二百三十七話
(´・ω・`)おや……リュエさんの様子が……
魔車に揺られながら思考を巡らせる。
コンテナ内には、騎士が二人。その二人が今、しきりにこちらの身体を触りながら、理想の男性像について語っていた。
その話題に耳を傾けてもいいのだが、それよりも優先すべきはこの状況をどう打開するか。
殺さずとも無力化する事は可能だろう。それに俺ならば、この走る魔車から飛び降りてもかすり傷すら負わないはず。
だが……それで先程の分岐路に戻ったところで、既にリュエとレイスはそこを通り過ぎた後ではないだろうか?
彼女達の事だ。俺を追いかけるために魔車くらい調達しているだろう。となると、既に相当距離を離されていると見るべきだ。
いや、速度重視のアビリティに組み替えれば追いつくことも可能か。
だが、やはりどこか臆病になっているのか、ここで騒ぎを起こしたくないと思う自分がいる。
それはきっと、ダリアとシュンがこちらと敵対する口実を万が一にでも作ってしまってはいけないという不安から。
ならば、このまま大人しく別宅まで運ばれた後に去ってしまえば、美術品を盗すまれたとして穏便に済ませられるのではないだろうか。
……今のところは、それが最善か。随分と、臆病になってしまったな。
ただの敵地ならば、幾らでも暴虐の限りを尽くそう。
けれども、あいつらがこの国にいる以上……少なくとも直接的にこちらに害を与えない限り、今も身体の中で暴れまわっているこの衝動を抑えなくてはならない。
こういう時、俺のアビリティや魔法に『睡眠』やら『気絶』がない事が悔やまれる。
都合よく目の前の騎士二人が背中でも見せてくれたら、そのまま後頭部をガツンと殴って気を失わせる事も出来るのだが……。
「本当、凄く細かい仕事だ。髪の毛一本一本まで表現されている」
「すごくきれいだよね。きっと金髪だったんじゃないかなーモデルの人」
「金……それだと少々目に煩い。この長さだ、きっと銀や灰色、落ち着いた風合いのはず」
「本当にいるのかな、このモデルになった人。もしそうなら……ちょっと遊んでみたいかも」
「むっつりだな。そんなにコレがお気にめしたか」
だからやめろ、握るな。
もし、こちらが手を下そうと[晶化]を解除した瞬間を見られでもしたら……。
彼女達はもう、散々こちらの顔の造形を間近で見てしまっている。
そこに本来の髪色の情報まで揃ってしまったら、最悪指名手配されてしまうのではないか。
誰の庇護もない以上、動き辛くなるような事態は避けたい。
やっぱり大人しく待つしかないのかね。
「……疲れた」
誰も居なくなったコンテナの中で、ようやく[晶化]を解除して久方ぶりに言葉を発する。
この一言に、俺の半日に及ぶ全ての思いが込められていると言っても過言ではありません。いやもう本当に。心の底から。
あの騎士さん達ちょっとおかしいと思うんですよ。なんでみんな揃いも揃ってマイサンに触れるんですか。
確かに立派だけど、ご立派ではあるけれど!
