二百五十三話
(´・ω・`)牛叩くよ
人は、何を以って自分を自分と定義するのか。
人は、何を以って相手を人と定義するのか。
生きるとはなにか。死とはなにか。
命の定義とは、そして命なき物が意思を持った時、それをなんと呼べば良いのか。
ただ、その答えの分からない自分は、非道く曖昧な文句を言い、その問いをやり過ごす事しか出来なかった。
『少なくとも、貴女には心が宿っている』と。
「すっかり暗くなってしまいましたね……」
「まさか空がオレンジになったと思ったらすぐに暗くなるなんて」
「時計を確認しておくべきだったね。里長に謝らないと」
まるで水面にインクを零したように、目に見える速度で色が変わっていく空の黒に追いかけられるようにして大樹の根本へと向かう。
すると、鉄城門の前で里長が一人、苦笑いを浮かべながら立ちすくんでいた。
「申し訳ありません。この里の空の説明をしていませんでしたね。時間の感覚が狂ってしまったでしょう」
「え、ええ。けれども、こちらも時間を確認していませんでした。遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
「ふふ、大丈夫ですよ。では中へ。夜は冷えるようになっていますから」
『なっています』という言葉が引っかかるも、そのまま彼女に連れられて館の中へと入る。
すると、どこからともなく、胃袋を刺激する芳醇な香りが漂ってきた。
ああ、本当に料理を用意して待っていてくれたんだな、と、申し訳無さがぶり返す。
ふと、リュエとレイスがまた訝しむような視線を向けているのではと思い立ち二人の様子を窺う。
だが、二人もこちらと同じく、申し訳無さそうな表情を浮かべているのみ。
さすがに、自分達をもてなそうと頑張ってくれた人間を疑う事はしないか。
もちろん、それは俺だってそうなのだが――
『カースギフト』
対象者 カイヴォン【詳細鑑定】付与
それでも知りたい。貴女が何者なのか。
前を行く彼女の背中を、アビリティを発動させた瞳でじっと見つめる。
……だが、一向に能力が見えてくる様子がない。
情報が隠されているなどではなく、文字通り見えない、発動すらしない。
これは……初めてだ。どういう事なんだ、これは。
予想外の反応に内心驚いていたのだが、彼女に続き食堂へと入ると、そこに広がる光景にさらに驚く羽目になる。
「うお!? これ……全部作ったんですか?」
「ええ、そうですよ。まぁ……元々私が食べたくて下ごしらえしていたものばかりですので、少々メニューが偏ってしまっていますが」
大きな長テーブルの上には、以前俺が作ったような巨大なローストビーフの姿が。
そしてその脇を固めるように、恐らく牛のタタキと思われる、黒く焼かれた肉の塊に、ビーフシチューの入った大きなナベ。
それに、珍しいタルタルステーキや、先日レイスが食べたようなガーリックステーキと、牛肉尽くしだった。
もちろん、申し訳程度にサラダも用意されているのだが……あれ、カリカリに焼いた牛の脂身ですよね、トッピングに使っているの。
美味しそうではある。だが……ヘヴィだ! 実に、重い!
これにはさすがのレイスも――
「里長……このようなご馳走を用意して頂き……なんと感謝の言葉を伝えたら良いか、咄嗟に浮かんできません。本当に、本当に嬉しいです」
「まぁまぁ、そんなに喜んでもらえると作った甲斐がありますね。ささ、どうぞお好きな席にかけてください」
「で、では」
上座や下座など関係なしに、一番肉に近い席に座るレイスと、そんな彼女の真向かい、すなわち同じく肉の目の前に座る里長。
いや、貴女は上座に座りましょうよ。
「お二人もどうぞ、座って下さい。レイスさんが今か今かとお肉に熱い、魅惑的な視線を送っておりますので」
「う……お恥ずかしい」
もはや何も言うまい。
しかし……牛を〆たと言っていたが、その肉の大半がこの食卓に並んでいるのではないだろうか?
里長が巨大なローストビーフを切り分け始める。
随分と物騒なデザインのナイフを使い、恐ろしいほどの切れ味で以ってスパスパとスライスされていく。
淡いピンク色の、絶妙な火の通り加減に、この相手が相当料理に精通しているのだな、と彼女への興味を一段回引き上げる。
「とても美味しそうですね。この大きさで、こうも完璧に火が通っているなんて」
「牛肉には一家言あるんですよ。そう言って頂けると嬉しいですね」
「ふむ……前にカイ君が作ったのと比べても遜色がないね。とても、とても美味しそうだよ里長」
「あら、貴方も料理をするのですか、カイヴォンさん」
「ええ、割りと」
そうして、彼女の切り分けたお肉を皿に取り分けてもらい、シチューを取り分けたところで食事が始まる。
まずはローストビーフを食べる。そして、そのしっとりとした食感に目を見張る。
……これ、しっかり作った後に寝かせてあるな。もしかして俺達のために寝かせておいた物を出してくれたのだろうか?
