二百六十八話
(´・ω・`)語られる真実
革新的で、美しく整えられていて、どこまでも合理的で。
私とは、いや、恐らくきっと他の誰とも違う、不思議な術式。
それなのに、どうしてだろうか。すごく、ひどく、既視感を覚える。
ダリア、君はこれを誰から教わったんだい。基礎になる術式を、誰から教わったんだい?
嫌な予感がするんだ。考えたくない事が脳裏を過ぎるんだ。すごく、心がざわつくんだ。
『形だけ、ですよ先生。周りの人間を納得させる為です。そうですね、全員がいなくなり次第、戻ってきますから。そうしたら僕と一緒に新しい術式を考えましょう』
ざわつくんだ。心がジクジクと痛むんだ。嫌な事を思い出してしまうんだ。
「ん? どうしたんだ、作業を止めて。もう一息なんだ、ちょいと後ろから魔力流して後押ししてくれないか」
「ああ、悪かったね。じゃあ、一緒に終わらせようか」
ダリア。君に術式の基礎を教えたのは……もしかして――
例えば、病院。
自分の身近な人間が事故に遭い、今まさに生死の淵を彷徨い、戦っている最中。
手術室の外で、必死に祈る。どうか明日も一緒に過ごせますように、また話が出来ますように、と。
それが例え自分とは無関係の人間の生み出した光景だとしても、それを目にしてしまうとつい、心が引っ張られてしまう、という経験はないだろうか。
『ああ……どうかあの人達の祈りが届きますように、願いが叶いますように』と。
その部屋の前で、俺はただそんな事をぼんやりと考えながら、湧き出してくる感情が溢れてしまわないように、その波が去るのをただじっと待ちながら、聞こえてくる会話に耳を澄ませていた。
『――聞き分けがありませんよ。私は、十分に貴女達に知識を与えてきた。生活の基礎を叩き込みました』
『――どうしても、無理なの? いつもみたいに森に行けば……』
『残念ですが、それは無理なんですよ。受け入れて下さい』
『……治せる人を、私が見つけてくる』
『……親離れなさい。貴女は一番のお姉さんなんですから』
『親なんかじゃない。里長は、私の友達だから』
『……頑固者ですね』
『頑固者に育てられたからね』
……仮初の希望は、ちらつかせるものじゃない、な。
二人のやり取りが一段落ついたタイミングで、その扉をノックする。
知らせなければ。一先ず里に迫るかもしれない未来の危機は去ったと。
少しだけ開くのを躊躇してしまう、ある種の緊張感に満ちた扉を開く。
もしも感情を視覚的に捉えられたら、きっと前が見えなくなってしまうであろう部屋へと一歩踏み入る。
初めて入る里長の寝室は、どこか不思議な香りがした。
香水のような、女性特有の香りのような、濃密な生を感じさせる、そんな不思議な空間。
それはきっと、意思によるものなのだろう。誰よりも生を謳歌しようとする彼女の。
「まだ入室の許可は出していませんよ。我慢出来なくなってしまったんですか?」
「すみません、つい。タイミングを計っていたら」
「あ、カイヴォン。あれからどうなったの?」
「里の中央の復旧はだいぶ進んだよ。ダリアが家を建て直した。それで、今は里の結界を新たにリュエと一緒に構築中だ」
「つまり、戦いは無事に終わったと見て宜しいんですね?」
「はい。それで――里長、貴女の身体についてですが――」
「私の事は後回しで構いません。元々、私はこの場所にいるはずがない存在。無理に時間を割く必要はありません」
ベッドに横たわりながらも、やはりその表情はいつもと同じ。
床に伏せている人間特有の、どこか陰を秘めた微笑みとも違うその姿は、不思議と今の今まで部屋の外で抱いていたこちらの沈んだ心を笑い飛ばすような、そんな強い力を秘めているように思えた。
彼女の趣味だろう。黒く塗られた木製の、ゴシックなデザインの天蓋つきのベッド。
淡い紫色のベールの向こうにいる彼女からは、むしろ悲壮感よりも、蠱惑的な魅力が漂っているようで。
ああ――だから今、アマミも俺も感情を暴発させずに済んでいるのか。
本当なら、こういう場面は、苦手なのに。
たとえ他人でも、こういう最後の場面に直面するのは、二度と御免だと思っていたのに。
「里長。そういう訳にはいかないんだ。俺の主義というか、エゴになってしまうんだけど、恩ある相手にはとびっきりの利子を付けて返すって決めているんだ」
「……そうですか。まぁ、以前どうにかなりそうな口ぶりでしたし、少しだけ期待しておきましょうかね」
「カイヴォン、どうにか出来るの? 教えて、なんでもするから」
「あら、聞きましたかカイヴォンさん。なんでもしてくれるそうですよ。どうです? あんなことやこんな事をお願いしてみては」
「いやぁ、ちょっとこの場面でそんな下ネタぶっこむ勇気はさすがの俺にもありませんでした」
「……ダメ。そういうの以外」
本当に、どこまでも『淑女』ですね?
