二百六十五話
(´・ω・`)どこまでいっても
「アマミ、剣を引いてこちらへ」
命を狙われている状況だというのに、平然とおちゃらけることが出来るという事実。
そして自分以外の人間が既に戦場から除外されたというのに、焦りどころか感情の変化すら感じさせない相手。
聖女としての側面と、今見せているとらえどころのないその在り方。二つを使い分けて生きるこの相手に、私の警戒心はこれまで以上に高まっていく。
もし、今この場で彼の名前を出せば……彼女は引いてくれるのだろうか。
事情を話し、リュエの事も含めて相談すれば、もしかしたらこれ以上争わずに済むのではないだろうか。
敵意は、感じない。ただそのフードから覗く口元が、少しだけ楽しそうに持ち上がるのみ。
「……本当にダリア様なの、君」
「アマミ……」
気がつくと、森に潜んでいた彼女が隣に立っていた。
身に纏うローブに返り血を浴びた様子すらないその姿に、改めて彼女がこれまで歩んできた道が過酷で、そして日の当たらない場所だったのだろうと察し、僅かに心が揺れる。
けれども、目の前にいるこの相手にこれ以上隙を見せるわけにはいかないと、再び彼女の方に意識を向ける。
「……まぁ、正体が知られてしまっている以上、顔を隠す必要もないか」
半ば諦めたような声で呟きながら、彼女は自分のボロボロになってしまったフードに手をかける。
チラリと、美しい金髪が覗き、そしてその全貌が明らかになる。
けれども私は、その顔を見て呼吸を止めてしまった。
他人の空似……ではない。私は確かにこの人を知っている。
それは決して、神隷期の記憶といったものではなく、もっと最近の、新しい記憶。
ほんの僅かな邂逅。少しの間だけ言葉を交わしただけという、そんな間柄。
けれども確かに私の心の闇を晴らし、新たな一歩へと導いてくれた――あの少女だった。
セミフィナル大陸の収穫祭で、私達の屋台に来てくれた、あの女の子。
なぜ。こんな偶然がどうして。私は今日生まれて初めて、神の悪戯という言葉を信じてみたくなった。
「……ダリア様。もし、この先を見たらどうか、そっとしておいてくれると約束してくれますか」
「悪いが今の段階で確約する事は出来ない。だが……こちらの正体を知ってなおそこまで言うのなら……相応の理由があるんだな?」
理性的に話す彼女は、やはり信用してもいいように思えた。
そして何よりも、私自身が彼女に恩があるせいか、きっと悪いようにはならないと信じてみたくなった。
けれどもその瞬間――再び森の結界に異常が起きた。
それは先程までの暴れ狂うようなものでなく、この場所の守りそのものが消失するような、そんな不穏な流れ。
この場に満ちた魔力がどこか一箇所から流れ落ちるようなその光景に、どうしたら良いのか分からず、ただ目の前の相手にこれはどういう事なのかと視線を送る事しか出来なかった。
「結界が! ああ、なんで、人が、一杯……そんな!」
「アマミ、どうしたんですか!?」
「人が一杯森に入ってきてる! どうして、ダリア様どうして!?」
気の所為などではなく、本当に結界が消失したという事実。
まさか私達との会話すら時間稼ぎだったのかと、今しがた信じてみたくなったこの相手を強く強く睨みつける。
けれども……彼女もまた、どこか怒りを秘めたような表情を浮かべながら虚空を睨み呟いていた。
「……端っから信用されてなかったって訳かよ。悪い、俺の部下の一人が何か持ち込んでいたみたいだ」
「これは、貴女の意思ではないと、そう言うのですか?」
「……ああ。悪いがこうなってしまった以上、この先がどうなってしまうか俺にも保証が出来ん」
そう言いながら、彼女は唐突に腰から一本の剣を引き抜き地面へと突き刺した。
「もう手遅れかもしれんが、結界の修復をしてやる。その間に新しく入って来た人間を止めるなりなんなりしてくれ。悪いが俺は表立って部下に手を出す訳にもいかなくてな」
その言葉を信じて良いのだろうか。いや、信じても良いのかもしれない。
彼女の突き刺した剣からは、確かに膨大な魔力が流れ出ている。
