻ってくるのでしょうか、もうそろそろ暗くなってきますけれど」
「それが実は――」
二人にも、先程アマミに伝えたのと同じ内容を話し、今は最後の追い込みだから、もうちょっとだけダリアは粘るのだと伝える。
するとやはりレイスは心配そうな顔をするも、里長が戻ってくるのならば、それを優先するのは仕方のないことだと納得してくれた。
勿論、戻ってくる里長の為に何を作ろうかと、すぐに思考を切り替えるくらいには彼女の帰還を待ち望んでいたようだ。
「すごいねぇダリア。私もどういう術式で治療をしているのか見てみたいよ」
「頑張ってくれた彼女にも、何か好物を作ってあげたいですね」
「ダリアの好物ってなんだろう? 里長は牛肉が好きだったけど」
嬉しそうに盛り上がる二人。それに釣られるように、俺もまた、頭の中でメニューの構成を考える。
ううむ……ローストビーフもタタキも里長に振る舞われたものだしなぁ……。
ちょっとアレンジして、マリネ風のタタキや、スモークの香りを閉じ込めたローストビーフ……後はダリアへのサプライズもかねて、ビーフカレーなんてどうだろうか。
つい、完成した料理を食べる皆を想像し、顔がにやけてしまう。
他に何かないだろうか……。
「あ、ところでカイくん。今カイくんの剣の為に鞘を作っていたんだけどさ、何か硬い木材とか、そういうの持っていないかい?」
と、ここでリュエが直前まで行っていた作業に関する質問をしてくる。
ふむ、俺のアイテムボックスになにか木材が入っているだろうか……むしろリュエのボックスの方がそういう物が入っていそうなものだが。
「木材じゃなくても、硬い物ならなんでも良いんだ。魔物の角とか骨とか、ないかな?」
「ああ、そういう事ならちょうどいいものが。ほら」
硬ければいいのなら、ちょうどいいものがありますとも。
俺の剣の鞘に使うなら、コイツほど丁度良いものはないだろう。
庭にドシンと現れたのは、六角錐を途中で断ち切り、六角柱になってしまったかのような、青く透き通った塊。
そう、以前アギダルで切断した『龍神の晶角』だ。
それを見た瞬間、リュエが珍しくドン引きしたような表情を浮かべる。
「まぁ……これは、水晶かなにかでしょうか?」
「うげぇ……カイくんこれってまさか……」
「はい。龍神さんの角でございます。ちょっと前に実験でぶった切っちゃいました」
「ええ!? これがその……龍神の体なのですか……」
……一応世界最強の厄災と伝わっている存在なんですけどね。
もうこいつは俺にとっては便利な素材でしかないんです。
そういえば、以前薄皮をあて布として使った事もあったような。
凄いな龍神。お前捨てるとこないじゃん。もしかして肉も食えたのだろうか、ドロップしなかったけど。
「むぅ……一応因縁の相手なんだけどなぁ私の……でもなんだか不憫に見えてくるよ」
「そ、そうですね……もう素材扱いなんですか……」
「いやこいつ便利なんだってば。鱗に付着していた薄皮なんて、厚さのわりにとんでもなく丈夫だったし。この角だってほら、綺麗だからアクセサリーでも作れそうだろう?」
「確かに綺麗だけどねー……青くて透明だし、私好みだけどねー……複雑な気分だよ」
「え、ええ……じゃあ、この角から切り出して鞘に使いましょう……か?」
「……レイス、これ加工出来ると思う? たぶん彫刻刀がダメになっちゃうんじゃないかな」
……あ、確かに。仮にも最強の存在の身体の一部ですしね、一般的な道具で傷が付くとは思えません。
するとその時、ため息を吐きながらリュエが愛剣を取り出した。
「仕方ないから私の剣で削り取ってみるよ。この剣ならたぶん大丈夫だから」
「そっちもそっちでその剣を工具代わりにするのはどうかと思うぞ」
「いいの、これでお肉切ったこともあるし」
「マジですか」
やはり似た者同士であったか。
空があっという間に暗くなり、作業を中断して屋敷へ戻る。
久しぶりに三人だけで夕食をとったのだが、里長の治療の目処がついたのだし、そろそろ先の事について相談する頃合いだろう。
