二百三十九話
(´・ω・`)おわりのはじまり
寒い。
ここは、私がいた森とは違ってとても暖かいのに、なぜだかとても寒く感じた。
見たことのない、変わった木が沢山生えている森の中で、私は一人、レイスがカイくんを連れて戻ってくるのを待っていた。
間違いない。カイくんはこの街にいる。
見えない壁に覆われた街を眺めながら、私は歯噛みする。私が、もっと強くて、魔術や魔法に詳しければ ――そうだ!
「レイニーさんの本、結局まだ読んでいなかったや」
私は急ぎアイテムボックスからその本を取り出し、ページを開く。
そこには、短い文章だけが書かれていた。
『偽ざる心で、未来を見据えよ。さすれば真に求める答えを得られるだろう』
そして、次のページをめくろうとしたその時、一人でにその文字が変化した。
『まだその時にあらず。されど、その時は近い。覚悟せよ、幼き心よ』
……ページを、めくる事が出来なかった。
張り付いたように、ピクリともしない。爪を立ててもどうにもならないその本に、私はなんだか馬鹿にされたみたいで少しだけ悔しくなった。
「むぅ……解析しちゃえ」
魔力を流し込んでみると、まるで穴の空いたバケツに水を注いだように通り抜けてしまい、解析出来なかった。
抵抗されるでもなく、ただ通り過ぎるなんて……どうなっているんだろう、ここに存在しているのに魔力が触れることが出来ないなんて……。
「……また、私じゃ歯が立たないものが増えてしまったよ、カイくん」
ため息をつきながら本を閉じ、諦めて地面に寝転がる。
……聞こえてくるのは、風にふかれる草木の音。鳥の声。
だんだんと日差しが弱くなり、夕方から夜に移りいく空。
こうして、森の中で一人過ごしていると、嫌でも昔を思い出してしまうよ。
嫌だな、誰かいないかな。
私は少しだけ、街の側へと足を向ける。すると、私の耳に誰かの話し声が聞こえてきた。
子供……かな? もうすぐ暗くなるのに危ないなぁ。
「本当にいたんだって……でっかい毛むくじゃら。きっとでっかいラビットだぜ」
「もしやっつけたら肉屋に持っていくのか!?」
「ばーか! 自由騎士団に持っていくんだよ! そうすれば子供の俺達でも入れるかもしれないだろ!」
エルフの子供の二人組。
どちらも金髪だけれども、その瞳の色は、私と似ている青と、緑の混じったエメラルドグリーン。
……懐かしいな。昔、あの森に沢山のエルフが住んでいた頃は、みんなちょっとずつ髪の色の濃さが違ったり、瞳の色が違ったり。
耳の大きさとか、角度とか、それぞれ違いがあって。
その特徴をみんな覚えて、名前も覚えて、一生懸命話しかけたっけ。
そうだね。……よし、もうすぐ夜だし危ないからね。お姉さんが注意してあげないと。
私が一歩踏み出すと、草むらがガサリと音を立ててしまい、それに驚いた二人が声を上げる。
ビクリと身体を震わせた二人の前に姿を晒すと、こちらを見てほっとため息をついた。
ふふ、なんだか悪いことしちゃったかな。
「驚かせてしまったかな? もうすぐ夜だよ、なにが出てくるか分からないし危険だよ?」
「ひ、人だった……なんだよ、関係ないだろ! 俺達はこれからでっかいラビットを狩りに行くんだよ!」
「う、うん。俺達ならラビットくらい余裕だから、大丈夫だって」
「けれども、大きいんだろう? それに暗い中、突然後ろから飛びかかってきたらどうするんだい? 私が出てきただけでも驚いていたじゃないか」
背伸びしたいお年頃、なのかな? 少しだけ頬を膨らませる仕草が可愛くて、ついついからかうような声をかけてしまう。
すると、今自分達が取った行動を思い出してか、少しだけ顔を赤くした。
「ほら、せめて明日、明るくなってから調査したらどうかな。強い人はね、事前に調査をしてから、かっこよくスマートに仕事を終わらせるものだよ?」
「調査……スマート……」
「お、俺も知ってるぞ。騎士団が調査隊っていうのを結成したって話聞いたことある!」
「ふふ、そうだろう? いきなり暗闇に飛び込むよりも、完全に全て調べた後に、パパっと終わらせた方がカッコイイだろう?」
出来るだけ、優しく声をかける。
意固地になったら大変だものね。大丈夫、この子達は悪い子じゃない。
今も、私の言葉を必死に考えてくれている。
「お姉ちゃんは、自由騎士なの?」
「うん? 私は自由騎士ではないけれど、他の大陸でずっと戦ってきたんだ」
「すげえ! 外の大陸にいたのか姉ちゃん! どうやって、どうやって戦うんだ!?」
「ふふん、もう遅いからあまり騒げないけれど、基本的には魔法と剣かな? こんな風にね」
あまり大きな魔力を使うと、髪に影響が出てしまう。
だから私は、自分の指先に小さな炎と氷、そして紫の光と雷、最後に黒い糸を渦巻かせてみせる。
