二百八十五話
(´・ω・`)物語開始から二年と三ヶ月ちょっと。
自分で作った結界ならば、自分だけはその対象から外れる事は容易だ。
自室へと戻り、アイテムボックスに収納していた『王城務めの事務員の制服』取り出す。
城を抜け出す方法はいくつか存在するが、毎度同じではさすがにバレてしまうからと、この城で働く人間のユニフォームは一通り手に入れてある。
前回は騎士甲冑を纏って抜け出そうと試みたのだが、さすがに体格の問題で訝しがられてしまい、あっさりと見つかってしまったっけ。
『少々皆さんが着ている鎧に興味が湧いたのですが、なかなか動きにくいですね』とごまかしの文句を告げた時に周囲から向けられた『あ、この人可愛いな』という感情の込められた視線は忘れたくても忘れられない。
やめろ、まじでやめろ。
「今回はそうだな……茶金髪にエメラルドグリーンの瞳でいくか」
統計的に一番多い組み合わせである瞳と髪の色の組み合わせになるように自身に魔法をかける。
さて、後は人気がないタイミングで抜け出すだけだ。
王城区画から川を三つ越えてようやく辿り着ける飲食店の密集する区画。
昔はここまで多くはなかったのだが、娯楽や刺激を求めて自分なりの料理を出す店が長い年月をかけて一軒、また一軒と増えていき、今ではその店舗数が三ケタに届くところまできているという。
最後に抜け出したのは……去年目覚めてすぐだったか。
約三◯年ぶりだったにも拘わらず変化に乏しいその有様にため息が出たっけ。
まぁ、それでも料理のブームがキノコ料理から魚に変わっていたおかげでだいぶ楽しめたのだが。
夕焼けが照らし始める飲食通りに、俄に人が増え始める。
この通りくらいでしか見ることが出来ない、どこか浮かれた様子で歩き回る住人の姿が、遠い、遠い過去に置いてきた『久司』としての思い出を掘り起こしてくれる。
あの最後に三人で出かけた夜を、そしてあの『会話』を思い出す。
そして……最初のきっかけを。
「もし、お前がゲームに誘ってくれなかったら……俺は今ここに、いなかったんだろうな」
もう二度と会うことがないかもしれない、そんな親友の事を思い出す。
酒を飲む度に思い出す。
夕闇を歩く度に思い出す。
誰かと口論する度に思い出す。
そして――飯を食う度に思い出す。
お前はあまりにも、俺に影響を与えすぎた。
だから俺は、前に進めない。
まだお前を待ってしまうんだ。
また、俺達『三人』が揃う瞬間を。
『またカルーアか。そんなん女子供の飲みものだろ』
『子供は飲めねーよ!』
『そりゃそうだ。ほら、これ飲んでみろ。甘口で軽い銘柄だ。氷とレモン入れりゃあ飲みやすくなる』
『日本酒なんておっさんの飲みもんだろ……旨いな』
『だろ? 最近ハマってんだよ俺』
あれは確か、二十歳になってすぐの頃だったか。
俺に酒の味を覚えさせたのも、美味い店を教えたのも、お前だったな。
対等であると、俺が唯一お前と対等だという自負が、決して口に出させなかった思い。
『兄貴みてぇだなこいつ』誕生日の関係で俺の方が年上だったにも拘わらず、いつだってお前は俺の前を歩いていた。
その背中が、前を行く姿を、何度、この夕闇の道で幻視した事か。
「……女々しい。身体に魂でも引っ張られたか?」
思わず笑いを漏らし、思考を振り払うかのように顔を上げ、往来を見つめ直す。
俺は、たぶん、城を抜け出しこの夕闇の中で、お前を探している。
なぁ、お前はここに来ないのか? 俺、もうだいぶ偉くなっちまったぜ?
俺がもし一度指示を出せば、きっと戦争だって起こせちまうんだ。
笑えるだろ? 俺がだぞ? 日和見万歳観察第一の俺がだぞ?
お前が今の俺を見たらなんて言うだろうな? 感心するか? 驚くか?