そう二人に切り出すと――
「まず、里長に共和国側の出口の先がどういう場所なのか聞くのが先決だと思います。その後はそうですね……ダリアさんも共和国に用事があるのでしたら、それを聞いて決めるべきかと」
「うん、私もそう思う。何か考えがあってダリアも出てきているんだし、それがたぶん……カイくんの目的、フェンネルの企みを阻止するのにも繋がるんじゃないかな」
「やっぱりそうなるか。もう、手っ取り早くあの場で始末出来ればよかったのに」
「それじゃあダメだよ。おかしな文化を、差別されている子達をどうにかするなら、ちゃんと原因を特定して、しっかりみんなに受け入れて貰わないといけないんだから」
現段階で細かい予定は決められない、か。
が、少なくとも二人共行ってみたい場所はあるのだ。
ダリアの目的に沿いつつ、そちらに向かうという方向で一先ず予定を組んでおく。
後で共和国側の地図でも手に入れておくかね。
「そうだ、ヴィオちゃんにも会いにいきたいね。あ……でも具体的にどの国にいるのか知らないや……」
「あ゛!」
そこまで言われて気がついた。
俺は彼女が共和国出身だという事以外、ほとんど何も知らないではないか。
一応、有名な自由騎士だとは知っているが……向こうの自由騎士本部に問い合わせてみるか?
「シンデリアっていう街にも行ってみたいねー。私の好物が伝わっている場所なんだよね」
「あー、そういえばヴィオちゃんが言ってたっけ。『魔女のつまみ食い』」
「その恥ずかしい名前やめてもらいたいなぁ……リュエフライとかどうだろう?」
やだ、頭の中で衣まみれのリュエさんが出てきた。可哀そう。
『サクサクになっちゃったよー』とか言いながら走ってきそうだ。
「あの……何か忘れていると思っていたのですが……私達、船から降りてすぐにこちらに向かったじゃないですか」
すると、考え込むようにしていたレイスが、神妙な顔で話しだした。
忘れている……? 一体何を。
「あの、ヴィオさんはどうやら迎えの方が来て、連れられていったと思うのですが……あの女の子は一体どこへ……」
「ああああああああ!!!!! そ、そうだよ! カイくん大変だ! はむちゃんとはぐれてしまったよ!」
「……うわ、今の今まで完全に忘れていた。たしかあの子……あれ? コンテナに隠れていたっけ?」
「ううん。私達の方にはいなかったよ」
「じゃあ、あのまま船に……?」
まさか、そのままセミフィナル大陸に送り返されたり?
それとも港からまたのんびり旅でもしているのだろうか?
……逞しいあの子の事だから、どこかでひょっこり再会出来そうなものだが……。
「うーん……あの子にお礼が言いたかったんだけどなぁ」
「確かに、彼女のおかげでこっちに渡れたようなものだしね」
「ま、それもあるけどさ」
どこか含みを持たせた物言いだった。
……そっか。リュエも気がついていたんだな、あの子が君の為に、いろいろしてくれた事を。
不思議な子だったな。あの太陽少女ことはむちゃん。
一先ず彼女は彼女で旅を続けているのだろうと、無事を祈りつつ、夕食の支度へと入るのだった。
翌日、クーちゃんが住んでいる共和国側の出入り口にある関所へと向かう。
里長の件の報告と、預けたままの食材を引き取るために。
実は、以前大量に釣り上げたマスを、全てスモークサーモン風に出来ないかと加工していたのだ。
うっすらとオレンジがかった身を持つあの魚は、きっと美味しくなるだろうと楽しみにしていたのだ。
「おーいクーちゃんいるかい?」
やや大きな、まるで灯台のような形の塔。
入り口から声をかけると、扉の向こうからではなく、建物の裏側から返事が来た。
ふむ、ほのかに煙の香りがする。早速スモークオイルを作っているのだろう。
裏手に回り込むと、みんなで協力して作った燻製機が、モクモクと煙を出していた。
草原に座りその様子を眺めているクーちゃん。なんとも満足げな様子だ。
気持ちは分かるぞ。間違いなく美味しく、そして金になる物が出来上がるのを待つというのは、なんとも得難い多幸感を与えてくれるものだ。
