二百五十四話
(´・ω・`)MIH零
深夜。二人が寝静まり、小さな寝息だけが耳に届く。
自身に[五感強化]を付与し、ベッドの中から周囲を探る。
そして、その気配に気がつく。
……こちらの様子を、俺と同じように探っている何者かの。
だがその気配は、こちらが寝静まっているのを確認し満足したのか、静かに扉の前から遠ざかっていった。
そのまま探り続けると、かすかに耳に届く、館の扉の閉まる音。
先程の気配は、やはり里長のものだったのだろうか。
しかし外出? こんな深夜に?
「……行ってみるか」
音を立てぬよう、そっとベッドから抜け出す。
そして、暗闇の中その不気味なシルエットを浮かばせる拷問器具の間を通り、館を後にするのだった。
「ここまで暗くなるのか……」
空には月も星もない。この場所の異常な空は、この時間も他とは異なる様相を見せていた。
光源の一切存在しない漆黒の闇……そのはずなのに、何故かぼんやりと自分の今の居場所、そして道が分かるという不思議な状態。
まるで空中や闇の中を歩くような、そんなおぼつかない足取りで館の敷地を出る。
そして奪剣を取り出し[ソナー]をセットし、地面に突き刺した。
「マップがあれば、少しは進みやすく……里長は森に向かっているみたいだな」
マップ上の動く光点は一つだけ。恐らくそれが里長だろうと、一定の距離を保ちその動きを追う。
やがて、俺達が最初に現れた森の出口から、彼女がその中へと入っていった。
……この暗闇の中、マップの表示が出来ない森に入るのは……リスクが高すぎるか。
遅れて森の前までやって来た俺は、この先に進むべきか否か、その迷いから一歩踏み出せず、ただ深い闇を孕んだその場所の入り口を睨む事しか出来なかった。
「……いや、試すことは出来るか……?」
これまで幾度となく使ってきたアビリティ。
その効果を使えば、もしかしたら――
「まるで、犬だな」
自身に[五感強化]を付与し、その情報を取捨選択し、嗅覚だけを強化する。
その瞬間、後頭部を殴られたかのような衝撃を受けたたらを踏む。
匂いの奔流に、情報処理が追いつかない。
なんとか慣れようと必死に余計な情報をカットしていくも、まだ頭が痛い。
昼に作った料理の残り香、木々の香り、遠くの家畜の匂いに土の香り。
そして恐らく自分自身に付着している料理の匂い。
……こんなの、お犬様は取捨選択して生きているというのか。
「……これも……これも違う」
余計なものを遮断していくと、今度は少し不思議な香りがした。
薬品のような、油のような。けれども、同時に香水のような。
明らかに森の方からするその香りは、自然由来とは思えないもの。
「これに賭けてみるか」
暗闇の森に足を踏み入れる。
悪視界の中、木々の根に足を取られながらも、その匂いのする方へと慎重に足を進めていく。
すると次第に、ほぼ漆黒だったはずの視界が、自然な光を浴びた夜の明るさへと変貌していく。
あの謎の場所、隠れ里の範囲から抜けたのだろうか。今の今まで暗闇にいた影響か、妙にはっきりと見える夜空の下をさらに進んでいく。
匂いは途切れていない。そして次第に、その匂いに鉄のような、油のような匂いが混ざっていく。
自然の中からするその不釣り合いな香りに警戒心を引き上げる。
だが……里長の正体や、この里の真実。そして……まだなにか隠していそうな彼女の中に飛び込むためにも、再び歩みを進める。
すると、ひときわ大きな倒木が目の前に現れた。
その高さは、少しかがむだけでこちらの姿を隠してしまう程。
そしてその倒木の向こう側に……彼女はいた。
月光が降り注ぐ、天然のスポットライトを浴びるように、彼女はその場所で、何かに腰掛けている。
真紅の瞳を静かに閉じ、今の時間を慈しむように。
……まるで、人形のようだと思った。そしてそれは、恐らくただの形容詞ではなく、限りなく真実に近い感想なのではないかと確信を強め、ゴクリと唾を飲む。
「……こっちにいらっしゃいな」
「っ!?」
こちらの嚥下の音でも聞き取ったかのようなタイミングで、声がかけられる。