いいや、お前の事だからきっと『お前なにやってんだよ』なんて、笑いながら言うんだろうな。
「……さて、と。噂の店はどこじゃろな? なんか横道の方にあるって聞いたが」
人気店らしいからな。早く行かないと店に入れないかもしれん。
少しだけ歩く速度を早めながら、人の流れが不自然にそれる道を探る。
そして、いくつか存在する脇道の中で一際その界隈に人が多い場所を見つける。
老若男女……というには外見の年齢はほぼ同一だが、多くの人間がひしめくその空間。
まるで今か今かと待ちわびた様子に、恐らくこの先が件の店なのだろうと、意を決してその人混みに紛れ込む。
「くっ……正体明かして全員跪かせたくなるなこりゃ」
自身の小さな身体が恨めしい。なぜ成長しないし。オインクは痩せたりなんだり変化していただろうに。
……やっぱり『あの条件を満たさない限り身体の成長は止まったまま』なのかね。
ま、俺には関係ない話だ。少なくとも俺には……な。
「シュンはまだセリュー側に行ったままなのかね。魔物の討伐なんて現地の人間に任せときゃいいだろうに」
ふと、もう一人の友人、長い、あまりにも長い時を共有した相棒を思い出す。
恐らくきっと、俺よりも多くのしがらみに囚われてしまっているあいつの事を。
たまには俺に付き合って飲みにいきゃあ少しは過ごしやすくなるだろうに。
だが誘っても決まって『いや俺甘い酒じゃないとまともに飲めないし』と断られてしまう。
カクテルブームが到来中だって言っても、そこまで甘いものもないしな、実際。
俺だって割りと甘党な方ではあるのだが、酒に関しちゃその趣向は真逆だし、なかなか難儀なもんだよ。
さて、ようやく人の流れが動き出したな。
見えてくるのは、どこか古びた酒場。映画のワンシーンで登場でもしそうな風格ある佇まい。
店の名前は――何語だ? 日本語で書いてくれ。
時間はあっても勉強はノーセンキューなんですよこちとら。
「いらっしゃいませー。ええと……一人かしら?」
ぞろぞろと入店する流れに乗るように店内に入ると同時に、従業員であろう妙齢の女性に尋ねられる。
ああ、そうだろうよ。このナリじゃあエルフといえども子供に見られるだろうさ。
だがしかし、力の強いエルフは成長が遅いと相場は決まっている。
それを示すため、今日の変装に使っている城で働く人間の証である腕章を見せつける。
「失礼しました。では……申し訳ないのだけれど、奥の壁際の席でお願いしてもいいかしら」
「おーけーおーけー。かけつけいっぱい。適当に人気の料理と酒を持ってきてくれ」
「ふふ、なかなか通ね、貴女」
「おう、結構な飲んだくれだと自負してるぜ」
偽ざる言葉で好きに振る舞う喜びを噛み締めながら、意気揚々とその隅の席へ向かう。
ふむ、あの店員さんいい感じな歳だな。となるとここのマスターの奥さんかなにかか?
だがしかし、マスターと思しき人間の姿がここからでは確認出来ない。
それどころか他の従業員さえも。
おいおい、この人数二人でさばいてんのかい? 無理があるんじゃないか?
そんな心配を余所に、先程席に案内してくれた女性がトレイに皿とグラスを乗せやってきた。
早くないか? まだ頼んでから三分も経ってないが?
「ふふ、早くて驚いた? ここの人気メニューってすぐに提供出来る事でも有名なのよ。魚介の煮込み、料理人である彼が言うには『変則アクアパッツァ』よ」
「やっぱり魚介は人気だしなぁ……めっちゃいい匂いしない? これ」
「ふふ、食べてみて、驚くから」
赤いスープから覗く、揚げられた小魚やイカの切り身。
それに貝と……なんだかよくわからないもの。
なんだこれ? レバーかなにかか?
得体の知れない物の登場に、警戒心よりも好奇心が勝り、急ぐようにスプーンでそれを掬いその温かな湯気と香りごと頬張る。
「ん!? んっふ! んー!」
うっま! めっちゃうっま! なんぞこれあん肝? なんだこれすげえ濃厚。
なんだこれうますぎねぇ? 飲み物プリーズ、白ワインくれくれ。
こちらの思考を予測したかのように、一緒に運ばれてきたのは白ワインとおぼしき薄い琥珀色の液体。
旨さの暴力とも呼ぶべきその濃厚な一口目を名残惜しむように飲み込み、ワインを一口。
が、またしてもこちらの度肝を抜く展開。
そして先程からニマニマとこちらの反応楽しむように店員の女性が見つめていた。
「サングリア・ビアンコっていうらしいわ。レシピは企業秘密なんだけれど、最近は真似をするお店が増えてきているのよ?」
「うーわ……しかも炭酸……生成用活性水で割ってるのかこれ」
「ふふ、沢山おかわりしていってね?」
満足気に去っていく店員を見送るや否や二口目を頂く。
美味すぎないか、これ。確かにこれまでの歴史上、この界隈で頂点に上り詰めた店に何度も足を運んできている。
ある時は鶏を使いこなす名店。ある時代では野菜のピクルスを極めた小さな店。
時代の移り変わりと共に変化するその時勢毎の店を楽しんできた。
だが――これはセミフィナルに根付く北米、欧米の料理というだけじゃない。
明らかに……明らかに酒の為に最適化されているし――どこか、馴染み深い旨さだ。
まるでそう……どこぞの『他国の文化を自分たち風にアレンジして本家よりも国民に愛される物を作っちゃう変態国家』すなわち我が懐かしの母国のようじゃないか。
「ついに、ついにここまできたのかこの世界も……そういやセミフィナルで食った肉巻きおにぎりも、なんか日本っぽい味付けだったしな……いやはや美味い美味い」
……金に糸目はつけんぞ。今日はここの店の料理、全部網羅させてもらうぜ?
食いきれない分はこっそりアイテムボックスに収納させてもらいますがね?