「いらっしゃいカイヴォン。氷室ならあっち、丘になってるところだよ」
「へぇ、結構立派じゃないか」
「本当は保冷庫があったんだけど、今は機能しなくてねー」
「ふむ、じゃあ後でダリアに治せないか頼んでみるよ」
「おー、ダーちゃんなんでも治せるんだね」
あ、チャトランだ。ほーらこいこい、お猫様こっちおいで。
座り込み、近寄ってきたチャトランを膝に乗せる。
「そうそう、クーちゃんや。近々里長の治療が完了するぞ」
「本当? じゃあ早くオイル作って提出しないと」
「ははは、快気祝いの料理にも是非使わせてもらうよ」
「そっかそっか、里長戻ってくるんだ……また里長の料理をつまみ食いしにいけるんだ」
煙を見つめながら、嬉しそうにしみじみと呟く彼女。
あまり感情の起伏を見せないところのある彼女ですら、ここまで変わるのだ。
……やはり、それだけ愛されているんですね、貴女は。
里長が戻ってくる事を、そしてそれを喜ぶ住人達の姿を思い浮かべ、じんわりと胸温かくなる。
「今日はその伝言と、食品の回収に来たんだけど、後で屋敷においで、美味しいから」
「ニンニク使う?」
「ニンニクつかわなーい」
「じゃあいかなーい……なんてことはなく、いきまーす」
「ははは、今度も活用できないか試してみるさ」
氷室へと向かい、何人分になるか分からないスモークサーモンを回収しつつ、今度は追い込みに入っているダリアの様子を見に行く事にする。
里を横断し、森が見えてきたその時だった。治療中のはずのダリアが藪をかき分けてこちらへとやってくる場面に遭遇する。
向こうもこちらを見つけたのか、早足でこちらへと向かってきた。
随分と足取りが軽いな。もしかして――
「おーいカイヴォン! 目処が着いたぞー」
「お、やっぱりか! 随分早いな、昨日の今日だぞ」
「一応動力の貯蔵に使えるパーツは作っておいたんだよ。つまり摘出の許可が出たらすぐに組み込める状態だったんだ。後は身体にパーツと術式が馴染んで、あの調整ポッドで内部に溜まった余分なエネルギーや腐食部分を浄化したら、本当に完了だ」
嬉しい知らせを携えてやってきたダリアに、労いを込めて――
「ほーら高い高いをしてやろう。ははははは、めちゃくちゃ軽いなお前」
「わーい――じゃねぇよ! 降ろせよバカ野郎」
「よーしこのまま屋敷にご案内だ」
里の人間の奇異の目に晒されながら、やってまいりました里長ハウス。
今日はレイスは釣りを休み、屋敷全体の清掃を行っているそうだが……どうやら今は庭の手入れを行っている様子だった。
裏手から、シャキリシャキリと剪定バサミの音がする。
ならばと、こちらも高枝切り鋏のように便利なダリアを持ち上げながら手伝いにいきましょう。
「ほら、ハサミ持っとけ」
「マジで下ろしてくんない? 酔いそうなんだけど」
「ついでだから高いとこの剪定してくれよ」
裏手に回り込むと、丁度レイスが踏み台に登り、アーチ状の骨組みの植え付けられているバラにハサミを入れているところだった。
「レイス、手伝いにきたよ」
「あ、おかえりなさいカイさ――あの、なにをしているんですか」
「どうも、高枝切りダリアです」
変な顔しないでください。ちょっとテンション上がっちゃっただけなんです。
ほら、働けダリア。綺麗に整えるんだ。
「しかし立派なバラだな……ほれチョキンとな」
「あ、ダリアさん。切るなら細い方の茎と、その先にある蕾でお願いします」
「あいよ」
順応してますなレイスさん。あとそろそろ腕が疲れてきた。
そうしてバラの剪定が終わると、ようやくレイスがこちらの奇行について尋ねてきた。
「ダリアが無事に里長の治療に成功して、今最後に身体に馴染むのを待っている状態なんだ。それでつい、よくやったという気持ちが暴走したわけです」
「らしいです。いやぁ……我ながらかなり頑張ったぞ。ここまで頑張ったのは……うむ、大陸に結界を張るのと同じくらい頑張ったな」
「里長の治療が……良かった……本当に。ありがとう御座います、ダリアさん。そしてお疲れ様でした」