本当に結界を貼り直してくれているのだろう。ならば私達は、彼女の言うとおり新たな侵入者の対処をするべきなのかもしれない。
どんな選択をするのが正解なのか分からず、私はついアマミの様子を見る。
けれども彼女もまた、信じて良いのか判断がつかない様子で、どこか焦ったように私の方を見る。
……信じよう。どの道、今ここに新たな敵が向かってきているという事だけは紛れもない事実なのだから。
その対処へと向かう私達を見逃すと言ってくれているのだから、その言葉に甘えよう。
「行くのか。じゃあ最後の忠告だ。今入って来てんのは自由騎士団の精鋭連中だ。あんたら二人が強いのは分かってるが、今来てる人間も相当に強い。全部を防ぎ切るなんて欲を出さないで、確実に目の前の一人に集中しな。別にお前さん方だけじゃないんだろ、この場所を守ってるのは」
「……ええ。この森を抜けたらきっと……その方は絶対に助かりません」
「くく、そいつは恐ろしい。やっぱりこの辺で切り上げて正解だったか。じゃあ、今からちょいと集中させてもらう。もう会うこともないだろうが……俺が言うのもおかしな話だが武運を祈る」
外見に似合わず、どこか男臭い笑みを浮かべるその少女の姿に、やはりどこか複雑で、おかしな人だと評価を下す。
苦手かもしれない。この掴みどころのない相手の事を私は。
けれども、きっと間違ったことは言わないのだろう、という不思議な信頼を寄せてしまう。
なるほど。聖女ですか。もしかしたらこの不思議な在り方が、あの時見せてくれたような核心を突く物言いが、彼女を聖女たらしめている要因なのかもしれませんね。
最後に彼女へと頭を下げ、アマミと共に森の中へ駆け出す。
新たに入ってきたその相手を、この里を脅かす敵を排除する為に。
「ダリア様、あんな風に話す人なんだね。ちょっと意外」
「ええ、少し変わった人ですね。けれども――」
「……うん。やっぱり悪い人じゃないし、優しい人だった」
分からない。悪い人間ではないとは思う。けれども私にはあの人の真意が分からない。
優しいのか、それとも……甘いのか。けれども今はその疑念を振り払う。
きっと、本当の戦争はこれから始まるのだから。
「ねぇねぇ、その鎧って重くないの? 走れる?」
「ああ、大丈夫大丈夫。これでも力持ちだから」
全身を覆う、漆黒の鎧。
かつて変装の為に購入したその鎧を今再び、自分の姿を隠すため身に纏う。
この場所に、ダリアが来てしまう事を考えて。
今現在、里を覆う森のうち、サーズガルドと繋がっている部分を重点的に見て回っているのだが、残念ながら森の外から内部の様子を探る術がなく、こうして周囲を目視して調べることしか出来ない状況が続いている。
俺には、レイスやリュエの様に魔力の流れを感知する力がない。
仮に[五感強化]を発動させても、魔力探知はその五感以外の力らしく効力を生んでくれない事が先程行った実験で判明している。
故に、今こうしてクーちゃんと飼い猫のチャトランと周囲を探っている訳なのだが。
「……にゃーん」
「眠そうだねチャトラン。後でご飯いっぱいあげる」
前を行く彼女が飼い猫に語りかける。
こうして歩いていると、まるでのんびりと散歩でもしているようで、今まさにこの場所に敵が迫っているという事実を忘れそうになる。
けれども、確かに今この里には脅威が迫っており、恐らく既に森の中ではレイスとアマミが戦いを開始しているはずなのだ。
この不可思議で不自然な青空の下、長閑に広がる平和な隠れ里。
それを暴こうとする存在が、確かに今迫っている。それが、やはりどうしても信じがたくて。
そこにかつての親友が加わっている可能性があるという話が、どうしても信じがたくて。
「……にゃあ……にゃ!」
「うん? 何か来たの?」
その時、今の今までのんびりと歩いていたチャトランが鋭い鳴き声を上げ駆け出す。
クーちゃん曰く、この猫は魔法的な制限を受けず、なおかつ異変を察知する力が異常に強いそうだ。
リュエが言うには『この子はたぶん、守護獣としてこの場所に現れた存在』らしいのだが……種類的に日本でよく見かける猫だし、もしかしてなんらかのきっかけでこの世界にやってきたのだろうか?
