二百八十二話
小奇麗な一室。当分の間の寝床として契約した宿屋の一室で目を覚まし、身体を伸ばし首をゆっくりと回す。
久しぶりに気合を入れて料理をした所為か、妙に身体が凝ってしまっているようだった。
自分の掌をじっと見つめる。握り、そして解き、その動きをしっかりと脳裏に焼き付ける。
『俺は握れる。俺は作り出せる』と言い聞かせるようにして。
「……さて、いよいよ今日の夕方から営業再開か」
メニュー開発から二日。
レギュラーとして出す料理を選抜し、必要な材料を安定して供給する為に市場にて契約も交わしている。
尤も、これは顔なじみであるミスティさんが行ってくれたわけだが。
やはり『捨てたりする部位』やら、扱いの難しい魚やらを彼女が注文する事に疑問を抱いた人も多かったそうだが『近々店を再開するから』という彼女の言に、皆驚きを交えつつも歓迎の空気を出してくれていたそうだ。
ならば、勝負は初日。ここで、客の胃袋を完全につかみ取り、離れられないようなインパクトを与えることが出来れば……。
「一ヶ月。恐らく噂が広がるとしたらそれくらいか。ダリア……お前を呼び寄せてみせるからな」
決意を新たに、今日も彼女の店『ペシェ・ド・アルジェント』へと向かうのだった。
「おはようございますミスティさん」
「おはよう、カイ君。今日も早いわね」
「ええ。もうそろそろ市場から食材が届くはずですからね。直ぐに処理をして開店に備えないと」
「……凄い気合の入り方ね」
「そうですかね? 割りと普通な方ですよ」
「本当……どんな環境で働いていたの……?」
いやだから日本じゃ割りとよくある光景だったんですって。
そんなかわいそうな人見るような視線向けないでおくんなせぇ。
その彼女だが、今日から開店という事もあり、既に接客用のコスチュームに着替えていた。
このレトロな店に合うように、少々古めかしいデザインの、クラシックタイプの給仕服。
スマートなシルエットのワンピースにエプロンを組み合わせたそれは、一風変わったデザインのメイドの様にも見えた。
「そういうミスティさんも気合、入っていますね。化粧もばっちりじゃないですか」
「……まぁね。やっぱり、少しでも皆さんに気分良く過ごしてもらいたいもの」
少しだけ薄暗いような、少々アウトロウな雰囲気も感じる店内だというのに、彼女が立つだけでそんな雰囲気が消し飛んでしまう。
彼女とこの場所。その両方が揃って初めてここは完成するのだろうな。
そんな場所を利用するのだ。ならば相応の働きを、そしてせめてもの恩返しに、在りし日のような客で溢れる光景をこの場所に再現してみせなければいけない。
そう再び決意し、夜の営業に向けて準備を始めるのだった。
「本当に明かりが点いてるじゃないか。ミスティ嬢ちゃん、久しぶりに来た――なんだ、もうこんなに客が来てんのか!」
「いらっしゃいませ! お久しぶりです。今はカウンター席しか空いていないのだけど……大丈夫ですか?」
「ああ、構わねぇが……ありゃ誰だ? 見たところヒューマンのようだが」
「ふふ、少しの間だけお手伝いしてくれる事になった料理人さんよ。美味しいから沢山注文してくださいな」
目が回る。
視線と思考が目まぐるしく回転し、それに引きづられるように身体が必要な動作を繰り出していく。
いくらこの身体のスペックを以ってしても、やはり本来戦闘向きにスペックである以上、こういう類の忙しさには完全に対応しきれないようである。
が、それでも新たに来店したお客さんへと向け、感謝の言葉と決まり文句を一つ。
「いらっしゃいませ。何か飲みたいお飲み物……それに食べたい料理があればその方向性をお願いします」
「ほう、方向性と来たか。じゃあそうだな……今日は久しぶりに酔いたい気分なんだ」
訪れた新たなお客は、エルフでは珍しく体格が良く、どこか気性が激しそうな印象を受けた。
恐らく自由騎士なのだろうか。
さて、じゃあ彼にも……この店の中毒になってもらおうか。
もともと豊富に取り揃えられていた酒類と、新たに注文した様々な香草、調味料。
そしてこの料理をうまく使えば……。
「ん、兄さんそいつはなんだ? 蓋つきのマグかなにかか?」
「ふふ、これでお酒を混ぜ合わせるんですよ。近頃流行っているそうじゃないですか」
「ああ、あれか。俺は好かん、せっかくの酒を薄めるなんざ女子供がやることだ」
ここで『女はともかく子供は酒飲んじゃダメでしょう』と突っ込みたいところだが、割りと飲んでる子供、とはいえ一◯歳かそこらではあるのだが、見かけるのだ。
まぁ地球だって中世やそれより以前は子供だってワインを飲んでいたものだが。
「ふふ、確かに物足りないと感じる人も多いでしょうね。俺もその一人です。ですが――どうぞ、これを」
木を削り自作したシェイカーから注がれるのは、ほぼ無色透明の液体。
だがその芳香は強烈であり、注いだグラスを覗き込んだ彼もまた、驚き顔を離していた。
「なんだ……これは」
「昔、ある人に教わったカクテルです。名前は『マティーニ』もしも気に入らなければ直ぐに他の物を用意しましょう」
ベルモットとジンを使ったカクテルであるマティーニは、酒同士のカクテルという事で当然度数が下がりすぎる事なんてなく、そしてマティーニに含まれる香草とスパイスの香りがより一層酒の強さを引き立ててくれる。
が、飲みくちこそ強烈ではあるが、喉越しや刺激性が癖になり、さらに食欲を刺激してくれる。
まぁもともとベルモットが食前酒として好まれているのだから、必然とも言えるのだが。
……酒造法違反とかこの世界にないですよね? 大丈夫ですよね?