震えるようにため息をつき、安心しきったような表情を浮かべるレイス。
彼女としては、もしかしたら里の子供達と過ごしていた手前、まるでその子達の親が返ってきてくれた、という事への安心感があるのかもしれない。
里長はいわば、この里の住人みんなの母親のような人なのだから。
もしかしたら、かつて『グランドマザー』と呼ばれていた自分自身と重ねていたのかもしれない……な。
「では……ご馳走を、作らなければいけませんね」
「ああ、そうだね。里のみんなを急に呼ぶのはさすがに難しいから……とりあえず今回は事情を知っている人間だけでやろうか」
「そうですね。子供達は里長がただ、仕事で出ていると思っているはずですし」
ならば快気祝いは屋敷の食堂で問題ないか。
さて、じゃあアマミが仕入れてきたお肉や野菜の下ごしらえでも……。
が、ここで、ハサミでチョキチョキと枝を切って遊んでいたダリアが声を上げる。
「あー……その前にちょっと俺休みたいんだ。寝床を用意してもらえないだろうか」
「お前そういや……目の隈がひどくなってんな。回復魔法はどうした」
「あれは一時的に表面上を癒やすだけで根本的な解決にはならんよ。というわけでふかふかベッドとふんわりマクラプリーズ」
「あ、すぐに案内しますよ。お部屋の用意はしてありますから」
無事に眠りについたダリアを確認し、改めてレイスと向き合う。
ずっと心配していたのか、ようやく屋敷に戻ってきたこの名医の様子に、ほっと胸をなでおろしている。
「これで、後は待つだけなんですよね」
「そうだね。ダリアは本当によくやってくれたよ」
「ええ……相当無理をしていたのでしょう、横になるなり眠ってしまいましたから」
「そうだ、他のみんなにも伝えないと。リュエはどこにいるか分かるかい?」
ふと、屋敷に彼女がいない事に気がついた。
俺が出る時はレイスと共に掃除をしていたはずだが。
「リュエなら先程、屋敷の裏にある大樹へと向かいましたよ。結界の様子を一応確認してくる、と」
「あー、確かに俺達が里に来る時強引な方法をとったらしいしね」
「いや、なんともなかったよ。異常なし、しっかりと働いているよ」
「うお!?」
こちらの会話に割り込むように、リュエが突然現れた。
レイスと俺の間に、まるで滑り込むように飛び込んできた彼女。
とりあえず驚いたので仕返しに羽交い締めにしておきましょう。
「おかえり、リュエ」
「ただいま。あ、カイくんそのまま少し持ち上げておくれ、背筋が引っ張られて気持ちいい」
「俺は健康器具ですか」
ぐいぐい。ゆさゆさ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛……気持ちいい~……」
「おかえりなさい、リュエ。里長の治療が無事に済んだそうですよ」
「お゛お゛お゛お゛……それは良い知らせだね~……」
あまりにも変な声を出すので床に降ろさせていただきます。
「ふぅ……いや、本当に良かった。じゃあ、もうすぐ帰って来るんだしご馳走作らないとだね」
夕方になると、里の見回りを終えたアマミが屋敷へとやって来た。
彼女は里にいる間は基本的に、里長に変わって里の様子を見て歩き、何か問題があればそれを里長に報告する、という役目を担ってきたそうだ。
どうやら本日は、以前俺が住人に教えたじゃがいも麺について何やら揉め事があったそうだ。
なんでも『細麺の方が美味しい』『太めの方が良い』とかなんとか。
実に平和である。
そして平穏無事にに一日を過ごしてきた彼女にも、ある意味大事件といえる、里長の話を伝える。
「じゃ……じゃあ後どれくらいで戻ってくるの……?」
「あ……それは聞いていなかった。ダリアなら今ここで寝てるから、起こしに行くか」
「いんや、それには及ばんよ」
頭上から降りかかる声。噂をすればなんとやら。声の主は階段をおぼつかない足取りで下ってくるダリアだった。
眠り始めてからまだ四時間程。まだ寝足りないと思うのだが。