ともあれ、その不思議な猫の後を追いかけ、結界と森の境界ギリギリへと飛び込んでいくのだった。
「かいぼん、誰かいる……ローブを着てる誰かが」
「侵入者か」
倒木に隠れるようにして、血で汚れたローブを纏った人間が座り込んでいるのを見つける。
聞こえてくるのは、とても弱々しい、水音の混じった呼吸音。
きっと、長くない。レイス達との戦いで深手を負い逃げてきたのだろうか。
とどめを刺すべきだろうかと思案していたその時だった。その人物が懐から何やら光る玉を取り出した。
嫌な予感がする。すぐさま飛び出し、その男がこちらに気が付き顔を向ける前にその光る玉を持つ腕を切り落とす。
「ああああ!!! くそ、くそお!」
「侵入者か。何をしようとしていた」
「くそ……しようとしていた? バカが! もうし終わったんだよ!」
狂ったような声を上げながら、血を吐き出し崩れ落ちるその人物。
まるで、目的は達成したと言わんばかりのその様子に嫌な予感が脳裏をよぎる。
何が起きたのかと、腕と共に転がるその玉を拾い上げ、アイテムボックスに収納してその詳細を確認する。
『フレイムガルドの禍玉』
かつて一つの国の崩壊のきっかけとなった呪具。
あらゆる神聖な守りを侵し破壊する呪いが込められている。
……随分と物騒なものを持ち込んだようだな、この侵入者は。
もしや、この森の結界を破壊したとでも言うのだろうか?
試しに、結界が張られているはずの場所に、この虫の息の人間を放り投げる。
すると、姿を消すでもなく、ただドサリと地面に転がってしまった。つまり、結界が消失しているという事。
くぐもったうめき声を上げながら、モゾモゾと動く人間に止めを差し、彼女へと振り返る。
「クーちゃん。出来れば今直ぐ里長の館に行って、リュエを呼んできてくれ」
「わ、わかった。かいぼん一人で大丈夫? チャトラン置いてく? にんにく食べる?」
一瞬、今の光景を見て恐がられてしまうのではと不安が過ぎったのだが、意外にも彼女は毅然とした様子でこちらに応えてくれた。
もともと戦える人間だというし、彼女もまた修羅場をくぐった経験があるのだろうか。
「大丈夫、急いでくれ」
恐らくリュエは結界を破られている。こうして交戦の形跡が見られることから、結界が破られてからある程度時間も経っているはずだ。
それにも拘らず、リュエがこちらに駆けつけてくるわけでもない事から、恐らく彼女自身の身にも何かが起きたと見るべき……だろう。
……レイスやリュエの元へ駆けつけたい気持ちを、今はこらえる。
既に結界が存在しない以上、敵はどこからでも侵入出来てしまうのだから。
だとすれば、どこを守るべきだ。連中の狙いはなんなんだ?
四方を森で囲まれている以上、俺一人でカバー出来る範囲なんてたかが知れている。
なら、敵の狙いを逆手に取りそこを防衛する事に徹した方が良いのではないだろうか。
……ここにきて、こちらの戦える人間の少なさが仇になったか。
「可能性として考えられるのは……あの巨大な木か、ここの住人か」
リュエが言うには、あの巨大な木はとてつもない魔力を生み出す貴重なものという話だ。
ならばそれを狙い、この地を侵略していると考えても不自然ではないだろう。
そして、もう一つがここの住人だ。
後天的な理由で生まれたという白髪のエルフ達。もし、その後天的な理由に国が関わっているとしたら。
そもそもこの里はそんな住人を匿うための場所だ。そこを襲う以上、その存在を最初から知っている可能性だってあるではないか。
「リュエを呼びに行かせたのは失敗か? 木の防衛をお願いするべきだったか」
後悔先に立たず。仮にリュエの身に何か起きていたとしても、それは恐らく遠隔的な何かによるもの。そこまでの被害は出ていないはずだ。
なら、彼女だってこの後の展開を冷静に判断する事が出来るはず。
俺がクーちゃんを向かわせた以上、事態が動き出したと察してくれるはず。
ならば、既に結界が存在していない事にも気がついてくれるはずだ。
「……なら俺は、居住区の方に向かうべき、なんだろうな」
彼女と合流する選択を捨て、居住区へ向かおうとしたその時だった。
まだ遠く離れているにも関わらず――子供の泣き声が、この耳に届いた。
(´・ω・`)敵でも味方でもないだーちゃん