五本の指にそれぞれの属性を灯すのは、少ない魔力でもとてもむずかしい。
それをきっと彼らも分かっているからか、その小さな瞳を輝かせてくれた。
……ふふ、うん、可愛いね。懐かしいな。
「すげぇ……全部違う属性だ……俺、初めて見た」
「炎……氷……雷? 残り二つは分かんない」
「ふふ、これもじっくりいろんなことを調べたから出来るようになったんだ。だから、君たちも無謀な事はしないで、しっかり準備をしてから動くんだよ?」
ようやく納得してくれたのか、二人が少しだけ残念そうな顔をしつつも、踵を返し街へ戻ろうとしてくれた。
そして振り返って私に手を――
「危ない!」
次の瞬間、街の外壁沿いに何かが猛烈な勢いで駆け寄ってきた。
こちらの動きよりも先に、その黒い影が子供達のところへと到達してしまう。
魔術を発動させる。それを黒い影に投げつけるより先に、手を上げた男の子が、その黒い影に飲み込まれる。
「うわあ! 兄ちゃん! 兄ちゃん!」
「あああああああ!!! イタイ!!! ああああ!」
「今助ける!」
魔法が当てってはいけないからと、剣に持ち替え駆け寄る。
見たことのない、毛だらけの魔物。口しかない、顔すらない。手足が毛玉から直接生えているような歪な存在。
剣を突き出し、男の子を咥えている口を大きく切り裂く。
すると、噛む力が弱まったのか、少しだけ口に隙間ができた。
手を伸ばし、男の子の腕を掴み引っ張り出す。
ズルリと、湿った感触と共に出てきた男の子を抱えて飛び退る。
「イタイよ……イタイよ……」
「くっ……酷い」
地面に寝かせたその姿、その悲惨の状態につい、口を抑えそうになる。
身体が、ほとんど溶けていた。
なんだいこれ……!?
「“ヒーリングサークル”! 少し、少しだけ待っていておくれ!」
私は、魔力が大量に込められている剣を地面に差し込み、そこを起点に回復効果を与える場を形成する。
本当は、今すぐ大規模な回復魔導を使ってあげたいけれど、その前にこいつを――
「……魔物、じゃないね」
こちらを警戒しているのか、黒い身体を蠢かせ、裂けた口から涎を垂らしながら佇む影。
不思議な気配がした。魔物とは違う、不自然な魔力の流れ。
まるで、デタラメに編んだ糸くずを、強引になにかの形に押し固めたような、適当に生き物としての体裁を保っているような。
「なんでもいい、ここで倒――」
再びこの相手を倒そうと、殺傷能力の高い魔法を発動させたその時だった。
大勢の足音が背後から聞こえてきた。たぶん、もう一人の子が助けを呼びに行ってくれたんだ!
「みんな、この化物のよだれに気をつけて――」
その援軍に、この相手の特徴を伝えようとする。
けれども――
「セミエールの遺児だ! 忌み子が化物を連れてきたぞ!」
「ああ! あっちに子供が囚われている!」
「え?」
その瞬間、なにか冷たいものが心臓に突き刺さったような気がした。
背筋に冷たいものを付けられたような、ゾクリとした悪寒が全身を奔った。
あ……髪の色が……!
「待って、違う! 今あの子を助けようと――ッ」
今度は、気のせいじゃなく本当になにか熱いものが頬を掠めた。
するとその瞬間、今度は口からよだれを流していた化物が、私を無視して街から来た人達を襲いだした。
クッ! 間に合っておくれ!
「“アイススピナー”!」
氷の刃を回転させて射出する。
化物の足を切り裂き体勢を崩すと、その隙に標的にされた人間が辛くもその突進をかわす事が出来たみたいだった。
けれども――今度は上から、赤く燃えた石が飛び込んできた。
私目掛けて、正確に。
それを防ごうと魔法を使う。そして、今度はその隙に空気の塊のような物をぶつけられ、一歩よろめいてしまった。
「今だ! 子供を取り返せ!」
「……なんでだい。どうして、そんな」
私の横を、少しだけ傷が癒えた男の子を連れた人が駆けていく。
……ああ、そうか。
私は、その人に向けて魔法を放つ。
せめて、もう少しだけ治癒が早まるようにと回復の魔法を。
けれども、それが誰かの術式で防がれてしまう。
「違うのに。それ、ただの回復魔法なのに」
気がつくと、化物の姿が消えていた。大勢の人間の姿に、逃げ出してしまったのだろうか。
炎の石が、矢が、私に降り注ぐ。
みんな、とても恐い目をしていた。暗闇の中、みんなの瞳がギラギラと輝いていた。
……そっか。やっぱりそうなんだ。
ここにいちゃいけない。すぐに逃げないと。
駆け出し、剣を回収して森に逃げ込む。
後ろから、叫び声が聞こえてきた。けれども、もう振り返る余裕なんてどこにもなかった。
そう、なかったんだ。もう『私』には。
人混みを避けながら、なんとか街門へと辿り着く。