「カイ君、一三番のお客さん、今度は『そら豆の冷製ポタージュ』ですって」
「マジですか。あれ滅多に出ないのに……」
「もう『全メニュー制覇したい』って言っていたわよ、あの子」
激戦の真っ最中に挟まれる、ペースを乱す普段あまり出ない注文に多少の苛立ちを感じつつも、逆に張り合いが出てきたな、なんて一種のハイ状態に陥りながら、豪胆な客へと視線を向ける。
小さいな。エルフでもあそこまで小さい奴なんて――
……まさか。
「ミスティさん、あのお客さんって何者かわかります?」
「恐らく祝福持ち、ダリア様の名前をもらっている子じゃないかしら? あの姿でもうお城務めらしいわよ?」
「へぇ、それは凄い」
くすんだ金髪の後頭部しか確認出来ないその相手。
だが、もしもあれが変装なのだとしたら……。
思考の海に飲み込まれる前に、手を動かし料理を仕上げていく。
魔術の操作で一人でに回転撹拌される瓶の中身を裏ごしし、ポタージュ皿に盛り付ける。
そして――メニューに加えるつもりのない飲み物を一つ追加する。
「ミスティさん、このグラスもあの人にお願いします」
「あら、もしかして知り合い?」
「かもしれません」
ふんわりとリンゴの香りのする、お手製の果実酒。
まずは、手始めだ。
まるで連想ゲームのように、細い糸を手繰るように、それを開始する。
提供された料理を受け取る様子を確認し、他の料理に取り掛かる。
まだまだ客足は途絶えそうにない。
だから、そっちもまだまだ付き合ってもらうぞ、小さなお客さんよ。
手を動かしながら、ちらりと様子を窺う。
グラスを煽ったその瞬間、相手の動きがピタリと止まる。
ああ、やっぱりそうか。
それはもう、確信に至るには十分過ぎるリアクションだぜ、ダリア。
お前、よく買いすぎた日本酒の封を開けてダメにしてたよな。
『香りが飛んで美味しくない』って。
だから俺がそれで作ったりんご酒を初めて飲んだ時、随分感動していたよな。
……そういえば、セミフィナルにいた時リュエにも似たような事したっけ。
安物のワインを美味しく飲めるようにサングリアを作ったのもまだ記憶に新しい。
「……さて、じゃあそっちがどのタイミングで気がつくか、テスト開始だ」
あいつがよく頼む料理を注文を受ける合間に少しづつ作り始める。
焼き鳥、刺し身、厚焼き玉子に、骨の唐揚げ。
焼いたイカや、懐かしの七味マヨ。
それらを少量づつ、あいつが料理を新たに頼む度におまけする。
ほら、もうお前酒を頼むペースがとんでもない事になってるじゃないか。
何度も、何度も無言で交わされるやり取り。
そして時折、口でも拭っているのか、腕を顔にこすりつけているその仕草。
遠くで一人晩酌をすすめる後ろ姿を観察しながら、刻一刻と閉店の時間が近づいてくる。
そして――
「カイ君、あの子最後まで残っているんだけど……ラストオーダーで聞きなれない料理を注文されたの」
「そのまま伝えてください。作りますから」
「キンピラゴボウ? っていう料理と、アゲダシドウフ? っていう料理なんだけど」
その伝えられた料理につい、笑いを漏らす。
ははは……お前の大好物じゃないか。だが、悪いが豆腐はまだ作られていないんだよセミフィナルでも。
だが――似た食感のものならすぐにでも提供してやれる。
まずは殆ど食べられることのない、薬の材料として扱われていたゴボウの下準備を始める。
「……豆腐より、もっとお前が好きなもんが手に入ってんだよ」
嘘みたいだろ。
七味マヨつけたイカ齧りながら日本酒飲んでるぜ、俺。
何百年ぶりだよ、オムレツじゃない卵焼き食ったの。
頼んでいない小鉢が料理に付属し始めて、すぐに店主の姿を見ようとした。
けれども忙しいのかその姿を見ることが叶わず、ならば、と、試すかのように注文のペースを早めていった。
運ばれてくる度に、こちらの記憶を刺激する。
そして一人、また一人と客足が途絶え、ついに他の客の声が、物音がしなくなる。
振り向かない。確信が持てるその瞬間まで。
そして俺は、最後にその料理を注文した。
『やっぱりコンビニの惣菜で一番うまいのはきんぴらと揚げ出し豆腐だな』
『うまいというかハズレを引きにくいだけじゃないか?』
『そうとも言う。中途半端に凝ってるとたまに大外れにあたるからな』
『ふむ、けどどっちも俺が作った方が美味いぞ?』
『大人げないわ。コンビニに対抗心燃やすなよ』
『俺が作るから俺に金払え』
なんだろうな。少しだけ、本当に少しだけ予感がしていたんだ。
ここ最近、おかしな事が続いてな、ちょっと何かが動き出してるような気がしていたんだ。
けど――お前が来ていたのなら、それにも納得が行くってもんなんだよ。
背後に人の気配を感じる。そして、香ばしい香りと、懐かしの醤油の濃い香りが漂う。
「待たせたな。最後の料理は俺自らが持ってきてやったぞ」
「…………いつも悪いな、お前にばっかり……作らせて」
(´・ω・`)ようやくの再会です。