このままやり過ごせるかと、一瞬だけ思考を働かせるも、続くその声に――
「カイヴォンさんでしょう」
「……何故、分かったんですか」
観念し、その倒木を迂回して彼女の元へと赴く。
月光を受け、銀髪を輝かせながら、その怪しく光る瞳を向けられる。
だが、俺の興味はその幻想的な彼女の姿ではなく、腰掛けていたもの。
それは……魔導具と呼ぶには余りにも近未来的なフォルムだった。
どちらかというと、地球に存在する文明の流れを組んだような物体。
人一人が収まりそうな、カプセル型のポッドだった。
「……里長、貴女は……」
「ふふ、まぁ少々変わった魔導具と、思ってくだされば」
「いや、違う……貴女は……魔導具ですらない」
カプセルに目を向ける。
磨り減りってしまっているネームプレート部分に目を凝らすと、かろうじてそれがなんなのか読み取る事が出来た。
『MI搭載H零型』そう刻まれたプレートに、彼女が何か特別な存在、型番の存在する製品かなにかなのだろうと当たりをつける。
「MI……メディカルインターフェイス? これは一体」
「あら……貴方、その言葉をどこで?」
「いや、あてずっぽうですが」
「この文字列からそれが浮かぶことは稀でしょうに。なるほど、私が何者か貴方が気になっているように、私も貴方に興味が湧いてきました。ですがその前に――」
すると彼女は、腰掛けていたポッドから飛び降り、なにやら下部に存在するハッチを開き、そこからケーブルを引っ張り出した。
そしてそれを……スカートの中に突っ込んだ。
「んっ……ふぅ」
なんか、エロいっす。
「それで、カイヴォンさん、貴方は何者ですか? この場所までたどり着いた段階で、通常の人間とは違うのでしょうけれど」
「俺は……神隷期の人間です。この力も、それで納得してもらえませんか」
「……神隷期。なるほど、空白の歴史の住人ですか」
『空白の歴史』その言葉に、何か引っかかる。そう、まるで――その時代を観測できる位置にいたかのような物言いに。
あれは確か、レイニー・リネアリスに神隷期について尋ねられた時だったか。
あの時彼女は『私はその時代を認識出来ませんでした』と言っていた。
となると、まさか彼女もまた……。
「旧世界の遺産……なのか」
「っ! まさか、その言葉まで。貴方、誰に聞いたのですか」
「……レイニー・リネアリスという人物を知っていますか」
「レイニー……私の記憶にはありませんね。しかし、察するに旧世界の人物なのでしょうか」
「そうなりますね」
「なるほど。私が目覚めたのは、この大陸に国が出来てからです。つまり、約六百年程前でしょうか。私は旧世界と呼ばれる時代に生まれ、そして長い間――」
彼女は微笑みながら、先程まで腰掛けていたポッドを撫でる。
まるで、それが自分の寄辺のように、慈しむように。
「この中で眠っていましたから」
「私を目覚めさせたのは、あの里を最初に作った一人のエルフです。私はその人物の願いを引き継ぎ、今もこうして……残念ですが、貴方が思っているような、なにか真実にたどり着くための手がかりはありませんよ」
こちらの考えを読むように、彼女は言う。
確かに、俺はこの人物がなにかこの国の歴史に、白髪の生まれる経緯に、その忌むべき文化が生まれた理由に関わりでもあるのでは、と考えていた。
人ならざる物。得体の知れない力で動く存在。その影響が、他になにか影響を与えているのではと、その罪悪感からこの里を管理維持しているのではないかと想像した。
だが……ここに来て、俺は彼女の説明に納得してしまう。
「……最初に設定された命令には、逆らえない」
「ふふ、まるで私のような存在を知っているかのような口ぶりですね。ええ、確かに私は、元々医療やサポートを目的として生まれました。そして、初代の里長、私を目覚めさせた人間に命じられ、長い間この地を守ってきました」
どこか嬉しそうに彼女は語る。それこそが、自分の誇りだとでも言うように。