このベルモットさん、実はなんちゃってベルモットなんですよ自作の。
白ワインを煮詰めて、ハーブと香草を煮出し、それを改めて他の白ワインに加えて二日間寝かせた一品です。
なんで作り方知ってるのかって? 聞くな。趣味だ趣味。
「む……これは美味いな。だが量が足りん」
「まぁこれは食前酒みたいなものですから。もう一杯作りますので、その間なにかつまむ物でも」
「ん、そうだな。じゃあ……何か味の濃い物を頼む」
カクテルは魔法。
既存の液体を混ぜ、その性質をガラリとかえてしまう。
そしてそれはもちろん身体に新たな欲求を生み出し、料理を求めるようになる。
その料理にもし、更に他の飲み物を欲するような要素があればどうだ?
例えば、少しピリ辛であったり、極端な例だが熱くて思わず冷たい物が欲しくなるようなものだったらどうなる?
そうだ。メニューの組み合わせや味付けというものを完全に把握しコントロールすれば、客をある程度自由にコントロールする事すら可能なのだ。
もちろんそれは『あまり褒められない行為』ではあるのだが。
二杯目のマティーニも美味しそうに飲み干した彼は、定番であるオリーブの塩漬けを齧りながら、同じくらい味の濃い料理が来るのを今か今かと待っているようだ。
だがそんなさなかにも他の席から料理の注文が入り、すぐさまそちらにも取り掛かる。
……ワンオペなんて経験したことなかったな、そういえば。
「ミスティさん、この皿三つ運んでください。注文されたイカ煮込みです」
「分かったわ。大変そうね」
「大丈夫ですよこれくらい」
足りない時間は早く提供出来るカクテルでつなぐ。
それでいい。沢山飲んで、忘れられなくなってくれ。
明日も、明後日も。周囲の人間を誘って何度でも。
「お待たせしました。今日上がった魚のカルパッチョです。まだ名前を覚えていませんが、とても美味しかったですよ」
「そうか、こっちにきてまだ日が浅いのか。じゃあ早速……」
刻みオリーブとパプリカ、チリペッパーと持ち込んだカレー粉を少量加えたドレッシングをかけた一品である。
濃いめのドレッシングで頂く白身魚は、どうしてこうも酒に合うのか。
本当ならシンプルに味の濃いナッツでも出せばいいのだろうが、まずは料理を覚えてもらわなければ。
『珍しい味付け』『美味しいカクテル』この二つを脳に刻み込む必要があるからな。
そうして、不純な思いを抱えたまま最初の夜の営業無事に終えた時には、たった一晩で得るには多すぎる売上を記録したのであった。
まぁあんだけみんなお酒を注文したらそうなりますよね。
「お疲れ様ですミスティさん」
すべてのテーブルを片付け終え、一卓だけ残した席に項垂れるようにして休んでいる彼女に声をかける。
すると、疲労困憊であろうはずの彼女が、満足げな、心の底から楽しい一時を過ごしたかのような満ち足りた表情を浮かべながらこちらに顔を向けくれた。
上気したような、少しだけ赤らめたその顔色につい、胸が高鳴る。
「カイ君、ありがとう。それしか言えないわ」
「今日人が足を運んでくれたのは、ミスティさんのこれまでの頑張りがあったからです。お礼を言われるような事はしていませんよ」
「いいえ。来てくれたお客様を喜ばせたのは、間違いなく貴方の力。貴方が作った料理とお酒にはそういう力があった」
語りかけるように、言い聞かせるように語る彼女。
その様子が、まるで泣いている子供を宥めるかのようで。
「ちょっと珍しい料理なだけですよ」
「いいえ、私も食べたから分かる。貴方が鬼気迫る表情で作っていた料理は、間違いなく人を魅了する」
「……そうですか」
「貴方が何を思い、何のために協力してくれたのかは分からないわ。けれども、たしかにそれで私は救われた。お客様も笑顔になった。だから――」
静かに立ち上がった彼女が、こちらへと歩み寄る。
「そんなに辛そうな顔をしないで頂戴。やっぱり、無理していたのね」
「……初日で緊張しただけですよ」
正直に言えば、今すぐにでも暴れ、叫びんでやりたいところだった。
利己的な、暴力的な、独善的な、一方的な、そんな料理。
美味いだろと言わせる為の、注文させる為の、そんな料理。
俺が一番嫌いで、背を向けた世界に類する料理。
それを振るう自分が、目的の為に利用する自分が、たまらなく嫌いで。
リュエやレイスには、絶対に食べさせたくない料理。
誰かを思うでもなく、ただ機械的に作られたこの料理をもし、あの二人にまで『いつもより美味しい』と言われたら、きっと立ち直れそうになくて。
「詳しくは聞かないけれど……私はもう、満足したの。ねぇ、明日から――」
「明日も作りますよ。もっと、もっと美味しく。まだ試したいカクテルだってあるんです」
大丈夫、今日は少々暴走気味だっただけだ。
明日からは、もっと静かに……今日は物珍しさと営業再開で賑わっただけだろうから。
忙しさから余裕がなくなっていただけだから。
そうだな、明日はもっと飲みやすさとデザート感を押した軽いカクテルにしよう。
気軽に、ふらりと立ち寄れるようなメニューを……。
翌日の夜。
刺激に飢えていた住人の欲望、興味を甘くてみていた事を身をもって知る事になるのだった。