そこには、武装した人間が大挙して押し寄せており、松明を掲げて付近の森を調べている姿も見受けられた。
まるで、何かを探しているような様子の彼らに、御者席のレイスが声をかける。
「この騒ぎはなんですか。街の外に出たいのですが」
「それどころじゃない! さっき、子供が襲われて重症なんだ! 街のすぐ側まで魔物が来ていたんだが……どうやら忌み子がここまで引き連れてきたみたいで」
「……忌み子、ですか?」
「ああ。俺達が駆けつけた時、子供が魔法に囚われていて、そこに化物と白髪のエルフがいたんだよ! なんとか子供は助け出したが、あのエルフは森に逃げていってしまって、今捜索中なんだ」
その話を聞いたレイスが、返事もせずに手綱を強く握り魔車を走らせる。
突然走り出した魔車に、周囲の人間が慌てて逃げ出すも、それに構う時間も惜しいと強引に進んでいく。
「……リュエは街の外にいたんだよな」
「……はい。カイさん、少し走らせたら一度魔車を降りてリュエを探しましょう。少々離れた場所に隠れているかもしれません」
「ああ、もう準備完了だ」
俺は、再び『あの構成』をセットする。
あの日……俺が森を去ると決めた日に、リュエの本心を探るためにセットしたアビリティを。
そして、精神を研ぎ澄ませ、彼女の居場所を、そして声を辿るのだった。
街道を進みながら、森に向けて[ソナー]を発動させ続ける。
動物や魔物の気配の中に、捜索に来たと思われる人間の反応もまじっているようだが、未だリュエをみつけられないでいた。
他のアビリティでもリュエの反応を、声を見つける事が出来ず、ただ焦りだけが膨らんでいく。
「レイス、だいぶ距離も離れたし、そろそろ森に入ろう」
「……分かりました」
リュエは、どっちに逃げた? 間違いなく人目に付きたくないと森の中を選んでいるはずだ。
けれども俺のアビリティに反応がないとなると――どこかに潜っているか?
俺は実験的に、[ソナー]を空中で発動させてみようと試みる。
全力で地面を蹴り、そして剣を地面でなく、空気の壁に叩きつけるような勢いで猛烈に振る。
すると、破裂音にも似た音をさせながら、通常よりも遥かに遠くまで、そして地面に向かって放射状に魔力の波が飛んでいく感覚がした。
「……詳細は無理でも、だいぶ遠くまで分かるな」
その利便性に満足しつつも、現れたマップを調べていく。
すると、あからさまにおかしな反応を一つ見つけることが出来た。
ぼやけたような、魔力が何かにぶつかったのにしっかりと戻ってこないような、そんなおかしな反応。
そして一度地面に降りた俺は、翼を生やし、その方向へと飛んでいく事にした。
「レイス、俺は先に行く! 同じ方向に来てくれ!」
「分かりました!」
夜の闇の中を切り裂くように滑空する。
すると、森の中に少しだけ風景が歪んでいる場所を見つけた。
黒い木々が揺らめくような、まるで水面に映った風景が風に揺れるような。
……これは、光魔導の『ミラージュキャッスル』か。
そうだったな。リュエは光属性も極めていたっけ。
陣地形成魔導。その効果により、他からは見つかりにくい隠れ場所を作り出したのだろう。
地面に降り立ち、その幻影に向けて手を伸ばそうとした。
だが――耳に届いたのは――
「もう、嫌だ……あんな目で見られるのは嫌だ」
小さな声。
震える声。
幻影を突き破り中に飛び込むと、その小さな背中がビクリと揺れる。
そっと彼女の後ろに膝をつき、抱きしめる。
「リュエ、ここにはもう誰もいない、いないから……」
「いない……いない……? 誰も、みんないなくなってしまうのかい?」
「俺がいる。レイスもいる。大丈夫、君を苦しめる人はいないから」
ああ――俺はなんて愚かだったのだろう。
腕の中で、小さく震える彼女の身体。薄い肩、か細い腕。
こんなにも、小さな身体を震わせている。
馬鹿野郎、俺は大馬鹿野郎だ。
どんな結果になろうとも、常に一緒にいたらよかっただろう。
敵対がなんだ、国相手がなんだ。何を日和っていたんだ俺は。なに人の目を気にしていたんだ俺は。
全部、全部薙ぎ払えばよかったのだ。こんな事になるくらいなら――
その決意をした時、腕の中で、リュエの震えが大きくなる。
大丈夫、俺はここにいる。ここにはもう、俺とリュエしかいない。
「……ああ、たぶん限界かな。少し、休ませておくれ……」
「ああ、分かったよ。今はこのまま、少しだけ眠るといい。俺は、起きた時もここにいるから」
「そっか……じゃあ、少しだけまた、休ませてもらうね。元気になったら……また一緒に冒険しようね……」
静かな寝息をたてるリュエを抱きしめながら、空を見上げる。
……悪い、ダリア、シュン。もう優先すべきはこの最愛の人なんだ。
もう、手段は問わんぞ。
(´・ω・`)もう許さねぇからな!