「む……こっちのお肉はほとんど生に見えるけれど、問題ないのかい?」
「ああ、タタキか。大丈夫だよ、俺もそれは好物なんだ」
「私は初めて食べますが……これはなかなか……癖になりますね……」
「ふふ、私は血の滴るようなレアが好きですからね。あまり賛同してくれる人間がいないのですが、少なくともお二人は気に入って頂けたようで」
「里長、三人だよ。私もこれは好きだ。甘みを感じるね、鮮度がいいのかな」
そうして、続くタルタルステーキと、鮮度の良い牛肉でないと楽しめない貴重な料理を堪能していく。
そして食後の赤ワインを楽しんでいるタイミングで、里長が切り出した。
あまりの美味しさに、疑念や疑問を忘れかけていたタイミングの話題転換に、一瞬だけ思考がぶれてしまう。
「里の様子を見てきたようですが……お三方の中の疑念は晴れましたか?」
「疑念、といいますと」
「それはもちろん……私がここの住人をなんらかの目的の為に管理しているのではないか、という疑いです」
言い当てられてしまう。
確かに、少しだけこの場所の歪さを、そして特殊な環境で住人の健康を管理、維持しているこの場所に、養殖場のような印象を抱いていた。
だが……少なくとも今日触れ合った住人達は、多少の不便さを感じているようだが、ストレスや不満を感じて日々を過ごしているようには思えなかった。
過度な干渉をせず、最小限の手を貸し、自由に過ごさせていると感じた。
そこに……なにか裏や悪意があるようにはとても思えなかった。
「疑念は確かに晴れたよ。皆、楽しそうに暮らしていた。少々外界から離れているせいか幼い印象の住人が多かったけれど、みんなまだ若いから、年相応くらいなのかな」
「そうですね。今この里に住んでいる白髪のエルフは皆、アマミと同い年のはずです。それより上の代となりますと、皆共和国側に渡っていますしね」
「ふむ……じゃあ、今ここにいる子供たちは、上の代の子供、という訳ではないんだね」
「はい。いずれも孤児です」
「あの……私も昔、孤児や身寄りを無くした人間を引き取っていました。ですが……今ここにいる子供が皆、アマミさんと同い年というのは……」
すると、レイスが先程の里長の話に疑問を投げかける。
言われてみれば……それは異常ではないか?
同い年の孤児、それも皆白髪。そんなの――なにか人為的な物があるとしか思えないではないか。
そしてどうやら、リュエも同じ結論に達したらしく、一層目を細め、射抜くように里長へと向ける。
「里長。白髪について知っていることは、本当に全部話したんだろうね? 皆、同い年だなんてありえないじゃないか」
「ありえないと言われましても、これは厳然とした事実ですからね」
「……その生まれた年に、何か事件でもあったんですか」
考えられるのは、なにか大きな事故。
リュエが言っていた『先天性魔力拡散症』。
つまり、その年に起きた何か大きな事故の影響で、生まれてくる子供に影響が出たと考えるのが一番自然だ。
だが――
「なにも、ありませんでした。今の子たちが生まれた年の前後にも、その前の世代の子達の時も。なにも、なにもありませんでした」
「っ! なら、なぜ……!」
「……それが分かれば、私も助かるのですけれどね」
心の底から願うように、里長が重く言葉を吐き出す。
その様子からは、嘘をついているようには見えなかった。
純粋に憂い、そして生まれてくる白髪の子を受け入れるその在り方に、なにか裏があるようにはとても思えなかった。
だが――裏どころか、表の理由すら知らないのだと、この時になってようやく気がついた。
彼女はなぜ、そんな行き場を失った人間を、こうして隠れ里で受け入れ保護しているのだろうか?