「今直ぐは無理です。まずは里の未来を保証させてからになります。そうですね……俺の、俺の目的が達せられたら、その時は……」
本当は、アマミがいる場所で不確かな約束はしたくなかったけれど。
だが今この場所でそれを口にしたという事は、遠回しな依頼なのだろう。『どうか、私を救って欲しい』という。
今すぐにダリアに協力を依頼したら、もしかしたらすぐにでも彼女を救えるかもしれない。
だが、それでダリアの帰投が遅れてしまったら。もし外部に不信感を抱かれてしまったら。
なによりも……本当にダリアを関わらせて良いのかと迷っている自分がいる。
この里の為に動いてくれているあいつを、疑ってしまう自分を恥じる。
けれども……そらくらい慎重になってしかるべきなのだ。
建国から五百年以上経っているという事実が、その歴史が、どうしても俺に臆病風を吹かせてしまう。
だから――もう少しだけ待ってください、里長。
「……さてと。他にも面会すべき相手がいるかもしれません。もう少しだけ休ませてもらいますね」
「あ、うん。じゃあ私は……カイヴォンとリュエとレイスさんと相談してくるね」
「……アマミ。もしお三方から何か指示があれば、従いなさい。きっと、上手く行きます。そんな気がします。珍しいでしょう? 私がこんな事を言うなんて」
「……分かった」
そう言い残し、彼女はゆっくりと瞳を閉じる。
本当に、人形のような寝顔を見つめ、そっとベッドから離れる。
寝息も聞こえない。本当に、人形のようなその姿を見て、もう一度目を覚ます事はないのではと、かすかな不安を抱かせる。
……その不安が、足をこの場所に繋ぎ止める。
「行こう。里長は自分が眠っている姿を人に見られるのが嫌いなの」
「そうなんだ。ああ、分かったよ」
きっと、自分の姿が今この瞬間だけは、人とは違うから。
もしかしたら、今の姿は人が命を失った姿に似ているから。
その両方なのか、それとも他の理由なのか、それは分からないけれど。
けれども、彼女の意思を汲み、そっと部屋を後にしたのだった。
屋敷の食堂で、彼女がまるで問い詰めるように切り出した。
『どうすれば里長は助かるのか』と。
絶対ではないし、上手くいくかは分からないと前置きをした上で俺は語る。
元々、彼女の時間はそれほど残されていなかったという事と、それを防ぐための手段を持つかもしれない唯一の存在『ダリア』の事を。
「なら今すぐダリア様に――」
「それでダリアがここに留まったら、さすがに国が動くんじゃないのか? ただでさえこの場所は既に目を付けられている。そうなってしまえば、里長どころの話じゃなくなってしまう」
「……だったらどうするの?」
「ダリアを国に帰らせる。まずはこの場所の安全を保証させるのが先決だよ」
そして、俺は俺の目的を彼女に話す。『王都ブライトネスアーチに向かう事』『ダリアとシュンとコンタクトを取る事』という、俺の旅で最初に定めた明確な目的を。
すると、やはり今この場でダリアとコンタクトを取らない事について彼女は疑問を投じてきた。
……ああ、本当に俺もそう思うよ。けれども仕方のない事なんだ。その先にある『もう一つの目的』を考えれば……敵対してしまう事は十分に考えられるのだから。
ああ、もう俺自身どうすればいいのか分からなくなってしまった……余りにも、背負いすぎてしまった。
里長の事。この里の事。リュエの願い。俺の願い……。
潰れて、しまいそうだ。情けない、本当に情けない。
「……ごめんね。悩まないで、やりたいようにやって。手伝えることがあれば手伝うから」
「悪い。気を使わせてしまって」
らしくないな、本当。
それから暫くして、屋敷にリュエがダリアと共に戻ってきた。
どうやら結界の再構築に成功したらしく、すぐにでもダリアが王都に戻るそうだ。
きっとここがターニングポイントなのだろう。ここで告げるか、告げないか。
その迷いが晴れないまま、リュエと共にダリアを外まで見送る事になる。
里の中を歩きながら、しきりに周囲に目を向けるダリアの様子を窺う。
どうやらこの里内部の仕組みについて考えているらしく、しきりに頷きながら感心した風に自分の考えを口ずさんでいる。
「白霊樹の魔力を呼び水にして循環する流れを生み出し、魔力を自然物に還元……なるほど、白髪の住人に住みやすい環境を整えている……か」
「聖女なら、知っているんじゃないのか。ここの住人がどうして生まれたのか」
自らこの里の存在理由に辿り着いたダリアに、この場所の根本的な問題を問う。
誰よりもこの国に深く関わっているお前なら、何か知っているのではないかと。
すると、案の定その歩調が乱れ、そして道の真ん中で立ち止まってしまった。
リュエと二人、顔を見合わせる。核心に迫ることが出来るのではないか、と。
そして、静かに語り始める。まるで、言い訳をする子供のように、罪悪感と悲壮感を滲ませながら、ぽつりぽつりと。
「……理由は、分からない。だが、きっかけは分かっている……去年、また白髪が出産されたという報告が複数上がっている」
「っ! なにが、何が起きたんだい。きっかけが分かっているのなら理由にだって辿り着けると思うのだけれど」
意外にも返ってきた答えは、こちらが知りたい答えそのものだった。
理由、つまりこの場合はメカニズムだろう。それが分からずとも、何が原因なのかは分かっていると。
それを知ることが出来るのならば、と、ゴクリと喉を鳴らす。
一瞬の静寂。ダリアの躊躇を表しているその僅かな間が、語られようとしている真実の重さを物語っているようで、鎧の下で汗が滴り落ちる。
「去年も、そして前回生まれた時も、ある出来事がこの国で起きている。それは――」
去年だけでなく、その前まで。それはもはや偶然ではない。
そして――
「俺が……目を覚ました年だ。つまり俺が……原因なんだ」
ああ――もっと、もっと問題が絡まっていく。
これは……中々に……難題だ。
(´・ω・`)この章は次回で終わりです