ああ、もうお兄さん本当に汚されてしまいました。もうどんな顔してリュエとレイスに会ったらいいのかわからないですよ。
「……しかし、魔導都市、ね」
現在、俺は都市の内部へと運び込まれ、そしてどこか倉庫の中にしまわれている状態のようだ。
内側からコンテナを開けることが出来ない都合上、どこかに運び出されるまでこうして待機しているわけだが……かれこれ半日だ。既にリュエ達は遠くブライトネスアーチに向かっている頃だろう。
こちらが速度特化のアビリティ構成にすれば、恐らくは二日もあれば追いつけるだろう。
尤も、その王都がどれくらい離れた場所にあるか次第ではあるが。
……大丈夫だろうか。
もしも俺を追いかけるつもりで、いつまで経っても追いつけずそのまま王都内に入ろうとしたら……リュエの髪に掛けられた術式がとけてしまうのではないだろうか。
そうすれば、今度こそ彼女は大勢の悪意の視線に晒されてしまう。
船の上では平気そうにしていた。だが、ここはもうエルフの国の中だ。
逃げられる場所がないという事実が、かつて自分に辛くあたったエルフ達の子孫という事実が、今は平気でいられる彼女を追い詰めてしまうのではないか。
船上でヴィオちゃんに言われた言葉が、まだ尾を引いているようだ。
彼女の、リュエの負の感情はどこにいってしまっているのか。
感受性豊かな彼女が、その精神力で耐えているとしたら、その限界はどこにあるのか。
無理をしているのではないか。俺の知らない場所に、密かに負荷を溜め込んでいるのではないか。
そんな思いばかりが胸の中で、暗雲のように渦巻いていた。
するとその時、扉の開く音がする。急ぎ剣をしまい、再び彫像に擬態したところで、その声が聞こえてきたのだった。
「別れ道ですね、看板を見る限り右が王都に続く道のようですが」
「待って、ちょっと轍が交差している。ここで別れたみたいだよ」
「あら……しかし、カイさんが入ったコンテナは献上の品のはずです。王都に向かったのではないでしょうか」
「……待っておくれ。ちょっと調べてみる」
程なくして、三叉路にたどり着いた私達はそこで一度魔車を止める。
どうしてここで別れたんだろう。
万が一にもカイくんと離れるわけにはいかないと、私は魔車から飛び降りて、三叉路の地面に魔力探知を試みる。
その痕跡。人数。どれくらいの人間がどちらにどれだけ向かったのか。
轍の深さ、足跡の数、足跡の深さ。それら全てに魔力が入り込み、その微かな違いを私に伝えてくれる。
もっと。もっと集中しないと。より細かく、より精密に。
「……待ち合わせ、していた。けど降りた人数と乗り直した人数が同じ……」
「となると、伝令でしょうか?」
「そうかもしれないね。待ってね、ただ少し足跡の深さが……それに何か引きずった跡がある」
なにか、重い物が待ち合わせしていた方に移動している。
……これは、賭けだ。
「レイス。左に行こう。左の魔車に重たいものが移動した形跡がある」
「……それがカイさんだという保証は、ありませんよ。他にも沢山美術品が積まれていましたし」
「うん。けれども……なんとなく、そんな気がする」
説明出来ないけれど、私の中のなにかが叫ぶんだ。
そんな根拠のない私の話を、レイスは信じてくれるだろうか。
恐る恐る彼女の反応を窺う。
「……納品書に、カイさんの存在は当然記載されていないそうです。もしかしたら、それを献上品からはぶいた可能性もあります。私は、リュエを信じますよ」
「ほ、本当かい!? じゃ、じゃあすぐに向かおう! さっき魔力の波を送ったんだ。そしたらそんなに離れていなくて――」
「ええ、急ぎましょう。急げば、もし違っていてもすぐに引き返すことも出来ますからね」
「そうだね、じゃあ行こう!」
ありがとうレイス。本当は、私の話を完全に信じたわけじゃないのに、私を優先してくれて。
私と同じくらい心配しているはずなのに、私の事を気遣ってくれて。
……そう、たぶん今の私は少しだけダメになってると思う。
なんだかね、凄く心細いんだ。レイスが隣にいてくれているのに、不安で不安で仕方ないんだ。
それはたぶん……。
私は、風に揺れる、自分の髪をそっと撫でる。
この、私の色でなくなってしまった黄金の髪を。
……不安なんだ。やっぱり少しだけ。
「それにしても、カイさんは一体どれだけ力を持っているのでしょうか……まさか透明のガラスのようになってしまうなんて」
「うん? あ、そうだね。回復手段も持ってるみたいだし、元々魔法も使えるし……なんでも出来ちゃうよね」
「ふふ、そうですね。カイさんはなんでも出来ます。だから、なにも不安がらなくていいと思いますよ。どんな事があっても、絶対にあの人は私達の元に帰ってきますから」
「……うん。それはそうだね。絶対、帰ってくる」
そう、そうに決まっている。
なんていったって私達はカイくんの一番なんだ。
だから……シュンとダリアと会っても、変わらずに私達のところに戻ってきてくれるよね?