無償の愛だとか、博愛の精神だとか、悪いがそういった物を信じるつもりはない。
赤の他人にそこまでするのには、何か相応の理由があるべきなのだ。
その理由がなければ、その施し、好意を受け取る側も身構えてしまうのだから。
だからこそ、その疑問を彼女にぶつける。
すると彼女は、残っていたワインを飲み干してから、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「なるほど……そうですね。理由になるかは分かりませんが、それが私の生き……いえ、存在意義だからでしょうか」
彼女はそう言いながら、再び寂しそうな、儚い笑みを浮かべる。
その様子に、なにか深い理由があるのだろうと察することは出来るのだが、やはり、謎は深まるばかりだった。
「里長。これ以上聞くのは私がここに来た目的から逸脱してしまうからね、深くは聞かないでおくよ。ただ……もしも、もしもなにか邪な理由があるのだとしたら、私は君と敵対しないといけなくなる」
「リュエ……さすがにそれは……」
「邪な理由……ふふ、みんな可愛い子達ですからね。それを愛でたいという気持ちもありますね。この理由は、貴女が敵対する理由になりますか?」
「……度を過ぎなければ良いと思うよ」
「もちろん」
その物言いに毒気を抜かれたのか、剣呑な空気を収め、ワインのおかわりを注ぐ彼女。
そしてレイスもまた、じっと里長の方を見つめていた。
……思うところがあるのだろう。自分もかつて、多くの子供を育ててきたが故に。
「里長。ところで俺からもお願いがあるんですけれどいいですか?」
「はい? どうなさいましたか」
「この里に滞在する間、この館の空き部屋があればお借りしたいのですが」
「ええ、それはこちらから提案するつもりでした。アマミのところに泊まってもらうという考えもありましたが、カイヴォンさんがアマミを襲ってしまうかもしれないと思い」
「襲いません。失礼な」
「あら、あの娘は私の目から見ても器量良しですよ。ああ見えて尽くすタイプですし」
「良い娘さんだとは思いますが、生憎こちらの両手は既に埋まっております故」
「ふふ、半分冗談ですよ。ただ……この館に滞在するのでしたら、ご希望とあらば私が――」
これ以上煽るのは止めて下さい。里長見えてますよね、両隣の娘さんの機嫌が悪くなっていく様子が。
「一緒の部屋になったわけですが」
「随分と広い部屋だね。けれどもベッドはしっかり三つ用意されている」
「一つでも問題ありませんでしたよね」
「ありますが」
自由に使ってくださいと通された寝室は、やはりゴシック調の広い一室だった。
レイスではないが、俺も内心あの里長の事だから大きなベッドを一つだけ用意した部屋にでも通されてしまうのではと思っていたんですよね。
だがその予想に反し、しっかりと三つ並んだベッドがこちらを迎えてくれた。
早速部屋着に着替え、そのベッドに横になる。
「……ああ、そうだ。二人が言っていた事の意味、分かったよ」
「うん? なんのことだい?」
「あ、もしや里長について、でしょうか」
「そう。俺の力でも分からなかった。いや……分かったと言った方がいいか」
ぼんやりと、部屋の様子を[詳細鑑定]を発動させながら眺める。
やはり、反応はない。当然だ。この力は――
頭の中で、バラバラになっていた情報、些細な仕草、彼女達の証言が一つにまとまっていく。
「里長は……たぶん、魔導具かなにかなんじゃないかな」
「魔導具……? 魔力の反応すらなかったよ」
「ええ……それに魔導具が人の姿だなんて」
この力は、無機物には反応しない。
詳細が不明になるでもなく、発動すらしないという事は、彼女が有機物でないというなによりもの証拠だ。
もしそうならば、彼女が呼吸をしていないという事実にも説明がつく。
もっとも――魔導具ではなく、なにか別な力で動く、一種のアンドロイド……この場合はゴーレムかなにかだろうか。
彼女は言った。『私の生き……いえ、存在意義だからでしょうか』と。
それはまるで『自分を生きていると表現するのを憚るような』物言い。
これも、ただの予想ではあるのだが、もしかしたら……。
「でも、もしそうなら何故彼女はああして話し、里の事を考えているんだい? 魔導具や道具がそんな風に物を考えるとは思えないよ、私には」
「……そう、でしょうか」
すると、レイスがリュエの見解に疑問を呈した。
「道具であれ、なんであれ、物には思いが宿ると言いますし……」
「……それは確かにそうかもしれないけれど」
「何にせよ、里長は普段、人として生きているようにしか見えないし、実際に里の管理をしているんだ。今のところはそれでいいんじゃないかい」
けれども、好奇心は抑えきれない。
この世界にどんな存在がいてもおかしくはないと、思っていた。
だが……その存在はこの世界ですら、少々異端に思えた。
……今夜、もう一度話を聞きに行ってみようか。
(´・ω・`)豚は愛でるよ