「この場所は不思議でしょう。私の知る知識、この残骸に使われていた機能、そして初代里長が学んだ大規模な結界術式を応用して作られた場所なんですよ」
話したかった事を話すように、舌を滑らせるように語る里長。
嬉しそうに自分の秘密を話す彼女は、まるでようやく自分と語ることが出来る相手に喜びを隠せないかのようだった。
「少々おしゃべりが過ぎてしまいましたね」
そして、彼女は再びスカートの中からケーブルを引っこ抜くかのように取り出した。
……妙に艶っぽい声を出しながら。それ、どこに挿していたんですか。
「神隷期とは、思いの外文明の発達していた時代だったのでしょうか」
「まぁ、部分的にはそうですね」
「含むところがあるようですが、もう過ぎ去った時代の事。気にしないでおきましょう。それよりも……もしかして、貴方はこれ、修理出来たりしますか?」
すると彼女は、ポッド後ろ側へと姿を消した。
それを追うようにこちらも背後に回り込むと、なにやらポッドの一部がひしゃげ、基盤やら配線やらがむき出しになってしまっていた。
「残念ですが、私は自分や自分の内部についての情報がありません。恐らく、この露出した部分を修理、収納出来れば、私もこうして毎晩延命措置をせずとも済むのですが」
「延命……里長、まさか」
「こうして定期的に動力源を供給出来なければ、いずれ私は動かなくなります。本来ならば動力を溜め込む事も可能ですが、それをするにはこの機械を修理しないといけないので」
……残念ながら、鉱石ラジオや自作PC以上に難しい電子工作は専門外だ。
首を横に振り、自分には無理だと彼女に示す。
「やはり、そううまくいかないものですね。しかし、アマミが帰ってきたのは運が良いと言えます。今のうちに、私の知る知識を彼女に与えることが出来れば――」
「まさか、そこまで末期なんですか、里長」
「正直、綱渡りの状態ですね。この機械をまるまる館まで運ぶことも考えましたが、どうやらこの場所でないとうまく機能しないみたいなんですよ。恐らく、魔力の流れや結界の起点の関係でしょうか。残念ながら、私は魔術魔法、魔導のようなものには詳しくないので」
……参ったな。こんな話を聞いてしまうと、なんとかしてあげたくなってしまう。
だが、恐らくこれを理解出来るのは、日本から来た人間くらいなもの。
……ああ、くそ。本当に、本当に都合がいいのか悪いのか、一つだけアテがある。
恐らく魔導の知識に長け、そして俺同様に機械への知識もあり、そして何よりも……俺以上にサブカルチャーにどっぷり浸かった人間がいるではないか。
「……いつになるか、分かりません。ですが、俺よりもまだ修理出来る可能性のある人間に一人、心当たりがあります」
「あら、なかなか焦らしますね。テクニシャンじゃないですか」
だからどうしてイヤラシイ言い方をするんですか。
「期待しておきます、少しだけ」
けれども、彼女が冗談めかしながら発したその言葉の裏に、やはり必死そうな、祈るような感情がこめられているように感じた。
……機械だろうとも、命令を受けただけであろうとも、俺にはこの『人』の心が、しっかりと見えたような気がした。
それは間違いなく『親心』。子供達を残して逝きたくないという、自然の摂理に反しながらも、多くの人間が自然に思ってしまう、そんな心が。
「この時間は……まだやっているでしょうし、少し付き合ってもらいましょうか」
「付き合うって……夜中の二時ですよもう」
「宵の口、ですよ私にしてみれば。この森に入る時に通ったお店、あそこに行きましょう」
少しだけ足取り軽く前を行く彼女の誘いを断る事も出来ず、この心優しい、そして少しだけ不思議な里長のお供をする事を決める。
ああ、どんな話が聞けるのだろうか。
彼女の経験に、過ごした歴史に触れられるのだろうか。
「年長者の誘いは、断らない主義、だからな」
「聞こえていますよ。こんな可憐で清楚な淑女に向かってなんて事言うんですか。お尻に指突っ込んで泣かせますよ」
……随分と恐い淑女がいたものですね。
(´・ω・`)誰が治してくれるのかな