「着きましたね……どうしましょうか、リュエ」
「ちょっと門の様子を見てみるよ」
どこか浮かない表情の、そして気持ち声の張りのないリュエが、少しだけ緩慢の動きで立ち上がり、道の先にある『魔導都市マギアス』の門へと目を凝らしていた。
……本当は、私だって気がついている。門の周囲に張りめぐされている恐ろしく精密な、そして重厚な魔力結界に。
魔眼でそれを確認した瞬間、私は咄嗟に『リュエは外で待っていて下さい』と言いそうになってしまった。
けれども……今のリュエは、少し危うい。私がもしも拒絶のような言葉をかけたら、今にも泣き出してしまいそうな、そんな雰囲気を纏っていた。
……カイさんが、離れただけでこうも変わってしまうのだろうか。いえ、それは違う。
彼女はかつて単身アーカムの屋敷に乗り込んでみせたではないか。そして、不安で押しつぶされそうになっていた私を救ってくれたではないか。
ならば、どうして?
たぶん、この大陸にいるという事実が、沢山のエルフがどこにいっても居るという環境が、彼女に大きなストレスを与えているのだろう。
エルフは、確かにどこにでも存在する。私の娘にも二人いるように、セミフィナル大陸にも勿論住んでいる。
けれども――その人口はヒューマンや魔族に比べると、遥かに少ない。
つまり……これまでとは環境が違う。リュエ自身気がついていない、知り得ない恐怖やストレスが、この場所にあるのかもしれない。
だからこそ、今この場にカイさんがいないのは……致命的なんです、ね。
「……凄い。私じゃ解析出来ても入り込む余地がないくらい、密度が高い術式が編まれている……やっぱり、ダリアが関わっているんだね……私じゃ、敵わないや」
「リュエ……」
弱々しく呟いた彼女が、とても、とても小さく見えた。
そのダリアというカイさんの友人がどんな人かは知らないけれど、今こうして打ちのめされている最愛の姉の姿を見ると、理不尽な怒りが込み上げてくる。
……私にとって、最高の魔導師はリュエなんです。どんな時でも、私達が頼ることが出来る、そして信頼出来るのは貴女なんです。
それを伝えたくて、私はそっと彼女を抱き寄せる。
「……レイス?」
「リュエ。今は私を頼って下さい。リュエには、これまで何度も助けられ、守られてきました。今、貴女はとても弱っています。だから、今は私を頼ってもいいんです。落ち込むなとも、元気を出してとも言いません。ただ――貴女の妹を、信じて下さい。私がカイさんを連れ戻してきます。だから、今はここで待っていて下さい」
耳元で、彼女にそう語りかける。
すると、彼女もこちらの身体に腕を回して、優しく抱き返してくれた。
小さな、本当に小さな力。まるで子供が寝ぼけて抱きつくような、そんなふわふわとした感触。
それがなんだか、今の彼女を表しているようで胸が締め付けられる。
大丈夫……大丈夫です。私、これでももっと危ない状況をくぐり抜けた事もあるんです。
誰かを取り返す事も、一度や二度ではありません。私の娘を取り戻すため、悪漢の元に乗り込んだ回数なんてもう数え切れない程なんですから。
「私は、近くの森に隠れておくよ」
「はい。私は……そうですね、この魔車を利用します。少しの間、外で待っていて下さい」
さぁ、待っていて下さいカイさん。私が華麗に、そしてスマートに助け出してみせます。
そして、絶対にリュエの元へ連れて戻ってきますからね!
(´・ω・`)