「何も食べていないのを忘れてた。腹減って目が覚めちまったよ」
「もうすぐ夕食だ。今日はレイスがベーグルサンドを作ってくれるぞ」
「おほーっ。……で、里長の話に戻すけど、自浄の進み具合との兼ね合いもあるから、具体的にいつかは分からないんだ。とはいえ、明後日までには終わるだろうが」
「なるほど……じゃあもしかしてこの後また戻るのか?」
「ああ。逐一観察して、目覚める準備が出来たらすぐに知らせるさ」
「だ、そうだよアマミ。遅くても明後日だって」
それを告げると、静かにアマミは一歩前へ踏み出し、そして唐突に膝を折り、ダリアに向かい頭を垂れる。
叙勲式でもするかのような深い貴礼。それは紛うことなく、最大限の礼を捧げる姿。
床を見つめるように、首を晒すように、下を向き彼女は語る。
「ダリア様。此度、我々の母と呼べる存在である里長の治療、誠に感謝申し上げます。この身は既にリュクスベル家に捧げた身ではありますが、私は私の仕える家に仇なす命でない限り、どのような命令にも従い、心血を注ぎ遂行する事を誓います」
誓いだった。二君に仕えるという、ある意味では騎士道や忠道に反するそれを、彼女はしてみせたのだ。
それほどまでの感謝を、恩義を、ダリアへと抱いたのだ。
……ああ、俺だってそうだ。大切な人を死の淵から救われたら、その恩義に報いる為、どんな事だってすると誓うことが出来る。
そんな最大の礼を尽くされたその本人は、ただ静かに歩み寄り、アマミの肩に手を置いた。
「……顔を上げてください、アマミさん」
声色が、口調が、変わる。
聖女としての顔を出したダリアが、顔を上げたアマミの頬にそっと触れる。
「元々、これは私自らが撒いた種です。その忠義を私に割く必要などありません。貴女は、これからも自分が仕えるべき者に仕え、そしてもしも他に割くとすれば……家族に割きなさい。大切な友に捧げなさい。貴女は、私のような者に忠を尽くす必要なんてありません」
「ですが……」
「言葉だけで、いいのです。感謝の気持ちを頂けたのならば、私はそれで十分に報酬を得た事になるのです。それに、これは私だけがなした事ではないのですから」
ふいに、こちらの思考が乱れる。これは、ダリアなのか、という。
今見せている顔こそが、ダリアなのではないかと脳が認識し始める。
あまりにも自然体で。あるべき姿であるように見えて。
「皆が、大切な人の為に動いたからの結末です。貴女が願い、そして貴女の願いを叶えようと、彼が動いた。そして、貴方達の思いが、私を動かしたのですから」
「……ダリア様」
「……結構やり辛いんだぜ、お前に見られてると。これだって俺の側面だ、そんな変な顔してこっち見ないでくれよ、恥ずかしい」
「あ、いや悪い……」
まるでスイッチを切り替えたように、いつもの口調に戻る。
だがそれでも、今見せていた顔が消えるなんて事はなく、ただアマミは感激した様子で、まるで拝み倒すように頭を下げている。
「いや、もう頭上げていいからアマミ嬢。ほら、一緒に晩御飯ご馳走になろうぜ、な」
「はい……是非、ご一緒させてください」
「ほら徳が高い事するからこうなるんだよ。暫く拝み倒されるぞ」
「仕方ないだろ……本気には本気で応えるのが礼儀だ」
本当に、義理堅い。昔と、変わらない。
変わってしまったようで、変わっていない。
別人に見える時もあるが、それでもやっぱり俺がよく知る人間で。
距離感が、たまに狂わせられる。
「ま、アマミもその辺にして食堂に行こう。今日の晩御飯は俺の好物の一つなんだ」
「う、うん。カイヴォンの好物? なんだか想像出来ないや。なんでも作れて、なんでも美味しいもん。何か特定の物が好きって変な感じ」
「あー、そういえばお前の好物っていくつかあったよな。確か――」
まだこいつが覚えているのが、少しだけ嬉しくて。
なんでも美味しいと言われたのが、嬉しくて。
「今日はスモークサーモンとスライスオニオンたっぷりのベーグルサンドだ」
さぁ、食べながら里長の為のメニューを考えようじゃないか。